第五十七話 彼女が選ばなかった世界
悪役令嬢は愛されている
第五十七話 彼女が選ばなかった世界
レオンは、答えを見つけたつもりだった。
願いを叶えるのではなく、願いを終わらせる。
エリザベート自身が願いを取り消せば、世界の崩壊を止められる。
理屈は単純だった。
問題は、彼女がそれを望まないことだった。
*
その世界で、レオンはエリザベートの専属魔術師になった。
彼は、以前とは違う方法を選んだ。
願いを否定しない。
危険を隠さない。
そして、できる限り正直に話す。
「お嬢様」
「何?」
「世界中の人間に愛されることは、不可能です」
エリザベートは、紅茶を飲む手を止めた。
「……またその話?」
「はい」
「レオン、あなたって本当にしつこいわね!」
「申し訳ございません」
「でも、私は欲しいの!」
「存じております」
「だったら叶えなさい!」
レオンは、静かに答えた。
「……叶えてしまえば、世界が壊れます」
少女は、彼を見つめた。
「……世界が?」
「はい」
「……」
「あなたの願いは、世界そのものに作用します」
エリザベートは、しばらく考えた。
そして。
「……じゃあ、世界を壊れないようにすればいいじゃない!」
レオンは、息を止めた。
「……」
「私の願いも叶えて、世界も壊さない!」
少女は、当然のように言った。
「それが、あなたの仕事でしょう!」
レオンは、何も言えなかった。
彼女の言うことは、ある意味では正しかった。
願いを叶えること。
世界を守ること。
その両方を求めている。
しかし、彼にはできなかった。
「……申し訳ございません」
レオンは、頭を下げた。
「……今の私には、不可能です」
エリザベートは、少しだけ眉をひそめた。
「……じゃあ、できるようになりなさい!」
*
レオンは、願いを終わらせる方法を探し続けた。
魔法による強制解除。
記憶の封印。
願いの対象を限定する術式。
星の破壊。
どれも失敗した。
願いは、エリザベート自身のものだった。
彼女が望まない限り、終わらせることはできない。
そして、彼女は望まなかった。
「どうして取り消さなきゃいけないの?」
何度説明しても、同じ答えが返ってきた。
「私の願いでしょう?」
その言葉を聞くたび、レオンは何も言えなくなった。
確かに、彼女の願いだった。
しかし、その願いによって世界が壊れる。
彼女には、その責任がある。
レオンは、そう考えていた。
だから、彼女に理解させようとした。
世界の危険を説明した。
願いの仕組みを教えた。
星が消えたとき、何が起きるのかを見せた。
しかし。
エリザベートは、最後まで納得しなかった。
「……レオン」
ある夜、少女が言った。
「あなた、私の願いが嫌いなの?」
レオンは、答えた。
「……いいえ」
「じゃあ、どうして叶えてくれないの?」
「……世界が壊れるからです」
「……」
少女は、窓の外を見た。
「……世界って、そんなに大切?」
レオンは、息を止めた。
「……はい」
「……私より?」
レオンは、答えられなかった。
少女は、彼を見た。
「……私より、大切なの?」
レオンは、静かに答えた。
「……どちらも、大切です」
エリザベートは、少しだけ笑った。
「……ずるい答えね」
*
その世界も、崩壊した。
レオンは、最後まで彼女のそばにいた。
しかし、願いは取り消されなかった。
彼は、死んだ。
そして、次の世界へ移った。
*
次の世界では、レオンは別の方法を選んだ。
エリザベートに、世界の崩壊を見せる。
まだ願いが完成する前に、未来を知ってもらう。
彼は、過去の世界で見た光景を、魔法で再現した。
赤い亀裂。
消えていく建物。
倒れる人々。
そして、世界の終わり。
エリザベートは、映像を見つめていた。
「……これ、何?」
「未来に起こり得ることです」
「……」
「あなたの願いが、原因です」
少女は、しばらく黙っていた。
そして。
「……怖いわ」
小さく言った。
レオンは、初めて希望を感じた。
「……では」
「……でも」
少女は、彼を見た。
「……これ、本当に起こるの?」
レオンは、答えた。
「……はい」
「……どうして分かるの?」
レオンは、息を止めた。
説明できない。
自分が何度も死んだこと。
別の世界へ移ったこと。
その記憶を持っていること。
すべてを話せば、信じてもらえるだろうか。
レオンは、しばらく考えた。
そして。
「……私は、見たことがあります」
そう答えた。
エリザベートは、目を丸くした。
「……見た?」
「はい」
「……どこで?」
「……別の世界で」
少女は、しばらく彼を見つめた。
そして。
「……レオン」
「はい」
「……あなた、頭がおかしくなったの?」
レオンは、目を閉じた。
「……そうかもしれません」
*
それでも、彼は説明した。
自分が何度も死んだこと。
死ぬたびに、別の世界へ移ること。
その世界でも、エリザベートが願いを叶えようとしていたこと。
そして、世界が崩壊したこと。
エリザベートは、最後まで聞いていた。
途中で笑うことも、怒ることもなかった。
ただ、静かに聞いていた。
話し終えると、少女は尋ねた。
「……じゃあ」
「はい」
「……あなた、何回死んだの?」
レオンは、少し考えた。
「……数えておりません」
「……」
「……途中から、分からなくなりました」
エリザベートは、目を丸くした。
「……そんなに?」
「はい」
「……」
少女は、しばらく黙っていた。
そして。
「……かわいそうね」
そう言った。
レオンは、息を止めた。
「……」
「……何回も死ぬなんて、嫌でしょう?」
「……はい」
「……」
少女は、少し考えた。
そして。
「……じゃあ、もう死なないでね!」
レオンは、何も言えなかった。
彼女は、世界の崩壊よりも。
自分が何度も死んだことを、気にしていた。
レオンは、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
しかし。
その世界も、崩壊した。
エリザベートは、最後まで願いを取り消さなかった。
*
さらに次の世界。
レオンは、エリザベートに選択肢を与えた。
「お嬢様」
「何?」
「願いを取り消せば、世界は救われます」
「……」
「取り消さなければ、世界は壊れます」
少女は、彼を見た。
「……それだけ?」
「はい」
「……」
「……どちらを選ばれますか」
エリザベートは、しばらく考えた。
そして。
「……取り消さないわ」
そう答えた。
レオンは、目を閉じた。
「……なぜですか」
「……だって」
少女は、静かに言った。
「……私の願いを、誰かのために諦めるのは嫌だもの」
レオンは、何も言えなかった。
彼女は、世界のために自分の願いを捨てたくなかった。
その気持ちは、理解できた。
しかし。
その結果、世界は壊れる。
レオンは、静かに尋ねた。
「……世界中の人が、死んでも?」
エリザベートは、少しだけ眉をひそめた。
「……そんなの、嫌よ」
「……」
「……でも、私の願いを諦めるのも嫌!」
レオンは、息を吐いた。
「……両方は、叶いません」
少女は、彼を睨んだ。
「……だったら、あなたが何とかしなさい!」
*
その世界も、終わった。
レオンは、何度も死んだ。
何度も、同じ選択を迫った。
そして。
何度も、同じ答えを聞いた。
エリザベートは、願いを取り消さなかった。
彼女は、世界を壊したかったわけではない。
ただ、自分の願いを諦めたくなかった。
レオンは、その違いを理解していた。
しかし。
理解したところで、世界は救われなかった。
*
ある世界で。
レオンは、ノアと再び会った。
場所は、王都の時計塔だった。
夜。
空には、四つの星が浮かんでいた。
ノアは、レオンの隣に立った。
「……また、失敗したんだね」
レオンは、息を止めた。
「……何を、知っているのですか」
ノアは、空を見上げた。
「君が、何度も同じことをしていること」
「……」
「エリザベートに、願いを取り消してもらおうとしていること」
レオンは、ノアを見た。
「……あなたは、何者ですか」
ノアは、少しだけ笑った。
「彼女の家族だよ」
「……それだけでは、説明になりません」
「そうだね」
ノアは、頷いた。
そして。
「……レオン」
「はい」
「君は、エリザベートに何を求めているの?」
レオンは、答えた。
「……願いを取り消すことです」
「どうして?」
「……世界を救うためです」
「……」
ノアは、しばらく黙っていた。
そして。
「……それは、君の願いだね」
レオンは、目を見開いた。
「……」
「君は、世界を救いたい」
「……はい」
「エリザベートは、愛されたい」
「……はい」
「……」
ノアは、空を見上げた。
「どちらも、願いなんだね」
レオンは、何も言えなかった。
ノアは、静かに続けた。
「君は、彼女の願いを取り消してもらおうとしている」
「……はい」
「でも、彼女は君の願いを叶えたいと思っていない」
レオンは、息を止めた。
「……」
「だから、うまくいかないんじゃないかな」
レオンは、しばらく考えた。
そして。
「……では、どうすれば」
ノアは、答えなかった。
ただ、少しだけ笑った。
「……彼女に、選んでもらうしかないよ」
レオンは、眉をひそめた。
「……それは、何度も試しました」
「そうだね」
「……」
「でも、君が選ばせたい答えを、彼女に選ばせようとしているだけじゃない?」
レオンは、何も言えなかった。
*
その夜。
レオンは、手帳を開いた。
そこには、何度も書き直した言葉があった。
『彼女が生きたまま、世界を救う』
その下に。
『願いを、彼女自身に終わらせてもらう』
レオンは、しばらく文章を見つめていた。
そして。
新しい一行を書いた。
『彼女が、自分の意思で選ぶこと』
彼は、ペンを置いた。
しかし、すぐに気づいた。
それでは、世界が救われる保証はない。
彼女が、自分の意思で願いを取り消さない可能性もある。
いや。
これまでの世界では、すべてそうだった。
レオンは、手帳を閉じた。
「……難しいな」
小さく呟いた。
そのとき。
窓の外で、星が一つ消えた。
レオンは、空を見上げた。
赤い亀裂が、ゆっくりと広がり始めていた。
*
その世界でも、レオンは死んだ。
そして、次の世界へ移った。
しかし。
今度は、すぐに公爵邸へ向かわなかった。
彼は、工房の椅子に座り、長い時間考えた。
自分は、何を間違えているのか。
世界を救うために、彼女を説得した。
願いを取り消すように求めた。
危険を説明した。
未来を見せた。
何度も、何度も。
しかし。
彼女は、願いを取り消さなかった。
レオンは、ようやく理解した。
自分は、彼女に世界を救わせようとしていた。
彼女の願いを、世界のために諦めさせようとしていた。
それは、正しいことだった。
世界を救うためには、必要なことだった。
しかし。
エリザベートにとっては、違った。
彼女は、世界を救うために生きているわけではない。
自分の願いを叶えるために、生きている。
レオンは、静かに息を吐いた。
そして。
一つの結論に辿り着いた。
彼女が世界を救いたいと思わなくても、世界は救える。
必要なのは、彼女が世界を選ぶことではない。
彼女が、願いを必要としなくなることだった。
レオンは、立ち上がった。
窓の外には、青い空が広がっていた。
まだ、星はない。
まだ、亀裂もない。
彼は、アルヴェイン公爵邸へ向かった。
今度は、彼女を説得するためではなかった。
彼女が何を望んでいるのか。
それを、最後まで見届けるために。
第五十七話 終




