第三十五話 私が私を嫌いな理由
悪役令嬢は愛されている
第三十五話 私が私を嫌いな理由
「あなた、私のこと嫌いなのね!」
エリザベート・フォン・アルヴェインは、光の幕の向こうにいる自分自身へ、満面の笑みを向けた。
『……嫌いよ』
返事は即座に返ってきた。
「まあ!」
『あなたみたいな人、大嫌い』
「素敵!」
『……何が?』
「だって、私を嫌ってくれる人を探していたんだもの!」
向こうのエリザベートは、しばらく黙った。
そして、隣に立つレオンを見上げた。
『……ねえ、レオン』
『はい、お嬢様』
『あの人、本当に私なの?』
『そのようです』
『……』
少女は、光の幕を見つめた。
『……信じられないわ』
こちらのエリザベートは、胸を張った。
「私だって、あなたみたいに暗い顔をしたくないわ!」
『……』
「ねえ!」
少女は身を乗り出した。
「どうしてそんな顔をしているの?」
向こうのエリザベートは、静かに答えた。
『……あなたには、分からないわ』
「じゃあ、教えなさい!」
『……嫌よ』
「まあ!」
こちらのエリザベートは、嬉しそうに笑った。
「本当に私みたいね!」
◇
研究室の空気は、張り詰めていた。
セバスチャンは、二人の少女を交互に見つめていた。
エルマーは、魔法陣の状態を確認している。
エレオノーラは、光の幕の向こうにいる娘から目を離せなかった。
そして、レオン。
彼は、もう一人の自分を見つめていた。
『……お前』
向こうのレオンが口を開いた。
『どこから来た』
「……別の世界です」
『それは分かる』
「……」
『いつの世界だ』
レオンは、少し考えた。
「……こちらでは、王都の鳩騒動から数日が経過しています」
向こうのレオンは、目を細めた。
『……鳩?』
「はい」
『……そんなことは、なかった』
沈黙。
エルマーが小さく呟いた。
「……歴史が異なるのですね」
向こうのレオンは、こちらを見つめた。
『……お前は、何回目だ』
レオンは答えなかった。
『……答えられないほどか』
「……」
『……そうか』
向こうのレオンは、それ以上尋ねなかった。
◇
「ねえ!」
エリザベートが声を上げた。
「あなた、こっちに来なさい!」
向こうの少女は、眉をひそめた。
『……嫌よ』
「どうして?」
『……行きたくないから』
「じゃあ、連れてきなさい!」
エリザベートはレオンを指さした。
「あなた、約束したでしょう!」
レオンは、一礼した。
「承知いたしました」
そして、光の幕に向き直った。
「……お嬢様」
『……何?』
「こちらへお越しいただけますか」
向こうのエリザベートは、目を細めた。
『……あなたも、レオンなのね』
「はい」
『……』
少女は、少し考えた。
そして。
『……嫌よ』
静かに答えた。
こちらのエリザベートは、頬を膨らませた。
「もう!」
『……』
「私の言うことを聞きなさい!」
向こうの少女は、しばらくこちらを見つめていた。
そして。
『……あなた』
小さく呟いた。
『……何も知らないのね』
◇
その言葉に、エレオノーラが口を開いた。
「……エリザベート」
向こうの少女が顔を上げる。
『……お母様?』
「ええ」
『……』
少女の表情が、わずかに変わった。
『……お母様』
「……どうしたの?」
『……そちらでは』
少女は、少し言い淀んだ。
『……お父様は、生きている?』
沈黙。
エレオノーラは、静かに頷いた。
「……ええ」
向こうのエリザベートは、目を閉じた。
『……そう』
そして。
『……よかったわね』
小さく呟いた。
こちらのエリザベートは、首を傾げた。
「……お父様がどうしたの?」
向こうの少女は、答えなかった。
◇
そのとき。
向こうのレオンが口を開いた。
『……そろそろ、接続を切った方がいい』
エルマーが振り返る。
「なぜです?」
『……こちらの状況が、安定していない』
「……」
『……それに』
青年は、隣の少女を見た。
『……お嬢様は、まだ外へ出られる状態ではない』
こちらのエリザベートは、目を丸くした。
「……どうして?」
向こうの少女は、唇を噛んだ。
『……』
「ねえ!」
『……うるさいわね!』
突然、向こうのエリザベートが叫んだ。
研究室が静まり返った。
『……あなたには、分からないのよ!』
こちらの少女は、目を瞬かせた。
『……何も失っていないくせに!』
沈黙。
向こうのエリザベートは、肩で息をしていた。
その隣で、レオンが静かに頭を下げた。
『……申し訳ございません』
少女は、首を振った。
『……謝らないで』
『……』
『……あなたは、悪くないわ』
その言葉に。
こちらのレオンの表情が、わずかに変わった。
◇
「……ねえ」
こちらのエリザベートが、小さく呟いた。
向こうの少女が顔を上げる。
「……あなた」
『……何?』
「……私なのに、そんなに泣くの?」
向こうのエリザベートは、目を細めた。
『……』
「……私、泣くの嫌いよ」
『……知ってるわ』
「……」
『……私だって、嫌いだったもの』
沈黙。
こちらのエリザベートは、少し考えた。
そして。
「……じゃあ!」
突然、満面の笑みを浮かべた。
「泣かないようにすればいいじゃない!」
向こうの少女は、目を見開いた。
『……』
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「向こうの私を、泣かないようにしなさい!」
レオンは、一瞬だけ黙った。
そして。
「……承知いたしました」
静かに答えた。
向こうのレオンが、こちらを見つめた。
『……お前』
「……はい」
『……それが、どれほど難しいか』
「……存じております」
『……』
「……ですが」
こちらのレオンは、静かに続けた。
「……お嬢様のご命令ですので」
向こうのレオンは、しばらく黙っていた。
そして。
『……そうか』
小さく呟いた。
『……お前は、まだ諦めていないんだな』
◇
光の幕が、揺れ始めた。
エルマーが声を上げる。
「……接続が不安定になっています!」
セバスチャンが尋ねた。
「維持できませんか」
「……あと数分が限界です!」
こちらのエリザベートは、頬を膨らませた。
「もう!」
そして、向こうの少女を指さした。
「あなた!」
『……何?』
「次は、絶対にこっちに来なさい!」
『……嫌よ』
「じゃあ、私が行くわ!」
向こうの少女は、目を見開いた。
『……来ないで』
「どうして?」
『……』
少女は、少し考えた。
そして。
『……あなたまで、私みたいになってほしくないから』
静かに答えた。
こちらのエリザベートは、しばらく黙っていた。
そして。
「……変なの!」
小さく笑った。
「私が私を心配するなんて!」
向こうの少女は、何も答えなかった。
◇
接続が切れた。
研究室に、静寂が戻った。
エリザベートは、しばらく光の消えた場所を見つめていた。
そして。
「……レオン」
「はい、お嬢様」
「……あの私、変だったわね」
「……左様でございますね」
「……」
少女は、少し考えた。
そして。
「……でも」
小さく呟いた。
「……あのレオンは、優しそうだったわ」
レオンは、静かに頭を下げた。
「……恐れ入ります」
「あなたも、ああなりなさい!」
「承知いたしました」
「ふふっ!」
少女は、満足そうに笑った。
◇
深夜。
レオンは、一人で研究室に残っていた。
光の幕は、すでに消えている。
彼は、静かに椅子へ腰掛けた。
そして。
「……三人目」
小さく呟いた。
向こうのレオンが言った言葉。
『お前で、三人目だ』
彼は、目を閉じた。
あの世界で死んだ自分。
その後、蘇生された自分。
そして、別の世界から来た自分たち。
もし、あの青年がすでに二人のレオンと会っていたのなら。
「……」
レオンは、静かに目を開けた。
「……何を、知っている」
そのとき。
背後から声がした。
「……レオン」
振り返ると、エレオノーラが立っていた。
「……奥様」
「……あなたに、聞きたいことがあるの」
「……何でしょう」
エレオノーラは、静かに彼を見つめた。
そして。
「……あの世界のエリザベートは」
少し言葉を選んだ。
「……本当に、私の娘なの?」
レオンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……はい」
静かに答えた。
「……あの世界で生きている、奥様の娘でございます」
エレオノーラは、目を閉じた。
「……そう」
そして。
「……ならば」
小さく呟いた。
「……私は、あの子も守りたい」
レオンは、何も答えなかった。
ただ、静かに頭を下げた。
第三十五話 終




