第八十一話 悪役令嬢は先生になりたい
悪役令嬢は愛されている
第八十一話 悪役令嬢は先生になりたい
「私、先生になるわ!」
王立魔法学院。
午前九時。
エリザベート・フォン・アルヴェインは、教室の中央で堂々と宣言した。
「…………」
「…………」
クラリスは教科書を閉じた。
アレクシスは天井を見上げた。
そして、担任教師は静かに眼鏡を外した。
「……エリザベート様」
「なあに?」
「恐れ入りますが、どうしてそのようなお考えに?」
「だって!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「先生って、何でも知っているのでしょう?」
「……何でも、というわけではありませんが」
「でも、私よりたくさん知っているわ!」
「それは……そうですね」
「だから、私も先生になれば、たくさん知っている人になれると思ったの!」
教師は少し考えた。
「……順番が逆ではありませんか?」
「……あら?」
エリザベートは首を傾げた。
隣でアレクシスが吹き出した。
「ははっ! 馬鹿だな、お前!」
「まあ! 失礼ね!」
「先生になったからって、頭がよくなるわけじゃねえだろ!」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「勉強するんだよ!」
「……なるほど!」
エリザベートは手を叩いた。
「では、やっぱり先生になるわ!」
「話聞いてたか!?」
◇
事の発端は、今朝の掲示板にあった。
『春季入学予定者向け・公開講習会』
王立魔法学院では、春の入学式に先立ち、入学予定者を対象とした講習会を開催することになっていた。
魔法の基礎。
王国の制度。
学院生活に必要な知識。
そうした内容を、実際の授業に近い形で教える催しである。
そして今年から、新しい制度が導入される。
在校生による学習補助制度。
一定の成績を収めた在校生が、教師の監督のもと、新入生の学習を手伝うというものだった。
「私、これをやりたいの!」
エリザベートは掲示板を指さした。
クラリスが目を細める。
「学習補助員?」
「ええ!」
「……エリザベート、昨日の魔法学の試験は何点だった?」
「三十二点よ!」
「そうだったわね……」
「クラリスは九十二点でしょう?」
「ええ」
「じゃあ、二人で教えればいいわ!」
「……それはどうかしら」
アレクシスが掲示板を覗き込んだ。
「そもそも、参加資格があるぞ」
「参加資格?」
「ああ。基礎三科目の平均点が七十点以上」
エリザベートは目を瞬かせた。
「……七十点?」
「ああ」
「三十二点では駄目なの?」
「駄目だろ」
「どうして?」
「七十点以上って書いてあるからだよ!」
「まあ!」
エリザベートは驚いた顔をした。
そして。
「では、七十点を取ればいいのね!」
「……そうだけど」
「簡単じゃない!」
「簡単じゃねえよ!」
◇
午前十時。
学院長室。
「お嬢様が、学習補助員を?」
マリアンヌは、報告を聞いて静かに頷いた。
「はい」
担当教師が答える。
「参加をご希望されております」
「素晴らしいことですね」
「ですが……」
教師は一枚の書類を差し出した。
『学習補助員選考基準』
その第一項には、こう記されている。
『基礎三科目の平均点が七十点以上であること』
マリアンヌは書類を確認した。
「……なるほど」
「エリザベート様の現在の成績では、条件を満たしておりません」
「そうですね」
「……いかがいたしましょう?」
マリアンヌは教師を見た。
「何をでしょう?」
「その……参加資格についてです」
「基準を満たしていないのであれば、参加できません」
「…………」
教師は目を瞬かせた。
「……よろしいのですか?」
「はい」
「ですが、エリザベート様は学院最高名誉総裁でいらっしゃいます」
「存じております」
「……そのご希望を、お断りすることになりますが」
マリアンヌは微笑んだ。
「お嬢様は、学習補助員になりたいとおっしゃったのでしょう?」
「はい」
「では、参加資格を満たす必要があります」
「…………」
「それが、この制度の仕組みです」
教師は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
そして、学院長室を後にした。
マリアンヌは書類に目を落とした。
そこには、彼女自身が制定した新しい教育方針が記されていた。
『能力の選抜に加え、能力の育成を重視すること』
彼女は、静かに微笑んだ。
「……七十点ですか」
以前の自分なら、どうしただろう。
おそらく、最初から七十点以上の者だけを選んだ。
そして、それ以外の者には関心を持たなかった。
けれど。
七十点を取れない生徒が、七十点を取れるようになる。
その過程にも、教育の意味があるのではないか。
マリアンヌは、机の上に置かれた別の書類を開いた。
『春季新入生受け入れ計画』
今年の入学予定者は、例年より多かった。
王都の貴族。
地方の貴族。
魔術師の家系。
そして、特別選抜によって入学を認められた平民の子供たち。
生まれも育ちも異なる者たちが、同じ学院で学ぶことになる。
「……楽しみですね」
マリアンヌは、小さく呟いた。
◇
正午。
食堂。
「つまり、お前は七十点を取らなきゃいけないんだよ」
アレクシスが説明した。
「ええ、分かったわ!」
エリザベートは頷いた。
「では、教えなさい!」
「誰がだよ!」
「あなたよ!」
「何で俺なんだ!」
「八十六点だったのでしょう?」
「……そうだけど」
「私より詳しいじゃない!」
「そりゃそうだ!」
「なら、教えられるでしょう?」
「…………」
アレクシスは言葉に詰まった。
クラリスが笑う。
「エリザベート、私も手伝うわ」
「本当!?」
「ええ。でも、アレクシスにも苦手なところはあるでしょう?」
「おい」
「だから、三人で勉強しましょう」
「……勝手に決めるなよ」
エリザベートは嬉しそうに両手を合わせた。
「では、放課後は勉強会ね!」
「俺は行かねえぞ」
「分かったわ!」
「…………」
「クラリス、二人で頑張りましょう!」
「ええ」
「…………」
アレクシスは黙って二人を見た。
しばらくして。
「……何時からだよ」
クラリスが振り返る。
「来るの?」
「時間を聞いただけだ!」
「午後四時からよ」
「……分かった」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「まあ! あなた、やっぱり優しいのね!」
「違う!!」
◇
午後一時。
王国統治学。
「本日は、教育に関する国家予算について考えましょう」
教師は黒板に数字を書いた。
『王国教育予算:年間金貨十万枚』
「この金額を、各地域の学校や研究機関へ配分するとします」
教師は続けた。
「皆さんなら、何を優先しますか?」
クラリスが手を挙げた。
「まず、すでにある学校の維持費が必要だと思います」
「そのとおりです」
アレクシスが続ける。
「教師の給与も必要です」
「ええ。教育には、人材が欠かせません」
エリザベートが手を挙げた。
「先生!」
「はい」
「学校をもっと増やせばいいのではなくて?」
「それも一つの方法です」
「でしょう!」
「ですが、新しく学校を建てるには費用がかかります」
「そうね」
「さらに、学校を建てても、教える人がいなければ授業はできません」
「……なるほど」
エリザベートは考え込んだ。
「では、先生を増やせば?」
「そのためには、教師を育成する必要があります」
「……また勉強なのね」
「そういうことです」
教室に小さな笑いが起きた。
教師は黒板に、もう一つの数字を書いた。
『王都の教育機関:二十三校』
『地方の教育機関:百四十一校』
「さて、学校の数だけを見れば、地方の方が多くなっています」
教師は続けた。
「しかし、地方は面積が広く、学校まで何日もかかる地域もあります」
「……何日も?」
エリザベートが尋ねた。
「はい」
「毎日通えないじゃない!」
「そうですね」
「では、どうするの?」
「寄宿舎を設けたり、地域ごとに教師を派遣したりします」
「……なるほど」
エリザベートは教科書に書き込んだ。
『学校があっても、行けるとは限らない』
そして、隣のクラリスに尋ねた。
「あなたの領地にも学校はあるの?」
「ええ、あるわ」
「遠いの?」
「村によって違うと思う」
「そうなのね……」
エリザベートは少し考えた。
「ねえ、先生」
「はい」
「王立魔法学院には、誰でも入れるの?」
教師は首を横に振った。
「入学試験や推薦など、所定の条件を満たす必要があります」
「では、魔法が得意でも、遠くに住んでいたら?」
「入学できる場合もありますが、移動費や生活費が問題になるでしょう」
「……お金がないから?」
「そうです」
エリザベートは黙った。
やがて。
「……では、才能があっても勉強できない人がいるのね」
「残念ながら」
「…………」
少女は、窓の外を見た。
そして。
「私、やっぱり先生になりたいわ」
教師は微笑んだ。
「どうしてですか?」
「だって」
エリザベートは振り返った。
「知らないことを教えてもらうのって、楽しいでしょう?」
「……そうですね」
「なら、私も誰かに教えてあげたいわ!」
教室が静かになった。
教師は、しばらく少女を見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……では、まず七十点を目指しましょう」
「ええ!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「頑張るわ!」
◇
午後四時。
学院図書館。
「では、始めましょう」
クラリスが教科書を開いた。
向かいにはエリザベート。
そして、隣には不機嫌そうなアレクシスが座っていた。
「……何で俺まで」
「あなた、約束したでしょう?」
「時間を聞いただけだ!」
「でも、来てくれたじゃない!」
「…………」
アレクシスは黙った。
クラリスは笑いをこらえながら、問題集を開いた。
「まずは、魔法理論からね」
「ええ!」
「エリザベート。魔法を発動するために必要なものは?」
「魔力!」
「それから?」
「術式!」
「もう一つ」
「……制御!」
「正解よ!」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
アレクシスが口を開く。
「じゃあ、魔力量が多ければ優秀な魔術師になれるか?」
「なれるわ!」
「違う!」
「……あら?」
「昨日習っただろ!」
「……そうだったわね」
エリザベートは教科書を開いた。
「魔力の効率と、制御が……」
「そうだよ!」
「では、あなたはどうして優秀なの?」
「……俺?」
「ええ」
「……努力してるからだよ」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「では、私も努力すればいいのね!」
「……それだけじゃねえけど」
「でも、努力は必要なのでしょう?」
「……ああ」
「なら、頑張るわ!」
少女は、再び教科書に向かった。
アレクシスは黙ってその横顔を見た。
そして。
「……なあ、クラリス」
「何?」
「こいつ、本当に変わったよな」
「……そうね」
「前は、俺に勉強を教えろなんて絶対言わなかっただろ」
「ええ」
「……なのに」
アレクシスは言葉を止めた。
クラリスが微笑む。
「私は、今のエリザベートも好きよ」
「……そうかよ」
「あなたは?」
「嫌いだ」
即答だった。
「……本当に?」
「本当だ!」
そのとき。
「アレクシス!」
エリザベートが顔を上げた。
「何だよ!」
「この問題が分からないわ!」
「どれだよ!」
アレクシスは彼女の教科書を覗き込んだ。
そして、丁寧に説明を始めた。
クラリスは、その様子を見て小さく笑った。
◇
午後六時。
アルヴェイン公爵邸。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
セバスチャンが玄関で一礼した。
「ただいま!」
エリザベートは元気よく答えた。
「今日はたくさん勉強したわ!」
「左様でございますか」
「ええ!」
「何よりでございます」
少女は鞄から一枚の紙を取り出した。
「それでね、セバスチャン」
「はい」
「私、先生になりたいの!」
「…………」
老執事は静かに頷いた。
「かしこまりました」
「でも、まだなれないの」
「左様でございますか」
「七十点を取らないといけないんですって!」
「……七十点」
「そうなの!」
エリザベートは頷いた。
「だから、たくさん勉強するわ!」
「承知いたしました」
セバスチャンは微笑んだ。
「必要な書物がございましたら、何なりとお申し付けください」
「ありがとう!」
「また、家庭教師の手配も可能でございます」
「まあ!」
エリザベートは少し考えた。
そして。
「でも、今はクラリスとアレクシスに教えてもらっているから、大丈夫よ!」
「左様でございますか」
「ええ!」
「では、お嬢様のお望みどおりに」
セバスチャンは一礼した。
そのとき、廊下の向こうから一人の老人が歩いてきた。
「おや、お帰りなさいませ」
元学院長。
オスカー・ベルンハルトだった。
「まあ! 校長先生!」
「現在は教育顧問でございますが」
「そうだったわね!」
エリザベートは嬉しそうに近づいた。
「ねえ、校長先生!」
「はい」
「どうすれば、勉強が上手になるの?」
オスカーは少し考えた。
「……それは、難しいご質問ですな」
「そうなの?」
「はい」
老人は微笑んだ。
「ですが、一つだけお教えしましょう」
「なあに?」
「分からないことを、分からないと言えるようになることです」
「……分からないと言うの?」
「はい」
「どうして?」
「分からないところが分かれば、そこから勉強できますから」
「…………」
エリザベートはしばらく考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「では、私、たくさん分からないことがあるわ!」
「それは結構です」
「校長先生!」
「はい」
「明日も教えてちょうだい!」
オスカーは深く頭を下げた。
「喜んで」
その後ろで、セバスチャンが静かに微笑んでいた。
◇
同じ夜。
王立魔法学院。
マリアンヌは、春季入学予定者の書類を確認していた。
今年から始まる新制度には、特別選抜枠が設けられている。
家柄だけではなく、魔法の適性や学習能力などを評価し、必要に応じて授業料や生活費を支援する制度だった。
もちろん、学院の予算には限界がある。
全員を受け入れられるわけではない。
だからこそ、選考は慎重に行われる。
マリアンヌは、最後の書類に目を通した。
「……なるほど」
そのとき、扉がノックされた。
「失礼いたします」
事務長だった。
「学院長。来年度の推薦入学者について、王国教育省から通知が届いております」
「ありがとうございます」
「今年は、例年とは異なる推薦枠があるそうです」
「異なる?」
「はい。王国が認定した特別な称号を持つ者についてです」
マリアンヌは封書を受け取った。
王国教育省の正式な印章。
間違いなく、本物だった。
彼女は封を切り、中身を確認した。
そして。
「……そうですか」
静かに微笑んだ。
「今年の入学式は、賑やかになりそうですね」
◇
一方。
アルヴェイン公爵邸。
エリザベートは机に向かっていた。
魔法学。
王国統治学。
貴族教養学。
三冊の教科書が開かれている。
「……魔力の供給と制御は違う」
少女は小さく呟いた。
「税金を増やせば、みんなが困ることもある」
そして。
「……お茶会に招待しても、来るかどうかは相手が決める」
彼女は、最後の一文を書き終えた。
『分からないことは、分からないと言う』
しばらく、その文字を眺める。
そして、楽しそうに笑った。
「ふふっ!」
エリザベートは羽根ペンを置いた。
「明日も、知らないことがたくさんあるのね!」
少女は立ち上がり、窓を開けた。
夜空には、いくつもの星が輝いている。
「……綺麗」
そう呟いてから、彼女は少し考えた。
そして。
「ねえ、星さん」
小さく呼びかける。
返事はない。
「あなたたちは、学校に行ったことがあるのかしら?」
もちろん、答える者はいなかった。
エリザベートは笑った。
「……きっと、ないわよね!」
それから窓を閉め、机へ戻った。
今夜の彼女には、叶えてほしい願いよりも、解きたい問題がたくさんあった。
そして。
春は、少しずつ近づいていた。
――第八十一話・完




