第三十八話 公爵が死んだ日
悪役令嬢は愛されている
第三十八話 公爵が死んだ日
「公爵様が亡くなったのは、王都が燃える三年前です」
レオンの言葉に、光の向こうの青年が眉を寄せた。
『違う』
「……」
『王都が燃えたのは、三年前だ』
レオンは口を閉じた。
『公爵様が亡くなったのも、同じ年だ』
研究室の時計が、午前零時を告げた。
二人のレオンは、互いの顔を見つめていた。
同じ顔。
同じ声。
しかし、知っている歴史が違う。
「……私の記憶では」
こちらのレオンが言った。
「公爵様が亡くなってから、三年後に王都が燃えました」
『……』
「私は、その火災の中で命を落としました」
向こうのレオンは、しばらく考えた。
『……お前が死んだのは、いつだ』
「王国暦七百二十一年、冬至の翌日です」
『……』
青年の表情が変わった。
『……同じ日だ』
「……」
『俺も、その日に死んだ』
レオンは目を細めた。
「……では」
『ああ』
向こうのレオンは、静かに答えた。
『俺は、その後に蘇生された』
◇
向こうのレオンは、椅子に腰掛けた。
背後には、薄暗い部屋。
窓の外には、復興途中の王都が見えている。
『俺が目を覚ましたのは、火災から七日後だった』
「……」
『お嬢様が、蘇生を命じたらしい』
「……」
『だが、目を覚ましたときには、すべてが終わっていた』
レオンは、静かに尋ねた。
「……何が、終わっていたのですか」
『……王都の戦いだ』
「……」
『公爵様は、王城で亡くなった』
レオンは、目を閉じた。
自分の記憶では、公爵はもっと早く死んでいた。
それなのに。
向こうの世界では、王都が燃える日まで生きていた。
「……では、私の知っている歴史とは異なります」
『そうだろうな』
向こうのレオンは、静かに頷いた。
『だが、お前がいた世界と、この世界が同じだったとは限らない』
「……」
『お前が見た王都の火災と、俺が経験した火災が、同じ出来事だったとも限らない』
レオンは、何も答えなかった。
その可能性は、考えていた。
世界は、いくつも存在する。
似た歴史を持つ世界もある。
そして、異なる結末を迎える世界も。
しかし。
「……一つ、確認させてください」
『何だ』
「……あなたは、私が死んだ後に蘇生された存在なのですか」
向こうのレオンは、少し考えた。
そして。
『……分からない』
静かに答えた。
『俺には、お前が死んだ記憶なんてない』
「……」
『俺が死んだ記憶なら、ある』
沈黙。
『……お前と俺が同じ人間だったかどうかなんて、確かめようがないだろう』
レオンは、静かに頷いた。
「……その通りです」
◇
「ねえ、レオン」
背後から声がした。
振り返ると、エリザベートが立っていた。
寝間着姿。
金色の髪は、少し乱れている。
「お嬢様」
「何してるの?」
「……少々、お話を」
少女は光の幕を見た。
「あら!」
向こうのレオンを見つけると、嬉しそうに笑った。
「もう一人のレオン!」
『……こんばんは、お嬢様』
「こんばんは!」
エリザベートは椅子を引き寄せた。
「私も混ぜなさい!」
「承知いたしました」
少女は、二人のレオンを交互に見た。
そして。
「ねえ!」
「はい」
『はい』
二人が同時に答えた。
エリザベートは目を輝かせた。
「まあ!」
そして、もう一度。
「レオン!」
「はい」
『はい』
「ふふっ!」
少女は、楽しそうに笑った。
「面白いわ!」
◇
しばらくして。
エリザベートは、光の向こうの青年に尋ねた。
「ねえ、あなた!」
『何でしょう』
「そっちの私は、まだ泣いてるの?」
向こうのレオンは、少し考えた。
『……以前よりは、落ち着かれました』
「そう!」
少女は満足そうに頷いた。
「じゃあ、よかったわ!」
『……』
「私、泣くの嫌いだもの!」
向こうのレオンは、静かに微笑んだ。
『……存じております』
エリザベートは、少し考えた。
そして。
「……ねえ」
『はい』
「……あなたは、私のこと好き?」
向こうのレオンは、目を瞬かせた。
『……』
「どうなの?」
『……大切に思っております』
「そう!」
少女は頷いた。
そして、こちらのレオンを見た。
「あなたは?」
「もちろん、大切に思っております」
「……」
エリザベートは、二人を見比べた。
そして。
「……つまらないわ!」
頬を膨らませた。
「同じことしか言わないんだもの!」
向こうのレオンが、小さく笑った。
『……申し訳ございません』
こちらのレオンも頭を下げた。
「申し訳ございません」
「もう!」
少女は笑った。
◇
そのとき。
向こうのレオンが、静かに口を開いた。
『……お嬢様』
「何?」
『……一つ、お願いしてもよろしいでしょうか』
エリザベートは目を丸くした。
「あなたが、私に?」
『はい』
「まあ!」
少女は、嬉しそうに笑った。
「いいわよ!」
『……ありがとうございます』
青年は、少し言葉を選んだ。
『……そちらの公爵様に、会わせていただけませんか』
「お父様?」
『はい』
「いいわよ!」
即答だった。
「今すぐ呼んでくるわ!」
エリザベートは立ち上がった。
しかし。
「お嬢様」
こちらのレオンが声をかけた。
「何?」
「旦那様は、すでにお休みになっております」
「起こせばいいじゃない!」
「……」
「私が呼ぶんだから、起きるわ!」
少女は、そのまま部屋を飛び出していった。
◇
十分後。
アウグストが研究室に現れた。
寝間着の上に、上着を羽織っている。
「……どうしたんだい、エリザベート」
「もう一人のレオンが、お父様に会いたいんですって!」
「……そうか」
公爵は光の幕を見た。
向こうのレオンが、深く頭を下げた。
『……夜分に申し訳ございません』
「構わないよ」
アウグストは椅子に座った。
「……私に、何か用かな」
向こうのレオンは、しばらく黙っていた。
そして。
『……公爵様』
「何だい」
『……一つ、お尋ねしたいことがございます』
「うん」
『……もし』
青年は、静かに続けた。
『……お嬢様が、あなたを死なせないために、誰かを犠牲にしようとしたら』
研究室が静まり返った。
『……あなたは、どうなさいますか』
アウグストは、少し考えた。
そして。
「……止めるよ」
静かに答えた。
『……』
「もちろん、私も死にたくはない」
『……』
「だが、私が生きるために、誰かが死ななければならないのなら」
公爵は、娘を見た。
「……それを、あの子に選ばせたくはないな」
エリザベートは、眉をひそめた。
「どうして?」
アウグストは、娘の頭を撫でた。
「……父さんが、そうしたくないからだよ」
「……」
「……エリザベート」
「何?」
「父さんにも、願いがあるんだ」
少女は、目を瞬かせた。
「……願い?」
「ああ」
「……」
エリザベートは、少し考えた。
そして。
「……じゃあ」
小さく呟いた。
「……叶えてあげる!」
アウグストは微笑んだ。
「ありがとう」
◇
向こうのレオンは、そのやり取りを見つめていた。
そして。
『……ありがとうございます』
深く頭を下げた。
アウグストは首を傾げた。
「……何か、役に立ったかな」
『……はい』
青年は、静かに答えた。
『……とても』
◇
その後。
エリザベートは眠くなり、父親に抱えられて寝室へ戻った。
研究室には、二人のレオンだけが残った。
『……お前』
向こうのレオンが口を開いた。
「はい」
『……公爵様が亡くなった日のことを、覚えているか』
「……はい」
『……教えてくれ』
レオンは、静かに頷いた。
「……私の知る世界では」
彼は、ゆっくりと話し始めた。
「……公爵様は、お嬢様の命令によって処刑されました」
向こうのレオンの表情が、変わった。
『……何?』
「……お嬢様は、ある日、公爵様に死刑を命じられました」
『……』
「理由は、些細なことでした」
レオンは、目を閉じた。
「……公爵様が、お嬢様の願いを拒否なさったのです」
『……』
「……お嬢様は、それを許せませんでした」
向こうのレオンは、何も言わなかった。
「……そして」
レオンは、静かに続けた。
「……使用人たちは、お嬢様の命令を実行しました」
沈黙。
長い沈黙。
そして。
『……お前は』
向こうのレオンが、小さく尋ねた。
『……何をしていた』
レオンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……止めようとしました」
静かに答えた。
「……ですが、止められませんでした」
『……』
「……私は、まだ」
レオンは、目を閉じた。
「……お嬢様の願いを、叶える方法を知らなかったのです」
向こうのレオンは、しばらく彼を見つめていた。
そして。
『……そうか』
小さく呟いた。
『……それが、お前の世界か』
レオンは、静かに頷いた。
「……はい」
『……』
向こうのレオンは、少し考えた。
そして。
『……俺の世界では、違った』
「……」
『……公爵様は、お嬢様を守るために死んだ』
レオンは、顔を上げた。
『……お嬢様が命じたわけじゃない』
「……」
『……だが』
青年は、静かに続けた。
『……お嬢様は、自分が殺したと思っている』
沈黙。
『……だから、俺は』
向こうのレオンは、目を閉じた。
『……あの方に、もう一度笑ってほしいんだ』
レオンは、何も答えなかった。
◇
接続が切れた後。
レオンは、一人で研究室に残っていた。
二つの世界。
二つの死。
同じ公爵。
異なる結末。
そして。
二人のエリザベート。
彼は、静かに目を閉じた。
自分が知っているエリザベート。
自分が知らないエリザベート。
そして。
今、自分の隣にいるエリザベート。
「……」
レオンは、静かに呟いた。
「……今度こそ」
しかし、その言葉の続きを、彼は口にしなかった。
なぜなら。
彼は、もう知っていたからだ。
願いを叶えることと、願いの先にあるものを守ることは、同じではない。
第三十八話 終




