第五話 流れ星に願いを
悪役令嬢は愛されている
第五話 流れ星に願いを
「流れ星って、願い事が叶うのでしょう?」
王国歴三百二十七年、十二月二十一日。
午前七時。
エリザベート・フォン・アルヴェインは、朝食のパンケーキを切り分けながら尋ねた。
「はい、お嬢様」
老執事セバスチャンが答える。
「古くから、そのように言い伝えられております」
「本当なの?」
「お嬢様がお望みであれば」
「そう」
少女は満足そうに頷いた。
「じゃあ、今夜は流れ星を見せてちょうだい」
「かしこまりました」
「たくさんよ!」
「承知いたしました」
「それと、願い事は三回唱えないといけないんでしょう?」
「そのような言い伝えもございます」
「流れ星が消えるまでに?」
「はい」
エリザベートは眉をひそめた。
「短すぎるわ」
「左様でございますね」
「私が三回言い終わるまで、消えないようにしなさい」
「かしこまりました」
「それから、途中で噛んでもやり直せるようにして」
「承知いたしました」
「あと、願い事を忘れたら待っていてほしいわ」
「もちろんでございます」
「ふふっ」
少女は嬉しそうに笑った。
「楽しみだわ!」
今日もお嬢様は大変お元気でいらっしゃる。
実に喜ばしいことであった。
◇
午前七時三十分。
地下第三会議室。
「では、定例会議を始めます」
セバスチャンが告げた。
「本日の議題は、流星の調達および願望実現体制の構築についてです」
「流星については、すでに準備が整っております」
エルマーが答えた。
「大気圏に突入する小天体を魔法で制御し、発光時間を任意に延長できます」
「結構です」
「最大で三百年ほど維持可能です」
「長すぎますね」
「では、百年に」
「お嬢様は、願い事を三回唱えるまでとおっしゃいました」
「失礼いたしました」
マリアンヌが手を挙げた。
「願望実現体制についてですが、各部門の責任者を待機させております」
「具体的には?」
「財政、軍事、外交、医療、魔術、建築、農業、教育、司法、宗教、芸術の十一部門です」
「不足は?」
「現在のところ、ございません」
「結構です」
「ただし、一点だけ問題がございます」
「何でしょう」
「お嬢様の願い事が、私どもの能力を超える可能性です」
会議室が静まり返った。
「……なるほど」
セバスチャンが頷いた。
「それは重大な問題ですね」
「はい」
「では、能力を超えないようにいたしましょう」
「承知いたしました」
全員が深く頷いた。
◇
午前八時。
使用人控室。
「本日より、第二段階の教育を開始いたします」
マリアンヌが告げた。
レオンは静かに頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「第一段階では、あなたの能力を確認しました」
「はい」
「第二段階では、その能力をどのように使うかを学んでいただきます」
「承知いたしました」
マリアンヌは一枚の紙を差し出した。
「では、最初の課題です」
そこには、簡潔な文章が記されていた。
『お嬢様が、王国で最も美しい花をご所望になった場合』
「あなたなら、どうなさいますか?」
「王国内の花を調査し、最も美しいものをお持ちします」
「不正解です」
「……」
「美しさの基準は、誰が決めるのですか?」
「お嬢様です」
「そのとおり」
マリアンヌは微笑んだ。
「では、次の課題です」
『お嬢様が、王国で最も強い騎士をご所望になった場合』
「どうなさいますか?」
「王国内の騎士を調査し、最も強い者をお連れします」
「不正解です」
「……」
「強さの基準は?」
「お嬢様です」
「そのとおり」
マリアンヌは満足そうに頷いた。
「では、最後の課題です」
『お嬢様が、王国で最も愛されている人物をご所望になった場合』
レオンは少し考えた。
そして、静かに答えた。
「……お嬢様をお連れします」
マリアンヌは微笑んだ。
「満点です」
◇
午前九時。
王宮。
「流れ星を止めるだと!?」
国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「アルヴェイン家が、今夜の流星群を制御する計画を進めております」
「今度は何だ!」
「お嬢様が願い事を三回唱えるまで、流れ星を消さないとのことです」
「……それだけか?」
「はい」
国王はしばらく黙っていた。
「……ならば、好きにさせろ」
「陛下」
「何だ」
「流星の軌道変更に伴い、王都上空の魔力場が変化する可能性がございます」
「問題は?」
「魔術師団の試算では、王都の防衛結界が一時的に停止する可能性があります」
「……」
「また、流星の一部が地上に落下する危険性も」
「……」
「さらに、願望実現体制の構築に伴い、王国内の主要機関から多数の人員が引き抜かれております」
「……」
国王は静かに椅子へ座り直した。
「……あの娘は、流れ星を見るだけなのだろう?」
「はい」
「なぜ国家が危機に陥るのだ」
宰相は答えなかった。
◇
午前十時。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
レオンは、巨大な魔法陣の前に立っていた。
「本日の課題は、流星の制御です」
エルマーが告げた。
「承知いたしました」
「ただし、今回は通常の魔法技術だけでは不十分です」
「はい」
「お嬢様が願い事を唱える時間を、正確に把握する必要があります」
「承知しております」
「では、どのようになさいますか?」
レオンは一枚の紙を差し出した。
そこには、複雑な魔法陣が描かれていた。
「流星の発光時間を、お嬢様の発話に連動させます」
「ほう」
「お嬢様が願い事を唱え始めた瞬間から、三回唱え終わるまで発光を維持します」
「なるほど」
「途中で言い直された場合は、最初から数え直します」
「素晴らしい」
エルマーは感心したように頷いた。
「ですが、一つだけ」
「何でしょう」
「お嬢様が、願い事を口に出されなかった場合は?」
「……」
「心の中で願われた場合、どうなさいます?」
レオンは少し考えた。
「……お嬢様の思考を読み取る必要があります」
その瞬間。
エルマーの表情が消えた。
「レオン殿」
「はい」
「今、何とおっしゃいました?」
「……思考を読み取る、と」
「それは、お嬢様の御心を覗くという意味ですかな?」
沈黙。
レオンは静かに頭を下げた。
「……失言でした」
「ええ」
エルマーは微笑んだ。
「二度と、そのようなことをお考えにならぬよう」
「承知いたしました」
「結構です」
老人は満足そうに頷いた。
「では、別の方法を考えましょう」
◇
午後一時。
地下第三会議室。
「本日の新人教育についてですが」
セバスチャンが口を開いた。
「少々、問題がございました」
「ええ」
エルマーが頷いた。
「レオン殿が、お嬢様の思考を読み取ることを提案されました」
会議室が静まり返った。
グレゴールが腕を組んだ。
「……それは、まずいな」
「はい」
「処分は?」
「本人は失言を認め、謝罪しております」
「なるほど」
マリアンヌが手を挙げた。
「教育課程に問題があった可能性もございます」
「ほう」
「彼はまだ、お嬢様にお仕えする者としての心得を十分に理解しておりません」
「確かに」
「であれば、我々の教育不足です」
セバスチャンは静かに頷いた。
「おっしゃるとおりです」
「では、再教育を」
「結構です」
「承知いたしました」
会議は終了した。
◇
午後三時。
使用人控室。
「レオン殿」
マリアンヌが静かに告げた。
「本日の課題について、もう一度考えていただきます」
「承知いたしました」
「お嬢様の思考を読み取らずに、願い事が終わったことを確認する方法です」
「はい」
「何か思いつきましたか?」
レオンは少し考えた。
「……お嬢様にお尋ねします」
マリアンヌは微笑んだ。
「何をでしょう」
「願い事は終わりましたか、と」
沈黙。
マリアンヌは、しばらくレオンを見つめていた。
そして。
「……素晴らしい」
彼女は深々と頭を下げた。
「それこそが、私どものあるべき姿です」
「ありがとうございます」
「お嬢様の御心を推し量る必要など、ございません」
「はい」
「お嬢様がお望みになることを、お嬢様ご自身にお決めいただく」
「承知いたしました」
「結構です」
マリアンヌは満足そうに頷いた。
「では、今夜の流星を楽しみにしております」
◇
午後七時。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
夜空には、無数の星が輝いていた。
エリザベートは、豪奢な椅子に腰掛けている。
周囲には、使用人たちが整列していた。
「ねえ、セバス」
「はい」
「流れ星はまだ?」
「まもなくでございます」
「楽しみだわ!」
「恐悦至極に存じます」
そのとき。
夜空に、一筋の光が走った。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「流れ星!」
光は、夜空の中央で静止した。
白銀の尾を引きながら、ゆっくりと輝いている。
「すごい!」
少女は両手を合わせた。
「願い事をしなくちゃ!」
そして、目を閉じた。
一秒。
二秒。
三秒。
十秒。
三十秒。
一分。
五分。
十分。
流れ星は、消えなかった。
使用人たちは、静かに待っていた。
やがて。
「……できたわ!」
エリザベートが目を開けた。
「セバス!」
「はい」
「願い事、終わったわ!」
「かしこまりました」
セバスチャンが指を鳴らす。
流れ星は、静かに消えた。
「ふふっ」
少女は満足そうに笑った。
「叶うといいわね!」
「必ずや」
セバスチャンは深々と頭を下げた。
「お嬢様の願いは、叶います」
◇
午後八時。
地下第三会議室。
「では」
セバスチャンが口を開いた。
「お嬢様の願い事についてですが」
「はい」
マリアンヌが答える。
「現在、確認中でございます」
「何か分かりましたか?」
「いいえ」
「なるほど」
「お嬢様は、願い事の内容をお話しになっておりません」
「そうですか」
会議室が静まり返った。
「……では、どうなさいます?」
エルマーが尋ねた。
セバスチャンは微笑んだ。
「簡単なことです」
全員が彼を見た。
「お嬢様がお話しくださるまで、お待ちしましょう」
「……なるほど」
「お嬢様の御心を勝手に推し量ることは、許されません」
「おっしゃるとおりです」
「ですが」
マリアンヌが手を挙げた。
「もし、お嬢様が願い事をお話しにならなかった場合は?」
セバスチャンは微笑んだ。
「それもまた、お嬢様のご意思です」
全員が深く頷いた。
「お嬢様の御心のままに」
◇
午後九時。
エリザベートの寝室。
天井には、小さな太陽と月が浮かんでいた。
窓の外では、雪が静かに降っている。
少女は寝台の上で、嬉しそうに笑っていた。
「ふふっ」
そのとき、扉がノックされた。
「失礼いたします」
セバスチャンだった。
「お嬢様、お休みのお時間でございます」
「分かっているわ」
「では、明かりを落とします」
「待って」
「はい」
エリザベートは少し考えた。
そして、尋ねた。
「ねえ、セバス」
「はい」
「流れ星の願い事って、本当に叶うのよね?」
「はい」
「絶対に?」
「もちろんでございます」
少女は満足そうに頷いた。
「そう」
そして、静かに微笑んだ。
「じゃあ、明日が楽しみね」
「……明日、でございますか」
「ええ」
エリザベートは布団に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
セバスチャンは深々と頭を下げた。
扉が閉まる。
廊下に出た老人は、しばらく立ち止まっていた。
そして、静かに微笑んだ。
「……明日、ですか」
◇
その夜。
王都の空には、流れ星が一つだけ残っていた。
誰も知らない。
なぜ、その流れ星だけが消えなかったのか。
誰も知らない。
その光が、何を意味しているのか。
そして。
誰も知らない。
エリザベート・フォン・アルヴェインが、何を願ったのか。
ただ一つ、確かなことがある。
彼女の願いを叶えるために、世界でも最も優秀な人々が動き始めているということ。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第五話 終




