第四十六話 お父様は私を置いていく
悪役令嬢は愛されている
第四十六話 お父様は私を置いていく
「お父様を解雇するわ!」
アルヴェイン公爵邸の食堂で、エリザベートは宣言した。
アウグストは、娘が作った朝食を見つめていた。
皿の上には、黒い塊が三つ。
かつて卵だったものだ。
「……父さんを?」
「そうよ!」
「公爵の仕事からかい?」
「違うわ!」
少女は胸を張った。
「お父様の仕事からよ!」
食堂が静まり返った。
セバスチャンの手から、銀のポットが滑り落ちかける。
マリアンヌが受け止めた。
アウグストは、娘を見つめた。
「……それは、どういう意味かな」
「今日から、お父様は私のお父様じゃないの!」
「……」
「そうすれば、私を置いて死んだりできないでしょう!」
エレオノーラが、静かにカップを置いた。
「エリザベート」
「何?」
「どうして、そう思ったの?」
少女は、不満そうに唇を尖らせた。
「だって、向こうのお父様は死んだじゃない!」
「ええ」
「私のお父様だって、死ぬかもしれないんでしょう!」
「そうね」
「だから!」
少女は立ち上がった。
「先に、お父様じゃなくしてしまえばいいのよ!」
アウグストは、しばらく娘を見ていた。
そして。
「……そうか」
小さく答えた。
「……それは、寂しいな」
エリザベートは、目を丸くした。
「……どうして?」
「父さんは、エリザベートの父親でいたいからね」
「……」
「たとえ、いつか死ぬとしても」
少女は、黙った。
◇
その日の午後。
エリザベートは、庭園でポチと遊んでいた。
巨大な黒竜の背中に乗り、空を飛んでいる。
「もっと高く!」
ポチが翼を広げる。
雲を突き抜ける。
王都が、小さくなっていく。
「ふふっ!」
少女は、笑った。
しかし。
しばらくして。
「……ねえ、ポチ」
黒竜が、低く唸った。
「……あなたは、死ぬの?」
ポチは、答えなかった。
「……」
少女は、空を見上げた。
「……そうよね」
風が、金色の髪を揺らした。
「……みんな、いつか死ぬのよね」
ポチは、ゆっくりと高度を下げた。
庭園に着地する。
少女は、その背中から降りた。
そして。
「……レオン!」
呼んだ。
すぐに、少年が現れた。
「はい、お嬢様」
「……あなたは、死ぬの?」
レオンは、少し考えた。
「……はい」
「……」
「……人間でございますので」
少女は、頬を膨らませた。
「……じゃあ、死なないで!」
「承知いたしました」
「……本当に?」
「……できる限り」
少女は、眉をひそめた。
「……お父様と同じこと言うのね」
レオンは、静かに頭を下げた。
「申し訳ございません」
◇
夕方。
エレオノーラは、娘を自室へ招いた。
窓辺には、二つの椅子。
温かい紅茶。
そして、小さな箱。
「エリザベート」
「何?」
「これを、見てほしいの」
夫人は、箱を開いた。
中には、古い指輪が入っていた。
「……何、それ」
「お母様のお父様が、私にくれたものよ」
「……」
「あなたのお祖父様ね」
エリザベートは、指輪を見つめた。
「……お祖父様は?」
「もう、亡くなったわ」
「……」
「でも、この指輪を見ると、今でも思い出すの」
エレオノーラは、微笑んだ。
「優しかったことも、厳しかったことも」
「……」
「一緒に過ごした時間も」
エリザベートは、しばらく黙った。
そして。
「……じゃあ」
小さく尋ねた。
「……お母様は、寂しくないの?」
エレオノーラは、少し考えた。
「……寂しいわ」
「……」
「今でも、会いたいと思うことがある」
「……」
「でもね」
夫人は、娘の手を取った。
「……それでも、お父様の娘でよかったと思っているの」
エリザベートは、目を伏せた。
「……」
そして。
「……変なの」
小さく呟いた。
エレオノーラは、静かに笑った。
「そうね」
◇
夜。
アウグストは、執務室で書類を整理していた。
扉が開いた。
「……お父様」
エリザベートだった。
「どうしたんだい?」
少女は、少し俯いていた。
「……今日のことだけど」
「うん」
「……お父様を解雇するの、やめるわ」
アウグストは、微笑んだ。
「……ありがとう」
「……」
「……父さんは、嬉しいよ」
少女は、少し考えた。
そして。
「……でも!」
勢いよく顔を上げた。
「死んじゃ駄目なのは、変わらないわ!」
アウグストは、笑った。
「……分かったよ」
「それから!」
「何だい?」
「……もし死んでも」
少女は、少しだけ声を落とした。
「……絶対に、生き返りなさい!」
アウグストは、娘を見つめた。
そして。
「……ああ」
静かに答えた。
「……約束しよう」
◇
深夜。
エレオノーラは、夫の隣に座っていた。
「……あなた」
「何だい?」
「……エリザベート、少し変わったわね」
「……そうだね」
「……」
「……でも」
アウグストは、微笑んだ。
「……あの子は、あの子のままだよ」
エレオノーラは、頷いた。
「……ええ」
二人は、しばらく黙っていた。
そして。
「……あなた」
「何だい?」
「……本当に、死なないつもり?」
アウグストは、少し笑った。
「……努力するよ」
エレオノーラは、ため息をついた。
「……そう」
◇
翌朝。
エリザベートは、食堂へ飛び込んだ。
「お父様!」
「おはよう、エリザベート」
「今日は、何をするの?」
アウグストは、微笑んだ。
「今日はね」
少し考えてから、答えた。
「……父さんと、散歩に行こうか」
少女は、目を輝かせた。
「まあ!」
そして。
「いいわ!」
満面の笑みを浮かべた。
「でも、今日は私が道を決めるわ!」
アウグストは、笑った。
「分かったよ」
少女は、父親の手を取った。
そして、庭園へ駆け出した。
「早く!」
「ははは、待っておくれ」
二人の笑い声が、朝の庭園に響いた。
◇
その日の午後。
レオンは、エレオノーラから一通の手紙を受け取った。
「……これは?」
「北部の調査報告よ」
「……」
「以前、自然に蘇生した三人のことを話したでしょう」
「はい」
「その件について、新しい情報が届いたの」
レオンは、封筒を開いた。
中には、短い報告書が入っていた。
『蘇生者三名のうち、一名が再死亡。
残る二名について、現在も経過観察中。
なお、再死亡した者の魂は、依然として確認できず。
原因不明。』
レオンは、静かに紙を閉じた。
「……承知いたしました」
エレオノーラは、彼を見つめた。
「……気になる?」
「……はい」
「……そう」
夫人は、窓の外を見た。
「……でも、今は」
「……はい」
「……エリザベートのことを、お願いね」
レオンは、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
◇
その夜。
エリザベートは、寝室の窓から月を見上げていた。
「……ねえ、レオン」
「はい、お嬢様」
「……お父様、長生きするかしら」
「……はい」
「……」
「……きっと」
少女は、少し考えた。
そして。
「……じゃあ」
小さく笑った。
「……私も、長生きするわ!」
レオンは、静かに頭を下げた。
「……それは、何よりでございます」
「ふふっ!」
少女は、満足そうに頷いた。
そして、ベッドに潜り込んだ。
「おやすみ!」
「おやすみなさいませ」
レオンは、静かに扉を閉めた。
廊下には、セバスチャンが立っていた。
「……レオン」
「はい」
「……お嬢様は、少し変わられましたな」
レオンは、少し考えた。
そして。
「……そうかもしれません」
静かに答えた。
「……ですが」
「……?」
「……お嬢様は、これからもお嬢様でございます」
セバスチャンは、微笑んだ。
「……その通りですな」
二人は、静かに頭を下げた。
そして、それぞれの仕事へ戻っていった。
第四十六話 終
第二部「悪役令嬢は願いを叶えたい」完




