第72話 失われたもの
第72話 失われたもの
翌朝。
北方グランベルクの街は、一面の雪に覆われていた。
「寒いわ」
エリザベートは不機嫌そうに言った。
「昨日もおっしゃっておりました」
「昨日寒かったからって、今日寒くていい理由にはならないでしょう」
「ごもっともでございます」
セバスチャンは恭しく頭を下げた。
「本日は街の調査を予定しておりますが、お嬢様はいかがなさいますか」
「行くわ」
「かしこまりました」
「ただし、歩きたくないの」
「馬車をご用意いたします」
「馬車からじゃ、よく見えないじゃない」
「では、屋根と暖房を備えた小型の移動台を製作いたしましょう」
「最初からそうしなさい」
「申し訳ございません」
ノアは二人のやり取りを聞きながら、窓の外を眺めていた。
雪の積もった道を、一人の少年が歩いている。
昨日、話をしたカイルだった。
「僕は先に行ってくるよ」
「ノア様」
セバスチャンが呼び止める。
「護衛をお連れください」
「分かった」
「それから、帰還者には直接魔術を使用なさらないようお願いいたします」
「うん」
ノアは微笑んで部屋を出た。
*
「カイル!」
少年は振り返った。
「あ、ノア兄ちゃん!」
「今日はどこへ行くの?」
「家!」
「家?」
「昨日、昔住んでたところを見つけたんだ。もう知らない人が住んでるけど」
カイルは嬉しそうに笑った。
「ちょっと見に行こうと思って」
「そっか。僕も一緒に行っていい?」
「いいよ!」
二人は雪道を歩き始めた。
カイルは十二歳の姿をしている。
しかし、彼が死んだのは二十年前だった。
「ねえ、ノア兄ちゃん」
「何?」
「生き返ったらさ、前の家に戻ってもいいのかな」
ノアは少し考えた。
「今は別の人が住んでるんだよね」
「うん」
「だったら、話してみないと分からないね」
「そっか」
カイルは足元の雪を蹴った。
「僕が死んだあと、お父さんたち引っ越したんだって」
「そうなんだ」
「どこに行ったか、誰も知らないんだ」
ノアは少年の横顔を見た。
「探してみようか」
「いいの?」
「うん。僕も手伝うよ」
カイルは笑った。
「ありがとう!」
そのときだった。
少年の足が止まった。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「なんか、変」
カイルは胸に手を当てた。
「昨日より、体が重い」
ノアはしゃがみ、少年と目線を合わせた。
「いつから?」
「今朝から。昨日はもっと走れたのに」
「ほかに変わったことは?」
「うーん……」
カイルは考え込んだ。
「そういえば、昨日は寒くなかったのに、今日はちょっと寒い」
ノアは少年の手に触れた。
冷たかった。
けれど、その冷たさは雪のせいだけではないように感じられた。
「カイル。今日は一度、戻ろう」
「えー、家を見に行きたいのに」
「家は逃げないよ」
「……分かった」
*
街の中央広場では、セバスチャンが調査を進めていた。
ハロルドは机に並べられた資料を見つめている。
「これが昨夜の記録か」
「はい」
セバスチャンは地図を広げた。
「帰還者が再び死亡した地点と、新たな帰還者が出現した地点を記しております」
赤い印と青い印が、街の各所に散らばっていた。
ハロルドはしばらく地図を眺めた。
「……距離が近い」
「お気づきになりましたか」
「死亡した者の近くで、新しい帰還者が現れている」
「すべてではありませんが、一定の傾向がございます」
「死者を維持していた魔力が、別の死者に移されている?」
「その可能性を調べております」
ハロルドは眉をひそめた。
「だが、それなら魔力は減る一方だ」
「そのとおりです」
「術者は何を考えている?」
「現時点では判断できません」
セバスチャンは地図の端を指した。
「ただし、この地域で魔力の異常が最初に報告された場所は、街の北側に集中しております」
「墓地か?」
「墓地だけではございません。かつて病院があった場所、戦死者の埋葬地、そして六十年前の事件現場も含まれます」
ハロルドの表情が変わった。
「六十年前……」
「はい」
セバスチャンは地図を畳んだ。
「当時の事件と、今回の事件に共通するものがあるかもしれません」
そこへノアが戻ってきた。
「セバスチャン」
「ノア様。何かございましたか」
「カイルの体を調べてほしい」
少年は少し気まずそうに頭を下げた。
「おはようございます」
「おはようございます、カイル様」
セバスチャンはすぐに椅子を用意した。
「こちらへお掛けください」
カイルが座ると、セバスチャンは手をかざした。
淡い光が少年を包む。
しばらくして、セバスチャンは手を下ろした。
「……魔力の供給が減少しております」
ハロルドが近づいた。
「どの程度だ?」
「昨夜の記録と比較して、およそ三割」
「三割!?」
カイルは二人を交互に見た。
「僕、また死ぬの?」
ノアが少年の肩に手を置いた。
セバスチャンは静かに答えた。
「このままでは、その可能性がございます」
「……そっか」
カイルは俯いた。
「せっかく戻ってきたのにな」
「ですが」
セバスチャンは続けた。
「まだ、そうなると決まったわけではございません」
*
「何をしているの?」
エリザベートが広場に到着した。
彼女は暖房付きの移動台に腰掛け、毛布を膝にかけていた。
護衛たちが周囲を囲んでいる。
「帰還者の状態を調べております」
「ふうん」
エリザベートはカイルを見た。
「あなた、昨日もいたわね」
「う、うん」
「どうしてそんな顔をしているの?」
「また死ぬかもしれないって」
「そう」
エリザベートはセバスチャンに顔を向けた。
「この子も?」
「はい。エマ様と同様、外部からの魔力供給に依存しております」
「じゃあ、昨日と同じことをしなさい」
「かしこまりました」
セバスチャンは即座に術式を展開した。
カイルの胸元に、小さな光が宿る。
「わっ!」
少年は驚いて立ち上がった。
「何これ!」
「魔力供給を補助する術式でございます」
「すごい!」
エリザベートはその光を眺めた。
「色が違うわ」
「エマ様には桃色をご指定いただきましたので」
「じゃあ、この子は青にしなさい」
「かしこまりました」
光が青く変わった。
カイルは嬉しそうに笑った。
「かっこいい!」
「でしょう?」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「ほかの人たちも、好きな色を選べるようにしなさい」
「承知いたしました」
ハロルドは呆然としていた。
「……百人以上いるんだぞ」
「知っているわよ」
エリザベートは当然のように答えた。
「だから何?」
「全員に術式を施すとなれば、必要な魔力量は……」
「セバスチャン」
「はい、お嬢様」
「できるの?」
「設備を整えれば、可能でございます」
「じゃあ、問題ないじゃない」
ハロルドは口を閉じた。
セバスチャンはすでに護衛へ指示を出していた。
「街の北側にある旧倉庫を確保してください。魔力供給設備の設置を開始いたします」
「承知しました!」
「帰還者の方々には、順次こちらへお越しいただくようご案内を」
指示を受けた者たちが走り出す。
ノアはその様子を見ていた。
「セバスチャン」
「はい」
「これで、みんな死ななくなるの?」
「いいえ。術式を維持するための魔力が必要です。現時点では、時間を確保する処置にすぎません」
「そっか」
ノアはカイルを見た。
少年は胸元の青い光を、何度も確かめていた。
「でも、その時間があれば、できることは増えるね」
「はい」
セバスチャンは頷いた。
*
夕方。
旧倉庫には、巨大な魔法陣が設置されていた。
百人を超える帰還者たちが、順番に術式を受けていく。
赤、青、緑、黄色。
胸元に灯る小さな光は、それぞれ違う色をしていた。
エリザベートは椅子に座り、その様子を眺めていた。
「綺麗ね」
「お気に召しましたか」
「ええ。でも、あの人の色は嫌だわ」
「変更いたしましょう」
「そうしなさい」
セバスチャンは一礼した。
その直後、護衛の一人が駆け込んできた。
「セバスチャン様!」
「何事ですか」
「北の墓地で、新たな帰還者が確認されました!」
「人数は?」
「七名です!」
ハロルドが顔を上げた。
「また増えたのか……」
護衛は続けた。
「それと、もう一つ」
「何でしょう」
「墓地の周辺で、異常な魔力反応が確認されています」
セバスチャンの目が細くなった。
「どのような反応ですか」
「それが……」
護衛は言葉を選ぶように口を開いた。
「魔力が集まっているのではありません」
「では?」
「周囲から、消えているのです」
セバスチャンは立ち上がった。
「場所を案内してください」
ハロルドも続こうとする。
しかし、その前にエリザベートが声を上げた。
「私も行くわ」
「お嬢様。墓地は足元が悪うございます」
「だから?」
「移動台をご用意いたします」
「ええ。それと、帰りにケーキを買ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
セバスチャンは静かに頭を下げた。
そして一行は、北の墓地へ向かった。




