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第三十六話 お父様を返しなさい

悪役令嬢は愛されている


第三十六話 お父様を返しなさい


「お父様を二人にするわ!」


エリザベート・フォン・アルヴェインは、朝食の席でそう宣言した。


父アウグストは、口に運びかけたパンを止めた。


「……二人?」


「そうよ!」


「どうしてだい?」


「昨日の私は、お父様がいないんでしょう?」


「……」


「だったら、うちのお父様を一人あげればいいじゃない!」


アウグストは、娘を見つめた。


そして、静かに微笑んだ。


「……なるほど」


「でしょう!」


「だが、父さんは一人しかいないよ」


「だから二人にするの!」


エリザベートは、当然のように答えた。


「レオン!」


「はい、お嬢様」


「お父様を増やしなさい!」


「承知いたしました」


アウグストは、レオンを見た。


「……本当にできるのか?」


レオンは、少し考えた。


「同じ容姿と記憶を持つ存在を作る方法はございます」


「……」


「ただし、それが旦那様ご本人と同一の存在であるとは限りません」


エリザベートは眉をひそめた。


「難しいこと言わないで!」


「申し訳ございません」


「とにかく、あの私にお父様をあげたいの!」


レオンは、一礼した。


「承知いたしました」


◇


午前十時。


公爵邸の研究室。


エルマーは、巨大な魔法陣を描いていた。


「……複製魔法には、いくつか種類がございます」


アウグストが尋ねる。


「例えば?」


「肉体のみを複製する方法。記憶まで複製する方法。そして、魂の構造まで再現する方法です」


「……」


「しかし、最後の方法は、成功例が極めて少なく」


「成功率は?」


「……不明です」


アウグストは、静かに頷いた。


「……なるほど」


そのとき。


エリザベートが声を上げた。


「じゃあ、全部やってみればいいじゃない!」


「……」


エルマーは、少し考えた。


「……確かに」


レオンが口を開いた。


「お嬢様」


「何?」


「複製された旦那様が、必ずしも向こうのエリザベート様のお父様になれるとは限りません」


「どうして?」


「向こうのエリザベート様には、向こうの旦那様との思い出がございます」


「……」


「こちらで作られた旦那様には、その思い出がございません」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「……じゃあ、思い出も作りなさい!」


「……」


「私があの私に会いに行くんだから、お父様だって会いに行けばいいでしょう!」


レオンは、静かに頷いた。


「……承知いたしました」


◇


正午。


アウグストは、妻エレオノーラと向かい合っていた。


「……あの子は、本気らしいな」


「ええ」


「……」


「……あなた」


エレオノーラは、静かに夫を見つめた。


「……もし、あの世界へ行けるのなら」


「……」


「……あの子に、会ってあげてほしいの」


アウグストは、少し考えた。


そして。


「……もちろんだ」


静かに答えた。


「……だが」


「……?」


「……私は、あの子の父親ではない」


エレオノーラは、目を細めた。


「……そうね」


「……」


「……でも、あの子は、あなたの娘でもあるわ」


アウグストは、しばらく黙っていた。


そして。


「……そうかもしれないな」


小さく呟いた。


◇


午後三時。


研究室。


世界間の接続装置が、再び起動した。


光の幕に、瓦礫の街が映し出される。


そこには、向こうのレオンが立っていた。


『……また来たのか』


こちらのレオンが答える。


「はい」


『……今日は何の用だ』


「……お嬢様が、そちらのエリザベート様に贈り物をなさりたいそうです」


『……贈り物?』


そのとき。


「こんにちは!」


エリザベートが、光の幕の前に飛び出した。


「今日は、お父様を持ってきたわ!」


向こうのレオンは、目を見開いた。


『……何?』


「ほら!」


エリザベートは、父親の腕を引っ張った。


「お父様!」


アウグストが、光の幕の前に立った。


向こうのレオンは、しばらく彼を見つめていた。


そして。


『……公爵様』


小さく呟いた。


『……生きて、いらっしゃるのですね』


アウグストは、静かに頷いた。


「ああ」


『……』


向こうのレオンは、目を閉じた。


そして。


『……少々、お待ちください』


静かに答えた。


◇


数分後。


光の幕の向こうに、エリザベートが現れた。


昨日と同じ、暗い表情。


金色の髪は、少し乱れていた。


『……何?』


その瞬間。


彼女は、アウグストを見た。


『……』


動きが止まった。


『……お父様?』


アウグストは、静かに微笑んだ。


「……こんにちは、エリザベート」


『……』


少女は、しばらく彼を見つめていた。


そして。


『……嘘』


小さく呟いた。


『……お父様は、死んだのよ』


「……そうだね」


『……』


「……私は、君の世界の父親ではない」


少女は、唇を噛んだ。


『……じゃあ、誰なの』


アウグストは、少し考えた。


そして。


「……別の世界で、君の父親をしている男だよ」


静かに答えた。


『……』


向こうのエリザベートは、何も言わなかった。


◇


「ねえ!」


こちらのエリザベートが声を上げた。


「嬉しいでしょう!」


向こうの少女は、顔を上げた。


『……』


「お父様を連れてきてあげたのよ!」


『……』


「だから、もう泣かなくていいわ!」


向こうのエリザベートは、しばらく黙っていた。


そして。


『……返して』


小さく呟いた。


こちらの少女は、首を傾げた。


「……何を?」


『……お父様を、返して』


「だから、連れてきたじゃない!」


『……違う!』


向こうのエリザベートが叫んだ。


『……私のお父様を返してよ!』


沈黙。


光の幕の向こうで、少女の肩が震えていた。


『……あの人じゃない』


『……』


『……私のお父様は、私のお父様なの!』


こちらのエリザベートは、目を丸くした。


そして。


「……わがままね!」


向こうの少女は、顔を上げた。


『……』


「せっかく連れてきてあげたのに!」


『……』


「そんなに嫌なら、もうあげないわ!」


向こうのエリザベートは、何も答えなかった。


ただ、静かに俯いた。


◇


そのとき。


アウグストが、娘の肩に手を置いた。


「……エリザベート」


「何、お父様?」


「……少し、話をさせてくれないか」


「……」


「……あの子と」


こちらのエリザベートは、少し考えた。


そして。


「……いいわよ!」


満面の笑みを浮かべた。


「でも、私のお父様なんだからね!」


アウグストは、静かに頷いた。


「ああ」


そして、光の幕に向き直った。


「……エリザベート」


向こうの少女は、顔を上げなかった。


「……君のお父さんは、どんな人だった?」


『……』


「……教えてくれないか」


長い沈黙。


そして。


『……優しかった』


小さな声が返ってきた。


「……そうか」


『……いつも、私の言うことを聞いてくれた』


「……」


『……でも』


少女は、唇を噛んだ。


『……最後は、私の言うことを聞かなかった』


アウグストは、静かに尋ねた。


「……何を言ったんだい?」


『……』


少女は、しばらく黙っていた。


そして。


『……死なないでって』


小さく答えた。


◇


研究室は、静まり返っていた。


こちらのエリザベートは、光の幕を見つめていた。


そして。


「……ねえ、レオン」


「はい、お嬢様」


「……お父様って、死ぬの?」


レオンは、静かに答えた。


「……はい」


「……」


「いつかは、誰もが亡くなります」


少女は、少し考えた。


そして。


「……じゃあ」


小さく呟いた。


「……死なないようにすればいいじゃない!」


レオンは、静かに頷いた。


「……その方法も、ございます」


「まあ!」


少女は、目を輝かせた。


「じゃあ、お父様を死なないようにしなさい!」


「承知いたしました」


アウグストが振り返った。


「……エリザベート」


「何?」


「……父さんは、いつか死ぬよ」


「嫌よ!」


「……」


「私が嫌って言ったら、嫌なの!」


アウグストは、静かに娘を見つめた。


そして。


「……そうか」


小さく微笑んだ。


◇


光の幕の向こうで、もう一人のエリザベートが顔を上げた。


『……あなた』


こちらの少女が振り返る。


「何?」


『……お父様を、大切にしなさい』


「してるわよ!」


『……』


「だから、死なないようにするの!」


向こうの少女は、しばらく黙っていた。


そして。


『……そう』


小さく呟いた。


『……できるといいわね』


こちらのエリザベートは、胸を張った。


「できるわ!」


そして、レオンを指さした。


「だって、レオンがいるもの!」


向こうのレオンは、その言葉を聞いていた。


彼は、静かに目を閉じた。


そして。


『……そうだな』


小さく呟いた。


『……レオンが、いるからな』


◇


その日の夜。


アルヴェイン公爵邸。


エリザベートは、父親の部屋に押しかけた。


「お父様!」


「どうした、エリザベート」


「私、今日は一緒に寝るわ!」


アウグストは、目を丸くした。


「……珍しいね」


「そう?」


「ああ」


「じゃあ、特別よ!」


少女は、満面の笑みを浮かべた。


「今日だけ、お父様に私を貸してあげる!」


アウグストは、静かに笑った。


「それは光栄だ」


◇


深夜。


レオンは、研究室で一人、記録を整理していた。


向こうの世界のアウグストは、死亡している。


こちらの世界のアウグストは、生存している。


二つの世界。


二つの歴史。


そして。


二人のエリザベート。


レオンは、静かに目を閉じた。


「……」


彼は、あの世界でアウグストが死んだ日のことを覚えていた。


その日。


エリザベートは、泣かなかった。


少なくとも。


レオンが最後に見た彼女は、泣いていなかった。


「……」


レオンは、静かに目を開けた。


そして。


「……あの後に」


小さく呟いた。


「……何が、あった」


答えは、まだなかった。


第三十六話 終

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