第73話 六十年前の亡霊
第73話 六十年前の亡霊
北の墓地には、七人の帰還者がいた。
彼らは墓石の間に立ち尽くし、互いの顔を見合わせている。
「ここは……どこだ?」
「私の家は?」
「お母さんは……?」
誰も、自分がなぜそこにいるのか理解していなかった。
セバスチャンは帰還者たちを一瞥すると、護衛へ指示を出した。
「七名全員を保護してください。先ほどの施設へお連れするように」
「承知しました!」
「待て」
ハロルドが声を上げた。
「彼らを調べなくていいのか?」
「必要な情報は、こちらで確認できます」
セバスチャンは地面に手をかざした。
薄い魔法陣が雪の下へ広がっていく。
「……何をしている?」
「この場所に残された魔力の流れを調べております」
ハロルドはその術式を見つめた。
「随分と複雑なことを、簡単にやるものだな」
「複雑な術式でございますので」
「そういう意味ではない」
セバスチャンは答えず、調査を続けた。
やがて、魔法陣の一部が暗く沈んだ。
「なるほど」
「何が分かった?」
「この場所では、魔力が消費されております」
「それは報告にあっただろう」
「問題は、何が消費されているかです」
セバスチャンは墓石の一つに目を向けた。
「死者の魂でございます」
ハロルドの表情が強張った。
「……魂を?」
「はい。魂に残された魔力が、何者かによって引き出されています」
「そんなことをすれば、魂そのものが損傷する」
「そのとおりです」
「誰がそんな……」
ハロルドは言葉を止めた。
セバスチャンが、墓地の奥を見つめていたからだ。
「六十年前にも、似た術式がございました」
「六十年前の事件か?」
「はい。ただし、当時使われていたのは、生きた人間の魔力でした」
「……生贄か」
「二十七人の帰還者を維持するために、それ以上の人命が失われました」
ハロルドは黙り込んだ。
「今回は、生者ではなく死者の魂を利用しているようです」
「それなら、犠牲者がいないとでも?」
「いいえ」
セバスチャンは首を横に振った。
「魂もまた、失われております」
*
「ねえ」
エリザベートが口を開いた。
「いつまでそこにいるの?」
「調査はまもなく終了いたします」
「もう飽きたわ」
「申し訳ございません」
「それに、墓地ってつまらないわね」
エリザベートは周囲を見渡した。
「お花もないし、雪ばっかり」
「春になれば、花も咲くでしょう」
「春まで待てっていうの?」
「いえ、そのような意味ではございません」
ノアが小さく笑った。
「エリザベート。帰ったら、温かいものでも飲もうか」
「甘いのがいいわ」
「うん」
「それとケーキ」
「分かった」
二人の会話を聞きながら、ハロルドは墓石を見つめていた。
「セバスチャン」
「はい」
「魂を消費された者は、どうなる?」
「損傷の程度によります」
「完全に消費された場合は?」
セバスチャンは少し間を置いた。
「少なくとも、現在の蘇生術では救えません」
「……そうか」
ハロルドの拳が震えた。
「エマも、同じなのか」
「現時点では断定できません。しかし、同種の干渉を受けている可能性は高いでしょう」
「ならば、術者を見つけなければ」
「はい」
セバスチャンは墓地の奥へ歩き始めた。
*
墓地の最深部には、古びた石碑があった。
雪に埋もれたその石碑には、六十年前の事件で亡くなった人々の名前が刻まれている。
セバスチャンは石碑の前で立ち止まった。
「……ここでしたか」
ハロルドが近づく。
「知っている場所なのか?」
「はい」
「六十年前、何があった?」
「この場所で、私は一人の魔術師と対峙しました」
「その男が、二十七人を蘇らせた術者か?」
「左様でございます」
「名前は?」
セバスチャンは石碑に目を落とした。
「オルフェン」
その名を口にした瞬間、ハロルドが眉をひそめた。
「……聞いたことがある」
「古い魔術史の資料に、名前が残っております」
「死者蘇生の研究者だったな」
「はい」
セバスチャンは石碑に手を触れた。
「彼は、死者を蘇らせることに執着しておりました」
「君は彼を殺したのか?」
「結果としては、そうなります」
「結果として?」
「私は、彼の術式を止めようとしました」
セバスチャンは静かに続けた。
「その過程で、彼も命を落としました」
「……そうか」
「ですが、今になって考えれば、彼の研究は終わっていなかったのでしょう」
ハロルドは顔を上げた。
「何?」
セバスチャンは石碑から手を離した。
「六十年前の術式と、今回の術式には共通する構造がございます」
「つまり……」
「彼の研究を継いだ者がいるか、あるいは」
セバスチャンは言葉を区切った。
「彼自身が、まだ研究を続けているか」
*
そのとき、ノアが石碑の前に立った。
「セバスチャン」
「はい、ノア様」
「少し、変なことを聞いてもいい?」
「何でしょう」
「魂って、死んだら必ずどこかへ行くものなの?」
セバスチャンはノアを見た。
「必ず、とは申し上げられません」
「そっか」
「ノア様は、何かお気づきになりましたか」
「ううん。ただ、僕は長い間、魂のままでいたから」
ノアは石碑を見つめた。
「死んだ人が、死んだまま何かを続けることもあるんだよね」
「はい」
「だったら、その人もそうなのかもしれない」
セバスチャンは頷いた。
「私も、その可能性を考えております」
ハロルドが口を挟んだ。
「だが、魂だけで魔術を使うのは容易ではない」
「容易ではございません。しかし、不可能でもありません」
「六十年もの間、研究を続けていたというのか?」
「もしそうであれば、今回の術式の変化にも説明がつきます」
セバスチャンは再び石碑に目を向けた。
「生者を犠牲にしていた術式が、死者の魂を利用するものへ変わっている」
「……改良したつもりなのか」
「本人は、そう考えているのかもしれません」
*
「ねえ、セバスチャン!」
エリザベートの声が響いた。
「はい、お嬢様」
「その人、どこにいるの?」
「現在、調査中でございます」
「じゃあ、早く見つけなさい」
「かしこまりました」
「それと、その人が犯人なの?」
「まだ確定しておりません」
「ふうん」
エリザベートは石碑を見た。
「だったら、本人に聞けばいいじゃない」
「……本人に、でございますか」
「そうよ。そこにいるんでしょう?」
セバスチャンは一瞬、動きを止めた。
ハロルドも石碑へ目を向ける。
「お嬢様。何かご覧になりましたか」
「何も見えないわよ」
「では、なぜ……」
「だって、あなたたち、ずっとそこに向かって話しているじゃない」
エリザベートは呆れたように言った。
「いるかどうか、確かめればいいでしょう」
セバスチャンは小さく頭を下げた。
「おっしゃるとおりでございます」
そして石碑の前に立った。
右手を掲げる。
複雑な魔法陣が、幾重にも展開された。
「……何をするつもりだ?」
ハロルドが尋ねる。
「この場所に残る魂の痕跡を、直接確認いたします」
魔法陣が石碑を包み込む。
雪が舞い上がった。
空気が震える。
そして。
「……久しいな」
どこからともなく、男の声が響いた。
ハロルドが身構える。
ノアは静かに顔を上げた。
セバスチャンは、表情を変えなかった。
「六十年ぶりでございますね」
「相変わらず、気に食わん男だ」
声は笑った。
「だが、ようやく来たか」
セバスチャンは石碑を見つめた。
「オルフェン」
「そうだ」
男の声が答える。
「今度こそ、私の研究を完成させよう」
雪の降る墓地に、六十年前の亡霊の笑い声が響いた。




