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第六十六話 主人の命令

悪役令嬢は愛されている


第六十六話 主人の命令


「レオン、あなたは留守番よ!」


出発当日の朝、エリザベートはそう宣言した。


レオンは旅行鞄を持ったまま、動きを止めた。


「……理由をお伺いしても?」


「屋敷が空っぽになるじゃない!」


「使用人は百名以上残りますが」


「それなら、あなたが百一人目になりなさい!」


レオンはセバスチャンを見た。


老執事は穏やかに頷いた。


「お屋敷のことは、レオン様にお任せいたします」


「……本当によろしいのですか」


「ええ。北方には私が同行いたしますので」


その返答には、少しの迷いもなかった。


レオンは鞄を置いた。


「承知いたしました」


エリザベートは満足そうに笑う。


「帰ってきたら、お土産をあげるわ!」


「ありがとうございます」


「何がいい?」


「皆様のご無事が何よりです」


「つまらない答えね!」


彼女は踵を返した。


レオンは、その背中を見送った。


これまで何度も、彼女を守るために行動してきた。


けれど今回は、彼がいなくてもいい。


それは少し不思議で、同時に当然のことでもあった。


アルヴェイン家は、彼が来るずっと前から存在していたのだから。


*


馬車には、エリザベート、ノア、セバスチャンの三人が乗った。


北方までの道のりは五日。


護衛にはアルヴェイン家の私兵が二十名ついている。


「ねえ、ノア」


「何?」


「あなた、馬車に酔う?」


「酔わないよ」


「じゃあ、私の分のお菓子も持ちなさい!」


ノアは渡された箱を受け取った。


「……全部?」


「当然よ!」


箱は三つあった。


セバスチャンが静かに口を開く。


「お嬢様。お菓子は道中でも補充できますので」


「知ってるわ!」


「では、ノア様にすべてお持たせする必要は――」


「ノアに持ってもらいたいの!」


ノアは笑った。


「いいよ。持つくらいなら」


エリザベートは満足そうに頷いた。


その様子を見ていたセバスチャンは、何も言わなかった。


*


三日目の午後。


一行は、北方領との境にある関所へ到着した。


門の前には、数十人の旅人が並んでいる。


兵士たちは一人ずつ身分を確認し、何かを書き留めていた。


セバスチャンが馬車を降りる。


「何か問題でも?」


関所の隊長が答えた。


「北方から死者が出てくるんです」


「死者が?」


「ええ。通行証を持たない者も多くて」


隊長は疲れ切った顔をしていた。


「昨日なんて、四十年前に死んだ男が通ろうとしました。身分証もない、住民登録もない。本人は帰省だと言い張るんですが」


「それで?」


「通しました」


「なぜです?」


「四十年前の通行記録が残っていたので」


セバスチャンは頷いた。


「適切な判断でございます」


隊長は、少しだけ救われたような顔をした。


「……そうでしょうか」


「ええ。少なくとも、門前で争いを起こすよりは」


セバスチャンは、関所の奥を見た。


そこには、荷車に座る老人がいた。


老人は、こちらを見つめている。


そして、突然立ち上がった。


「……お前」


セバスチャンが振り向く。


老人の顔が、恐怖に歪んだ。


「……お前、まだ生きていたのか!」


周囲の兵士たちが、老人を押さえようとする。


しかし、セバスチャンは片手を上げた。


「構いません」


老人は、震える指で彼を指さした。


「六十年前……お前が……!」


セバスチャンは、静かに答えた。


「お久しぶりでございます」


老人は、言葉を失った。


セバスチャンは、穏やかに微笑んだ。


「お元気そうで、何よりです」


老人は、その場に崩れ落ちた。


*


馬車に戻ると、ノアが尋ねた。


「知り合いだったの?」


「昔、少々」


「何があったの?」


「仕事でございます」


ノアは、それ以上聞かなかった。


代わりに、窓の外を見た。


関所の老人は、まだ地面に座り込んでいた。


「……怖がってたね」


「そうでございますね」


「セバスチャンのことを?」


「おそらく」


ノアは、少し考えた。


「……何か、悪いことをしたの?」


セバスチャンは、すぐには答えなかった。


「必要なことをいたしました」


ノアは、彼を見た。


「必要だったら、怖がらせてもいいの?」


セバスチャンは、静かに微笑んだ。


「場合によります」


「……そう」


ノアは、それ以上何も言わなかった。


ただ、その答えを覚えておくことにした。


*


四日目の夜。


一行は、北方領の宿場町に泊まった。


夕食後、エリザベートはセバスチャンを呼びつけた。


「ねえ、あなた」


「はい」


「どうして、あの老人はあなたを怖がっていたの?」


セバスチャンは、少しだけ目を細めた。


「昔の出来事でございます」


「それは聞いたわ!」


「……」


「何をしたのか聞いてるの!」


セバスチャンは、しばらく黙っていた。


そして。


「死者を、再び死なせたのでございます」


そう答えた。


エリザベートは、目を丸くした。


「……何人?」


「二十七名」


「全員?」


「はい」


エリザベートは、少し考えた。


「……どうして?」


「当時、それが最善と判断されたからでございます」


「誰が判断したの?」


「私でございます」


エリザベートは、彼を見つめた。


「……あなたが?」


「はい」


「誰かに命令されたわけじゃないの?」


「いいえ」


彼女は、しばらく黙った。


それから、静かに尋ねた。


「……今も、同じことをするの?」


セバスチャンは、答えた。


「状況が同じであれば」


エリザベートは、少しだけ眉をひそめた。


「……そう」


そして。


「じゃあ、今度は私が決めるわ!」


セバスチャンは、静かに頭を下げた。


「承知いたしました」


*


その夜。


ノアは、宿の廊下でセバスチャンと出会った。


「まだ起きていたのですか」


「うん。少し考えてた」


「何を?」


ノアは、彼を見た。


「……セバスチャンは、どうしてエリザベートに仕えているの?」


老執事は、少しだけ目を細めた。


「お嬢様が、私の主人だからでございます」


「それは、答えになってないと思う」


セバスチャンは、黙った。


ノアは続けた。


「昔から、エリザベートの言うことを何でも聞いてたよね」


「はい」


「でも、父上の命令より優先することもあった」


「……ございますね」


「どうして?」


セバスチャンは、しばらく考えた。


そして。


「……私にも、分かりません」


そう答えた。


ノアは、目を丸くした。


「……分からないの?」


「はい」


セバスチャンは、静かに微笑んだ。


「ただ、お嬢様に仕えることが、私にとって自然なのでございます」


ノアは、しばらく彼を見つめていた。


そして。


「……そうなんだ」


小さく頷いた。


セバスチャンは、窓の外を見た。


雪が降っている。


「……ノア様」


「何?」


「私は、お嬢様を愛しております」


ノアは、彼を見た。


「うん。知ってる」


「ですが、その理由を説明することはできません」


「……」


「お嬢様が優秀だからでも、正しいからでもございません」


セバスチャンは、静かに続けた。


「ただ、お嬢様だからでございます」


ノアは、少しだけ笑った。


「……それなら、僕と同じだね」


セバスチャンは、彼を見た。


ノアは、穏やかに言った。


「僕も、エリザベートがエリザベートだから、大切なんだ」


セバスチャンは、しばらく黙っていた。


そして、静かに頭を下げた。


「……そうでございますね」


*


翌朝。


一行は、グランベルクへ向けて出発した。


町の門が見えた頃、セバスチャンは馬車の窓から外を眺めていた。


門の前には、一人の男が立っている。


黒い外套。


白い手袋。


ハロルド・ベイン。


十一年前に処刑された男だった。


男は、馬車を見つけると、ゆっくりと笑った。


「……久しぶりだな」


セバスチャンは、静かに答えた。


「お久しぶりでございます」


ハロルドは、馬車の中を覗き込んだ。


そして、エリザベートを見た。


「……なるほど」


男は、笑みを深めた。


「これがお前の主人か」


エリザベートは、眉を吊り上げた。


「何よ、その言い方!」


ハロルドは、彼女を見つめた。


そして。


「……面白い」


小さく呟いた。


セバスチャンは、静かに一歩前へ出た。


「ハロルド様」


「何だ」


「お嬢様に、失礼のないようお願いいたします」


ハロルドは、笑った。


「……相変わらずだな」


雪が、二人の間に降り続いていた。


第六十六話 終

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