第六十九話 死なないための命令
悪役令嬢は愛されている
第六十九話 死なないための命令
「私が死んだから、エマが生き返った?」
ハロルドは、セバスチャンの言葉を繰り返した。
「正確には、あなたの死が術式を完成させたのでございます」
領主館の研究室。
机には十一年前の実験記録が広げられていた。
セバスチャンは最後のページを示した。
「あなたは生前、エマ様の肉体を保存するため、ご自身の魔力を送り続けておられた。しかし、それだけでは生命活動を再開できなかった」
「だから、術式を変えた」
「はい。ご自身の死を起点として、魂を呼び戻す術式に」
ハロルドは椅子に腰を下ろした。
「……覚えている。完成させたのは、処刑の前夜だ」
「その術式が十一年間、何らかの理由で発動しなかった。そして十二日前、突然動き始めた」
「だが、なぜ私まで蘇った?」
「それは、まだ分かりません」
セバスチャンは記録を閉じた。
「ただ、一つ確認したいことがございます」
「何だ」
「あなたが蘇ったとき、最初に見たものは?」
ハロルドは少し考えた。
「……娘だ」
「エマ様が?」
「ああ。墓地に立っていた。私の墓の前に」
「何か言われましたか」
「お父さん、と」
ハロルドは目を伏せた。
「それだけだ」
セバスチャンは頷いた。
「では、もう一つ。あなたは十一年前、ご自身が処刑されることを望んでおられましたか」
「馬鹿なことを聞くな」
「お答えください」
「……死にたくはなかった」
ハロルドは拳を握った。
「娘を生き返らせたかった。だが、私が死ねば娘を抱きしめられない。それでは意味がないだろう」
セバスチャンは、しばらく黙っていた。
「……そうでございますね」
*
翌朝。
グランベルクの広場には、大勢の人々が集まっていた。
帰還者が百人を超えたのだ。
役所は登録業務を停止し、領主館は緊急の対策会議を開くことになった。
エリザベートは、会議室の一番大きな椅子に座っていた。
「で、どうするの?」
領主代理の男が、恐る恐る答える。
「現在、帰還者の受け入れ施設が不足しておりまして……」
「増やせばいいじゃない!」
「予算が――」
「お金ならあるわ!」
「ですが、建物が――」
「建てればいいでしょう!」
「人手が――」
「雇いなさい!」
領主代理は、言葉を失った。
セバスチャンが静かに口を開く。
「お嬢様。施設の増設には、少なくとも三日ほど必要でございます」
「三日も?」
「はい」
「じゃあ、今日中に何とかしなさい!」
「承知いたしました」
セバスチャンは、控えていた護衛隊長に指示を出した。
「町の南側にある旧兵舎を開放してください。暖房設備と寝具を整え、帰還者を収容します」
「しかし、あそこは十年以上使われておらず――」
「修繕は二時間で終わります」
「……二時間?」
「はい。すでに職人を手配しておりますので」
護衛隊長は慌てて部屋を出ていった。
エリザベートは満足そうに頷いた。
「ほら、できるじゃない!」
セバスチャンは一礼した。
「お嬢様のおかげでございます」
ノアは、そのやり取りを見ていた。
そして、少しだけ笑った。
「……昔と変わらないね」
*
昼過ぎ。
旧兵舎には、帰還者たちが集まり始めていた。
その中に、一人の少年がいた。
年齢は十二歳ほど。
少年は、壁際に座っていた。
ノアが近づく。
「こんにちは」
少年は顔を上げた。
「……こんにちは」
「名前は?」
「カイル」
「僕はノア」
ノアは隣に座った。
「いつ帰ってきたの?」
「昨日」
「そうなんだ」
「……でも、家に帰れない」
「どうして?」
少年は、俯いた。
「お母さんが、僕のことを知らないって」
ノアは、黙っていた。
「僕が死んだのは、二十年前なんだって」
「……うん」
「お母さん、もうおばあちゃんになってて」
少年は、膝を抱えた。
「僕のこと、覚えてるはずなのに……」
ノアは、少し考えた。
「……会いに行こうか」
少年は顔を上げた。
「でも……」
「僕も一緒に行くよ」
「……いいの?」
「うん」
ノアは立ち上がった。
「まず、ちゃんと話してみよう」
少年は、少しだけ笑った。
*
その頃。
セバスチャンは、帰還者たちの魔力を調べていた。
一人、また一人。
同じような結果が続く。
外部からの魔力供給。
肉体の再構成。
しかし、ある帰還者の検査で、彼は手を止めた。
「……これは」
目の前にいるのは、若い女性だった。
「何か問題でも?」
「いえ。少々、確認したいことがございます」
セバスチャンは、もう一度魔術を展開した。
そして、確信した。
「……あなたは、二度目の帰還でございますね」
女性は驚いた。
「どうして分かったんですか?」
「魔力の流れに、二度目の再構成の痕跡がございます」
「……そうなんです」
女性は頷いた。
「一度帰ってきたんですけど、三日前にまた死んで……」
「その際、何か変化はございましたか」
「変化?」
「身体の調子などでございます」
女性は少し考えた。
「……そういえば」
「はい」
「最初に帰ってきたときは、足が悪かったんです」
「足が?」
「生きていた頃、事故で怪我をしていて。でも、二度目に帰ってきたら治っていました」
セバスチャンは、目を細めた。
「……なるほど」
彼は、女性の足を確認した。
確かに、古い傷跡が消えていた。
「……再構成のたびに、肉体が修復されている」
セバスチャンは、小さく呟いた。
*
夕方。
ノアは、少年カイルを連れて戻ってきた。
エリザベートが尋ねる。
「どこに行ってたの?」
「カイルの家だよ」
「誰、それ?」
「友達になったんだ」
「ふうん」
エリザベートは少年を見た。
「あなた、死んでたの?」
カイルは驚いた顔をした。
「……うん」
「じゃあ、生き返ったのね!」
「……うん」
「よかったじゃない!」
カイルは、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
エリザベートは満足そうに頷いた。
ノアは、彼女を見た。
「……エリザベート」
「何よ」
「カイルは、家に帰れなかったんだ」
「どうして?」
「お母さんが、もう別の家族と暮らしていて」
エリザベートは首を傾げた。
「……だから?」
ノアは、少し困った顔をした。
「……だから、帰る場所がないんだ」
エリザベートは、しばらく考えた。
そして。
「じゃあ、ここにいればいいじゃない!」
カイルは目を丸くした。
「……いいの?」
「別にいいわよ!」
ノアは、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
エリザベートは、そっぽを向いた。
「別に、あなたのためじゃないわよ!」
*
夜。
セバスチャンは、エリザベートの部屋を訪れた。
「お嬢様。ご報告がございます」
「何?」
「帰還者の肉体について、新たな事実が判明いたしました」
「何よ」
「帰還者は、再び死亡して帰還するたびに、肉体が修復されるようでございます」
エリザベートは、目を丸くした。
「……じゃあ、何度も死ねば元気になるの?」
「理論上は、その可能性がございます」
「すごいじゃない!」
「ただし、問題がございます」
「何よ」
「帰還の回数には、限界があるかもしれません」
エリザベートは、黙った。
「……どうして?」
「魔力の供給量が、帰還のたびに減少しているのでございます」
「じゃあ、最後は?」
「……帰還できなくなる可能性がございます」
エリザベートは、しばらく考えた。
そして。
「じゃあ、死なないようにすればいいじゃない!」
セバスチャンは、静かに頷いた。
「おっしゃるとおりでございます」
「だったら、全員死なないようにしなさい!」
「承知いたしました」
セバスチャンは、一礼した。
部屋を出ると、廊下でノアと出会った。
「……セバスチャン」
「はい」
「今の命令、できるの?」
セバスチャンは、少しだけ微笑んだ。
「……難しいでしょうね」
「でも、やるんだ」
「はい」
ノアは、しばらく彼を見つめた。
そして。
「……無理しないでね」
セバスチャンは、静かに答えた。
「ありがとうございます」
*
深夜。
グランベルクの墓地。
ハロルドは、娘の墓の前に立っていた。
「……エマ」
雪が、静かに降り続いている。
彼は、墓石に手を触れた。
「……もう一度だけ」
そのとき。
背後から、小さな声がした。
「……お父さん」
ハロルドは、振り向いた。
そこには、赤い髪の少女が立っていた。
「……エマ?」
少女は、微笑んだ。
「ただいま」
ハロルドは、駆け寄った。
そして、娘を抱きしめた。
「……おかえり」
しかし。
少女の身体は、冷たかった。
心臓は、動いていなかった。
それでも、少女は笑っていた。
「……お父さん」
ハロルドは、震える声で尋ねた。
「……エマ?」
少女は、静かに答えた。
「もう、死ななくていいんだよ」
ハロルドは、娘を抱きしめたまま動けなかった。
雪が、二人の肩に積もっていった。
第六十九話 終




