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第七十九話 悪役令嬢は登校する

悪役令嬢は愛されている


第七十九話 悪役令嬢は登校する


「海に行くじゃねえよ!!」


アルヴェイン公爵邸に、怒声が響き渡った。


「学園だよ! 学園! お前、自分が学生だってこと忘れてんのか!?」


怒鳴っているのは、ヴァレンシュタイン侯爵家の嫡男、アレクシスだった。


その隣では、クラリス・フォン・ベルモンドが困った顔をしている。


そして、二人の正面には。


「……あら」


旅行用の白い帽子をかぶったエリザベートが立っていた。


「『あら』じゃねえ!」


「そういえば、学園があったわね」


「忘れてたのかよ!」


アレクシスは頭を抱えた。


クラリスがため息をつく。


「エリザベート。先生たちも心配していたのよ?」


「まあ」


エリザベートは口元に手を当てた。


「それはいけないわね」


「そうよ。だから今日は――」


「迎えに来てくれてありがとう」


沈黙。


アレクシスが固まった。


クラリスも固まった。


「…………」


「…………」


エリザベートは微笑んだ。


「私、すぐに支度をするわ」


「…………おい」


「……ええ」


「クラリス」


「……何?」


「今、何て言った?」


「ありがとう、って……」


「聞こえたよな?」


「聞こえたわ」


「……お前、誰だ?」


エリザベートは首を傾げた。


「エリザベートよ?」


「知ってるよ!!」


*


「セバスチャン」


「はい、お嬢様」


「旅行は延期にしましょう。制服を用意してくれる?」


「…………」


セバスチャンは動かなかった。


「セバスチャン?」


「お嬢様」


「なあに?」


老執事は片膝をついた。


「何か、私に至らぬ点がございましたでしょうか」


「え?」


「どうか、お申し付けくださいませ」


「……制服を用意してほしいのだけれど」


「かしこまりました!」


セバスチャンは立ち上がった。


その顔には、わずかな困惑が浮かんでいた。


お嬢様が学園へ行く。


それ自体は問題ない。


問題なのは。


お嬢様が、自ら進んで学園へ行こうとしていることだった。


*


三十分後。


制服姿のエリザベートが玄関に現れた。


「お待たせしてごめんなさい」


「…………」


アレクシスは壁に手をついた。


「……クラリス」


「……何?」


「俺、帰っていいか?」


「駄目よ」


「なんか怖いんだけど」


「私もよ」


エリザベートは二人に近づいた。


「今日はよろしくね」


「…………」


「…………」


アレクシスがクラリスの肩を掴んだ。


「医者だ」


「え?」


「医者を呼べ」


「アレクシス!」


「絶対おかしいだろ!」


エリザベートは不思議そうに二人を眺めていた。


*


馬車の中。


アレクシスは向かいに座るエリザベートを睨んでいた。


「……なあ」


「何かしら?」


「お前、何企んでる?」


「企む?」


「ああ」


「何を?」


「それを聞いてんだよ!」


エリザベートは少し考えた。


「今日は授業を受けようと思っているわ」


「……授業?」


「ええ」


「お前が?」


「私が」


アレクシスはクラリスを見た。


「聞いたか?」


「聞いたわ」


「授業だってよ」


「そうね」


「こいつが」


「そうね……」


エリザベートは二人を見比べた。


「学園は勉強するところでしょう?」


アレクシスは天井を仰いだ。


「正論だ……」


クラリスが口を開いた。


「でも、エリザベート。前は授業なんて退屈だって言っていたでしょう?」


「そうだったかしら」


「ええ。それに、授業を減らしてほしいって……」


「ああ」


エリザベートは頷いた。


「そうね。でも、今は魔法について勉強したいの」


「魔法?」


「ええ」


クラリスは目を瞬かせた。


「急にどうしたの?」


「知らないことがあると、知りたくなるでしょう?」


「……まあ、そうね」


「だから、知りたいの」


エリザベートは楽しそうに笑った。


アレクシスは黙っていた。


やがて、ぼそりと呟く。


「……気持ち悪い」


「アレクシス!」


「いや、悪口じゃなくて!」


「悪口よ!」


「違う! なんかこう……!」


アレクシスは両手で頭を抱えた。


「いつものお前に戻れよ!」


エリザベートは微笑んだ。


「私、いつもどおりよ?」


「それが怖いんだよ!!」


*


王立魔法学院。


正門をくぐった瞬間、生徒たちが一斉に振り返った。


「あれ……?」


「エリザベート様?」


「帰ってきたの?」


「北方に行っていたんじゃ……」


ざわめきが広がる。


エリザベートは足を止めた。


「皆さん、おはようございます」


静寂。


誰も返事をしなかった。


「……おはようございます?」


「お、おはようございます!」


一人の生徒が慌てて頭を下げた。


それをきっかけに、周囲の生徒たちも次々と挨拶する。


「おはようございます!」


「お帰りなさいませ!」


「ご、ご機嫌麗しゅう!」


エリザベートは嬉しそうに頷いた。


「皆さん、お元気そうで何よりですわ」


その瞬間。


一人の生徒が膝から崩れ落ちた。


「大丈夫!?」


エリザベートが駆け寄る。


「どこか具合が悪いの?」


「…………」


「先生を呼びましょうか?」


倒れた生徒は震える声で答えた。


「……お許しください」


「え?」


「何をしてしまったのか分かりませんが、お許しください……!」


「……?」


エリザベートは困惑した。


後ろでアレクシスが呟く。


「……地獄だな」


*


午前九時。


学院長室。


王立魔法学院の学院長、マリアンヌは、一枚の報告書を読んでいた。


『エリザベート様、本日登校』


そこまではいい。


問題は、その下だった。


『遅刻なし』


『無断欠席なし』


『登校時、生徒への挨拶を実施』


『体調不良者に対し、自発的に救護を申し出る』


マリアンヌは報告書を置いた。


「…………」


しばらくして、扉がノックされた。


「失礼いたします!」


教師の一人が入ってくる。


「学院長! 大変です!」


「何事でしょう」


「エリザベート様が!」


「はい」


「教室に向かわれました!」


「…………」


マリアンヌは目を閉じた。


「授業を受けるために、でしょうか」


「はい!」


「…………」


「しかも、教科書をお持ちです!」


「…………」


「学院長!」


「分かりました」


マリアンヌは静かに立ち上がった。


「私が確認いたします」


*


一時間目。


魔法理論。


教師が黒板に複雑な術式を描いていた。


「魔法とは、魔力を用いて現象に干渉する技術です」


エリザベートは真剣に聞いていた。


「術式は、その干渉を一定の手順に従って成立させるための構造です」


彼女は教科書に目を落とした。


そして、手を挙げた。


教師の声が止まる。


「……エリザベート様?」


「質問してもよろしいでしょうか」


「…………」


教師は黒板を見た。


教室を見た。


最後に、もう一度エリザベートを見た。


「……もちろんです」


「ありがとうございます」


エリザベートは立ち上がった。


「魔力の供給源が違っても、同じ術式を使えるのでしょうか?」


教師は目を瞬かせた。


「……基本的には可能です。ただし、供給方法に合わせた調整が必要となります」


「では、術式を変えれば、消費する魔力を減らすこともできるのですね?」


「そのとおりです」


「なるほど」


エリザベートは頷いた。


「ありがとうございます。よく分かりました」


そして、静かに座った。


教室がざわついた。


「……今の」


「普通の質問だったよな?」


「普通に答えた……」


「先生、生きてる?」


教師は黒板に手をついた。


「……授業を続けます」


その声は、少し震えていた。


*


休み時間。


エリザベートが教室を出ると、廊下にマリアンヌが立っていた。


「お嬢様」


「あら、マリアンヌ!」


エリザベートは嬉しそうに近づいた。


「久しぶりね!」


「お帰りなさいませ、お嬢様」


マリアンヌは深く頭を下げた。


「本日は学院へお越しいただき、光栄に存じます」


「ありがとう。お仕事は順調?」


「はい」


「それならよかったわ」


「…………」


マリアンヌは一瞬、言葉を失った。


エリザベートが続ける。


「ところで、マリアンヌ」


「はい」


「午後にも魔法の授業はあるの?」


「ございますが……」


「そう! 楽しみね!」


「…………」


マリアンヌは静かに頭を下げた。


「お嬢様」


「なあに?」


「以前、お嬢様は学習時間を少なくするようご希望されました」


「ええ、覚えているわ」


「そのため、現在の学院では、一部の授業時間を短縮しております」


「あら」


エリザベートは少し考えた。


「では、元に戻しましょう」


「…………」


「やっぱり、勉強する時間はあったほうがいいものね」


「…………」


マリアンヌは深々と頭を下げた。


「かしこまりました」


エリザベートは満足そうに頷いた。


「よろしくね」


そして、クラリスと一緒に廊下を歩いていった。


マリアンヌは、その後ろ姿を見送った。


しばらくして。


「……学院の時間割を」


背後の教師に告げる。


「全面的に見直します」


「はい!」


「それから」


「はい!」


「午後の会議も招集してください」


「議題は?」


マリアンヌは静かに答えた。


「……お嬢様が、勉学に励まれる件についてです」


教師は深く頷いた。


「緊急会議ですね」


「はい」


*


昼休み。


食堂では、クラリスがエリザベートの隣に座っていた。


向かいにはアレクシスがいる。


「ねえ、エリザベート」


「なあに?」


「本当に、魔法に興味を持ったの?」


「ええ」


「どうして?」


エリザベートは少し考えた。


「北方で、いろいろなものを見たの」


「北方?」


「ええ」


エリザベートは紅茶を飲んだ。


「魔法って、何でもできるわけではないのね」


クラリスは頷いた。


「そうね」


「できることと、できないことがあるでしょう?」


「ええ」


「だから、その違いを知りたくなったの」


クラリスはしばらくエリザベートを見つめていた。


「……そうなんだ」


「ええ」


エリザベートは楽しそうに笑った。


「知らないことがあるって、面白いわね」


クラリスも笑った。


「……うん。そうね」


そのとき。


「……なあ」


アレクシスが口を開いた。


「何かしら?」


「一つ聞いていいか?」


「ええ、もちろん」


「…………」


アレクシスは顔をしかめた。


「お前、俺のこと嫌いだよな?」


「ええ」


即答だった。


「私、あなたのこと嫌いよ」


アレクシスは安堵した。


「……よかった」


クラリスが目を丸くする。


「よかったの!?」


「いや、だって!」


エリザベートが首を傾げた。


「でも、嫌いだからといって、意地悪をする必要はないでしょう?」


「…………」


アレクシスは立ち上がった。


「クラリス」


「何?」


「俺、もう帰る」


「まだ昼休みよ!」


「耐えられねえ!!」


*


放課後。


公爵邸では、緊急会議が開かれていた。


出席者は、セバスチャンをはじめとする使用人たち。


そして。


学院長としての職務を終えたマリアンヌも、同席していた。


議題は一つ。


『お嬢様のご様子について』


「本日、お嬢様は一度も理不尽な命令をなさいませんでした」


セバスチャンが報告した。


室内に緊張が走る。


「それどころか、使用人に感謝のお言葉を……」


「……まさか」


「そのようなことが……」


マリアンヌが静かに手を挙げた。


「学院でも同様でございます」


「……何ですと?」


「お嬢様は、本日の授業を真面目に受けられました」


沈黙。


「さらに、学習時間を増やすようご希望されました」


誰かが息を呑んだ。


「……学習時間を?」


「はい」


「……増やす?」


「はい」


一人の使用人が立ち上がった。


「セバスチャン様!」


「何でしょう」


「医師を呼ぶべきでは!?」


「すでに手配しております」


「さすがです!」


マリアンヌが口を開いた。


「ですが、お嬢様は本当にお元気そうでした」


「……そうなのです」


セバスチャンは深く頷いた。


「それが、最も不可解なのです」


会議室に重苦しい沈黙が落ちた。


やがて、マリアンヌが静かに言った。


「……私は、一つ考えております」


「何でしょう」


「お嬢様がご成長なされたのではないでしょうか」


「…………」


「…………」


全員がマリアンヌを見た。


セバスチャンは、ゆっくりと頷いた。


「……なるほど」


そして。


「ですが、マリアンヌ」


「はい」


「お嬢様は、以前から十分に素晴らしいお方です」


「……失礼いたしました」


マリアンヌは深く頭を下げた。


会議は振り出しに戻った。


*


その夜。


エリザベートは自室で魔法の教科書を読んでいた。


机には、何冊もの本が積まれている。


セバスチャンが紅茶を運んできた。


「お嬢様」


「ありがとう、セバスチャン」


「…………」


「どうしたの?」


「……いえ」


セバスチャンは静かに紅茶を置いた。


「何か、ご入用のものはございませんか」


「そうね」


エリザベートは少し考えた。


「明日、学院の図書館にも行ってみたいの」


「かしこまりました」


「それと、マリアンヌにも伝えておいてくれる?」


「何とお伝えいたしましょう」


「学園のお仕事、頑張ってねって」


「…………」


「大変でしょうから」


セバスチャンは深く頭を下げた。


「……必ず、お伝えいたします」


そして、部屋を出ようとした。


「あ、セバスチャン」


「はい!」


老人は即座に振り返った。


エリザベートは微笑んだ。


「今日も一日、お疲れさま」


「…………」


「ゆっくり休んでね」


扉が閉まった。


廊下に出たセバスチャンは、しばらく動かなかった。


やがて、胸に手を当てた。


「……お嬢様」


その声は、かすかに震えていた。


「私に、休めと……」


老人は天井を仰いだ。


「……何ということでしょう」


その夜。


公爵邸の使用人たちは、誰一人として眠れなかった。


お嬢様が。


あまりにも。


お優しすぎる。


一方。


当のエリザベートは。


「……なるほど。魔力の効率を上げるには、術式そのものを……」


机に向かい、黙々と本を読んでいた。


そして、ふと思い出したように呟いた。


「明日、アレクシスにも聞いてみようかしら」


彼女は少し考えた。


「……でも、嫌いなのよね」


それから、楽しそうに笑った。


「まあ、いいわ!」


第五部 学園編 開幕

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