第四十二話 死んだ人間の取り扱い方
悪役令嬢は愛されている
第四十二話 死んだ人間の取り扱い方
「では、死体を持ってきなさい!」
エリザベートの一言で、アルヴェイン公爵邸の朝は騒がしくなった。
「お嬢様、どちらの死体でしょうか」
セバスチャンが尋ねる。
「お父様よ!」
「旦那様でございますか」
「向こうのお父様!」
「かしこまりました」
「それから、棺桶も!」
「ご用意いたします」
「お花も!」
「何色になさいますか」
「全部!」
「承知いたしました」
「それと、お菓子!」
「お菓子でございますか」
「生き返ったらお腹が空くでしょう!」
セバスチャンは深々と頭を下げた。
「お嬢様のお心遣い、感服いたしました」
こうして、死者蘇生の準備が始まった。
もっとも、死者を生き返らせるために必要なのは、棺桶でも花でも菓子でもない。
それを指摘する者は、今のところいなかった。
◇
「問題は、魂の所在です」
エルマーは黒板に大きな円を描いた。
その中に、人間の姿。
隣には、小さな光の玉。
「通常の蘇生術は、肉体に魂を戻すことで成立します」
レオンは頷いた。
「はい」
「しかし、向こうの公爵様は、死亡と同時に魂の所有権を娘へ譲渡しています」
「ええ」
「つまり、魂が消えたのではなく、移動した可能性があります」
エルマーは、光の玉を人間の絵から離した。
「ところが、向こうの世界の術者たちは、魂を発見できなかった」
「所有者が変わったため、通常の探索術では検出できなかったのでしょう」
「その可能性が高い」
エルマーは黒板にもう一つ円を描いた。
「ですが、魂が残っているなら話は簡単です」
レオンが顔を上げる。
「……簡単、ですか」
「はい。契約を解除し、魂を戻し、蘇生する」
「……」
「問題は、契約の解除方法だけです」
レオンはしばらく黒板を見つめていた。
そして、尋ねた。
「エルマー様」
「何でしょう」
「契約を解除すると、魂はどこへ戻るのでしょう」
エルマーの手が止まった。
「……」
「譲渡者は、すでに死亡しています」
「……」
「元の肉体へ戻る保証はございますか」
エルマーは黒板を見た。
人間。
光の玉。
そして、二つの円。
「……ありませんね」
「はい」
「……なるほど」
エルマーは顎に手を当てた。
「これは、難しい」
レオンは、ようやく少し笑った。
「ええ」
◇
午後。
別世界との接続が開かれた。
今回は、向こうのエリザベートも同席している。
『……本当に、できるのね』
「まだ分かりません」
レオンは答えた。
『……』
「ですが、試す方法は見つかりました」
向こうのエリザベートは唇を噛んだ。
『……また失敗したら?』
「別の方法を探します」
『……また失敗したら?』
「さらに別の方法を」
『……何度やっても駄目だったら?』
レオンは答えた。
「それでも、お嬢様が望まれる限り、方法を探します」
少女は顔を伏せた。
『……あなた、変ね』
「よく言われます」
『……』
『……向こうの私は、あなたを気に入っているの?』
「どうでしょう」
そのとき、研究室の扉が勢いよく開いた。
「レオン!」
エリザベートが入ってきた。
「棺桶は金色がいいわ!」
「承知いたしました」
「それから、お父様の好きなお菓子を聞いてきなさい!」
「はい」
「あと、向こうの私!」
『……何よ』
「お父様の好きなお花は?」
向こうのエリザベートは、目を瞬かせた。
『……白い薔薇』
「まあ!」
こちらの少女は嬉しそうに笑った。
「私のお父様と同じね!」
『……』
「じゃあ、白い薔薇を千本!」
セバスチャンが一礼した。
「手配いたします」
向こうのエリザベートは、しばらくその様子を見ていた。
そして、ぽつりと言った。
『……棺桶なんて、いらないわ』
こちらの少女が振り返る。
「どうして?」
『……生き返るんでしょう』
「そうよ!」
『……だったら』
少女は顔を上げた。
『……ベッドを用意して』
こちらのエリザベートは、少し考えた。
そして。
「いいわ!」
満面の笑みを浮かべた。
「一番ふかふかのを用意しなさい!」
◇
その日の夕方。
エレオノーラは、レオンを呼び出した。
場所は公爵邸の温室。
色とりどりの花が咲いている。
「レオン」
「はい、奥様」
「あなたに、聞きたいことがあるの」
「何でしょう」
エレオノーラは、椅子に腰掛けた。
「向こうのアウグストを生き返らせることについてよ」
「はい」
「あなたは、成功すると思っている?」
レオンは、すぐには答えなかった。
「……成功させたいと考えております」
「そう」
エレオノーラは頷いた。
「では、質問を変えるわ」
「はい」
「もし成功しなかったら、あなたはどうするの?」
「別の方法を探します」
「それでも駄目だったら?」
「さらに別の方法を」
「……それでも?」
レオンは黙った。
エレオノーラは、彼を見つめた。
「あなたは、いつまで探し続けるつもり?」
「……」
「十年? 二十年?」
「……」
「それとも、あなた自身が死ぬまで?」
レオンは、静かに答えた。
「……必要であれば」
エレオノーラは目を伏せた。
「……そう」
しばらくして、彼女は尋ねた。
「あなた、何歳だったかしら」
「十七歳でございます」
「……そうね」
エレオノーラは、温室の窓を見た。
「十七歳の男の子が、一人で背負うには大きすぎる願いだと思うわ」
レオンは何も答えなかった。
「もちろん、あなたには特別な力があるのでしょう」
「……」
「でも、力があることと、何もかも引き受けなければならないことは別よ」
レオンは、少しだけ目を伏せた。
「……奥様」
「何?」
「私は、何もかも引き受けようとしているわけではございません」
「……」
「お嬢様が望まれたことを、叶えたいだけでございます」
エレオノーラは、しばらく彼を見つめていた。
そして、静かに笑った。
「……そう」
それ以上は、何も言わなかった。
◇
夜。
レオンは、もう一人のレオンと二人で話していた。
『……魂の契約を解除する』
「はい」
『……その瞬間、魂が消える可能性もあるんだな』
「ございます」
『……』
向こうのレオンは、腕を組んだ。
『……それなら、解除しない方がいい』
「はい」
『……だが、それでは蘇生できない』
「ええ」
『……どうする』
レオンは、机の上に置かれた一冊の本を開いた。
「契約を解除する必要はございません」
『……何?』
「所有者が変わっただけなら、所有者の許可を得ればよいのです」
『……』
「魂を公爵様の肉体へ戻すために、契約を解除する必要はありません」
向こうのレオンは、目を細めた。
『……つまり』
「お嬢様が、魂の使用を許可すればよいのです」
『……』
「そして、その魂を蘇生術に用いる」
向こうのレオンは、しばらく黙っていた。
『……それだけか』
「理論上は」
『……』
「ただし、問題が一つございます」
『……何だ』
レオンは、静かに答えた。
「魂の使用を許可するには、所有者がその魂を認識している必要があります」
『……』
「つまり、お嬢様ご自身に、公爵様の魂を見つけていただかなければなりません」
向こうのレオンは、顔を上げた。
『……どうやって』
レオンは、少し考えた。
そして。
「……それは」
小さく笑った。
「……お嬢様に、お任せしましょう」
◇
翌朝。
別世界の公爵邸。
大広間には、巨大な魔法陣が描かれていた。
中央には、三年前に亡くなったアウグストの遺体。
保存魔法によって、肉体は当時の姿を保っている。
その隣には、白い薔薇。
そして、ふかふかのベッド。
二人のエリザベートが、向かい合っていた。
「じゃあ、始めるわよ!」
こちらの少女が宣言した。
『……何を?』
向こうの少女が尋ねる。
「お父様探し!」
『……』
「あなたの中に、お父様がいるんでしょう?」
『……そうらしいわね』
「だったら、探せばいいじゃない!」
向こうのエリザベートは、眉をひそめた。
『……どうやって』
こちらの少女は、胸を張った。
「呼ぶのよ!」
『……』
「お父様ー! って!」
向こうのエリザベートは、しばらく黙った。
そして。
『……馬鹿みたい』
小さく呟いた。
「何よ!」
『……』
「じゃあ、あなたはどうするの?」
向こうの少女は、目を伏せた。
『……』
そして。
『……お父様』
小さく呼んだ。
『……』
何も起きない。
『……お父様』
もう一度。
『……』
魔法陣は、静かなままだった。
向こうの少女は、唇を噛んだ。
『……やっぱり、駄目じゃない』
そのとき。
こちらのエリザベートが、突然叫んだ。
「もっと大きな声で呼びなさい!」
『……』
「聞こえないでしょう!」
向こうの少女は、顔を上げた。
『……』
そして。
『……お父様!』
叫んだ。
『……私、ここにいるわ!』
魔法陣が、わずかに光った。
『……お父様!』
少女の声が震える。
『……私、まだ……』
光が、少しずつ強くなっていく。
『……まだ、お父様に……』
言葉が詰まった。
その瞬間。
レオンが、静かに声をかけた。
「……お嬢様」
向こうの少女が振り返る。
「……何を望んでおられますか」
『……』
「……お嬢様の願いを、お聞かせください」
長い沈黙。
そして。
『……私』
少女は、涙をこぼした。
『……お父様と、もう一度……』
声が震える。
『……一緒に、ご飯が食べたい』
その瞬間。
魔法陣の中央に、小さな光が現れた。
レオンが顔を上げる。
エルマーが叫んだ。
「魂を確認!」
向こうのレオンが、魔法陣へ駆け寄る。
「肉体との接続を開始!」
光が、ゆっくりと遺体へ近づいていく。
そして。
白い薔薇が、風もないのに揺れた。
◇
「……お嬢様」
レオンが、静かに言った。
「最後に、一つだけ」
向こうのエリザベートが、涙を拭った。
『……何?』
「公爵様の魂を、公爵様ご自身にお返ししてもよろしいでしょうか」
少女は、光を見つめた。
三年間。
ずっと、手放せなかったもの。
自分のものになっていた、父親の魂。
そして。
『……いいわ』
小さく答えた。
『……返してあげる』
光が、強く輝いた。
『……だって』
少女は、泣きながら笑った。
『……お父様のものだもの』
次の瞬間。
魔法陣が、まばゆい光に包まれた。
そして。
三年間、動かなかった男の胸が。
一度だけ、大きく上下した。
第四十二話 終




