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第四十八話 約束を破ったのは誰?

悪役令嬢は愛されている


第四十八話 約束を破ったのは誰?


「あなた、出ていきなさい!」


朝食の席で、エリザベートは客人にそう告げた。


短い黒髪の少女、ミラはパンにジャムを塗る手を止めた。


「どうして?」


「私より先に起きたからよ!」


「……?」


「お客様は、主人より遅く起きるものなの!」


セバスチャンが静かに口を開く。


「お嬢様。そのような決まりはございません」


「今、決めたの!」


「承知いたしました」


ミラはパンを一口かじった。


「じゃあ、明日は遅く起きるね」


「明日?」


「うん」


「あなた、今日出ていくのよ!」


「そうだった」


ミラは少し考えた。


「じゃあ、今日の夜に戻ってきてもいい?」


「駄目よ!」


「明日の朝は?」


「駄目!」


「明日の昼は?」


「……」


エリザベートは眉をひそめた。


「あなた、どうしてそんなにここにいたいの?」


「ご飯がおいしいから」


「まあ!」


少女の顔が明るくなった。


「それなら仕方ないわね!」


セバスチャンが深く頭を下げる。


「客室は引き続きご用意いたします」


「ええ!」


ミラは笑った。


「ありがとう」


「ただし!」


エリザベートは指を立てた。


「今日は私と遊びなさい!」


「いいよ」


「絶対よ!」


「うん」


「約束だからね!」


ミラは、そこで初めてパンを置いた。


「……約束?」


「そうよ!」


「破ったら、どうなるの?」


エリザベートは当然のように答えた。


「怒るわ!」


ミラはしばらく少女を見つめた。


そして、笑った。


「そっか。それならいいね」


◇


午前中、エリザベートはミラを連れて王都へ出かけた。


護衛にはグレゴール。


付き添いにはレオン。


そして、なぜかアレクシスまでいた。


「どうしてあなたがいるのよ!」


「学院から逃げ出した不審者を監視している」


「ミラは私の友達よ!」


「だから何だ」


「失礼ね!」


ミラは二人のやり取りを楽しそうに眺めていた。


「仲がいいんだね」


「「よくない!」」


声が重なった。


エリザベートは、ますます不機嫌になった。


最初に立ち寄ったのは、王都で一番大きな菓子店だった。


「好きなものを選びなさい!」


「本当に?」


「全部買ってあげるわ!」


ミラは店内を見渡した。


焼き菓子。


果実の砂糖漬け。


色とりどりの飴。


そして、硝子の瓶に入った小さな金平糖。


「じゃあ、これ」


ミラが指さしたのは、最も安い菓子だった。


エリザベートは目を丸くした。


「それだけ?」


「うん」


「もっと高いものを選びなさい!」


「でも、これが好きだから」


「……」


エリザベートは考え込んだ。


それから店主を呼んだ。


「このお菓子を、世界で一番高くしなさい!」


店主の顔が引きつった。


「お、お嬢様?」


「そうすれば、あなたは一番高いお菓子を食べられるでしょう!」


ミラは笑った。


「値段が変わっても、味は同じだよ」


「……」


「だから、そのままでいい」


エリザベートは不満そうだった。


結局、金平糖を一瓶だけ買った。


ただし、瓶を包む箱は金細工の特注品になった。


◇


店を出たところで、ミラが立ち止まった。


「ねえ、エリザベート」


「何?」


「約束って、守らないといけないもの?」


「当たり前でしょう!」


「どうして?」


「約束したからよ!」


「でも、守れなかったら?」


「怒るわ!」


「怒られたら?」


「謝ればいいじゃない!」


アレクシスが吹き出した。


「お前がそれを言うのか」


「何よ!」


「お前は謝らないだろう」


「私はいいの!」


「最低だな」


「あなたには聞いてないわ!」


ミラは笑っていた。


しかし、すぐに真顔になった。


「じゃあ、死んじゃったら?」


エリザベートが振り返る。


「何が?」


「約束した人が死んじゃったら、約束はどうなるの?」


少女は即答した。


「生き返らせればいいわ!」


アレクシスが呆れた顔をする。


「そんな簡単に言うな」


「できるもの!」


「できない場合だってあるだろう」


「レオンがいるわ!」


レオンは一礼した。


「できる限り、お力になります」


ミラはレオンを見た。


「……そうなんだ」


それから、ぽつりと呟いた。


「でも、戻ってきた人が、同じ約束を覚えてるとは限らないよね」


エリザベートは首を傾げた。


「忘れたなら、もう一回約束すればいいじゃない!」


ミラは黙った。


やがて、金平糖を一粒口に入れた。


「……そっか」


その声は、先ほどより少しだけ小さかった。


◇


昼過ぎ。


一行は王都の広場に着いた。


噴水の周囲には露店が並び、大道芸人が子供たちを集めていた。


エリザベートは、そこで突然立ち止まった。


「レオン!」


「はい」


「あの人を呼びなさい!」


少女が指さした先には、古びた帽子をかぶった老人がいた。


道端に座り、小さな木箱を売っている。


レオンが声をかけると、老人は驚いた様子で立ち上がった。


「わ、私に何か?」


「その箱、全部ちょうだい!」


エリザベートが言った。


「は、はい?」


「全部買うわ!」


老人は慌てて頭を下げた。


「ありがとうございます!」


レオンが代金を支払う。


木箱は全部で十二個。


どれも手のひらに収まるほど小さく、蓋には花や鳥の彫刻が施されていた。


「何を入れる箱なの?」


エリザベートが尋ねた。


老人は答えた。


「大切なものを入れる箱でございます」


「大切なもの?」


「はい。指輪でも、手紙でも、思い出の品でも」


少女は、少し考えた。


そして、ミラに箱を一つ差し出した。


「これ、あげるわ!」


「いいの?」


「ええ!」


「何を入れようかな」


「約束よ!」


ミラが顔を上げた。


「……約束?」


「そうよ! あなた、約束が好きなんでしょう?」


「……」


「だったら、約束を入れなさい!」


ミラは木箱を見つめた。


そして、小さく笑った。


「……入るかな」


「入るわよ!」


「どうして分かるの?」


「私がそう言ったから!」


ミラは箱を胸に抱いた。


「……ありがとう」


◇


その帰り道。


レオンは、ミラの歩き方に違和感を覚えた。


彼女は人混みを避けない。


しかし、誰ともぶつからない。


曲がり角では、必ず一歩早く身体をずらす。


馬車が通る前には、まだ音も聞こえないうちに立ち止まる。


まるで。


これから何が起こるのか、知っているようだった。


レオンは、静かに尋ねた。


「ミラ様」


「何?」


「王都には、以前にもいらしたことがございますか」


「ううん」


「初めてでございますか」


「そうだよ」


「……」


ミラは笑った。


「でも、道は知ってる」


「どなたかに教わったのですか」


「うん」


「どなたに?」


「ノア」


レオンは足を止めた。


「……ノア様が?」


「そう」


ミラは振り返った。


「会ったことはないけどね」


「……」


「手紙に書いてあったの」


レオンは、彼女を見つめた。


「……その手紙は、燃やしたとおっしゃっていましたね」


「うん」


「内容は、すべて覚えておられるのですか」


「全部じゃないよ」


「……」


「でも、大事なところは覚えてる」


ミラは、木箱を軽く叩いた。


「約束だから」


◇


公爵邸へ戻ると、セバスチャンが出迎えた。


「お帰りなさいませ」


「ただいま!」


エリザベートは、買ってきた箱を見せびらかした。


「見なさい! 十二個も買ったわ!」


「素晴らしい品でございますね」


「でしょう!」


「何をお入れになりますか」


「まだ決めてないわ!」


「承知いたしました」


そのとき、ミラが尋ねた。


「ねえ、セバスチャンさん」


「はい」


「このお屋敷に、昔の手紙をしまってある場所ってある?」


セバスチャンは、少し考えた。


「書庫の奥に、古い記録を保管する部屋がございます」


「そこ、見てもいい?」


「お嬢様のご許可があれば」


エリザベートは即答した。


「いいわ!」


「ありがとうございます」


「でも!」


少女は、ミラの腕を掴んだ。


「私も行くわ!」


「うん」


「レオンも!」


「承知いたしました」


こうして三人は、書庫の奥へ向かった。


◇


記録室には、古い帳簿や手紙が並んでいた。


エリザベートは、棚を見上げた。


「つまらない部屋ね!」


「貴重な記録が保管されております」


レオンが説明する。


「何年前のものまであるの?」


「およそ二百年前からでございます」


「まあ!」


少女は目を輝かせた。


「じゃあ、二百年前の私の手紙もあるかしら!」


「お嬢様は、まだお生まれになっておりません」


「そうだったわ!」


ミラは、棚の一角へ歩いていった。


そこには、古い日記が並んでいる。


彼女は迷わず一冊を抜き取った。


「これ」


レオンが表紙を見た。


六年前の日付。


そして、セバスチャンの筆跡。


以前、エリザベートの幼少期の願いを調べた際に見つけた日記だった。


「……なぜ、こちらを?」


レオンが尋ねる。


ミラは答えず、ページをめくった。


四月二日。


六歳のエリザベートが、ノアと出会った日。


その日の記録には、黒く塗り潰された一行があった。


ミラは、その一行を指さした。


「これ、読める?」


「……いいえ」


「そっか」


彼女は日記を閉じた。


「じゃあ、まだ駄目なんだね」


エリザベートが顔をしかめた。


「何が駄目なのよ!」


ミラは少女を見た。


「あなたが、まだ知らないこと」


「じゃあ、教えなさい!」


「私も知らないんだ」


「……は?」


「だから、ノアに聞きたいの」


エリザベートは、しばらく黙った。


そして、怒った。


「だったら最初からそう言いなさいよ!」


ミラは笑った。


「ごめんね」


「まったく!」


少女は日記を棚へ戻した。


「そんな古い話より、今日の晩ご飯の方が大事だわ!」


そう言って、部屋を出ていった。


レオンは、その後ろ姿を見送った。


そして、ミラに尋ねた。


「……あの日の記録を、なぜ調べようとしたのですか」


ミラは、日記の背表紙を指でなぞった。


「ノアがね」


「……」


「昔、誰かに約束したんだって」


「……」


「でも、その約束を守ったら、困る人がいるらしいの」


レオンは、静かに目を細めた。


「……誰が、困るのでしょう」


ミラは首を横に振った。


「知らない」


「……」


「だから、聞きたいんだ」


彼女は、レオンを見上げた。


「約束を守ることと、誰かを助けること」


少しだけ、笑った。


「どっちが大事なのかなって」


レオンは、すぐには答えなかった。


やがて。


「……その約束によります」


静かに言った。


ミラは、少し驚いた顔をした。


そして。


「……そっか」


嬉しそうに笑った。


「そういう答えも、あるんだね」


◇


夜。


エリザベートは、買ってきた木箱をベッドに並べていた。


十二個。


すべて空っぽだった。


「……何を入れようかしら」


少女は、一つ目の箱を開けた。


閉じた。


二つ目を開けた。


閉じた。


三つ目。


四つ目。


そして、十二個目。


「……つまらないわ!」


少女は、全部の箱を放り投げた。


そのとき。


ちりん。


枕元に置いていた銀の鈴が鳴った。


エリザベートは振り返った。


「……また?」


鈴は、誰も触れていないのに揺れていた。


ちりん。


ちりん。


少女は、鈴を手に取った。


そして。


「……ノア?」


小さく呟いた。


返事はなかった。


ただ、鈴の音だけが響いていた。


◇


同じ頃。


ミラは客室で、木箱を開けていた。


中には、何も入っていない。


彼女は、しばらく箱を見つめた。


そして、窓の外へ向かって呟いた。


「……ねえ、ノア」


月が、雲の間から顔を出していた。


「……約束、まだ覚えてる?」


返事はない。


ミラは、小さく笑った。


「……私は、覚えてるよ」


彼女は箱を閉じた。


その蓋には、小さな鳥が彫られていた。


そして、誰にも聞こえない声で言った。


「……だから、今度は私が迎えに行くね」


第四十八話 終

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