第三十七話 死なないお父様
悪役令嬢は愛されている
第三十七話 死なないお父様
「不老不死には、いくつか種類がございます」
エルマーは三枚の紙を机に並べた。
一枚目には、若い男。
二枚目には、老人。
三枚目には、骸骨が描かれている。
「まず、老化を止める方法です」
「それがいいわ!」
「次に、肉体が損傷しても再生する方法」
「それも!」
「最後に、死亡しても蘇生する方法」
「全部よ!」
エリザベートは三枚の紙を奪い取り、父アウグストの胸に押しつけた。
「お父様、これで死なないわ!」
アウグストは紙を受け取った。
「ありがとう、エリザベート」
「お礼はいいわ!」
「そうかい?」
「その代わり、私より先に死んじゃ駄目よ!」
アウグストの笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「……それは困ったな」
「どうして?」
「父さんは、君が長生きするところを見たいからね」
「じゃあ、ずっと見ていればいいじゃない!」
「そうだね」
アウグストは娘の頭を撫でた。
その後ろで、セバスチャンがエルマーに耳打ちした。
「すべて実現可能なのですか」
「個別には、いずれも実例があります」
「では、問題は?」
エルマーは三枚の紙を指さした。
「これらを同時に施した者の記録がないことです」
「……なぜです」
「途中で死んだからです」
セバスチャンの表情が消えた。
◇
午前十一時。
アルヴェイン公爵邸には、王国随一の不死研究者が招かれていた。
名前はドミニク・ヘルツ。
百三十二歳。
見た目は二十代後半。
彼は公爵家の応接室で紅茶を飲みながら、エリザベートに自分の研究を説明していた。
「私は百年前に老化を止めました」
「まあ!」
「五十年前には、肉体の再生にも成功しました」
「素敵!」
「そして三年前、完全な不死を実現したのです」
「じゃあ、お父様にもやりなさい!」
ドミニクは微笑んだ。
「もちろん、お引き受けしたいところですが」
「何?」
「一つだけ、条件がございます」
室内の空気が変わった。
グレゴールが壁際で腕を組み直す。
セバスチャンは笑顔のまま、研究者の手元を見た。
「条件?」
エリザベートが尋ねる。
「はい。私をアルヴェイン家の専属研究者として雇っていただきたいのです」
「いいわよ!」
即答だった。
「ありがとうございます」
「でも、お父様が死ななくなったら、あなたは要らないわ!」
ドミニクは笑った。
「それでも結構です」
「じゃあ、決まりね!」
「はい」
そのとき、レオンが尋ねた。
「一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「先生は、完全な不死を実現したとおっしゃいましたね」
「ええ」
「では、先生ご自身は死なないのですね」
「その通りです」
「……試してもよろしいでしょうか」
ドミニクの笑顔が止まった。
「……はい?」
レオンは穏やかに続けた。
「不死であることを確認できれば、旦那様にも安心して施術をお受けいただけます」
「……」
「もちろん、先生の研究を疑っているわけではございません」
「……」
「ですが、死なないのであれば、問題はないかと」
ドミニクは紅茶を置いた。
「……少し、説明が足りませんでした」
◇
完全な不死。
その正体は、死亡する直前に魂を別の肉体へ移す魔法だった。
「つまり、先生は死ぬのですね」
レオンが尋ねた。
「死ぬ前に移動するのです!」
「元の肉体は?」
「死にます」
「移動した魂は?」
「生き続けます」
「元の肉体に戻ることは?」
「できません」
「移動先の肉体は、どこから?」
「……」
ドミニクは黙った。
レオンはもう一度尋ねた。
「どこから調達なさるのですか」
「……」
沈黙。
そして。
「……死刑囚です」
ドミニクは小さく答えた。
「死刑囚の肉体を利用しております」
エリザベートは首を傾げた。
「それで?」
ドミニクは顔を上げた。
「……はい?」
「死刑囚なら、死ぬんでしょう?」
「……そうですが」
「じゃあ、その人に聞けばいいじゃない!」
「……」
「体を使っていいかって!」
ドミニクは言葉に詰まった。
エリザベートは不思議そうに尋ねた。
「聞いてないの?」
「……」
「変なの!」
少女は笑った。
「私だったら、勝手に使われたら怒るわ!」
その言葉に、ドミニクは反論できなかった。
もっとも、エリザベートが他人の権利を尊重しているわけではない。
単に、自分の体を勝手に使われるのが嫌だったのである。
「それに!」
彼女は父を指さした。
「お父様の体がなくなるなんて嫌よ!」
「……」
「私は、このお父様がいいの!」
アウグストは娘を見た。
「……エリザベート」
「何?」
「父さんの顔が好きなのかい?」
「当たり前でしょう!」
「そうか」
公爵は嬉しそうに笑った。
研究者の採用は、その場で取り消された。
◇
午後一時。
ドミニクが帰った後、レオンは玄関先で彼を呼び止めた。
「先生」
「……まだ何か?」
「一つだけ、教えていただきたいことがございます」
「何でしょう」
「先生が最初に魂を移したとき、元の肉体に戻る方法はございましたか」
ドミニクは首を振った。
「ありません」
「では、元の肉体が蘇生された場合は?」
「……」
研究者は眉をひそめた。
「そんなことをして、どうするのです」
「確認したいだけです」
「魂が移動した後の肉体に、蘇生術を施すということですか?」
「はい」
ドミニクは少し考えた。
「……分かりません」
「そうですか」
「ただし、理論上は」
研究者は言葉を選んだ。
「魂が完全に失われていなければ、蘇生できる可能性はあります」
「……」
「ですが、その場合に戻る魂が何なのかは、私にも分かりません」
レオンは一礼した。
「ありがとうございました」
ドミニクは立ち去った。
レオンは、その背中を見送った。
同じ顔。
同じ記憶。
同じ名前。
それでも、同じ人間とは限らない。
彼は、昨日の光の幕に映った青年を思い出していた。
自分が死んだ後の世界にいる、もう一人のレオン。
彼は、何を考えて生きているのだろう。
少なくとも。
自分が死んだ後、彼が何を経験したのかは知らない。
◇
午後三時。
エリザベートは、父親の執務室にいた。
アウグストは大量の書類を処理している。
少女は、その向かいで椅子を揺らしていた。
「お父様!」
「何だい?」
「お仕事、まだ終わらないの?」
「もう少しかかるよ」
「つまらないわ!」
「そうか」
「私と遊びなさい!」
「この書類が終わったらね」
「今!」
「……」
アウグストは書類を置いた。
「分かった。何をして遊ぼうか」
「かくれんぼ!」
「いいね」
「お父様が隠れるの!」
「分かった」
「私が見つけるまで、絶対に出てきちゃ駄目よ!」
アウグストは笑った。
「それは難しそうだ」
「簡単よ!」
「そうかい?」
「だって、私が見つけるんだもの!」
少女は勢いよく立ち上がった。
そして、廊下へ飛び出していった。
アウグストは娘の背中を見送った。
「……さて」
公爵は机の引き出しを開けた。
中には、一通の手紙があった。
北部領から届いた報告書。
三人の蘇生者。
そして、燃える王都の記録。
彼は手紙を読み直した。
その中には、もう一つの情報が記されていた。
蘇生者のうち一人が、再び死亡した。
死亡原因は不明。
そして、その人物は蘇生されなかった。
「……」
アウグストは、静かに手紙を折りたたんだ。
◇
「お父様!」
廊下から声が響いた。
「まだ隠れてないの!」
アウグストは慌てて立ち上がった。
「すまない、今から隠れるよ!」
「早く!」
公爵は執務室を出た。
そして、隣の書庫へ入った。
扉を閉める。
暗い室内。
アウグストは、書棚の陰に身を隠した。
しばらくして。
足音が聞こえた。
「お父様ー!」
少女の声。
「どこー!」
アウグストは、思わず笑いそうになった。
扉が開く。
「ここかしら!」
エリザベートが入ってきた。
「お父様!」
アウグストは息を潜めた。
少女は部屋を見回した。
そして。
「……いないわ」
小さく呟いた。
「……」
「……お父様?」
先ほどまでの元気な声ではなかった。
アウグストは、書棚の陰から娘を見た。
少女は、扉の前に立っていた。
「……お父様」
もう一度、呼んだ。
「……どこ?」
アウグストは、姿を現そうとした。
しかし、その前に。
「……死んじゃったの?」
少女が呟いた。
アウグストは動きを止めた。
エリザベートは、部屋の中央に立っていた。
「……」
そして。
「……嫌よ」
小さく言った。
「……私、まだ見つけてないもの」
アウグストは、書棚の陰から出た。
「エリザベート」
少女が振り返る。
「……お父様!」
次の瞬間。
エリザベートは、父親に飛びついた。
「見つけたわ!」
「そうだね」
「私の勝ちよ!」
「ああ、父さんの負けだ」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ!」
アウグストは娘を抱きしめた。
その腕に、少しだけ力が入った。
◇
夕食後。
エレオノーラは夫の執務室を訪ねた。
「あなた」
「どうした?」
「エリザベートが、今日はずいぶん楽しそうだったわ」
「ああ」
「何かあったの?」
アウグストは、少し考えた。
そして。
「……かくれんぼをしたんだ」
「そう」
「……」
「……あなた?」
アウグストは、机の上に置いた手紙を見た。
「……エレオノーラ」
「何?」
「私は、あの子に死なないでほしいと言われた」
「……ええ」
「……だが」
公爵は、静かに続けた。
「私は、あの子より先に死ぬかもしれない」
エレオノーラは頷いた。
「そうね」
「……」
「でも、あなた」
彼女は、夫の手を取った。
「それは、今すぐ死ぬという意味ではないわ」
アウグストは、妻を見た。
「……」
「エリザベートは、あなたが死ぬことを怖がっているのかもしれない」
「……ああ」
「でも、だからといって」
エレオノーラは、静かに言った。
「あなたが死なない人間にならなければ、あの子を愛せないわけではないでしょう?」
アウグストは、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうだな」
小さく頷いた。
◇
その頃。
エリザベートは、自室でレオンを呼んでいた。
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「お父様を死なないようにする方法、見つかった?」
「現在、調査を続けております」
「遅いわ!」
「申し訳ございません」
「もう!」
少女は頬を膨らませた。
そして。
「……ねえ」
「はい」
「……あなたは、死ぬの?」
レオンは、静かに答えた。
「はい」
「……」
「私も、死ぬことはございます」
少女は、少し考えた。
そして。
「……じゃあ」
小さく呟いた。
「……あなたも、死なないようにしなさい!」
レオンは、何も答えなかった。
エリザベートは、彼を指さした。
「お父様も、あなたも!」
「……」
「私が死んでいいって言うまで、死んじゃ駄目よ!」
レオンは、少女を見つめた。
そして。
「……承知いたしました」
静かに頭を下げた。
エリザベートは満足そうに笑った。
「ふふっ!」
◇
その夜。
レオンは、研究室にいた。
机の上には、ドミニクの研究資料。
そして、世界間の観測記録。
彼は、静かにページをめくった。
そのとき。
観測装置が、わずかに光った。
「……?」
レオンは顔を上げた。
水晶球に、文字が浮かび上がっていた。
接続要求。
向こうの世界からだった。
レオンは、魔法陣を起動した。
光の幕が現れる。
そこには、もう一人のレオンが立っていた。
『……遅い時間に、すまない』
「……構いません」
『……一つ、頼みがある』
「何でしょう」
向こうのレオンは、しばらく黙っていた。
そして。
『……こちらの公爵様を、蘇生できないか』
レオンは、目を細めた。
「……遺体は?」
『……残っている』
「……死亡からの経過時間は?」
『……三年だ』
沈黙。
レオンは、静かに答えた。
「……可能性はございます」
向こうのレオンは、目を閉じた。
『……そうか』
「……ですが」
レオンは続けた。
「……なぜ、今まで蘇生なさらなかったのですか」
向こうのレオンは、しばらく黙っていた。
そして。
『……できなかったんだ』
「……?」
『……蘇生術そのものは、何度も試した』
「……」
『……だが』
青年は、静かに続けた。
『……公爵様の魂が、どこにも見つからなかった』
レオンは、何も答えなかった。
向こうのレオンは、光の幕を見つめた。
そして。
『……お前なら、知っているかと思った』
小さく呟いた。
『……あの日、何が起きたのかを』
レオンは、静かに目を閉じた。
三年前。
あの世界で、アウグストが死んだ日。
自分は、確かにそこにいた。
そして。
その日の記憶が、まだ残っていた。
「……お話しします」
レオンは、静かに答えた。
「……私が、知っているところまで」
第三十七話 終




