↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
70/94

第七十話 生きていない娘

悪役令嬢は愛されている


第七十話 生きていない娘


「お父さん、寒いよ」


墓地から戻る道で、エマが言った。


ハロルドは自分の外套を脱ぎ、娘の肩に掛けた。


「これでどうだ?」


「ありがとう」


少女は笑った。


ハロルドも笑おうとした。


しかし、できなかった。


外套の下にある娘の身体には、体温がなかった。


歩いている。話している。笑っている。


それなのに、心臓が動いていない。


「エマ」


「なあに?」


「苦しくはないか?」


「ううん」


「胸が痛んだりは?」


「しないよ」


「そうか……」


ハロルドは娘の手を握った。


冷たい。


それでも、その手を離すことはできなかった。


*


翌朝、領主館に知らせが届いた。


「エマ様が再び戻られたそうです」


報告を受けたセバスチャンは、朝食の準備を続けながら頷いた。


「承知いたしました」


エリザベートはパンを口に運びながら尋ねた。


「今度は元気なの?」


「それを確認する必要がございます」


「じゃあ、連れてきなさい!」


「すでにお迎えを手配しております」


「早いわね!」


「恐れ入ります」


ノアは向かいの席で、そのやり取りを聞いていた。


「……セバスチャン」


「はい」


「エマは、また死ぬのかな」


セバスチャンはティーポットを置いた。


「分かりません」


「助けられる?」


「調べてみなければ」


ノアは頷いた。


そのとき、エリザベートが口を挟んだ。


「助けられるに決まってるじゃない!」


「……どうして?」


「セバスチャンがいるんだから!」


ノアは、少しだけ笑った。


「そうだね」


けれどセバスチャンは、何も言わなかった。


*


昼前、ハロルドがエマを連れてやってきた。


エマは赤い髪を二つに結び、白いワンピースを着ていた。


「こんにちは!」


エリザベートは少女を見た。


「あなたがエマ?」


「うん!」


「私より小さいわね!」


「七歳だから」


「私はもっと大きいわ!」


エマは不思議そうに首を傾げた。


「お姉ちゃん?」


「エリザベート様と呼びなさい!」


「エリザベート様!」


「よろしい!」


ハロルドは、その様子を見て少しだけ笑った。


セバスチャンがエマに近づく。


「少々、お身体を拝見してもよろしいでしょうか」


「いいよ!」


少女は素直に手を差し出した。


セバスチャンは、その手首に指を添えた。


脈はない。


体温もない。


しかし、魔力は流れていた。


それも、これまでの帰還者とはまったく異なる形で。


「……ハロルド様」


「何だ」


「エマ様は、現在も死亡した状態にございます」


ハロルドの顔が強張った。


「見れば分かる」


「しかし、意識と運動機能は維持されております」


「だから何だ!」


「生命活動を再開させる術式ではなく、死体を動かす術式が働いているのでございます」


部屋が静まり返った。


エマだけが、きょとんとしていた。


「……私、死んでるの?」


ハロルドは慌てて娘を抱き寄せた。


「違う! お前は生きている!」


セバスチャンは否定しなかった。


ただ、静かに続けた。


「エマ様。お腹は空きますか?」


「ううん」


「眠くは?」


「ならないよ」


「疲れたりは?」


「しない!」


セバスチャンは頷いた。


「ありがとうございます」


エマは、にこにこと笑った。


「私、元気だよ!」


ハロルドは、その言葉に縋るように頷いた。


「ああ……そうだ。元気なんだ」


*


検査のあと、エマはエリザベートとノアに連れられて庭へ出た。


雪が積もっている。


「雪だ!」


エマは嬉しそうに駆け出した。


「転ぶわよ!」


エリザベートが叫ぶ。


しかし、エマは振り向かなかった。


そして、案の定転んだ。


「あっ」


ノアが駆け寄る。


「大丈夫?」


「うん!」


エマは立ち上がった。


膝から血が流れていた。


けれど、少女は笑っていた。


「痛くないよ!」


ノアは、その膝を見た。


「……エマ」


「なあに?」


「痛くないの?」


「うん!」


エリザベートも近づいてきた。


「血が出てるじゃない!」


「でも、痛くないよ!」


「痛くなくても、怪我は怪我よ!」


エリザベートは、ノアに命令した。


「手当てしなさい!」


「うん」


ノアはハンカチを取り出した。


傷口を押さえる。


しかし、血は止まらなかった。


「……おかしいな」


ノアは眉をひそめた。


エマは、何も気にしていない。


「ねえ、雪だるま作ろう!」


エリザベートは、少女の手を掴んだ。


「先に手当てよ!」


「でも、痛くないよ?」


「痛いかどうかなんて関係ないわ!」


エマは、目を丸くした。


エリザベートは、当然のように言った。


「怪我したら治すの! それだけよ!」


*


その頃、研究室ではハロルドがセバスチャンに詰め寄っていた。


「娘を元に戻せ!」


「調査を続けております」


「お前ならできるだろう!」


「……」


「六十年前、お前は死者を殺した! なら、今度は生かしてみせろ!」


セバスチャンは、静かに答えた。


「私は、死者を蘇らせることはできません」


「嘘だ!」


「事実でございます」


ハロルドは机を叩いた。


「お前の能力は、あらゆる魔術を弱める! なら、娘を死なせている原因を弱めればいい!」


セバスチャンは首を横に振った。


「死は、魔術ではございません」


「……!」


「私の能力で弱められるのは、作用している力でございます。起きてしまった出来事そのものを消すことはできません」


ハロルドは、言葉を失った。


セバスチャンは続けた。


「エマ様の肉体を動かしている魔術を弱めれば、動けなくなるでしょう」


「……それでは、殺すのと同じだ」


「はい」


「なら、何もするな!」


ハロルドは、娘のもとへ向かおうとした。


その背中に、セバスチャンが声を掛ける。


「ハロルド様」


男は振り向かなかった。


「あなたは、エマ様に何を望んでおられますか」


「決まっている」


「生きていてほしいのでしょうか」


「ああ!」


「それとも、あなたのそばにいてほしいのでしょうか」


ハロルドは振り向いた。


「……何が言いたい」


セバスチャンは答えた。


「その二つは、必ずしも同じではございません」


ハロルドは拳を握った。


「……お前に、親の気持ちが分かるものか」


セバスチャンは、静かに頭を下げた。


「左様でございますね」


*


夕方。


エリザベートは、庭で雪だるまを作っていた。


隣にはエマがいる。


ノアは二人の作業を手伝っていた。


「もっと大きくしなさい!」


エリザベートが命令する。


「これ以上大きくすると、持ち上がらないよ」


ノアが答えた。


「じゃあ、持ち上げられる人を呼びなさい!」


「……そうだね」


ノアは笑った。


エマも笑った。


そのとき、エマがふと呟いた。


「……ねえ」


「何よ?」


「私、また死ぬのかな」


エリザベートは手を止めた。


ノアも、少女を見た。


エマは雪を握りしめた。


「お父さん、私が死ぬたびに泣くんだ」


「……」


「だから、もう死にたくない」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「じゃあ、死ななければいいじゃない!」


エマは首を傾げた。


「……どうやって?」


エリザベートは、すぐには答えられなかった。


そのとき、背後から声がした。


「それを考えるのが、私どもの仕事でございます」


セバスチャンだった。


エリザベートは振り向いた。


「セバスチャン!」


「はい」


「この子を、死なないようにしなさい!」


セバスチャンは、静かに頭を下げた。


「承知いたしました」


エマは、彼を見上げた。


「……できるの?」


セバスチャンは、少しだけ微笑んだ。


「できる限りのことをいたします」


エリザベートは、不満そうに眉をひそめた。


「できる限りじゃなくて、できるようにしなさい!」


「……承知いたしました」


*


その夜。


セバスチャンは、研究室に戻った。


机には、エマの検査結果が並んでいる。


そして、十一年前のハロルドの研究記録。


彼は、二つを見比べた。


帰還者の肉体は、外部から魔力を供給されている。


エマの肉体は、死亡したまま動いている。


ハロルドだけが、通常の人間として生きている。


三者は、同じ現象ではなかった。


セバスチャンは、新しい紙を取り出した。


そして、三つの名前を書いた。


『帰還者』


『エマ』


『ハロルド』


その下に、一つの問いを書き加えた。


『誰が、何のために戻したのか』


セバスチャンは、しばらくその文字を見つめていた。


そして、静かに呟いた。


「……死者を蘇らせているのではない」


彼は、窓の外を見た。


雪が降っている。


「死者を、使っているのでございますね」


第七十話 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。