第77話 これからの約束
第77話 これからの約束
「帰るわ」
エリザベートが宣言したのは、雪の城が完成した翌朝だった。
「かしこまりました」
セバスチャンは頭を下げる。
「明日の出発でよろしいでしょうか」
「今日よ」
「承知いたしました」
「それと、あのお城は持って帰れないの?」
「雪でございますので、難しいかと」
「あなたならできるでしょう」
「可能ではございますが、運搬中も冷却が必要になります」
「じゃあ、いらないわ」
「かしこまりました」
ノアは窓の外を見た。
完成したばかりの雪の城には、エマとカイルが遊びに来ていた。
「せっかく作ったのにね」
「もう見たもの」
エリザベートは当然のように答えた。
「次はもっと大きいのを作ればいいわ」
「そうだね」
ノアは笑った。
*
出発の準備が進む一方、セバスチャンは領主との最後の協議を行っていた。
「帰還者の保護施設については、当家が引き続き運営費を負担いたします」
「本当に、そこまでしていただけるのか」
「お嬢様のご命令でございますので」
領主は深く頭を下げた。
「感謝する」
「ただし、帰還者の皆様の扱いについては、いくつかお願いがございます」
セバスチャンは書類を差し出した。
「まず、帰還者であることを理由に、財産や身分を一律に認めないという扱いは避けていただきたい」
「……難しい問題だな」
「承知しております。亡くなられた後、財産が相続されている場合もございますので」
「そうだ。すでに別の者の所有になっている土地もある」
「そのため、個別の事情を確認する必要がございます」
セバスチャンは続けた。
「また、帰還者の方々に対する蘇生術の実施は、本人の意思を確認したうえで行います」
「分かった」
「そして、オルフェンの処遇についてですが」
領主の表情が変わった。
「あの術者か」
「はい。現在、魂の活動を制限した状態で拘束しております」
「死者を裁く法律など、聞いたことがない」
「現行法では、十分に対応できない部分がございます」
「では、どうする?」
「王都へ報告し、正式な判断を仰ぎます」
領主は頷いた。
「必要なら、私からも証言しよう」
「ありがとうございます」
セバスチャンは一礼した。
*
その頃。
ハロルドは、研究室に残された資料を整理していた。
机の上には、エマの魂を保護していた十一年前の術式が広げられている。
「……まだ、足りない」
彼は呟いた。
魂の損傷を補う方法。
魔力を再び生み出せるようにする方法。
どちらも、まだ見つかっていない。
それでも、以前とは違っていた。
研究室の扉が開く。
「お父さん!」
エマが駆け込んできた。
「見て!」
少女は小さな雪だるまを抱えていた。
「ノア兄ちゃんと作ったの!」
「そうか」
ハロルドは微笑んだ。
「上手にできているな」
「でしょ!」
「だが、ここは暖かいから、溶けてしまうぞ」
「えっ!」
エマは慌てて雪だるまを見た。
「どうしよう!」
「少し待っていなさい」
ハロルドは指を鳴らした。
雪だるまの周囲に、小さな冷却の魔法陣が現れる。
「これでしばらくは大丈夫だ」
「すごい!」
エマは笑った。
「お父さん、何でもできるね!」
ハロルドは苦笑した。
「何でも、というわけではないよ」
「そうなの?」
「ああ」
エマは少し考えた。
「じゃあ、できないことは、これからできるようになればいいね!」
ハロルドは娘を見つめた。
「……そうだな」
彼は静かに頷いた。
「これから、だな」
*
「あなた、何をしているの?」
研究室の入口に、エリザベートが立っていた。
ハロルドは慌てて立ち上がる。
「これは……研究を」
「そんなことは見れば分かるわ」
エリザベートは机の上の資料を見た。
「まだ終わらないの?」
「……はい」
「いつ終わるの?」
「分かりません」
「そう」
エリザベートは少し考えた。
「じゃあ、うちでやればいいじゃない」
ハロルドは目を瞬かせた。
「……何を?」
「研究よ」
「……あなたの屋敷で?」
「そうよ」
「しかし、私は……」
「セバスチャン!」
「はい、お嬢様」
いつの間にか、老人が入口に立っていた。
「この人、うちで働かせられる?」
「可能でございます」
「じゃあ、そうしなさい」
「かしこまりました」
ハロルドは二人を見比べた。
「待ってくれ。私は十一年前に処刑された罪人だ」
「知っているわよ」
エリザベートは平然と答えた。
「……知っている?」
「セバスチャンから聞いたもの」
「ならば、なぜ……」
「あなた、魔術が使えるんでしょう?」
「……ああ」
「それに、エマのお父さんでしょう?」
「そうだが……」
「じゃあ、エマも一緒に来ればいいじゃない」
ハロルドは言葉を失った。
セバスチャンが静かに口を開く。
「ハロルド様。正式には、当家の監督下で研究に従事していただくことになります」
「監督下……」
「はい。研究内容、使用する術式、実験の実施については、すべて事前の承認が必要です」
「……当然だな」
「また、十一年前の事件について、法的な責任が消えるわけではございません」
ハロルドは頷いた。
「分かっている」
「そのうえで、当家が身元を管理し、王都との協議を進めます」
ハロルドはエマを見た。
少女は雪だるまを抱えたまま、首を傾げている。
「お父さん、お引っ越しするの?」
「……そうなるかもしれない」
「エリザベートのおうち?」
「そうだ」
「やった!」
エマは嬉しそうに飛び跳ねた。
「またケーキ食べられる!」
エリザベートは胸を張った。
「当然よ。うちのケーキはおいしいんだから」
「うん!」
二人が笑う。
ハロルドは、その様子を見つめていた。
「……本当に、よろしいのですか」
エリザベートは不思議そうに顔を向けた。
「何が?」
「私たちを、受け入れていただいて」
「もう決めたわよ」
「……そうですか」
ハロルドは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいわ。それより、荷物をまとめなさい」
「はい」
「今日帰るんだから」
「……今日!?」
*
午後。
ノアはカイルと、街の広場を歩いていた。
「本当に帰っちゃうの?」
「うん」
「そっか」
カイルは少し寂しそうに笑った。
「もっと一緒に遊びたかったな」
「また会えるよ」
「本当?」
「うん」
ノアは頷いた。
「それと、カイルのお父さんたちのことだけど」
少年は顔を上げた。
「何か分かった?」
「まだ居場所は見つかっていない。でも、調べてくれる人がいる」
「……そっか」
「だから、もう少し待っていてほしい」
カイルは少し考えた。
「うん。分かった」
ノアは少年の肩に手を置いた。
「見つかったら、知らせてもらえるようにしてあるから」
「ありがとう、ノア兄ちゃん」
「どういたしまして」
カイルは胸元の青い光を見た。
「ねえ、これって、ずっとつけてなきゃいけないの?」
「今は、そうだね」
「そっか」
少年は笑った。
「でも、青くてかっこいいから、いいや!」
ノアも笑った。
「似合ってるよ」
*
夕刻。
出発の準備が整った。
馬車の前には、領主や街の人々が集まっていた。
帰還者たちも、見送りに来ている。
エリザベートは馬車の窓から顔を出した。
「セバスチャン!」
「はい、お嬢様」
「まだ出ないの?」
「まもなくでございます」
「早くしなさい。寒いわ」
「かしこまりました」
ノアは馬車に乗り込む前に、街を振り返った。
雪の積もった広場。
胸元に色とりどりの光を灯した帰還者たち。
その中で、カイルが大きく手を振っていた。
「ノア兄ちゃん!」
ノアも手を振り返した。
「またね!」
「うん!」
ハロルドはエマの手を引き、馬車へ向かっていた。
「お父さん」
「何だい?」
「新しいおうち、楽しみだね」
「ああ」
「お友達、できるかな」
「きっとできるよ」
「お父さんも?」
ハロルドは少し驚いた。
「……私も?」
「うん!」
彼はしばらく考えた。
それから、静かに笑った。
「そうだな。できるといいな」
エマは満足そうに頷いた。
二人は馬車に乗り込んだ。
セバスチャンが最後に街を見渡す。
帰還者たちの保護施設。
魔力供給設備。
調査を続ける職員たち。
すべての問題が解決したわけではない。
しかし、必要な手配は整っていた。
「出発いたします」
御者が手綱を握る。
馬車がゆっくりと動き始めた。
エリザベートは窓の外を見た。
「ねえ、セバスチャン」
「はい、お嬢様」
「次は、暖かいところに行きたいわ」
「承知いたしました」
「海がいいわね」
「かしこまりました」
「それと、おいしいものがあるところ」
「手配いたします」
ノアは小さく笑った。
ハロルドは娘の手を握っていた。
エマは窓の外に向かって、いつまでも手を振っていた。
雪の街が、少しずつ遠ざかっていく。
そして、彼らの新しい生活が始まろうとしていた。




