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第五十話 七日も待てないわ!

悪役令嬢は愛されている


第五十話 七日も待てないわ!


アルヴェイン公爵邸の東棟に、朝から大工が集められていた。


「壁を壊しなさい!」


エリザベートが命じた。


棟梁は金槌を持ったまま固まった。


「……どちらの壁でございましょう」


「全部よ!」


「全部でございますか」


「そうよ! この部屋をもっと広くするの!」


少女が立っているのは、ノアの寝室だった。


六年間、誰も使っていなかった部屋。


昨夜、彼女はここで眠った。


そして今朝、目覚めるなり改築を命じたのである。


「お嬢様」


セバスチャンが一礼した。


「壁をすべて取り払いますと、屋根を支えるものがなくなります」


「じゃあ、屋根も取りなさい!」


「雨が降ります」


「降らせなければいいでしょう!」


「承知いたしました。屋敷全体の気象制御を手配いたします」


「それから、ベッドを十個!」


「かしこまりました」


「机も十個!」


「はい」


「お菓子を百種類!」


「手配いたします」


廊下の端で、ミラがその様子を眺めていた。


「……ノアって、十人いるの?」


エリザベートが振り向いた。


「一人よ!」


「じゃあ、ベッドは一つでよくない?」


「選べた方がいいでしょう!」


「毎日違うベッドで寝るの?」


「そうよ!」


「忙しいね」


「当然よ!」


ミラは少し笑った。


「……でも、ノアは喜ぶかな」


その一言で、エリザベートの手が止まった。


「……どうして?」


「昔の部屋が好きだったかもしれないから」


少女は、壊しかけの壁を見た。


まだ一枚も壊されていなかった。


「……」


それから棟梁に命じた。


「中止よ!」


「はっ!」


「何も変えちゃ駄目!」


「承知いたしました!」


「でも、お菓子は百種類持ってきなさい!」


「そちらは予定どおりでございますね」


セバスチャンが確認する。


「当たり前でしょう!」


◇


ミラには、一つ困っていることがあった。


ノアの声が、昨日より聞こえにくくなっていた。


庭園の噴水に腰掛け、彼女は銀の鈴を鳴らす。


ちりん。


返事はない。


もう一度。


ちりん。


『……ミラ』


かすかな声がした。


「ノア?」


『……うん』


「聞こえる?」


『……少しだけ』


ミラは胸を撫で下ろした。


「よかった」


『……何かあった?』


「ううん。あなたの部屋が壊されそうになっただけ」


『……え?』


「もう大丈夫。壊されなかったよ」


『……そう』


声の向こうで、ノアが笑った気がした。


『……エリザベートらしいね』


ミラは鈴を握り直した。


「ねえ、ノア」


『……何?』


「七日後って、本当に七日後?」


『……そうだよ』


「もっと早くできないの?」


少しの沈黙。


『……難しいと思う』


「どうして?」


『……身体を作るには、時間がかかるから』


「魔法で一瞬じゃ駄目なの?」


『……それだと、僕が入れない』


ミラは眉を寄せた。


「……入れない?」


『……身体を作るだけなら、できる人はいると思う』


『……でも、僕の魂がそこに留まれるかは、別なんだ』


「……」


『……だから、約束が必要なんだよ』


ミラは、しばらく考えた。


「……じゃあ、私が約束する」


『……』


「あなたが帰ってくるまで、待ってる」


『……ありがとう』


「それじゃ駄目?」


『……嬉しいよ』


ノアは、少しだけ間を置いた。


『……でも、まだ足りない』


鈴の音が途切れた。


◇


「足りないですって?」


エリザベートは、ミラの報告を聞くなり立ち上がった。


「何が足りないのよ!」


「分からない」


「聞きなさい!」


「今は声が届かないんだ」


「じゃあ、もっと大きな鈴を作りなさい!」


レオンが一礼した。


「音を増幅する魔道具であれば、ご用意できます」


「今すぐよ!」


「承知いたしました」


一時間後。


庭園に巨大な鐘が設置された。


高さは三メートル。


直径は二メートル。


表面には、エリザベートの肖像が彫られている。


「どうして私の顔があるの?」


「お嬢様のご命令でございますので」


「まあ! 素敵ね!」


ミラは鐘を見上げた。


「……これ、鳴らすの?」


「もちろんよ!」


エリザベートが命じた。


「鳴らしなさい!」


鐘が鳴った。


ごおおおおおん!


屋敷中の窓が震えた。


庭園の鳥が一斉に飛び立った。


ポチが驚いて翼を広げた。


王都の遠くで、別の鐘が応えるように鳴った。


ミラは耳を塞いだ。


「……うるさい!」


エリザベートも耳を塞いだ。


「うるさいわね!」


「あなたが鳴らしたんでしょう!」


「そうだったわ!」


レオンは鐘の魔法を停止した。


静寂が戻る。


ミラは、しばらく耳を押さえていた。


そして。


「……ノア、聞こえたかな」


小さく呟いた。


そのとき。


ちりん。


銀の鈴が鳴った。


『……聞こえたよ』


ミラが顔を上げた。


「ノア!」


『……すごい音だったね』


ミラは笑った。


「エリザベートが作ったの」


『……うん。そうだと思った』


エリザベートが鈴を奪った。


「ノア!」


『……エリザベート?』


「聞こえるのね!」


『……うん』


「だったら、帰ってきなさい!」


『……』


「今すぐよ!」


少しの沈黙。


そして。


『……ごめんね』


エリザベートは眉をひそめた。


「何で謝るのよ!」


『……まだ、帰れないから』


「……」


『……もう少しだけ、待ってて』


少女は、鈴を握りしめた。


「……嫌よ」


『……』


「七日も待てないわ!」


ノアは、しばらく黙っていた。


そして。


『……そうだね』


静かに答えた。


『……昔から、そうだったね』


◇


午後。


エリザベートは、レオンを連れて書庫へ向かった。


「ノアを早く帰す方法を探すわ!」


「承知いたしました」


「あなた、知ってるんでしょう?」


レオンは、少しだけ足を止めた。


「……何を、でございますか」


「魂のことよ!」


「……」


「お父様を生き返らせたでしょう!」


レオンは、静かに答えた。


「……あちらのアウグスト様の場合は、肉体が残っておりました」


「ノアは?」


「……肉体がございません」


「じゃあ、作ればいいじゃない!」


「……それだけでは、魂が定着しない可能性がございます」


エリザベートは、腕を組んだ。


「……面倒ね!」


「申し訳ございません」


「謝らなくていいわ!」


少女は、書棚を指さした。


「全部調べなさい!」


「承知いたしました」


レオンは、古い魔導書を取り出した。


魂の定着。


人工肉体。


生命の再構築。


どれも、難しい術式だった。


しかし、不可能ではない。


問題は、ノアの魂が通常の魂とは異なる状態にあることだった。


レオンは、ページをめくる手を止めた。


(……約束)


第一部。


エリザベートが、幼い頃の願いを取り消した瞬間。


空に走っていた亀裂が閉じた。


あれは、確かに正しい選択だった。


何度も失敗して。


何度も死んで。


ようやく辿り着いた結末。


それなのに。


(……まだ、終わっていなかったのか)


レオンは、静かに目を伏せた。


◇


夕方。


ミラは、レオンを書庫の奥へ呼んだ。


「ねえ、レオン」


「はい」


「あなた、ノアのこと嫌い?」


レオンは、少し考えた。


「……嫌いではございません」


「じゃあ、どうして困った顔をするの?」


「……」


「ノアの話をすると、いつもそうなる」


レオンは、答えなかった。


ミラは続けた。


「私、ノアを助けたいだけなんだ」


「……存じております」


「でも、あなたは何か知ってるんでしょう?」


「……」


「六年前のこととか、約束のこととか」


レオンは、静かに本を閉じた。


「……ミラ様」


「何?」


「過去を知ることが、必ずしも良い結果につながるとは限りません」


ミラは首を傾げた。


「どうして?」


「……」


「知らなかったら、同じことを繰り返すかもしれないよ」


レオンは、何も言えなかった。


その言葉は、彼自身が何度も経験してきたことだったからだ。


ミラは、少しだけ笑った。


「……だから、私は知りたい」


「……」


「ノアが、どうして帰れなくなったのか」


レオンは、静かに頭を下げた。


「……承知いたしました」


しかし、彼の指先は、わずかに震えていた。


◇


夜。


エリザベートは、ノアの部屋で夕食を食べていた。


テーブルには、二人分の食事。


一つは彼女のもの。


もう一つは、誰も座っていない椅子の前に置かれていた。


「……冷めちゃうじゃない」


少女は、不満そうに呟いた。


セバスチャンが一礼する。


「温め直しましょうか」


「いいわ!」


「……」


「ノアが帰ってきたら、一緒に食べるんだから!」


「承知いたしました」


少女は、空の椅子を見つめた。


そして。


「……ねえ、セバスチャン」


「はい」


「……ノアは、私のこと好きだったの?」


老執事は、少しだけ目を伏せた。


「……はい」


「……」


「とても、大切に思っておられました」


エリザベートは、しばらく黙っていた。


そして。


「……そう」


小さく答えた。


「……じゃあ」


少女は、空の椅子に向かって言った。


「……私も、好きだったのかしら」


セバスチャンは、答えなかった。


ただ、静かに頭を下げた。


◇


同じ頃。


ミラは、客室で銀の鈴を鳴らしていた。


ちりん。


『……ミラ』


「ノア」


『……うん』


「今日、エリザベートがあなたのためにご飯を用意してたよ」


『……そう』


「二人分」


『……』


「あなたの席もあった」


ノアは、しばらく黙っていた。


そして。


『……懐かしいな』


小さく呟いた。


ミラは、木箱を開けた。


中には、銀の鈴が一つ。


もう一つ、同じ形の鈴が入っていた。


「……ねえ、ノア」


『……何?』


「七日後、本当に帰ってくるんだよね」


『……うん』


「約束だよ」


『……』


「……ノア?」


少しの沈黙。


そして。


『……約束する』


ノアは、静かに答えた。


『……今度こそ、帰るよ』


ミラは、笑った。


「……うん」


そのとき。


二つの鈴が、同時に鳴った。


ちりん。


ちりん。


第五十話 終

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