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第四十三話 お父様、おかえりなさい

悪役令嬢は愛されている


第四十三話 お父様、おかえりなさい


最初に聞こえたのは、咳だった。


「……ごほっ」


三年間、一度も動かなかった男の喉が震えた。


続いて、二度目。


「ごほっ、ごほっ!」


「お父様!」


少女が駆け寄ろうとする。


しかし、もう一人のレオンが腕を伸ばした。


「お待ちください!」


「離しなさい!」


「まだ蘇生が完了しておりません!」


「生きてるじゃない!」


「はい。ですから、もう少しだけ!」


向こうのエリザベートは、レオンの腕を振り払おうとした。


だが、青年は離さなかった。


三年前なら、彼女はその場で処刑を命じていたかもしれない。


今は違った。


「……あと、どれくらい?」


少女が尋ねた。


「三十秒です」


「長いわ!」


「申し訳ございません」


「二十秒にしなさい!」


「努力いたします」


魔法陣の上で、アウグストの指が動いた。


エルマーが声を上げる。


「心拍、安定!」


「呼吸、正常!」


「魂の定着を確認!」


そして。


「蘇生、成功です!」


その瞬間、向こうのエリザベートは走り出した。


◇


「お父様!」


少女は、寝台に飛びついた。


「お父様! お父様!」


アウグストは、ゆっくりと目を開いた。


金色の髪。


涙で濡れた頬。


自分の胸に顔を埋める娘。


「……エリザベート?」


かすれた声だった。


「そうよ!」


少女が顔を上げる。


「私よ!」


「……」


「お父様!」


アウグストは、しばらく娘を見つめていた。


そして、困ったように笑った。


「……どうしたんだい」


「……」


「そんなに泣いて」


その言葉に、少女の顔が歪んだ。


「……お父様」


「ああ」


「……三年よ」


「……?」


「三年も、待ったの!」


アウグストは、目を瞬かせた。


「……三年?」


「そうよ!」


少女は、父親の服を握りしめた。


「ずっと、ずっと!」


「……」


「……もう、帰ってこないと思ったの」


アウグストは、娘の頭に手を伸ばした。


しかし、その腕は途中で止まった。


三年間、動かしていなかった肉体。


筋肉は、まだ十分に回復していない。


それでも。


彼は、もう一度腕を伸ばした。


そして、娘の頭に触れた。


「……ただいま」


その一言で。


エリザベートは、声を上げて泣いた。


◇


「成功しましたね」


こちらのレオンが言った。


隣で、もう一人のレオンが頷いた。


「ああ」


二人は、少し離れた場所から親子を見守っていた。


向こうのレオンは、何度も目元を拭っている。


「……泣いておられるのですか」


こちらのレオンが尋ねる。


「……悪いか」


「いいえ」


「……」


「よかったですね」


向こうのレオンは、しばらく黙っていた。


そして。


「……ああ」


小さく答えた。


「……本当に」


◇


一方。


こちらのエリザベートは、不満そうだった。


「ねえ!」


誰も振り向かない。


「ねえってば!」


アウグストと娘は抱き合っている。


レオンたちは蘇生術の後処理をしている。


エルマーは魔法陣を確認している。


誰も、こちらのエリザベートを見ていない。


「……もう!」


少女は頬を膨らませた。


そして、勢いよく歩き出した。


「お父様!」


向こうのアウグストが顔を上げる。


「……?」


「おかえりなさい!」


少女は満面の笑みを浮かべた。


「私が、お父様を生き返らせたのよ!」


向こうのエリザベートが、顔を上げた。


「……あなた」


「何?」


「……何もしてないでしょう」


「したわ!」


「……何を?」


「応援したもの!」


「……」


「それに、ベッドも用意したわ!」


向こうのエリザベートは、しばらく黙った。


そして。


「……そうね」


小さく笑った。


「……ありがとう」


こちらのエリザベートは、目を丸くした。


「……まあ!」


そして、嬉しそうに笑った。


「どういたしまして!」


◇


蘇生から二時間後。


アウグストは、ようやく起き上がれるようになった。


医師たちが身体を調べている。


「……不思議ですね」


一人の医師が呟いた。


「何がですか」


エルマーが尋ねる。


「肉体は三年間、保存されていたはずです」


「はい」


「しかし、筋肉の衰えがほとんどありません」


エルマーは、目を細めた。


「……なるほど」


「まるで、昨日まで生きていたようです」


レオンは、静かに答えた。


「……魂が戻ったことで、肉体の状態が補正されたのでしょう」


「……そんなことが?」


「可能性はございます」


エルマーは、しばらく考えた。


そして。


「……これは、研究の価値がありますね」


その瞬間。


「駄目よ!」


エリザベートが叫んだ。


「お父様を研究しちゃ駄目!」


エルマーは、深く頭を下げた。


「失礼いたしました」


「お父様は、私のお父様なんだから!」


向こうのエリザベートも頷いた。


「そうよ!」


二人の少女は、同時に腕を組んだ。


「「勝手に触らないで!」」


エルマーは、静かに一礼した。


「承知いたしました」


◇


夕食。


大広間には、長い食卓が用意されていた。


中央には、焼きたてのパン。


温かいスープ。


肉料理。


そして、白い薔薇。


向こうのアウグストは、食卓を見つめていた。


「……ずいぶん、豪華だね」


「当たり前でしょう!」


向こうのエリザベートが答えた。


「三年ぶりなんだから!」


「……そうか」


「それに!」


少女は、父親の皿に料理を盛った。


「いっぱい食べなさい!」


「ありがとう」


「もっと!」


「……エリザベート」


「何?」


「父さんは、そんなに食べられないよ」


「駄目よ!」


「……」


「三年分、食べなさい!」


アウグストは、困ったように笑った。


「……それは、少し難しいな」


向こうのエリザベートは、頬を膨らませた。


その様子を見て、こちらのエリザベートが笑った。


「ふふっ!」


「……何よ」


「私と同じこと言ってるわ!」


「……」


「やっぱり、私ね!」


向こうの少女は、少し考えた。


そして。


「……そうね」


小さく笑った。


◇


食事が終わった後。


向こうのアウグストは、レオンを呼び止めた。


「……君」


「はい」


「……私を、生き返らせてくれたそうだね」


レオンは頭を下げた。


「お嬢様のご命令でございます」


「……」


「私は、そのお手伝いをしただけです」


アウグストは、しばらく彼を見つめていた。


そして。


「……ありがとう」


静かに言った。


レオンは、少しだけ目を伏せた。


「……恐れ入ります」


「……」


「……ですが」


レオンは、顔を上げた。


「一つだけ、お伝えしておきたいことがございます」


「何だい」


「……公爵様は、三年間、亡くなっておられました」


「……ああ」


「……その間に、多くのことが変わりました」


「……」


「……お嬢様も、変わられました」


アウグストは、娘の方を見た。


向こうのエリザベートは、こちらのエリザベートと何かを言い争っている。


しかし。


その顔には、笑みがあった。


「……そうだね」


アウグストは、静かに頷いた。


「……私の知らない娘になっている」


「……」


「……でも」


公爵は、微笑んだ。


「……これから、知っていけばいいんだろう?」


レオンは、静かに頭を下げた。


「……はい」


◇


帰還の時間。


二つの世界をつなぐ光の幕が、ゆっくりと閉じ始めていた。


こちらのエリザベートは、向こうの少女に手を振った。


「じゃあね!」


「……ええ」


「お父様を大切にしなさいよ!」


「……分かってるわ」


「それから!」


少女は、胸を張った。


「今度は、私が遊びに来るわ!」


向こうのエリザベートは、眉をひそめた。


「……来なくていいわ」


「行くわ!」


「……」


「ふふっ!」


向こうの少女は、ため息をついた。


そして。


「……好きにしなさい」


小さく笑った。


◇


光の幕が閉じた。


研究室には、こちらのエリザベートとレオンだけが残った。


「……ねえ、レオン」


「はい、お嬢様」


「……お父様、生き返ったわね」


「はい」


「……」


少女は、少し考えた。


そして。


「……よかったわ!」


満面の笑みを浮かべた。


レオンは、静かに頭を下げた。


「……はい」


◇


その夜。


アウグストは、娘の寝室を訪ねた。


「エリザベート」


「お父様!」


「今日は、楽しかったかい?」


「ええ!」


「そうか」


公爵は、娘の頭を撫でた。


「……父さんも、嬉しいよ」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「……ねえ、お父様」


「何だい?」


「……お父様が死んでも、生き返らせられるのね」


アウグストは、少し黙った。


「……そうだね」


「……」


「……でも、できれば死にたくないな」


少女は、目を丸くした。


そして。


「当たり前でしょう!」


勢いよく言った。


「死んじゃ駄目よ!」


アウグストは、笑った。


「……分かったよ」


エリザベートは、満足そうに頷いた。


◇


深夜。


レオンは、一人で研究室にいた。


机の上には、魂の譲渡契約の記録。


そして、蘇生術の報告書。


彼は、静かにページをめくった。


蘇生は成功した。


公爵は、生き返った。


向こうのエリザベートは、笑った。


それは、確かな結果だった。


しかし。


レオンは、静かに目を閉じた。


自分が死んだ世界。


自分が知らない世界。


そして、自分が今、生きている世界。


それぞれに、エリザベートがいる。


それぞれに、願いがある。


そして。


その願いを叶えるために、誰かが生きている。


レオンは、静かに呟いた。


「……まだ、終わりではございません」


しかし、その言葉には、焦りも悲しみもなかった。


ただ。


これからも、願いを叶え続けるという。


小さな決意だけがあった。


第四十三話 終

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