第三十九話 私の命令は絶対でしょう?
悪役令嬢は愛されている
第三十九話 私の命令は絶対でしょう?
アルヴェイン公爵邸には、奇妙な規則がある。
主人の命令は絶対。
ただし、主人が命令を忘れた場合は、命令を忘れたことも尊重する。
主人が命令を取り消した場合は、取り消しを最優先する。
そして、主人が矛盾した命令を出した場合。
使用人たちは、どちらも実現する方法を探す。
その日。
エリザベート・フォン・アルヴェインは、とうとう彼らに不可能を命じた。
「お父様を殺しなさい!」
食堂の時計が、午前九時を告げた。
セバスチャンが一礼する。
「承知いたしました」
「それから!」
少女は父親の腕にしがみついた。
「絶対に死なせちゃ駄目よ!」
「かしこまりました」
アウグストは、娘を見下ろした。
「……エリザベート?」
「何?」
「父さんは、どうすればいいのかな」
「知らないわ!」
少女は胸を張った。
「それを考えるのが、みんなのお仕事でしょう!」
◇
発端は、昨夜の出来事だった。
エリザベートは、父親に死なないでほしいと願った。
父親は、自分にも願いがあると言った。
それが、少女には気に入らなかった。
「だって、おかしいでしょう?」
エリザベートは、庭園でクラリスに話していた。
「お父様は、私が死なないでって言っているのに、死ぬかもしれないって言うのよ!」
クラリスは困った顔をした。
「……それは、仕方がないことでは」
「仕方がない?」
「はい。人は、いつか亡くなるものですから」
エリザベートは眉をひそめた。
「あなたまで、そんなことを言うの?」
「……申し訳ありません」
「謝らなくていいわ!」
「……はい」
「でも、納得できないの!」
クラリスは、少し考えた。
そして。
「……エリザベート様」
「何?」
「……もし、お父様が死なないために、エリザベート様が何かを失わなければならないとしたら」
「失わないわ!」
即答だった。
「……」
「だって、全部欲しいもの!」
クラリスは、何も言えなかった。
エリザベートは満足そうに頷いた。
「だから、決めたの!」
「……何を、ですか?」
「お父様を一度殺して、死なないようにするの!」
クラリスは、固まった。
「……え?」
「死んでも死ななかったら、死なないってことでしょう!」
「……」
「素敵な考えだと思わない?」
クラリスは、長い時間をかけて答えた。
「……思いません」
エリザベートは、目を輝かせた。
「まあ!」
◇
午前十時。
公爵邸の地下会議室。
セバスチャンは、机の上に一枚の紙を置いた。
そこには、二つの命令が書かれていた。
一、アウグスト公爵を殺害すること。
二、アウグスト公爵を絶対に死亡させないこと。
エルマーは、腕を組んでいた。
「……難題ですね」
グレゴールが答える。
「難題ではない。矛盾だ」
「矛盾を解消するのが、我々の仕事です」
マリアンヌが言った。
「お嬢様は、どちらもお望みなのですから」
セバスチャンは頷いた。
「では、方法を検討しましょう」
「……」
「まず、殺害の定義から」
エルマーが黒板に文字を書いた。
殺害=他者の行為によって生命活動を停止させること。
「次に、死亡の定義です」
死亡=生命活動が不可逆的に停止した状態。
グレゴールが眉をひそめた。
「……つまり」
「はい」
エルマーは頷いた。
「一時的に生命活動を停止させ、その後に回復させれば、両方の命令を満たせる可能性があります」
セバスチャンは、静かに頷いた。
「……なるほど」
マリアンヌも頷いた。
「では、準備を」
そのとき。
「お待ちください」
レオンが口を開いた。
全員が彼を見た。
「……何でしょう」
セバスチャンが尋ねる。
レオンは、机の上の紙を指さした。
「その方法では、お嬢様の願いを叶えられません」
「……なぜです」
「お嬢様は、旦那様が死なないことを確認したいのです」
「……」
「一度生命活動を停止させ、蘇生するだけでは、次も蘇生できる保証にはなりません」
エルマーは、黒板を見つめた。
「……確かに」
レオンは続けた。
「それに」
「……?」
「お嬢様は、旦那様を殺すこと自体を楽しみにしているわけではございません」
セバスチャンは、目を細めた。
「……では、何を」
レオンは、静かに答えた。
「……旦那様が死なないと、確かめたいのです」
◇
正午。
アウグストは、自室で書類を読んでいた。
扉が叩かれる。
「どうぞ」
レオンが入ってきた。
「旦那様」
「どうした?」
「……お嬢様のご命令について、ご相談がございます」
アウグストは、静かに頷いた。
「……ああ」
「……」
「……私を殺せという話だね」
「はい」
アウグストは、少し笑った。
「……困った娘だ」
レオンは、何も答えなかった。
「……レオン」
「はい」
「……君は、どうするつもりだい?」
レオンは、静かに答えた。
「……お嬢様の願いを叶えます」
「……」
「ですが、旦那様を殺すことはいたしません」
アウグストは、目を細めた。
「……それでは、命令違反ではないか」
「はい」
「……」
「ですが、お嬢様は、命令を取り消すこともできます」
アウグストは、少し考えた。
そして。
「……なるほど」
静かに頷いた。
「……君は、あの子に考え直させるつもりか」
「いいえ」
レオンは首を振った。
「……お嬢様に、別の願いを見つけていただきます」
◇
午後二時。
エリザベートは、庭園の噴水の前にいた。
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「準備はできたの?」
「はい」
「まあ!」
少女は、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、早く!」
レオンは、一礼した。
「その前に、一つご覧いただきたいものがございます」
「何?」
レオンが指を鳴らす。
すると。
庭園の中央に、巨大な時計が現れた。
「……時計?」
「はい」
「つまらないわ!」
「こちらは、旦那様の寿命を示す時計でございます」
エリザベートは、目を丸くした。
「……寿命?」
「はい」
時計の針が、ゆっくりと動いている。
「……これが止まったら?」
「旦那様が亡くなられる可能性がございます」
少女は、時計を見つめた。
そして。
「……じゃあ」
小さく呟いた。
「……止めなさい!」
レオンは、静かに頷いた。
「承知いたしました」
指を鳴らす。
時計の針が、止まった。
「……!」
エリザベートは、目を輝かせた。
「まあ!」
「こちらで、旦那様の寿命を止めることができました」
「素敵!」
少女は、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、お父様は死なないのね!」
レオンは、静かに答えた。
「……いいえ」
エリザベートの笑顔が止まった。
「……何?」
「こちらは、旦那様の寿命を示す時計ではございません」
「……」
「ただの時計でございます」
沈黙。
そして。
「……はあ?」
エリザベートの声が、低くなった。
「……あなた」
「はい」
「……私を騙したの?」
「はい」
少女は、目を見開いた。
そして。
「……処刑よ!」
グレゴールが一歩前に出た。
レオンは、静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
しかし。
「待ちなさい!」
エリザベートが叫んだ。
「……」
「まだ話が終わってないわ!」
グレゴールは足を止めた。
少女は、レオンを睨んだ。
「どうして騙したの!」
レオンは、静かに答えた。
「……お嬢様に、知っていただきたかったからです」
「何を!」
「……死なないと信じることと、本当に死なないことは、違うということです」
「……」
エリザベートは、時計を見た。
止まった針。
そして、レオン。
「……じゃあ」
小さく呟いた。
「……お父様は、死ぬの?」
レオンは、静かに答えた。
「……いつかは、その可能性がございます」
「……」
「ですが」
レオンは、続けた。
「……その日が、いつ来るのかは、誰にも分かりません」
エリザベートは、しばらく黙っていた。
そして。
「……嫌よ」
小さく呟いた。
「……私、そんなの嫌」
レオンは、何も答えなかった。
◇
そのとき。
「エリザベート」
背後から声がした。
アウグストだった。
少女が振り返る。
「……お父様」
「……父さんを殺すのは、やめてくれないか」
「……」
「……父さんは、まだ生きていたいんだ」
エリザベートは、目を瞬かせた。
「……生きていたい?」
「ああ」
「……」
「……君と、まだたくさん遊びたいからね」
少女は、しばらく父親を見つめていた。
そして。
「……じゃあ」
小さく呟いた。
「……殺さないわ」
アウグストは、微笑んだ。
「ありがとう」
「でも!」
少女は、父親を指さした。
「死なない方法は、絶対に見つけなさい!」
「……」
「約束よ!」
アウグストは、静かに頷いた。
「……できる限り、長生きするよ」
エリザベートは、頬を膨らませた。
「……できる限りじゃ、嫌なのに」
◇
夕方。
セバスチャンは、レオンを呼び止めた。
「……レオン殿」
「はい」
「……本日は、ありがとうございました」
「恐れ入ります」
「……」
セバスチャンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……私は、今日」
小さく呟いた。
「……公爵様を、殺すところでした」
レオンは、何も答えなかった。
「……お嬢様のご命令を、叶えることしか考えられなかった」
「……」
「……ですが、あなたは」
セバスチャンは、静かに顔を上げた。
「……お嬢様の願いを、別の形で叶えようとした」
レオンは、首を振った。
「……いいえ」
「……?」
「……私は、まだ叶えておりません」
セバスチャンは、目を細めた。
「……どういうことでしょう」
レオンは、静かに答えた。
「……お嬢様は、旦那様に死なないでほしいと願っておられます」
「……」
「……その願いは、まだ叶っておりません」
沈黙。
そして。
「……私は」
レオンは、静かに続けた。
「……叶えられない願いを、叶えられたことにはしたくないのです」
セバスチャンは、何も言えなかった。
◇
その夜。
エリザベートは、父親の部屋を訪ねた。
「お父様!」
「どうした?」
「今日は、私が隠れるわ!」
アウグストは、目を丸くした。
「……かくれんぼかい?」
「そうよ!」
「いいね」
「でも!」
少女は、父親を指さした。
「絶対に、私を見つけなさい!」
アウグストは、微笑んだ。
「……分かった」
「約束よ!」
「ああ」
少女は、満面の笑みを浮かべた。
そして、廊下へ飛び出していった。
アウグストは、静かに立ち上がった。
「……さて」
そのとき。
机の上の手紙が、目に入った。
北部領から届いた報告書。
三人の蘇生者。
そして、再び死亡した一人。
アウグストは、静かに手紙を手に取った。
その裏には、小さな文字が書かれていた。
再死亡した者の遺体から、魂が確認されなかった。
「……」
公爵は、しばらくその文字を見つめていた。
そして。
「……レオン」
小さく呟いた。
「……君は、何を知っているんだ」
◇
一方。
レオンは、研究室にいた。
世界間の観測装置。
その水晶球が、淡く光っている。
向こうの世界から、接続要求が届いていた。
レオンは、魔法陣を起動した。
光の幕が現れる。
そこには、もう一人のレオンが立っていた。
『……聞こえるか』
「はい」
『……公爵様の件だ』
「……はい」
『……調べていたら、一つ分かったことがある』
レオンは、静かに顔を上げた。
「……何でしょう」
向こうのレオンは、少し言葉を選んだ。
そして。
『……公爵様の魂が見つからなかった理由だ』
「……」
『……あの方は、死ぬ前に』
青年は、静かに続けた。
『……誰かに、自分の魂を渡していた』
レオンは、目を細めた。
「……誰に?」
向こうのレオンは、しばらく黙っていた。
そして。
『……お嬢様だ』
光の幕が、わずかに揺れた。
第三十九話 終




