第五十四話 彼女を殺せば、世界は救われる
悪役令嬢は愛されている
第五十四話 彼女を殺せば、世界は救われる
三度目の世界で、レオンはアルヴェイン公爵邸に近づかなかった。
十二月一日。
目を覚ました彼が最初にしたのは、仕事を辞めることだった。
「辞めます」
朝食の席でそう告げると、ガルドはパンを落とした。
「……何だって?」
「今日で辞めます」
「理由は?」
「王都を離れます」
「だから理由を聞いてるんだよ!」
レオンは答えなかった。
説明できるはずがなかった。
自分は二度死んだ。
別の世界へ移った。
そして、二度とも同じ少女の願いによって世界が崩壊した。
そんな話を、誰が信じるだろう。
「……すみません」
レオンは頭を下げた。
ガルドは、しばらく彼を見つめていた。
そして、深く息を吐いた。
「……分かった」
「……」
「給料は持ってけ。まだ払ってない分がある」
「ありがとうございます」
「ただし」
ガルドは、レオンの肩を掴んだ。
「帰ってくる場所がなくなるようなことだけは、するなよ」
レオンは、何も言えなかった。
*
レオンは王都を出た。
北へ向かった。
馬車を乗り継ぎ、山を越え、川を渡った。
十日後。
彼は、王都から三百キロ離れた小さな町にいた。
そこでは、アルヴェイン家の噂を聞くこともなかった。
誰もエリザベートの名前を口にしない。
誰も、冬に夏を作ろうとしない。
誰も、月を欲しがらない。
レオンは、ようやく息をついた。
(……これでいい)
自分が彼女に関わらなければ。
願いを叶えなければ。
世界は壊れないかもしれない。
そう思った。
しかし。
二週間後。
町の空に、星が現れた。
一つ。
二つ。
三つ。
レオンは、宿屋の窓から空を見上げた。
「……嘘だろ」
四つ。
五つ。
そして。
空が、赤く裂けた。
*
三度目の死は、早かった。
レオンは、町の外へ逃げようとした。
しかし、山が消えた。
川が逆流した。
空から、色のない光が降ってきた。
彼は、魔法を使った。
防壁を張った。
転移術を試した。
何も通用しなかった。
最後に見えたのは、遠くの王都の方角だった。
そこに、赤い光が広がっていた。
レオンは、歯を食いしばった。
(……俺がいなくても、駄目なのか)
そして、死んだ。
*
四度目の世界。
レオンは、王都に残った。
今度は、アルヴェイン家に関わらず、世界を救う方法を探した。
王立図書館。
魔術師組合。
古代遺跡。
禁書庫。
彼は、あらゆる資料を調べた。
しかし、願いによって世界が崩壊する現象について、記録はほとんどなかった。
唯一、古い書物に奇妙な一文があった。
『星は願いを宿す。願いは世界を形作る。世界は、願いに耐えられないことがある』
レオンは、その文章を何度も読み返した。
(……願い)
やはり、原因はエリザベートなのか。
ならば。
彼女が願わなければいい。
しかし、願いを止めることはできない。
彼女は、何も知らない。
何も知らずに、欲しいものを欲しいと言う。
それが、世界を壊す。
レオンは、本を閉じた。
そして、初めて考えた。
(……彼女が、いなければ)
*
五度目の世界。
レオンは、アルヴェイン公爵邸の門の前に立っていた。
手には、一本の短剣。
刃には、魔力を遮断する術式が刻まれていた。
彼が作ったものだった。
エリザベートを殺す。
それが、今回の目的だった。
(……一人だ)
レオンは、門を見上げた。
(……一人を殺せば、世界が救われる)
そう考えた。
いや。
そう考えようとした。
門の前には、二人の衛兵が立っていた。
レオンは、魔法で姿を隠した。
門を抜ける。
庭園へ入る。
屋敷の裏手へ回る。
彼は、事前に調べた使用人用の通路へ向かった。
しかし。
「お待ちください」
声がした。
レオンは、足を止めた。
セバスチャンだった。
老執事は、静かに立っていた。
「どちらへ向かわれるおつもりでしょうか」
レオンは、息を止めた。
姿を隠しているはずだった。
「……」
セバスチャンは、穏やかに微笑んだ。
「お嬢様に、ご用でございますか」
レオンは、短剣を握りしめた。
「……通してください」
「申し訳ございません」
老執事は、深く頭を下げた。
「お嬢様への面会は、事前の許可が必要でございます」
「……」
「お名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
レオンは、答えなかった。
そして。
短剣を抜いた。
*
次の瞬間。
レオンは、地面に倒れていた。
何が起きたのか、分からなかった。
魔法を使おうとする。
しかし、魔力が集まらない。
身体が、重い。
呼吸が、苦しい。
セバスチャンは、変わらず穏やかに立っていた。
「……残念でございます」
レオンは、歯を食いしばった。
「……何を、した」
「何も」
「……嘘だ」
「私は、ただ」
セバスチャンは、静かに答えた。
「お嬢様に危害を加えようとする方が、力を発揮できないようにしているだけでございます」
レオンは、目を見開いた。
(……弱体化)
自分の魔力が、奪われている。
いや、違う。
魔力はある。
しかし、使えない。
身体も動くはずなのに、動かない。
まるで、自分という存在そのものが、弱くされているようだった。
「……」
レオンは、短剣を落とした。
セバスチャンは、それを拾い上げた。
「お嬢様への危害を企てられた理由を、お聞かせいただけますか」
レオンは、答えなかった。
言えるはずがなかった。
世界を救うため。
そう言ったところで、何になる。
目の前の老人にとって、エリザベートは世界より大切なのだろう。
そして。
レオン自身も、分かっていた。
自分がしようとしたことは、殺人だった。
理由が何であれ。
一人の少女を殺そうとした。
その事実は、変わらない。
「……」
レオンは、目を閉じた。
(……駄目か)
次の瞬間。
意識が途切れた。
*
六度目の世界。
レオンは、短剣を作らなかった。
代わりに、毒を調べた。
七度目の世界。
彼は、呪術を学んだ。
八度目の世界。
王宮の権力を利用しようとした。
九度目の世界。
アルヴェイン家の敵対貴族に接触した。
十度目の世界。
彼は、何もしなかった。
そのすべてで。
エリザベートは、死ななかった。
彼女を殺そうとした者は、誰も成功しなかった。
セバスチャン。
マリアンヌ。
公爵家の騎士たち。
そして、エリザベートを愛する人々。
彼らは、少女を守った。
どれほど理不尽な命令を受けても。
どれほど危険な願いを口にされても。
彼らは、少女を守った。
レオンは、何度も失敗した。
何度も死んだ。
そして。
ある世界で、初めて思った。
(……殺せないなら)
彼は、窓の外を見た。
公爵邸の庭園。
そこでは、エリザベートが楽しそうに笑っていた。
(……願わせなければいい)
*
十一度目の世界。
レオンは、エリザベートに近づいた。
今度は、殺すためではない。
願いを止めるためだった。
彼は、専属魔術師として雇われた。
少女が何かを欲しがるたびに、別のものを与えた。
月を欲しがれば、星を見せた。
海を欲しがれば、湖へ連れていった。
太陽を欲しがれば、花火を上げた。
彼女の興味を、別のものへ向けた。
その方法は、ある程度成功した。
エリザベートは、楽しそうだった。
レオンも、少しだけ安心した。
しかし。
ある日。
少女は、突然言った。
「ねえ、レオン!」
「はい」
「私、世界中の人に愛されたいわ!」
レオンは、息を止めた。
「……」
少女は、笑っていた。
「だって、皆が私を好きだったら、素敵でしょう!」
レオンは、静かに答えた。
「……お嬢様」
「何?」
「……それは、難しい願いでございます」
「どうして?」
「……人の心は、自由だからです」
エリザベートは、首を傾げた。
「……自由?」
「はい」
「……」
少女は、少し考えた。
そして。
「……じゃあ、自由じゃなくすればいいじゃない!」
レオンは、目を閉じた。
(……駄目だ)
どれほど別のものを与えても。
どれほど楽しませても。
彼女は、いつか同じ願いへ辿り着く。
まるで。
最初から、そこへ向かうように決まっているかのように。
*
その世界も、崩壊した。
レオンは、死んだ。
そして、次の世界へ移った。
十二度目。
十三度目。
十四度目。
彼は、少しずつ変わっていった。
最初は、エリザベートを憎んでいた。
次に、恐れた。
やがて、理解しようとした。
しかし。
理解しようとするほど、分からなくなった。
なぜ、彼女はあれほど愛されているのか。
なぜ、周囲の人々は彼女を守るのか。
なぜ、彼女の願いは世界を壊すのか。
そして。
なぜ、自分は何度も死んでまで、彼女を止めようとしているのか。
ある世界で。
レオンは、セバスチャンに尋ねた。
「……あなたは、なぜお嬢様を守るのですか」
老執事は、少しだけ目を細めた。
「……なぜ、でございますか」
「はい」
「……」
セバスチャンは、しばらく考えた。
そして。
「お嬢様が、お嬢様だからでございます」
そう答えた。
レオンは、眉をひそめた。
「……理由になっていません」
「そうでしょうか」
「……はい」
セバスチャンは、穏やかに微笑んだ。
「では、レオン様」
「……はい」
「あなたは、なぜお嬢様を止めようとなさるのですか」
レオンは、答えられなかった。
世界を救うため。
そう答えることはできた。
しかし。
それだけでは、説明できない何かがあった。
彼は、何度も死んだ。
何度も失敗した。
それでも、またエリザベートのもとへ来た。
なぜなのか。
自分でも、分からなかった。
*
十五度目の世界。
レオンは、エリザベートを守るために死んだ。
それは、初めてのことだった。
公爵邸が襲撃された。
敵対貴族が雇った暗殺者たちだった。
セバスチャンたちは、すぐに対応した。
しかし、一人だけ。
屋敷の裏手から侵入した暗殺者がいた。
レオンは、その男を見つけた。
そして、戦った。
勝てる相手ではなかった。
魔法の腕も、経験も、相手の方が上だった。
レオンは、何度も傷を負った。
それでも、退かなかった。
なぜなら。
背後には、エリザベートがいたからだ。
「……レオン?」
少女が、彼を呼んだ。
「……何をしてるの?」
レオンは、答えなかった。
ただ、魔法を使った。
最後の魔力を振り絞って。
暗殺者を、足止めした。
その隙に、セバスチャンが到着した。
暗殺者は、瞬く間に制圧された。
しかし。
レオンは、倒れた。
胸に、深い傷を負っていた。
「……レオン?」
エリザベートが、近づいてきた。
「……どうしたの?」
レオンは、笑おうとした。
しかし、うまく笑えなかった。
「……少々、失敗いたしました」
「……」
「……申し訳ございません」
少女は、彼を見下ろした。
そして。
「……馬鹿ね」
小さく言った。
「……」
「私のために、死ぬなんて」
レオンは、目を閉じた。
(……そうだな)
自分でも、そう思った。
なぜ、守ったのか。
世界を救うためなら、彼女を殺そうとしていたはずなのに。
なぜ。
彼女を守るために、命を使ったのか。
答えは、出なかった。
ただ。
最後に聞こえたのは。
「……死なないでよ」
エリザベートの声だった。
その言葉を聞きながら。
レオンは、十五度目の死を迎えた。
*
十六度目の世界。
レオンは、目を覚ました。
木造の天井。
朝日。
見慣れた工房。
彼は、しばらく動かなかった。
そして。
「……馬鹿だな」
小さく呟いた。
自分に向けた言葉だった。
何度も死んだ。
何度も失敗した。
世界を救うために、少女を殺そうとした。
そして、最後には。
少女を守るために、死んだ。
レオンは、ゆっくり身体を起こした。
窓の外には、青い空が広がっていた。
まだ、星はない。
まだ、亀裂もない。
まだ、世界は壊れていない。
彼は、机の上に置かれた紙を取った。
そこには、これまでの世界で試した方法が書き並べられていた。
殺害。
説得。
隔離。
願いの代替。
魔法による封印。
どれも、失敗した。
レオンは、紙を見つめた。
そして。
一番下に、新しい言葉を書いた。
『彼女を、知る』
それは、世界を救う方法ではなかった。
少なくとも。
そのときのレオンには、そう思えた。
しかし。
彼は、初めて。
エリザベートを、世界の敵ではなく。
一人の人間として見ようとしていた。
第五十四話 終




