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第四十五話 公爵令嬢は父親を解雇する

悪役令嬢は愛されている


第四十五話 公爵令嬢は父親を解雇する


「お父様、あなたは今日から無職よ!」


アルヴェイン公爵邸の執務室に、娘の声が響いた。


公爵アウグストは、署名しかけていた書類から顔を上げた。


「……そうなのかい?」


「そうよ!」


「困ったな。父さんは、まだ働きたいんだが」


「駄目! 働いたら疲れるでしょう!」


「しかし、仕事をしないと困る人がいるんだよ」


「じゃあ、私が代わりに働くわ!」


エリザベートは父親の椅子を指さした。


「そこをどきなさい!」


アウグストは、少し迷ったあとで立ち上がった。


「分かった。では、頼もうかな」


「任せなさい!」


少女は得意げに椅子へ座った。


足が床に届かなかった。


「レオン!」


「はい」


「椅子が大きすぎるわ!」


「旦那様の体格に合わせておりますので」


「小さくしなさい!」


「承知いたしました」


レオンが指を鳴らすと、椅子は少女の身体にぴったりの大きさになった。


エリザベートは満足した。


その一部始終を見ていたエレオノーラが、夫に囁く。


「あなた、本当に任せるの?」


「少しだけなら」


「少しだけ、ね」


夫人は机に積まれた書類を見た。


その中には、王都の食糧供給に関する緊急報告もあった。


「……私も同席するわ」


◇


最初の仕事は、橋の修繕だった。


領内の村で古い石橋が崩れ、住民が川を渡れなくなっている。


「新しい橋を建てるため、予算の承認が必要です」


セバスチャンが説明した。


エリザベートは書類を見た。


「橋?」


「はい」


「そんなもの、レオンに作らせればいいじゃない!」


「承知いたしました」


レオンが一礼する。


アウグストは微笑んだ。


「それも一つの方法だね」


エレオノーラは口を挟まなかった。


代わりに、セバスチャンが次の書類を差し出した。


「こちらは、その橋を管理していた石工組合からの報告です」


「何よ」


「修繕の仕事がなくなると、冬の収入が減るそうです」


「……」


エリザベートは顔をしかめた。


「面倒ね!」


「いかがいたしましょう」


「橋を二つ作りなさい!」


「二つでございますか」


「一つはレオンが作るの。もう一つは石工たちが作ればいいわ!」


セバスチャンは即座に頭を下げた。


「承知いたしました」


「それから、レオンの橋の方が綺麗だったら石工たちが可哀想だから、レオンはわざと下手に作りなさい!」


「それは少々難しいご命令でございます」


「どうして?」


「手を抜くことになりますので」


「じゃあ、石工たちに教えてあげなさい!」


「かしこまりました」


アウグストは娘を見た。


「エリザベート」


「何?」


「今の判断は、なかなかよかったよ」


少女は鼻を高くした。


「当然でしょう!」


ただし、二つの橋を建てるために必要な土地の取得費用については、誰もまだ説明していなかった。


◇


二つ目の仕事は、税金だった。


「今年は豊作でしたので、一部地域では税収が増加しております」


「まあ!」


エリザベートは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、税金をなくしなさい!」


アウグストが咳払いした。


「エリザベート、それでは領地を運営できないよ」


「どうして?」


「道路も、学校も、病院も、お金が必要だからね」


「じゃあ、お父様のお金を使えばいいじゃない!」


「……」


アウグストは少し考えた。


「父さんのお金にも限りがあるんだ」


「じゃあ、増やしなさい!」


「簡単ではないんだよ」


「お父様なのに?」


その言葉に、アウグストは返事を失った。


エレオノーラが笑いをこらえている。


レオンが静かに進み出た。


「お嬢様」


「何?」


「税金をなくす代わりに、今年増えた分だけを住民に返す方法もございます」


「……」


「来年も豊作とは限りませんので、領地の運営に必要な分は残します」


エリザベートは考えた。


「じゃあ、それでいいわ!」


「承知いたしました」


「それと!」


少女は立ち上がった。


「返すお金は、金貨にしなさい!」


「金貨でございますか」


「だって、綺麗でしょう!」


セバスチャンが頷いた。


「確かに、金貨は美しいものでございます」


「ふふん!」


エリザベートは得意げに笑った。


その後、少額の返金を金貨で行うことが不可能だと判明し、銀貨と銅貨も使用されることになった。


少女は不満だったが、金貨を磨く仕事を新たに作ることで納得した。


◇


三つ目の仕事で、問題が起きた。


「こちらは、王都南部の穀物商からの嘆願書です」


セバスチャンが一通の封書を置いた。


「倉庫に保管していた小麦が、雨漏りで傷んだとのことです」


「じゃあ、新しい小麦をあげなさい!」


「それが、簡単ではございません」


「どうしてよ!」


「王都全体で、冬に備えた備蓄量が決まっております。別の倉庫から移すと、そちらの地域が不足する恐れがあります」


エリザベートは頬を膨らませた。


「だったら、小麦を作ればいいじゃない!」


「収穫までには時間がかかります」


「レオン!」


「はい」


「小麦を作りなさい!」


レオンは少し考えた。


「畑を育てることはできます」


「じゃあ、決まりね!」


「ただし、お嬢様」


「何?」


「今すぐ大量の小麦を育てるには、周辺の土地から相応の栄養を集める必要がございます」


「……」


「それを行えば、来年の収穫に影響が出る可能性があります」


エリザベートは机を叩いた。


「もう!」


少女は怒った。


「何をしても駄目じゃない!」


誰も答えなかった。


アウグストは娘を見守っている。


エレオノーラも、何も言わない。


エリザベートは書類を睨んだ。


そして、突然言った。


「……じゃあ、傷んだ小麦はどうなるの?」


セバスチャンが答える。


「廃棄する予定でございます」


「もったいないわね!」


「はい」


「まだ食べられるものはないの?」


「一部は、飼料などに利用できる可能性がございます」


「じゃあ、それを売りなさい!」


「しかし、食用小麦ほどの価格にはなりません」


「別にいいじゃない!」


少女は腕を組んだ。


「それでお金を作って、足りない分を買えばいいのよ!」


セバスチャンは頷いた。


「不足分をすべて賄うことはできませんが、損失を減らせます」


「じゃあ、そうしなさい!」


「承知いたしました」


「それから、雨漏りした倉庫は壊しなさい!」


「新築いたしますか」


「違うわ!」


エリザベートは笑った。


「屋根だけ直せばいいでしょう!」


アウグストは、思わず声を上げて笑った。


「ははは!」


「何よ!」


「いや、すまない」


公爵は目元を拭った。


「父さんは、ずいぶん難しく考えていたようだ」


「当たり前でしょう!」


少女は胸を張った。


「私は天才なんだから!」


エレオノーラは、その様子を見ていた。


娘は、何もかも理解しているわけではない。


税金の仕組みも、物流も、領地経営も知らない。


それでも。


自分の知らないことを、知っている人間に尋ねることはできる。


そして、気に入らなければ、別の方法を探させる。


それは、公爵として十分な能力なのかもしれなかった。


少なくとも。


彼女の周囲には、それを実現できる人間たちがいるのだから。


◇


夕方。


アウグストは、娘の隣に座っていた。


「エリザベート」


「何?」


「今日は、ありがとう」


「ふふん!」


「おかげで、仕事がずいぶん進んだよ」


少女は嬉しそうに笑った。


「当然よ!」


「……ただ」


アウグストは、少しだけ真剣な顔になった。


「父さんは、明日からも仕事を続けたいんだ」


「……」


「領地の人たちが、安心して暮らせるようにしたい」


エリザベートは、父親を見た。


「……それが、お父様の願い?」


「ああ」


少女は、しばらく考えた。


そして。


「……じゃあ」


小さく言った。


「……お仕事してもいいわ」


アウグストは微笑んだ。


「ありがとう」


「でも!」


少女は指を立てた。


「死んじゃ駄目よ!」


「……ああ」


「それから!」


「何だい?」


「私が公爵になりたくなったら、すぐ代わりなさい!」


アウグストは、笑った。


「分かったよ」


◇


その夜。


エレオノーラは、レオンを呼び出した。


「今日のこと、どう思った?」


「お嬢様は、よくお働きになられました」


「そうね」


夫人は、窓の外を見た。


「……でも、少し心配なの」


「何でしょう」


「エリザベートは、自分の願いを叶えるために、周囲の人間を動かすことに慣れている」


「はい」


「それ自体が悪いわけではないわ」


「……」


「でも、いつか」


エレオノーラは、静かに言った。


「誰かの願いと、自分の願いが、どうしても両立しない日が来るかもしれない」


レオンは、少し考えた。


「……そのときは」


「ええ」


「……お嬢様に、お選びいただきます」


エレオノーラは、彼を見た。


「……そう」


そして。


「……あなたは、選ばせるのね」


レオンは、静かに頷いた。


「はい」


「……」


「……私は、お嬢様の願いを叶える者でございますので」


エレオノーラは、しばらく彼を見つめていた。


そして、小さく笑った。


「……なるほど」


◇


翌朝。


アウグストは、執務室に入った。


机の上には、綺麗に整理された書類。


そして、一枚の紙。


『お父様へ』


少女の文字だった。


『今日からお仕事してもいいわ。


でも、疲れたら休みなさい。


それから、死んじゃ駄目。


あと、私が公爵になりたくなったら、すぐ代わること。


エリザベート』


アウグストは、その手紙を読んだ。


そして、静かに笑った。


「……分かったよ」


手紙を、大切に引き出しへしまった。


そのとき。


扉が開いた。


「お父様!」


エリザベートが飛び込んできた。


「今日は、何をするの?」


アウグストは、娘を見た。


「今日はね」


少し考えてから、答えた。


「……一緒に、朝ご飯を食べようか」


少女は、目を輝かせた。


「まあ!」


そして。


「いいわ!」


満面の笑みを浮かべた。


「今日は、私がご飯を作る!」


アウグストは、静かに目を閉じた。


「……そうか」


廊下の向こうで、セバスチャンが料理長を呼ぶ声が聞こえた。


公爵邸の一日は、今日も騒がしく始まる。


第四十五話 終

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