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第四十九話 帰ってこない家族の部屋

悪役令嬢は愛されている


第四十九話 帰ってこない家族の部屋


「この屋敷に、使っていない部屋はあるかしら!」


エリザベートがそう尋ねたのは、昼食の直後だった。


セバスチャンは即座に答えた。


「客室が二十七室、現在空いております」


「客室じゃないわ!」


「では、物置が六室ございます」


「物置でもない!」


「かしこまりました。どのようなお部屋をお探しでしょうか」


エリザベートは腕を組んだ。


「誰かが住んでいたのに、今はいない部屋よ!」


セバスチャンの表情は変わらなかった。


ただ、彼が持っていた銀の盆が、ほんのわずかに傾いた。


「……ございます」


「まあ!」


少女は目を輝かせた。


「誰の部屋?」


「ノア様のお部屋でございます」


「……ノア?」


「はい」


「……あのノア?」


「はい」


エリザベートは首を傾げた。


「どうしてノアの部屋があるの?」


セバスチャンは答えた。


「ノア様は、こちらのお屋敷で暮らしておられましたので」


「……」


「お嬢様と、ご一緒に」


少女は、しばらく黙っていた。


そして。


「……何ですって?」


◇


部屋は、屋敷の東棟にあった。


長い廊下の突き当たり。


窓から庭園が見える、日当たりのよい場所だった。


セバスチャンが鍵を取り出す。


「こちらでございます」


「鍵がかかっているの?」


「はい」


「どうして?」


「長らく、使用されておりませんので」


「開けなさい!」


「承知いたしました」


鍵が回る。


扉が開いた。


部屋の中には、小さな机と本棚。


壁には、木製の剣。


窓辺には、古い椅子。


そして、ベッドの上には、青い毛布が畳まれていた。


埃はない。


誰かが、今も掃除を続けているのだ。


エリザベートは部屋を見渡した。


「……変ね」


「何がでございましょう」


「初めて来た気がしないわ」


セバスチャンは答えなかった。


少女は机に近づいた。


引き出しを開ける。


中には、木製の小さな馬が入っていた。


片方の耳が欠けている。


「……これ」


少女は、馬を手に取った。


「私、知ってるわ」


「はい」


「どうして?」


「お嬢様がお作りになったものでございます」


「私が?」


「六歳の頃に」


エリザベートは、馬をひっくり返した。


底には、幼い文字が刻まれていた。


『ノアの』


その下に、もう一行。


『かえして』


少女は眉をひそめた。


「……変なこと書くのね、昔の私は」


セバスチャンは静かに答えた。


「その馬は、もともとお嬢様のおもちゃでした」


「……」


「ノア様に差し上げたあと、惜しくなられたのでしょう」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「……じゃあ、返してもらわないと!」


そう言って、馬を胸に抱いた。


◇


「ノアは、私の何だったの?」


エリザベートは、ベッドに腰掛けて尋ねた。


セバスチャンは答えた。


「ご家族でございます」


「家族?」


「はい」


「でも、私の家族は、お父様とお母様でしょう?」


「ノア様も、こちらで育てられました」


「……」


「血のつながりはございませんが、お嬢様より年上でございました」


エリザベートは首を傾げた。


「じゃあ、お兄様?」


「そのようなご関係に近いかと」


「……」


少女は、しばらく考えた。


そして。


「……違うわ」


小さく言った。


「何がでございましょう」


「私、ノアをお兄様なんて呼ばないもの」


セバスチャンは、目を伏せた。


「……はい」


「ノアは、ノアよ!」


「おっしゃる通りでございます」


エリザベートは、少し満足そうに頷いた。


そして、部屋を見回した。


「……でも」


「はい」


「……どうして、いないの?」


セバスチャンは、すぐには答えなかった。


「……六年前に、お屋敷を離れられました」


「どうして?」


「……」


「セバスチャン?」


「申し訳ございません」


老執事は、深く頭を下げた。


「その理由について、私から申し上げることはできません」


エリザベートは眉をひそめた。


「知らないの?」


「……いいえ」


「知っているのに、言わないの?」


「はい」


少女は、怒った。


「私に秘密にするなんて!」


「お叱りは、いかようにも」


「……」


「ただ、その件につきましては、ノア様ご自身からお聞きいただくべきかと存じます」


エリザベートは、しばらくセバスチャンを睨んでいた。


やがて。


「……分かったわ!」


勢いよく立ち上がった。


「じゃあ、ノアを連れてきなさい!」


「……」


「今すぐよ!」


セバスチャンは、深く頭を下げた。


「……承知いたしました」


◇


その頃。


ミラは庭園で、銀の鈴を鳴らしていた。


ちりん。


ちりん。


レオンが近づく。


「ミラ様」


「こんにちは」


「何をなさっているのですか」


「呼んでるの」


「……どなたを?」


「ノア」


レオンは、鈴を見た。


「……その鈴で?」


「うん」


「……」


ミラは、もう一度鳴らした。


ちりん。


「でも、まだ返事がない」


「……」


「今日は、少し遠いみたい」


レオンは、静かに尋ねた。


「……ノア様が、どちらにおられるか分かるのですか」


ミラは首を横に振った。


「場所は分からないよ」


「……」


「でも、いるのは分かる」


彼女は胸に手を当てた。


「ここに、声が届くから」


レオンは、しばらく黙った。


「……声、でございますか」


「うん」


「……どのようなお声ですか」


ミラは、少し考えた。


「……寂しそうな声」


レオンは、目を伏せた。


「……そうですか」


ミラは、鈴を握りしめた。


「でもね」


「はい」


「……七日後には、会えるんだ」


「……」


「だから、それまでに準備しないと」


レオンは、静かに尋ねた。


「……何を?」


ミラは笑った。


「身体」


◇


「……身体?」


レオンは、聞き返した。


ミラは頷いた。


「うん」


「……ノア様の?」


「そう」


「……」


「今のノアには、身体がないから」


レオンの表情が変わった。


「……いつからでございますか」


「最近」


「……」


「正確には、三日前」


レオンは、指先をわずかに握った。


三日前。


エリザベートが、幼い頃の願いを取り消した日。


「……」


ミラは続けた。


「それまでは、ちゃんと身体があったんだって」


「……」


「でも、約束がなくなって、身体を保てなくなった」


レオンは、静かに目を閉じた。


「……そうですか」


「だから、新しい約束が必要なの」


「……」


「それがあれば、また身体を作れる」


レオンは、しばらく考えた。


そして。


「……その方法は、どなたが考えられたのですか」


「ノア」


「……」


「私に、手紙で教えてくれた」


レオンは、鈴を見つめた。


「……その手紙は、どちらに?」


「燃やしたよ」


「……」


「読んだら燃やすように、って書いてあったから」


レオンは、何も言わなかった。


ミラは、首を傾げた。


「……怒ってる?」


「……いいえ」


「そう?」


「……はい」


ミラは、少し笑った。


「なら、よかった」


◇


夕方。


エリザベートは、ノアの部屋で待っていた。


机の上には、木製の馬。


ベッドの上には、十二個の小さな箱。


そして、窓辺には、銀の鈴。


「……まだかしら」


少女は、窓の外を見た。


「セバスチャン!」


「はい」


「ノアは?」


「現在、お探ししております」


「遅いわ!」


「申し訳ございません」


「……」


少女は、少し考えた。


そして。


「……ねえ」


「はい」


「……ノアは、私のことを覚えているの?」


セバスチャンは答えた。


「……はい」


「……」


「ノア様は、お嬢様のことを忘れてはおられません」


少女は、少しだけ安心したように笑った。


「……そう」


そして、木製の馬を手に取った。


「……じゃあ」


小さく呟いた。


「……早く帰ってきなさいよ」


◇


夜。


レオンは、書庫で古い記録を調べていた。


六年前の記録。


ノアが屋敷を離れた日。


そして、エリザベートがノアを忘れた日。


その二つの日付は、同じだった。


レオンは、日記を閉じた。


「……やはり」


小さく呟く。


「……あの日に、何かがあった」


そのとき。


背後から声がした。


「何を調べてるの?」


ミラだった。


レオンは振り返った。


「……少々、昔の記録を」


「ノアのこと?」


「……はい」


ミラは、机の上の日記を見た。


「……六年前」


「……」


「その頃のノアって、どんな子だったの?」


レオンは、しばらく黙った。


そして。


「……存じ上げません」


静かに答えた。


「私は、その頃のお嬢様を存じ上げませんので」


ミラは、少し驚いた顔をした。


「……そっか」


「……」


「じゃあ、あなたも知らないんだね」


レオンは、目を伏せた。


「……はい」


ミラは、窓の外を見た。


「……でも」


「……?」


「……ノアは、知ってるんだよね」


レオンは、答えなかった。


ミラは、少し笑った。


「……だったら、会って聞けばいいか」


そして、部屋を出ていった。


レオンは、しばらく動かなかった。


やがて、静かに日記を棚へ戻した。


◇


その夜。


ノアの部屋では、エリザベートが眠っていた。


ベッドの上。


青い毛布に包まれて。


枕元には、木製の馬。


そして、銀の鈴。


ちりん。


鈴が、小さく鳴った。


少女は、寝返りを打った。


「……ノア」


寝言のように、呟いた。


すると。


どこからか、声が聞こえた。


『……ただいま』


少女は、目を開けた。


部屋には、誰もいなかった。


「……?」


鈴が、もう一度鳴った。


ちりん。


そして。


『……もう少しだけ、待ってて』


少女は、しばらく天井を見つめていた。


やがて。


「……嫌よ」


小さく答えた。


「……早く帰ってきなさい」


返事はなかった。


ただ、鈴の音だけが、静かな部屋に響いていた。


第四十九話 終

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