第七十話 生きていない娘
悪役令嬢は愛されている
第七十話 生きていない娘
「お父さん、寒いよ」
墓地から戻る道で、エマが言った。
ハロルドは自分の外套を脱ぎ、娘の肩に掛けた。
「これでどうだ?」
「ありがとう」
少女は笑った。
ハロルドも笑おうとした。
しかし、できなかった。
外套の下にある娘の身体には、体温がなかった。
歩いている。話している。笑っている。
それなのに、心臓が動いていない。
「エマ」
「なあに?」
「苦しくはないか?」
「ううん」
「胸が痛んだりは?」
「しないよ」
「そうか……」
ハロルドは娘の手を握った。
冷たい。
それでも、その手を離すことはできなかった。
*
翌朝、領主館に知らせが届いた。
「エマ様が再び戻られたそうです」
報告を受けたセバスチャンは、朝食の準備を続けながら頷いた。
「承知いたしました」
エリザベートはパンを口に運びながら尋ねた。
「今度は元気なの?」
「それを確認する必要がございます」
「じゃあ、連れてきなさい!」
「すでにお迎えを手配しております」
「早いわね!」
「恐れ入ります」
ノアは向かいの席で、そのやり取りを聞いていた。
「……セバスチャン」
「はい」
「エマは、また死ぬのかな」
セバスチャンはティーポットを置いた。
「分かりません」
「助けられる?」
「調べてみなければ」
ノアは頷いた。
そのとき、エリザベートが口を挟んだ。
「助けられるに決まってるじゃない!」
「……どうして?」
「セバスチャンがいるんだから!」
ノアは、少しだけ笑った。
「そうだね」
けれどセバスチャンは、何も言わなかった。
*
昼前、ハロルドがエマを連れてやってきた。
エマは赤い髪を二つに結び、白いワンピースを着ていた。
「こんにちは!」
エリザベートは少女を見た。
「あなたがエマ?」
「うん!」
「私より小さいわね!」
「七歳だから」
「私はもっと大きいわ!」
エマは不思議そうに首を傾げた。
「お姉ちゃん?」
「エリザベート様と呼びなさい!」
「エリザベート様!」
「よろしい!」
ハロルドは、その様子を見て少しだけ笑った。
セバスチャンがエマに近づく。
「少々、お身体を拝見してもよろしいでしょうか」
「いいよ!」
少女は素直に手を差し出した。
セバスチャンは、その手首に指を添えた。
脈はない。
体温もない。
しかし、魔力は流れていた。
それも、これまでの帰還者とはまったく異なる形で。
「……ハロルド様」
「何だ」
「エマ様は、現在も死亡した状態にございます」
ハロルドの顔が強張った。
「見れば分かる」
「しかし、意識と運動機能は維持されております」
「だから何だ!」
「生命活動を再開させる術式ではなく、死体を動かす術式が働いているのでございます」
部屋が静まり返った。
エマだけが、きょとんとしていた。
「……私、死んでるの?」
ハロルドは慌てて娘を抱き寄せた。
「違う! お前は生きている!」
セバスチャンは否定しなかった。
ただ、静かに続けた。
「エマ様。お腹は空きますか?」
「ううん」
「眠くは?」
「ならないよ」
「疲れたりは?」
「しない!」
セバスチャンは頷いた。
「ありがとうございます」
エマは、にこにこと笑った。
「私、元気だよ!」
ハロルドは、その言葉に縋るように頷いた。
「ああ……そうだ。元気なんだ」
*
検査のあと、エマはエリザベートとノアに連れられて庭へ出た。
雪が積もっている。
「雪だ!」
エマは嬉しそうに駆け出した。
「転ぶわよ!」
エリザベートが叫ぶ。
しかし、エマは振り向かなかった。
そして、案の定転んだ。
「あっ」
ノアが駆け寄る。
「大丈夫?」
「うん!」
エマは立ち上がった。
膝から血が流れていた。
けれど、少女は笑っていた。
「痛くないよ!」
ノアは、その膝を見た。
「……エマ」
「なあに?」
「痛くないの?」
「うん!」
エリザベートも近づいてきた。
「血が出てるじゃない!」
「でも、痛くないよ!」
「痛くなくても、怪我は怪我よ!」
エリザベートは、ノアに命令した。
「手当てしなさい!」
「うん」
ノアはハンカチを取り出した。
傷口を押さえる。
しかし、血は止まらなかった。
「……おかしいな」
ノアは眉をひそめた。
エマは、何も気にしていない。
「ねえ、雪だるま作ろう!」
エリザベートは、少女の手を掴んだ。
「先に手当てよ!」
「でも、痛くないよ?」
「痛いかどうかなんて関係ないわ!」
エマは、目を丸くした。
エリザベートは、当然のように言った。
「怪我したら治すの! それだけよ!」
*
その頃、研究室ではハロルドがセバスチャンに詰め寄っていた。
「娘を元に戻せ!」
「調査を続けております」
「お前ならできるだろう!」
「……」
「六十年前、お前は死者を殺した! なら、今度は生かしてみせろ!」
セバスチャンは、静かに答えた。
「私は、死者を蘇らせることはできません」
「嘘だ!」
「事実でございます」
ハロルドは机を叩いた。
「お前の能力は、あらゆる魔術を弱める! なら、娘を死なせている原因を弱めればいい!」
セバスチャンは首を横に振った。
「死は、魔術ではございません」
「……!」
「私の能力で弱められるのは、作用している力でございます。起きてしまった出来事そのものを消すことはできません」
ハロルドは、言葉を失った。
セバスチャンは続けた。
「エマ様の肉体を動かしている魔術を弱めれば、動けなくなるでしょう」
「……それでは、殺すのと同じだ」
「はい」
「なら、何もするな!」
ハロルドは、娘のもとへ向かおうとした。
その背中に、セバスチャンが声を掛ける。
「ハロルド様」
男は振り向かなかった。
「あなたは、エマ様に何を望んでおられますか」
「決まっている」
「生きていてほしいのでしょうか」
「ああ!」
「それとも、あなたのそばにいてほしいのでしょうか」
ハロルドは振り向いた。
「……何が言いたい」
セバスチャンは答えた。
「その二つは、必ずしも同じではございません」
ハロルドは拳を握った。
「……お前に、親の気持ちが分かるものか」
セバスチャンは、静かに頭を下げた。
「左様でございますね」
*
夕方。
エリザベートは、庭で雪だるまを作っていた。
隣にはエマがいる。
ノアは二人の作業を手伝っていた。
「もっと大きくしなさい!」
エリザベートが命令する。
「これ以上大きくすると、持ち上がらないよ」
ノアが答えた。
「じゃあ、持ち上げられる人を呼びなさい!」
「……そうだね」
ノアは笑った。
エマも笑った。
そのとき、エマがふと呟いた。
「……ねえ」
「何よ?」
「私、また死ぬのかな」
エリザベートは手を止めた。
ノアも、少女を見た。
エマは雪を握りしめた。
「お父さん、私が死ぬたびに泣くんだ」
「……」
「だから、もう死にたくない」
エリザベートは、少し考えた。
そして。
「じゃあ、死ななければいいじゃない!」
エマは首を傾げた。
「……どうやって?」
エリザベートは、すぐには答えられなかった。
そのとき、背後から声がした。
「それを考えるのが、私どもの仕事でございます」
セバスチャンだった。
エリザベートは振り向いた。
「セバスチャン!」
「はい」
「この子を、死なないようにしなさい!」
セバスチャンは、静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
エマは、彼を見上げた。
「……できるの?」
セバスチャンは、少しだけ微笑んだ。
「できる限りのことをいたします」
エリザベートは、不満そうに眉をひそめた。
「できる限りじゃなくて、できるようにしなさい!」
「……承知いたしました」
*
その夜。
セバスチャンは、研究室に戻った。
机には、エマの検査結果が並んでいる。
そして、十一年前のハロルドの研究記録。
彼は、二つを見比べた。
帰還者の肉体は、外部から魔力を供給されている。
エマの肉体は、死亡したまま動いている。
ハロルドだけが、通常の人間として生きている。
三者は、同じ現象ではなかった。
セバスチャンは、新しい紙を取り出した。
そして、三つの名前を書いた。
『帰還者』
『エマ』
『ハロルド』
その下に、一つの問いを書き加えた。
『誰が、何のために戻したのか』
セバスチャンは、しばらくその文字を見つめていた。
そして、静かに呟いた。
「……死者を蘇らせているのではない」
彼は、窓の外を見た。
雪が降っている。
「死者を、使っているのでございますね」
第七十話 終




