第三十三話 死後の世界は営業していない
悪役令嬢は愛されている
第三十三話 死後の世界は営業していない
「死後の世界へ行くわ!」
エリザベート・フォン・アルヴェインは、朝食の席でそう宣言した。
昨日、一度死んだ少女である。
「本日は何時頃にご出発なさいますか」
セバスチャンが尋ねた。
「お昼よ!」
「承知いたしました」
「お弁当も用意しなさい!」
「かしこまりました」
「それから、お土産を買いたいわ!」
「死後の世界の通貨を調査いたします」
「素敵!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
その横で、父アウグストが新聞を閉じた。
「エリザベート」
「何、お父様?」
「死後の世界には、まだ行ったことがないんだろう?」
「当たり前でしょう!」
「ならば、どんな場所か分からないね」
「そうよ!」
「危険かもしれない」
「レオンがいるもの!」
少女は当然のように答えた。
そして、レオンを指さした。
「ねえ!」
「はい、お嬢様」
「あなた、私を守るでしょう?」
「もちろんでございます」
「ほら!」
アウグストはレオンを見た。
「……頼んだぞ」
「承知いたしました」
公爵は頷いた。
ただし、その表情は少しも安心していなかった。
◇
午前九時。
アルヴェイン公爵邸の地下研究室。
魔導師エルマーは、巨大な黒板を前に説明を始めた。
「まず、死後の世界というものが実在するかについてですが」
「あるでしょう?」
エリザベートが尋ねた。
「確証はございません」
「じゃあ、作りなさい!」
「……」
エルマーは考え込んだ。
「それは死後の世界を作るということでしょうか」
「そうよ!」
「死後の世界を作った場合、そこは死後の世界と呼べるのでしょうか」
「呼べばいいじゃない!」
「……なるほど」
エルマーは黒板に大きく書いた。
死後の世界=死後の世界と呼ばれる場所
「解決いたしました」
「まあ!」
エリザベートは拍手した。
しかし。
「解決しておりません」
レオンが言った。
エルマーは振り返った。
「……何がでしょう」
「お嬢様は、昨日ご自身が死なれた後、何があったのかを知りたがっておいでです」
「はい」
「新しい世界を作っても、それは昨日お嬢様が経験された死の先にあるものとは限りません」
「……」
エルマーは黒板を見つめた。
そして、静かに文字を消した。
「……失礼いたしました」
「いいわよ!」
エリザベートは笑った。
「でも、早くしなさい!」
◇
午前十時。
研究室には、王国中から集められた死霊術師たちが並んでいた。
総勢二十七名。
全員が、死者の魂に関する研究者だった。
「死後の世界はあります!」
一人目が断言した。
「ありません!」
二人目が否定した。
「あるともないとも言えません!」
三人目が胸を張った。
「あなたたち、仲が悪いのね!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「いいえ!」
二十七人が同時に答えた。
「仲は良好です!」
「つまらないわ!」
その後、議論は三時間続いた。
結論は出なかった。
ただし、研究者の一人が、興味深いことを口にした。
「死者の魂を呼び戻すことはできます」
エリザベートは身を乗り出した。
「じゃあ、死んだ人に聞けばいいじゃない!」
研究者は頷いた。
「その方法は、すでに何度も試されています」
「何て言ったの?」
「人によって違います」
「どう違うの?」
「花畑を見たという方もいれば、暗闇にいたという方もいます。何も覚えていない方もいます」
「じゃあ、みんな違う場所に行くのね!」
「その可能性はございます」
エリザベートは少し考えた。
そして、レオンを見た。
「あなたは、どこに行きたい?」
「……私でございますか」
「そうよ! 死んだら!」
研究室が静かになった。
レオンは、すぐには答えなかった。
「……まだ、決めておりません」
「優柔不断ね!」
「申し訳ございません」
「私はお菓子の国がいいわ!」
「承知いたしました」
「でも、虫歯にはなりたくない!」
「そのようにいたします」
「ふふっ!」
エリザベートは楽しそうに笑った。
◇
午後二時。
死後の世界への旅行計画は、まったく進んでいなかった。
エリザベートは研究室の長椅子に寝転がっていた。
「遅いわ!」
「申し訳ございません」
エルマーが頭を下げた。
「お嬢様。魂の観測装置は完成いたしましたが、観測先を確定できておりません」
「じゃあ、全部見ればいいじゃない!」
「……全部、でございますか」
「そうよ!」
エルマーは顔を上げた。
「……なるほど」
彼の瞳が輝いた。
「観測先を限定する必要がなかったのですね」
レオンが尋ねた。
「可能なのですか?」
「理論上は」
「安全性は?」
「まだ分かりません」
「では、私が先に試します」
エルマーは驚いた。
「レオン殿が?」
「はい」
「しかし、お嬢様はご自身で見たいと」
「もちろんです。装置が安全に動作することを確認した後、お嬢様にお使いいただきます」
エルマーは少し考え、頷いた。
「分かりました」
そのとき。
「嫌よ!」
エリザベートが立ち上がった。
「どうしてあなたが先なの!」
「お嬢様の安全を確認するためでございます」
「私が先に見たいの!」
「承知いたしました」
レオンは一礼した。
そして、エルマーに向き直った。
「お嬢様が先に観測できるよう、危険のない範囲を確認してください」
「はい」
「私が装置に入る必要はありません」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「それでいいのよ!」
◇
午後四時。
観測装置が起動した。
巨大な水晶球が宙に浮かび、研究室の中央に光の幕を作り出す。
エリザベートは椅子に座った。
「これが死後の世界?」
「まだ観測を始めたばかりでございます」
「じゃあ、早く!」
エルマーが魔法陣を操作した。
光の幕に、景色が映った。
青い空。
白い雲。
広大な草原。
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「綺麗!」
「死者の魂が観測した景色の一つです」
「お菓子は?」
「確認できません」
「つまらないわ!」
次の景色。
真っ暗な空間。
次。
海。
次。
見知らぬ街。
次。
燃える王都。
レオンの呼吸が止まった。
そこには、崩れ落ちた城壁が映っていた。
黒煙が空を覆っている。
遠くに、王城の尖塔が見えた。
そして。
金色の髪の少女が、瓦礫の中に立っていた。
「……あら?」
エリザベートが首を傾げた。
「私に似ているわね!」
レオンは、光の幕を見つめた。
その光景を知っていた。
街路の形も。
崩れた塔も。
空に浮かぶ赤い光も。
すべて。
ただ、一つだけ。
彼の知らないものが映っていた。
少女の隣に、一人の青年が立っていた。
黒髪。
使用人の制服。
その横顔は、レオンによく似ていた。
「……」
レオンは、動けなかった。
◇
「止めなさい」
静かな声が響いた。
エレオノーラだった。
研究室の入口に立ち、光の幕を見つめていた。
「奥様?」
エルマーが振り返る。
「その装置を止めなさい」
「しかし、お嬢様が」
「エリザベート」
エレオノーラは娘を見た。
「少し、お話ししましょう」
「嫌よ!」
「……」
「今、面白いところなの!」
エレオノーラは黙った。
そして、娘の隣に座った。
「では、私も見せてもらうわ」
「いいわよ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「ねえ、お母様!」
「何?」
「あれ、私に似ているでしょう?」
エレオノーラは光の幕を見た。
瓦礫の中の少女。
その隣の青年。
彼女は、静かに息を呑んだ。
「……ええ」
「でも、あの私は泣いているわ!」
「……そうね」
「私、あんな顔しないもの!」
エレオノーラは、娘を見つめた。
「……そうだといいわね」
◇
装置の光が揺れた。
映像の中で、黒髪の青年が少女に何かを話しかけた。
音声は聞こえない。
少女が顔を上げる。
そして。
青年の胸に飛び込んだ。
エリザベートは目を丸くした。
「まあ!」
彼女は隣に立つレオンを見た。
「あなた、あの人に似ているわ!」
「……左様でございますね」
「兄弟?」
「いいえ」
「じゃあ、親戚?」
「……違います」
「変なの!」
少女は笑った。
しかし、レオンは笑わなかった。
彼は、映像の中の青年を見つめていた。
自分が死んだ後の世界。
そこで何が起きたのか。
彼には分からない。
分からないはずだった。
けれど。
そこには、自分と同じ顔の男がいた。
そして、エリザベートは生きていた。
◇
「……レオン」
エレオノーラが、小さく声をかけた。
「はい、奥様」
「……あなた、あの世界を知っているの?」
レオンは、しばらく黙った。
そして。
「……途中までは」
静かに答えた。
エレオノーラは、目を細めた。
「……途中?」
「はい」
「……その先は?」
レオンは、光の幕を見た。
瓦礫の中で、少女が笑っていた。
自分の知らない笑顔だった。
「……存じません」
その答えに、嘘はなかった。
◇
突然。
「ねえ!」
エリザベートが声を上げた。
「何でしょう、お嬢様」
レオンが振り返る。
少女は、光の幕を指さした。
「私、あそこに行きたいわ!」
研究室が静まり返った。
「……あちらへ、でございますか」
「そうよ!」
「……」
「だって!」
エリザベートは、満面の笑みを浮かべた。
「あの私、私より楽しそうなんだもの!」
レオンは、何も答えなかった。
少女は続けた。
「それに、あのあなたも見てみたいわ!」
「……」
「ねえ、レオン!」
彼女は笑った。
「あなたが二人いたら、私のお願いも二倍叶うでしょう?」
レオンは、静かに目を閉じた。
そして。
「……お嬢様」
「何?」
「その願いを叶えるには、少しお時間をいただくかもしれません」
「いいわよ!」
エリザベートは即答した。
「でも、絶対よ!」
レオンは深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
光の幕の向こうでは、もう一人のレオンが、少女の手を取っていた。
その世界は、まだ続いていた。
そして、こちらの世界も。
第三十三話 終




