第六十八話 娘の名前
悪役令嬢は愛されている
第六十八話 娘の名前
「娘の名前は、エマだ」
ハロルドは机の引き出しから、一枚の肖像画を取り出した。
赤い髪の少女が、椅子に腰掛けている。
年齢は十歳ほど。膝の上には、片耳の垂れたウサギのぬいぐるみがあった。
「十一年前、娘は七歳で死んだ。これは、生きていれば十歳になった頃の姿を描かせたものだ」
セバスチャンは肖像画を見た。
「奥様は?」
「娘が死んだ翌年に出ていった」
ハロルドは肖像画を引き出しに戻した。
「私は娘を取り戻すために研究を続けた。死者の肉体を再構成し、魂を定着させる。理論は完成していた」
「その実験に、何人の人間を使われましたか」
「三十八人だ」
「うち、本人の同意があったのは?」
「……四人」
セバスチャンは頷いた。
「それが、あなたの処刑理由でございます」
「分かっている」
ハロルドは、苛立たしげに机を叩いた。
「だが、今は違う! 誰も殺していない。死者が勝手に戻ってきているんだ!」
「では、なぜ私を呼んだのでしょう」
「娘が戻ってきたからだ」
セバスチャンの目が動いた。
「……エマ様が?」
「ああ。十二日前、墓の前に立っていた」
「現在はどちらに?」
ハロルドは答えなかった。
代わりに、机の上へ小さな手帳を置いた。
そこには、十二日間の記録があった。
『一日目 エマ帰還』
『三日目 エマ死亡』
『四日目 エマ帰還』
『七日目 エマ死亡』
『八日目 エマ帰還』
セバスチャンは最後の行を見た。
『十一日目 エマ死亡』
その下は、空白だった。
「……まだ、戻られていないのですね」
ハロルドは頷いた。
「他の者は戻ってくる。何度死んでもな。なのに、エマだけが戻らない」
「死因は?」
「最初は心臓が止まった。次は眠ったまま目を覚まさなかった。三度目も同じだ」
「いずれも、自然に?」
「そうだ!」
ハロルドは立ち上がった。
「私は何もしていない! 今度こそ、ただ娘と暮らしたかっただけだ!」
セバスチャンは手帳を閉じた。
「では、まずエマ様のご遺体を拝見いたします」
*
エマの遺体は、領主館の地下に安置されていた。
小さな寝台に、少女が横たわっている。
エリザベートは寝台を見るなり、眉をひそめた。
「寒いじゃない」
「遺体の保存のためでございます」とセバスチャン。
「この子、寒くないの?」
「現在は亡くなっておられますので」
「知ってるわよ!」
エリザベートは毛布を一枚取ると、少女の肩に掛けた。
ハロルドが、その手を見つめた。
「……何をしている」
「見れば分かるでしょう」
「死んでいるんだぞ」
「だから何よ」
エリザベートは不機嫌そうに答えた。
「寒そうなものは寒そうなの!」
ハロルドは何も言わなかった。
セバスチャンは少女の手に触れ、魔術を展開した。
数秒後、彼は指を離した。
「……ハロルド様」
「何だ」
「エマ様は、帰還者ではございません」
部屋が静まり返った。
「何を言っている」
「この方には、外部から供給された魔力の痕跡がありません」
「私だってそうだと言っただろう!」
「はい。ですが、あなたとも異なります」
セバスチャンは少女の胸元を示した。
「エマ様の肉体には、十一年前に亡くなった際の損傷が残っております」
「……」
「三度の帰還によって再構成された形跡もございません」
ハロルドの顔色が変わった。
「では、私が抱きしめた娘は……」
「間違いなく、あなたの娘でございます」
セバスチャンは断言した。
「ただし、死者として帰還したのではなく、十一年前の肉体が再び生命活動を始めたのでしょう」
「違いがあるのか?」
「大いにございます」
セバスチャンは少女の手を毛布の下へ戻した。
「他の帰還者は、死ぬたびに肉体が作り直されております。しかしエマ様は、同じ肉体のまま三度蘇生している」
「それなら……」
「四度目が起きない理由も、そこにあるかもしれません」
ハロルドは寝台に駆け寄った。
「なら、どうすればいい!」
「調べる必要がございます」
「今すぐだ!」
「承知しております」
そのとき、ノアが口を開いた。
「エマは、帰ってきてから何をしていたの?」
ハロルドが振り向いた。
「……何?」
「三日間、一緒にいたんでしょう。何をして遊んだの?」
ハロルドは戸惑った。
「そんなことを聞いて、どうする」
「知りたいから」
「私は研究をしていた。娘の身体を調べて、次に死なない方法を――」
「エマは?」
「……」
「エマは、何をしたがってた?」
ハロルドは、口を閉じた。
長い沈黙のあと、ようやく答えた。
「……外に出たがっていた」
「出たの?」
「病み上がりだった。許せるわけがない」
「ほかには?」
「……ケーキを食べたいと」
「食べた?」
「身体への負担を考えて、やめさせた」
ノアは頷いた。
「そうなんだ」
責める言葉はなかった。
それがかえって、ハロルドには耐え難かった。
*
調査が終わると、セバスチャンはエリザベートに報告した。
「エマ様の蘇生には、ハロルド様が十一年前に研究していた魔術が関係している可能性がございます」
「じゃあ、あの人が犯人なの?」
「まだ断定できません」
「でも、娘を生き返らせたかったんでしょう?」
「はい」
エリザベートは考え込んだ。
そして、唐突に尋ねた。
「セバスチャン。あなた、私が死んだらどうする?」
ノアが顔を上げた。
セバスチャンは、いつもどおりの表情で答えた。
「お嬢様をお守りできなかった責任を取ります」
「そうじゃないわ!」
「では?」
「私を生き返らせるのかって聞いてるの!」
セバスチャンは、少しだけ目を伏せた。
「……可能であれば」
「可能じゃなかったら?」
「方法を探します」
「見つからなかったら?」
「見つけるまで探します」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「そうよね!」
だが、ノアは黙っていた。
彼には、その答えが少し怖かった。
セバスチャンは、エリザベートが死ぬことを受け入れない。
それは、ハロルドと何が違うのだろう。
*
夜。
セバスチャンは一人、領主館の古い研究室を調べていた。
ハロルドの実験記録が、棚いっぱいに並んでいる。
その中から、十一年前の最後の研究報告書を取り出した。
『死者蘇生術式・最終実験』
被験者の欄には、エマの名前があった。
そして、術式の完成に必要な条件が記されていた。
『生命の維持には、術者自身の魔力を使用する』
『術者が死亡した場合、被験者の生命活動は停止する』
セバスチャンは、報告書を閉じた。
十一年前、ハロルドは処刑された。
エマも死んだままだった。
だが今、ハロルドは生きている。
そして、エマは三度蘇った。
「……なるほど」
セバスチャンは、静かに呟いた。
「あなたは、娘を蘇らせたのではない」
机の上には、ハロルドの処刑記録が置かれていた。
セバスチャンは、その日付を指でなぞった。
「娘を蘇らせるために、ご自身が死ぬ必要があったのでございますね」
窓の外で、雪が降り始めた。
第六十八話 終




