第六十四話 北方からの報告
悪役令嬢は愛されている
第六十四話 北方からの報告
北方領から届いた報告書には、死亡したはずの男の署名があった。
セバスチャンは、その署名を三度確認した。
筆跡は一致している。
公的な印章にも偽造の痕跡はない。
問題は、署名の主であるハロルド・ベインが、十一年前に処刑されていることだった。
「……困りましたね」
老執事は報告書を閉じた。
その声に、書斎で紅茶を飲んでいたエリザベートが顔を上げる。
「何が?」
「北方で、少々不可解な事件が起きております」
「不可解?」
「死者が帰ってきたそうです」
エリザベートは、しばらく考えた。
「ノアみたいに?」
「いいえ。事情が異なります」
「じゃあ、どう違うの?」
セバスチャンは報告書を開いた。
「帰ってきた方々には、戻る理由が確認できないのでございます」
*
北方領、グランベルク。
雪に閉ざされた小さな町で、最初の異変が起きたのは十二日前だった。
墓守の老人が、夜明け前に墓地で一人の女性を見つけた。
女性は裸足で、薄い寝間着を着ていた。
寒さに震える様子もなく、ただ墓石を眺めていたという。
「ここ、私のお墓なのね」
老人は、その顔を知っていた。
三年前、病で亡くなった町医者の妻だった。
翌日には、鉱山事故で死亡した青年が帰宅した。
さらにその翌日、十年前に戦死した兵士が、町の門を叩いた。
彼らに共通することは、一つだけ。
自分が死んだことを知っていた。
しかし、なぜ戻ったのかは、誰にも分からなかった。
*
「つまり、死んだ人間が生き返ったのね!」
エリザベートは、面白そうに身を乗り出した。
「はい」
「じゃあ、いいことじゃない!」
「必ずしも、そうとは限りません」
「どうして?」
セバスチャンは、次の書類を差し出した。
そこには、北方領で起きた別の事件が記されていた。
帰還した兵士が、自分の妻を訪ねた。
しかし、妻はすでに再婚していた。
兵士は再婚相手を殺害し、逃亡した。
その三日後、兵士自身も死亡した。
そして翌朝。
再び、町へ帰ってきた。
エリザベートは、書類を見つめた。
「……何よ、それ」
「現在、北方では同様の事件が増加しております」
「何度でも生き返るの?」
「確認されている範囲では、そうです」
エリザベートは、少し考えた。
「じゃあ、殺しても意味がないじゃない」
「その通りでございます」
「……面倒ね」
セバスチャンは頷いた。
「非常に」
*
レオンが書斎に呼ばれたのは、その直後だった。
報告書を読み終えると、彼は静かに尋ねた。
「……帰還者の数は?」
「現在、確認されているだけで四十三名」
「十二日間で?」
「はい」
レオンは眉をひそめた。
「増加速度が速すぎます」
「ええ」
「しかも、再死亡後に再び戻ってくるとなると……」
「人口が増え続ける可能性がございます」
レオンは、しばらく考えた。
そして、セバスチャンを見た。
「北方領へ向かわれるおつもりですか」
「その予定でございます」
エリザベートが顔を上げた。
「誰が?」
「私でございます」
「駄目よ!」
即答だった。
セバスチャンは、静かに頭を下げた。
「理由をお伺いしても?」
「あなたがいなくなったら、誰が私の紅茶を淹れるの!」
「代わりの者を手配いたします」
「嫌よ!」
「では、茶葉の配合を記録しておきましょう」
「そういう問題じゃないわ!」
セバスチャンは、少しだけ目を細めた。
「……では、どのような問題でしょう」
エリザベートは、答えに詰まった。
そして。
「……あなたは、ここにいなさい!」
そう命じた。
セバスチャンは、しばらく彼女を見つめた。
「……承知いたしました」
レオンは、そのやり取りを静かに見ていた。
*
その夜。
セバスチャンは、自室で古い箱を開けた。
中には、一冊の手帳が入っていた。
表紙には、何も書かれていない。
彼は、最後のページを開いた。
そこには、古い文字で一つの名前が記されていた。
『ハロルド・ベイン』
そして、その下に。
『十一年前、処刑』
セバスチャンは、しばらくその文字を見つめた。
「……やはり、あなたでしたか」
彼は、静かに手帳を閉じた。
*
翌朝。
北方領から、二通目の報告が届いた。
今度の差出人は、領主ではなかった。
封筒には、古い家紋が押されていた。
セバスチャンは、その家紋を見た瞬間、動きを止めた。
手紙には、短い文章が書かれていた。
『久しぶりだな、セバスチャン』
『お前がまだ生きているとは思わなかった』
『今度は、逃がさない』
セバスチャンは、静かに手紙を畳んだ。
そして、初めて。
ほんのわずかに、笑った。
「……懐かしいことでございます」
窓の外では、雪が降り始めていた。
第六十四話 終




