第八十二話 悪役令嬢は案内係になる
悪役令嬢は愛されている
第八十二話 悪役令嬢は案内係になる
「私、お仕事が欲しいわ!」
王立魔法学院。
午前八時。
学院長室の扉を開けたエリザベートは、開口一番そう宣言した。
「おはようございます、お嬢様」
マリアンヌは書類から顔を上げた。
「お仕事でございますか?」
「ええ!」
「どのようなお仕事をご希望でしょう」
「先生よ!」
「なるほど」
マリアンヌは頷いた。
「ですが、学習補助員の選考には、まだ合格されておりません」
「そうなの!」
エリザベートは胸を張った。
「だから、別のお仕事をするわ!」
「……別のお仕事、でございますか」
「ええ!」
マリアンヌは少し考えた。
そして、机の上に置かれていた一枚の案内状を取り出した。
『春季入学予定者向け・学院公開日』
「本日は、来春の入学予定者とそのご家族を対象に、学院の公開日を設けております」
「まあ!」
「校舎の見学や、授業の体験をしていただく予定でございます」
「楽しそうね!」
「そのため、在校生から案内係を募集しております」
「それよ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「私、それをやるわ!」
「かしこまりました」
マリアンヌは一礼した。
「では、担当教師へお伝えいたします」
「ありがとう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
そして、ふと思い出したように尋ねた。
「ねえ、マリアンヌ」
「はい」
「案内係にも試験はあるの?」
「ございません」
「まあ!」
「ただし、学院内の施設を把握していただく必要がございます」
「そうなの?」
「はい」
「……私、教室しか知らないわ」
「それでは、まず学院内をご案内いたしましょう」
マリアンヌは微笑んだ。
「……私が?」
エリザベートは首を傾げた。
「お嬢様が、でございます」
「まあ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「私、案内される人から始めるのね!」
◇
午前九時。
王立魔法学院、正門。
そこには、三人の生徒が立っていた。
クラリス・フォン・ベルモンド。
アレクシス・フォン・ヴァレンシュタイン。
そして。
「私が案内係のエリザベートよ!」
満面の笑みを浮かべる公爵令嬢だった。
「……なあ」
アレクシスが小声で尋ねた。
「お前、学院の図書館がどこにあるか知ってるか?」
「もちろんよ!」
「じゃあ、行ってみろ」
「いいわ!」
エリザベートは歩き始めた。
右へ。
左へ。
階段を上がり。
廊下を進み。
再び階段を下りた。
十分後。
「……おい」
「なあに?」
「ここ、さっき通ったよな?」
「そうだったかしら?」
「三回目だぞ」
「まあ!」
エリザベートは驚いた顔をした。
「学院って、不思議な造りなのね!」
「お前が迷ってるだけだ!!」
クラリスが笑いをこらえながら口を開く。
「エリザベート、図書館なら反対側よ」
「そうなの?」
「ええ」
「では、クラリスについていくわ!」
「案内係が案内されるなよ!」
「だって、知らないもの!」
アレクシスは頭を抱えた。
「……何でこいつが案内係なんだ」
「本人がやりたがったからでしょう?」
「それを許可するなよ!」
「でも、楽しそうじゃない?」
「……まあ」
アレクシスは、前を歩くエリザベートを見た。
「……楽しそうではあるな」
◇
午前十時。
正門には、見学者たちが集まり始めていた。
貴族の子供たち。
地方から訪れた親子。
魔術師を目指す少年少女。
それぞれが期待と緊張を胸に、学院の門をくぐっていく。
「ようこそ!」
エリザベートは元気よく挨拶した。
「王立魔法学院へ!」
「……あっ」
一人の少女が足を止めた。
年齢は十三歳ほど。
少し古びた鞄を抱えている。
隣には母親らしき女性。
「……エリザベート様?」
少女は小さく呟いた。
「私をご存じなの?」
「は、はい!」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「有名なのね、私!」
「……はい」
少女は顔を赤くした。
「本当に、お綺麗です……」
「でしょう!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
その後ろでアレクシスが小さく舌打ちした。
「……またかよ」
クラリスが首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、何でもねえ」
エリザベートは少女に尋ねた。
「あなたも、春からここに通うの?」
「……それが」
少女は鞄を抱きしめた。
「まだ、分からないんです」
「どうして?」
「入学試験に受かるかどうか……」
「まあ!」
エリザベートは目を丸くした。
「試験があるのね!」
「……はい」
「難しいの?」
「とても」
「そうなの!」
エリザベートは少し考えた。
そして。
「私も試験が苦手よ!」
「……え?」
「昨日、三十二点だったの!」
「…………」
少女は目を瞬かせた。
母親も固まった。
アレクシスは顔を覆った。
「……言うなよ」
「どうして?」
「公爵令嬢が三十二点だったって自慢するな!」
「でも、本当のことよ?」
「そうだけど!」
少女が小さく笑った。
「あの……」
「なあに?」
「エリザベート様でも、難しいことがあるんですね」
「もちろんよ!」
エリザベートは胸を張った。
「知らないことばかりだもの!」
その言葉に、少女は少しだけ肩の力を抜いた。
◇
午前十一時。
魔法体験教室。
「それでは、本日は簡単な魔法灯の仕組みを学びましょう」
教師が説明を始めた。
机には、小さな魔法灯が並んでいる。
「魔法灯を点灯させる方法には、術者が魔力を供給するものと、魔法石などに蓄えられた魔力を使うものがあります」
生徒たちは興味深そうに見つめていた。
「本日は、両方の仕組みを体験していただきます」
エリザベートも、見学者の後ろから覗き込んでいた。
「まあ!」
目を輝かせる。
「私、これ知っているわ!」
隣のアレクシスが呟く。
「昨日習ったからな」
「ええ!」
「……自慢することか?」
「もちろんよ!」
教師は説明を続けた。
「まず、魔力を供給していただきます」
見学者たちが順番に魔法灯へ手をかざした。
ぽっ。
ぽっ。
ぽっ。
小さな光が灯る。
しかし。
一人の少女の前で、魔法灯は光らなかった。
正門で出会った、あの少女だった。
「……あれ?」
もう一度。
何も起きない。
「……先生」
少女は小さく手を挙げた。
「私、できません」
教師が近づいた。
「少し確認しましょう」
教師は装置を調べた。
「魔法灯に異常はありませんね。では、もう一度ゆっくり試してみてください」
少女は頷いた。
しかし。
やはり、光らない。
「……ごめんなさい」
少女は俯いた。
教師が首を振った。
「謝る必要はありません。魔力の扱いには個人差があります」
「……はい」
「今日はもう一つの方法も体験できますよ」
教師は魔法石を取り出した。
「こちらは、あらかじめ魔力を蓄えたものです」
魔法石を装置へ取り付ける。
すると。
ぽっ。
小さな光が灯った。
「……あっ!」
少女は顔を上げた。
「光った!」
「そうですね」
教師は微笑んだ。
「魔法の仕組みを理解することと、自分の魔力を使うことは、必ずしも同じではありません」
「……そうなんですか?」
「はい」
「では、私でも魔法を勉強できますか?」
「もちろんです」
少女は嬉しそうに笑った。
その後ろで。
「まあ!」
エリザベートが手を叩いた。
「よかったわね!」
「……はい!」
「私も最初、すぐ消えてしまったのよ!」
「そうなんですか?」
「ええ! 五秒しか光らなかったわ!」
アレクシスが呟く。
「……誇るなよ」
「でも、五秒もできたのよ?」
「……もういい」
◇
正午。
学院食堂。
「ねえ、クラリス」
「何?」
エリザベートは紅茶を飲みながら尋ねた。
「どうして、あの子は魔法が使えなかったの?」
「魔力を上手く扱えなかったんじゃないかしら」
「でも、魔法石を使ったら光ったわ」
「ええ」
「では、自分の魔力を使う必要はないのではなくて?」
クラリスは少し考えた。
「魔法石にも限りがあるでしょう?」
「そうね」
「それに、魔法石を作ったり、魔力を蓄えたりするには、それぞれ費用や手間がかかるわ」
「……なるほど」
エリザベートは頷いた。
「では、魔法石をたくさん用意すればいいのね!」
アレクシスが顔を上げた。
「おい」
「なあに?」
「お前、授業で何を習った?」
「魔力を使わない魔法はない、でしょう?」
「そうだ」
「でも、私が使わなくてもいいのよね?」
「……まあ、そうだけど」
「では、魔力を蓄えたものを用意すればいいわ!」
「だから、それには金がかかるって話だろ!」
「お金ならあるわ!」
「お前にはな!!」
エリザベートは首を傾げた。
「……他の人にはないの?」
「ある奴もいれば、ない奴もいる」
「そうなのね」
「……昨日、統治学で習っただろ」
「そうだったわ!」
エリザベートは手を叩いた。
そして、少し考えた。
「……ねえ、アレクシス」
「何だよ」
「学校では、魔法石を貸してもらえないの?」
「……貸し出し用のものならあるんじゃないか?」
クラリスが頷いた。
「実習では学院の備品を使えるわね」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「では、学校に来ればいいのね!」
「だから、入学試験があるんだろ!」
「……あら」
少女は考え込んだ。
「難しいわね、学校って」
アレクシスは大きく息を吐いた。
「……お前、今さら気づいたのかよ」
◇
午後一時。
学院長室。
「本日の公開講習はいかがでしたか」
マリアンヌが尋ねた。
目の前には、公開講習を担当した教師たちが座っていた。
「大きな問題はありませんでした」
「それは何よりです」
「ただ、一点ご相談が」
「何でしょう」
教師は一枚の報告書を差し出した。
「魔力の扱いに難のある見学者がおりました」
「はい」
「ですが、魔法理論に対する理解は非常に早く、装置の仕組みもよく理解していたようです」
「なるほど」
「通常の魔力適性試験だけで判断すると、入学が難しい可能性があります」
マリアンヌは報告書に目を通した。
「……そうですね」
教師が続ける。
「ですが、魔法研究には適性があるかもしれません」
「そうでしょうね」
「……いかがいたしましょう」
マリアンヌは顔を上げた。
「入学試験の評価方法は、一つだけではありません」
「……はい」
「魔力の出力だけでなく、術式理解や制御技術についても評価することになっております」
「承知しております」
「であれば、所定の評価を行いましょう」
「……よろしいのですか?」
マリアンヌは微笑んだ。
「何がでしょう」
「その……魔力の扱いに難がある者でも」
「もちろんです」
彼女は静かに答えた。
「魔法を学ぶ者が、必ずしも優れた魔術師になる必要はありません」
「…………」
「術式を研究する者もいれば、魔法装置を開発する者もおります」
マリアンヌは書類を閉じた。
「学院が育てるべき人材は、一種類ではないでしょう」
教師たちは深く頷いた。
「承知いたしました」
彼らが退室した後。
マリアンヌは窓の外を眺めた。
校庭では、見学者たちが楽しそうに歩いている。
以前の自分なら、どう考えただろう。
優秀な者を集める。
その中から、さらに優秀な者を選ぶ。
そうして選ばれた人間だけを、公爵家に迎え入れる。
それが、彼女の仕事だった。
選抜。
試験。
そして、採用。
けれど。
学院長という立場になってから、彼女は別のものを見るようになっていた。
昨日までできなかったことが、今日できるようになる。
知らなかったことを、知る。
失敗した者が、もう一度挑戦する。
その結果として、優秀な人材が育っていく。
「……なるほど」
マリアンヌは小さく微笑んだ。
「育てるというのも、面白いものですね」
◇
午後二時。
公爵邸。
「オスカー先生」
セバスチャンが書斎を訪れた。
「おや、セバスチャン殿」
元学院長オスカー・ベルンハルトは、分厚い書物を閉じた。
「何かご用でしょうか」
「学院より、確認の書類が届いております」
「学院から?」
「はい」
セバスチャンは封筒を差し出した。
オスカーは封を切った。
中には、古い協定書の写しが入っていた。
『王立魔法学院・外部術式研究協定』
彼は目を細めた。
「……懐かしいですな」
「ご存じのものでございますか」
「ええ。私が学院長だった頃に結んだものです」
「左様でございますか」
オスカーは書類をめくった。
「当時、学院の研究費は十分とは言えませんでした」
「はい」
「そこで、外部の研究者たちと協力し、設備や研究資料を共有する制度を作ったのです」
「なるほど」
「優秀な研究者でも、資金がなければ研究はできませんからな」
オスカーは静かに笑った。
「……もっとも、すべてが上手くいったわけではありませんが」
「左様でございますか」
「ええ。学院の設備を利用したい者と、研究成果だけを求める者では、考え方が違います」
オスカーは書類を机に置いた。
「それで、何か問題が?」
「現在も有効な協定について、マリアンヌ学院長が確認を進めておられます」
「……なるほど」
オスカーは頷いた。
「それは必要なことですな」
「はい」
「私が結んだ協定の中には、現在の学院の方針に合わないものもあるでしょう」
彼は羽根ペンを取った。
「確認が必要な項目については、私が説明書を作りましょう」
「恐れ入ります」
セバスチャンは一礼した。
オスカーは書類に目を落とした。
その中には、数年前に研究設備の利用を認めた団体の名前が記されていた。
彼はしばらく考えた。
そして、余白に小さく書き込んだ。
『現在の活動状況、要確認』
それだけだった。
老人は再び書物を開いた。
◇
午後四時。
公開講習終了。
「ありがとうございました!」
正門では、見学者たちが次々と帰っていった。
エリザベートは笑顔で手を振っていた。
「また来てね!」
「はい!」
午前中に出会った少女も、母親と一緒に門を出ようとしていた。
「あの……!」
少女が振り返った。
「エリザベート様!」
「なあに?」
「今日は、ありがとうございました!」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「楽しめた?」
「はい!」
「それならよかったわ!」
少女は少し迷った後、尋ねた。
「……あの、エリザベート様」
「なあに?」
「私、春からここに通えると思いますか?」
エリザベートは少し考えた。
「……分からないわ」
少女は目を瞬かせた。
「……そう、ですよね」
「ええ!」
エリザベートは頷いた。
「だって、まだ試験を受けていないのでしょう?」
「……はい」
「なら、結果は分からないわ!」
「…………」
「でも」
エリザベートは微笑んだ。
「あなた、ここで勉強したいのでしょう?」
「……はい!」
「では、頑張らないといけないわね!」
少女は、しばらく彼女を見つめていた。
そして。
「……はい!」
大きく頷いた。
「私、頑張ります!」
「ええ!」
エリザベートも頷いた。
「私も頑張るわ!」
「……え?」
「七十点を取らないといけないの!」
少女は笑った。
「では、一緒ですね!」
「そうね!」
二人は笑い合った。
そして、少女は母親とともに帰っていった。
エリザベートは、その後ろ姿を見送った。
「……ふふっ」
クラリスが隣に立つ。
「楽しそうだったわね」
「ええ!」
「案内係、どうだった?」
「とっても楽しかったわ!」
「よかった」
「でも、クラリス」
「何?」
「私、まだ図書館の場所が覚えられないの」
「……え?」
「だから、明日も案内してちょうだい!」
クラリスは笑った。
「ええ、もちろん」
そのとき。
「……おい」
アレクシスが後ろから声をかけた。
「何かしら?」
「図書館なら、俺が教えてやる」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「本当!?」
「……ああ」
「あなた、やっぱり優しいのね!」
「違う!」
「どうして?」
「お前がいつまでも迷ってると、邪魔なんだよ!」
「まあ! そうだったのね!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「では、邪魔にならないように覚えるわ!」
「…………」
アレクシスは黙った。
クラリスが小さく笑う。
「……アレクシス」
「何だよ」
「素直じゃないわね」
「うるせえ!」
◇
その日の夕方。
学院長室には、二つの報告書が届いていた。
一つは、春季公開講習の実施報告。
もう一つは、王国教育省からの正式な通知だった。
マリアンヌは後者を開いた。
『王国認定特別称号保持者の入学について』
そこには、二つの称号が記されていた。
勇者。
聖女。
王国において、極めて特別な意味を持つ称号。
そして、来春。
その称号を持つ二人が、王立魔法学院へ入学することになっていた。
マリアンヌは静かに書類を揃えた。
「……なるほど」
そして、事務長に告げた。
「通常の入学予定者と同じく、必要な教育課程をご案内してください」
「……通常どおりで、よろしいのですか?」
「はい」
「ですが、勇者と聖女でございます」
マリアンヌは微笑んだ。
「存じております」
「……」
「しかし、学院へ入学されるのであれば、生徒であることに変わりはございません」
「……承知いたしました」
事務長は深く頭を下げた。
マリアンヌは、窓の外へ目を向けた。
夕暮れの校庭では、三人の生徒が歩いていた。
先頭を歩く金髪の少女。
その隣で笑う伯爵令嬢。
そして、何やら怒鳴っている侯爵家の少年。
「……お嬢様」
マリアンヌは小さく微笑んだ。
「春が、楽しみでございますね」
一方。
そのお嬢様はというと。
「アレクシス!」
「何だよ!」
「図書館って、こんなに遠かったかしら!」
「お前が反対方向に歩いてるからだろ!!」
「あら!」
「だから俺についてこいって言ってんだよ!」
「まあ! 頼もしいわね!」
「……っ!」
クラリスの笑い声が、夕暮れの校庭に響いた。
春は、もうすぐそこまで来ていた。
――第八十二話・完




