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第71話 お嬢様の命令

第71話 お嬢様の命令


「この子を、死なないようにしなさい!」


エリザベートの声が、静まり返った部屋に響いた。


セバスチャンは深く頭を下げた。


「かしこまりました」


ハロルドが顔を上げる。


「待ってくれ。君は先ほど、死者を生者には戻せないと言ったはずだ」


「はい。私の能力では、失われた命を取り戻すことはできません」


「ならば、どうするつもりだ」


「お嬢様は、エマ様を死なせるなとお命じになりました」


セバスチャンは少女へ視線を移した。


「まずは、現在の状態を維持いたします」


「そんなことが……」


「可能かどうかを、これから確かめます」


その返答に、ハロルドは言葉を失った。


十一年前、彼は同じ問いに答えを求め、三十八人もの人間を実験に利用した。


目の前の老人は、まだ何も確かめていない。


それでも、すでに行動を始めていた。


「エマ様。少々、お手を拝借してもよろしいでしょうか」


「いいよ!」


エマは元気よく右手を差し出した。


セバスチャンがその手を取る。


小さく、冷たい手だった。


指先から魔力を流し込み、肉体と魂の結びつきを調べる。


数秒後、セバスチャンは目を細めた。


「なるほど」


「何が分かった?」


ハロルドが身を乗り出す。


「エマ様の魂は、肉体に定着しておりません。外部から供給される魔力によって、結びつきを維持されています」


「それは分かっている!」


「では、その供給が途絶えた場合は?」


「……再び死ぬ」


「左様でございます」


セバスチャンはエマの手を離した。


「問題は、魔力の供給源が不明であることです」


「術式の中心を探すしかない」


「いいえ」


ハロルドが眉をひそめる。


「いいえ?」


「中心を探している間に、供給が途絶える可能性がございます」


セバスチャンは右手を掲げた。


空中に幾重もの魔法陣が浮かび上がる。


ハロルドは息をのんだ。


その構造を理解するまでに、わずかな時間を要した。


「……外部からの魔力供給を、別の経路へ移すつもりか」


「正確には、供給を維持するための仮設術式でございます」


「そんなものを即座に構築できるのか?」


「すでに構築しております」


魔法陣が収束した。


エマの胸元に、小さな光が灯る。


「わあ!」


少女は嬉しそうに声を上げた。


「お星さまみたい!」


「お気に召しましたか」


「うん!」


「それは何よりでございます」


ハロルドは魔法陣の消えた空間を見つめていた。


「待て。あの規模の術式なら、維持に必要な魔力は相当な量になるはずだ」


「おっしゃるとおりです」


「君一人で供給し続けるつもりか?」


「いいえ。必要な魔力量を減らしました」


ハロルドは口を閉じた。


六十年前。


セバスチャンは、二十七人の帰還者を維持する術式に干渉し、その働きを弱めた。


その結果、彼らは再び死んだ。


だが今、目の前の老人は同じ能力を、別の目的に使っている。


「……魔力の消費そのものを弱めたのか」


「はい。もっとも、無限に維持できるわけではございません」


セバスチャンは淡々と続けた。


「供給が必要であることに変わりはありません。今は時間を確保したにすぎません」


「それでも……」


ハロルドは娘を見た。


エマは胸元の光を指でつついている。


「それでも、十分だ」


「いいえ」


セバスチャンは首を横に振った。


「お嬢様の命令は、まだ果たせておりません」


*


「ねえ、セバスチャン」


エリザベートが椅子から立ち上がった。


「はい」


「その光、いつまでつけておくの?」


「必要な間は、常に」


「寝るときも?」


「はい」


「眩しいじゃない」


「光量は調整できます」


「じゃあ、可愛い色にしなさい」


「かしこまりました」


エマの胸元の光が、淡い桃色に変わった。


「すごい!」


エマが笑う。


エリザベートは満足そうに頷いた。


「そっちのほうがいいわ」


「お嬢様」


セバスチャンが声をかける。


「今後の調査について、ご報告がございます」


「何よ」


「この地域で確認されている帰還者は、すでに百名を超えております。エマ様と同様の状態にある方も少なくありません」


「だったら、その人たちにも同じことをすればいいじゃない」


「可能でございます。ただし、全員分の術式を維持するには、相応の設備が必要になります」


「作りなさい」


「かしこまりました」


「それから、寒いわ」


「暖房を強めましょう」


「違うわ。外が寒いの」


「……左様でございますか」


「雪があるのはいいけれど、歩きにくいのよね」


エリザベートは窓の外を見た。


「道を綺麗にしてちょうだい」


「承知いたしました」


「それと、お菓子が少ないわ」


「手配いたします」


「エマも食べる?」


少女は首を傾げた。


「わたし、お腹すかないよ」


「そんなこと聞いてないわ」


「え?」


「食べたいかって聞いてるの」


エマは少し考えた。


それから、父親を見た。


「……ケーキ」


ハロルドの表情が変わった。


「ケーキが食べたいのか?」


「うん。いちごの」


「そうか」


ハロルドは笑おうとした。


けれど、うまく笑えなかった。


「そうか……」


「じゃあ、いちごのケーキも用意しなさい」


「かしこまりました」


セバスチャンが頭を下げる。


そのとき、ノアが口を開いた。


「セバスチャン。一つ聞いてもいい?」


「何でしょう、ノア様」


「エマの魂を調べたんだよね」


「はい」


「だったら、ほかの帰還者と比べてみたほうがいいと思う」


「と、おっしゃいますと?」


「同じように戻ってきた人たちでも、何度も死んでいる人と、まだ一度も死んでいない人がいるんでしょう?」


「そのとおりです」


「その違いが、魂にもあるのか知りたいんだ」


セバスチャンは少し考えた。


「確かに、比較する価値はございます」


「僕も手伝うよ」


「ありがとうございます」


ノアはエマを見た。


少女は父親の袖を引っ張り、ケーキの話を続けていた。


「……魂だけになっても、僕は僕だった」


ノアは静かに言った。


「だから、あの子たちが今どういう状態なのか、ちゃんと知りたい」


セバスチャンは頷いた。


「承知いたしました」


*


夕刻。


屋敷として借り上げた建物の一室に、北方各地から集められた報告書が並んでいた。


セバスチャンは、その一枚を手に取った。


帰還者の人数。


再死亡の回数。


出現した場所。


そして、帰還者が現れる直前に確認された異常。


「……これは」


報告書には、奇妙な共通点があった。


帰還者が新たに現れた地域では、その直前に別の帰還者が消えている。


最初は偶然と考えられていた。


しかし、件数が増えるにつれ、その傾向は明確になっていた。


ハロルドが資料を覗き込む。


「魔力を移しているのか?」


「その可能性がございます」


「ならば、術者は帰還者を増やしているわけではない。限られた魔力を使い回しているだけではないか」


「それだけでは説明できません」


セバスチャンは別の報告書を示した。


「帰還者の総数は増加しております」


「……では、どこから魔力を?」


「まだ分かりません」


セバスチャンは資料を机に置いた。


「ですが、少なくとも一つ、確かめるべきことがございます」


「何だ?」


「帰還者が現れた場所ではなく、その周辺で何が失われているのか」


ハロルドは黙り込んだ。


セバスチャンは窓の外へ目を向ける。


雪は静かに降り続いていた。


「明朝、調査を開始いたします」


「私も同行する」


「構いません。ただし、独断での魔術行使は認めません」


「……分かっている」


「それと、ハロルド様」


「何だ」


「エマ様の術式には、定期的な確認が必要です。今夜はお嬢様のお部屋に近い客室をご用意いたしました」


ハロルドは驚いたように顔を上げた。


「娘と一緒にいてもいいのか?」


「もちろんでございます」


「……そうか」


長い沈黙があった。


「ありがとう」


セバスチャンは一礼した。


「お礼でしたら、お嬢様に」


*


その夜。


エマは大きなベッドの上で、父親の隣に座っていた。


眠くはならない。


けれど、横になることはできる。


「お父さん」


「何だい?」


「明日、ケーキ食べられるかな」


「ああ」


「雪でも遊べる?」


「ああ。きっと」


「じゃあ、明日が楽しみだね」


ハロルドは娘の髪を撫でた。


十一年前。


彼は、娘に明日を与えるために、あらゆるものを犠牲にした。


そして今、娘は何でもないことのように明日を楽しみにしている。


「……そうだな」


ハロルドは微笑んだ。


「明日が、楽しみだ」


エマの胸元では、淡い桃色の光が静かに灯っていた。


その光を維持する術式の奥で、別の魔力がわずかに揺らいだことに、まだ誰も気づいていなかった。71話 お嬢様の命令


「この子を、死なないようにしなさい!」


エリザベートの声が、静まり返った部屋に響いた。


セバスチャンは深く頭を下げた。


「かしこまりました」


ハロルドが顔を上げる。


「待ってくれ。君は先ほど、死者を生者には戻せないと言ったはずだ」


「はい。私の能力では、失われた命を取り戻すことはできません」


「ならば、どうするつもりだ」


「お嬢様は、エマ様を死なせるなとお命じになりました」


セバスチャンは少女へ視線を移した。


「まずは、現在の状態を維持いたします」


「そんなことが……」


「可能かどうかを、これから確かめます」


その返答に、ハロルドは言葉を失った。


十一年前、彼は同じ問いに答えを求め、三十八人もの人間を実験に利用した。


目の前の老人は、まだ何も確かめていない。


それでも、すでに行動を始めていた。


「エマ様。少々、お手を拝借してもよろしいでしょうか」


「いいよ!」


エマは元気よく右手を差し出した。


セバスチャンがその手を取る。


小さく、冷たい手だった。


指先から魔力を流し込み、肉体と魂の結びつきを調べる。


数秒後、セバスチャンは目を細めた。


「なるほど」


「何が分かった?」


ハロルドが身を乗り出す。


「エマ様の魂は、肉体に定着しておりません。外部から供給される魔力によって、結びつきを維持されています」


「それは分かっている!」


「では、その供給が途絶えた場合は?」


「……再び死ぬ」


「左様でございます」


セバスチャンはエマの手を離した。


「問題は、魔力の供給源が不明であることです」


「術式の中心を探すしかない」


「いいえ」


ハロルドが眉をひそめる。


「いいえ?」


「中心を探している間に、供給が途絶える可能性がございます」


セバスチャンは右手を掲げた。


空中に幾重もの魔法陣が浮かび上がる。


ハロルドは息をのんだ。


その構造を理解するまでに、わずかな時間を要した。


「……外部からの魔力供給を、別の経路へ移すつもりか」


「正確には、供給を維持するための仮設術式でございます」


「そんなものを即座に構築できるのか?」


「すでに構築しております」


魔法陣が収束した。


エマの胸元に、小さな光が灯る。


「わあ!」


少女は嬉しそうに声を上げた。


「お星さまみたい!」


「お気に召しましたか」


「うん!」


「それは何よりでございます」


ハロルドは魔法陣の消えた空間を見つめていた。


「待て。あの規模の術式なら、維持に必要な魔力は相当な量になるはずだ」


「おっしゃるとおりです」


「君一人で供給し続けるつもりか?」


「いいえ。必要な魔力量を減らしました」


ハロルドは口を閉じた。


六十年前。


セバスチャンは、二十七人の帰還者を維持する術式に干渉し、その働きを弱めた。


その結果、彼らは再び死んだ。


だが今、目の前の老人は同じ能力を、別の目的に使っている。


「……魔力の消費そのものを弱めたのか」


「はい。もっとも、無限に維持できるわけではございません」


セバスチャンは淡々と続けた。


「供給が必要であることに変わりはありません。今は時間を確保したにすぎません」


「それでも……」


ハロルドは娘を見た。


エマは胸元の光を指でつついている。


「それでも、十分だ」


「いいえ」


セバスチャンは首を横に振った。


「お嬢様の命令は、まだ果たせておりません」


*


「ねえ、セバスチャン」


エリザベートが椅子から立ち上がった。


「はい」


「その光、いつまでつけておくの?」


「必要な間は、常に」


「寝るときも?」


「はい」


「眩しいじゃない」


「光量は調整できます」


「じゃあ、可愛い色にしなさい」


「かしこまりました」


エマの胸元の光が、淡い桃色に変わった。


「すごい!」


エマが笑う。


エリザベートは満足そうに頷いた。


「そっちのほうがいいわ」


「お嬢様」


セバスチャンが声をかける。


「今後の調査について、ご報告がございます」


「何よ」


「この地域で確認されている帰還者は、すでに百名を超えております。エマ様と同様の状態にある方も少なくありません」


「だったら、その人たちにも同じことをすればいいじゃない」


「可能でございます。ただし、全員分の術式を維持するには、相応の設備が必要になります」


「作りなさい」


「かしこまりました」


「それから、寒いわ」


「暖房を強めましょう」


「違うわ。外が寒いの」


「……左様でございますか」


「雪があるのはいいけれど、歩きにくいのよね」


エリザベートは窓の外を見た。


「道を綺麗にしてちょうだい」


「承知いたしました」


「それと、お菓子が少ないわ」


「手配いたします」


「エマも食べる?」


少女は首を傾げた。


「わたし、お腹すかないよ」


「そんなこと聞いてないわ」


「え?」


「食べたいかって聞いてるの」


エマは少し考えた。


それから、父親を見た。


「……ケーキ」


ハロルドの表情が変わった。


「ケーキが食べたいのか?」


「うん。いちごの」


「そうか」


ハロルドは笑おうとした。


けれど、うまく笑えなかった。


「そうか……」


「じゃあ、いちごのケーキも用意しなさい」


「かしこまりました」


セバスチャンが頭を下げる。


そのとき、ノアが口を開いた。


「セバスチャン。一つ聞いてもいい?」


「何でしょう、ノア様」


「エマの魂を調べたんだよね」


「はい」


「だったら、ほかの帰還者と比べてみたほうがいいと思う」


「と、おっしゃいますと?」


「同じように戻ってきた人たちでも、何度も死んでいる人と、まだ一度も死んでいない人がいるんでしょう?」


「そのとおりです」


「その違いが、魂にもあるのか知りたいんだ」


セバスチャンは少し考えた。


「確かに、比較する価値はございます」


「僕も手伝うよ」


「ありがとうございます」


ノアはエマを見た。


少女は父親の袖を引っ張り、ケーキの話を続けていた。


「……魂だけになっても、僕は僕だった」


ノアは静かに言った。


「だから、あの子たちが今どういう状態なのか、ちゃんと知りたい」


セバスチャンは頷いた。


「承知いたしました」


*


夕刻。


屋敷として借り上げた建物の一室に、北方各地から集められた報告書が並んでいた。


セバスチャンは、その一枚を手に取った。


帰還者の人数。


再死亡の回数。


出現した場所。


そして、帰還者が現れる直前に確認された異常。


「……これは」


報告書には、奇妙な共通点があった。


帰還者が新たに現れた地域では、その直前に別の帰還者が消えている。


最初は偶然と考えられていた。


しかし、件数が増えるにつれ、その傾向は明確になっていた。


ハロルドが資料を覗き込む。


「魔力を移しているのか?」


「その可能性がございます」


「ならば、術者は帰還者を増やしているわけではない。限られた魔力を使い回しているだけではないか」


「それだけでは説明できません」


セバスチャンは別の報告書を示した。


「帰還者の総数は増加しております」


「……では、どこから魔力を?」


「まだ分かりません」


セバスチャンは資料を机に置いた。


「ですが、少なくとも一つ、確かめるべきことがございます」


「何だ?」


「帰還者が現れた場所ではなく、その周辺で何が失われているのか」


ハロルドは黙り込んだ。


セバスチャンは窓の外へ目を向ける。


雪は静かに降り続いていた。


「明朝、調査を開始いたします」


「私も同行する」


「構いません。ただし、独断での魔術行使は認めません」


「……分かっている」


「それと、ハロルド様」


「何だ」


「エマ様の術式には、定期的な確認が必要です。今夜はお嬢様のお部屋に近い客室をご用意いたしました」


ハロルドは驚いたように顔を上げた。


「娘と一緒にいてもいいのか?」


「もちろんでございます」


「……そうか」


長い沈黙があった。


「ありがとう」


セバスチャンは一礼した。


「お礼でしたら、お嬢様に」


*


その夜。


エマは大きなベッドの上で、父親の隣に座っていた。


眠くはならない。


けれど、横になることはできる。


「お父さん」


「何だい?」


「明日、ケーキ食べられるかな」


「ああ」


「雪でも遊べる?」


「ああ。きっと」


「じゃあ、明日が楽しみだね」


ハロルドは娘の髪を撫でた。


十一年前。


彼は、娘に明日を与えるために、あらゆるものを犠牲にした。


そして今、娘は何でもないことのように明日を楽しみにしている。


「……そうだな」


ハロルドは微笑んだ。


「明日が、楽しみだ」


エマの胸元では、淡い桃色の光が静かに灯っていた。


その光を維持する術式の奥で、別の魔力がわずかに揺らいだことに、まだ誰も気づいていなかった。

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