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第三十二話 私を殺しなさい

悪役令嬢は愛されている


第三十二話 私を殺しなさい


「私、死んでみたいわ!」


エリザベート・フォン・アルヴェインは、朝食の席でそう宣言した。


銀のナイフが床に落ちた。


落としたのは、セバスチャンだった。


「……お嬢様」


「何?」


「今、何とおっしゃいましたか」


「死んでみたいって言ったの!」


少女は、苺のジャムをパンに塗りながら答えた。


「だって、死者蘇生ってあるでしょう?」


「……はい」


「だったら、一度死んで、生き返ったら面白そうじゃない!」


セバスチャンは動かなかった。


マリアンヌも。


エルマーも。


誰一人、返事をしなかった。


エリザベートは首を傾げた。


「どうしたの?」


「……恐れながら」


セバスチャンが口を開く。


「お嬢様は、死を経験なさりたいのでしょうか」


「そうよ!」


「蘇生後に、死の記憶が残る可能性がございます」


「じゃあ、忘れさせればいいじゃない!」


「記憶を消去しても、感情や身体の反応が残る場合がございます」


「そうなの?」


「はい」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「じゃあ、それも消しなさい!」


「……」


セバスチャンは、静かに頭を下げた。


「……承知いたしました」


その声は、わずかに震えていた。


◇


午前十時。


アルヴェイン公爵邸の地下会議室。


セバスチャン、マリアンヌ、エルマー、グレゴール。


そしてレオン。


五人が集まっていた。


議題は一つ。


エリザベートお嬢様の死亡と蘇生。


「……蘇生そのものは可能です」


エルマーが言った。


「ただし、死亡後の魂の状態によっては、完全な復元が難しい場合があります」


「成功率は?」


セバスチャンが尋ねた。


「……九十九・九パーセント以上です」


「残りの可能性は?」


「……」


エルマーは答えなかった。


グレゴールが口を開く。


「危険があるなら、実行すべきではない」


「ですが、お嬢様のご命令です」


マリアンヌが答えた。


「……」


「お嬢様は、死を経験したいとお望みです」


セバスチャンは、静かに目を閉じた。


「……その願いを、否定することはできません」


沈黙。


そのとき。


レオンが口を開いた。


「一つ、提案がございます」


全員が彼を見た。


「……何でしょう」


「お嬢様の願いを、別の方法で叶えることはできないでしょうか」


セバスチャンの表情が、わずかに変わった。


「……別の方法?」


「はい」


レオンは、静かに続けた。


「お嬢様は、死そのものではなく、死を経験することに興味を持たれているのではないでしょうか」


「……」


「でしたら、死に近い体験を再現する魔法を用いることも可能です」


エルマーが首を振った。


「それでは、本当の死ではありません」


「はい」


レオンは頷いた。


「ですから、お嬢様にお選びいただきます」


◇


昼。


エリザベートは、庭園で待っていた。


「遅いわ!」


「申し訳ございません」


レオンが一礼する。


「準備はできたの?」


「はい」


「まあ!」


少女は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、早く!」


「その前に、一つご提案がございます」


「何?」


「実際に死亡なさる方法と、死亡時の感覚を魔法で再現する方法がございます」


エリザベートは、目を瞬かせた。


「……再現?」


「はい」


「それ、本当に死ぬの?」


「いいえ」


「じゃあ、嫌よ!」


レオンは頷いた。


「承知いたしました」


少女は満足そうに笑った。


「ふふっ!」


「では、実際に死亡なさる方法をご用意いたします」


「そうしなさい!」


レオンは、静かに頭を下げた。


◇


午後三時。


公爵邸の地下施設。


中央には、白い寝台が置かれていた。


周囲には、複雑な魔法陣。


蘇生術師たちが待機している。


エリザベートは、楽しそうに寝台へ腰掛けた。


「ねえ、レオン!」


「はい」


「死んだら、何が見えるの?」


「……私には、分かりません」


「あなた、何でも知ってると思ってたのに!」


「申し訳ございません」


「ふふっ!」


少女は笑った。


そして。


「じゃあ、始めなさい!」


その瞬間。


「待ちなさい」


低い声が響いた。


アウグストだった。


その隣には、エレオノーラ。


二人は、静かに娘を見つめていた。


「……お父様?」


エリザベートが首を傾げる。


「どうしたの?」


アウグストは、ゆっくりと歩み寄った。


「エリザベート」


「何?」


「……本当に、死にたいのかい?」


「そうよ!」


「……なぜ?」


「面白そうだから!」


アウグストは、しばらく黙った。


そして。


「……そうか」


静かに頷いた。


エレオノーラが口を開く。


「エリザベート」


「何、お母様?」


「……死んだ後、戻ってこられないかもしれないわ」


「でも、蘇生できるんでしょう?」


「……できる可能性は高いわ」


「じゃあ、大丈夫よ!」


エレオノーラは、静かに娘を見つめた。


そして。


「……あなたが戻ってこなかったら、私たちは悲しいわ」


エリザベートは、目を瞬かせた。


「……悲しい?」


「ええ」


「……」


少女は、少し考えた。


そして。


「……じゃあ」


小さく呟いた。


「……戻ってくればいいじゃない!」


沈黙。


誰も答えなかった。


◇


そのとき。


レオンが、一歩前に出た。


「お嬢様」


「何?」


「……一つだけ、お約束いただけますか」


「約束?」


「はい」


「何?」


レオンは、静かに答えた。


「……もし、死んだ後に戻ってこられたなら」


「うん!」


「……もう一度、私をお呼びください」


エリザベートは、目を丸くした。


「……それだけ?」


「はい」


「……変なの!」


少女は、くすくすと笑った。


「分かったわ!」


そして。


「レオン!」


「はい」


「今、呼んであげたわ!」


「……」


レオンは、静かに微笑んだ。


「……ありがとうございます」


◇


午後三時十五分。


儀式が始まった。


エリザベートは、白い寝台に横たわった。


蘇生術師たちが、魔法陣を起動する。


エルマーが、静かに告げた。


「……お嬢様」


「何?」


「……これより、死亡状態へ移行いたします」


「早くしなさい!」


「……承知いたしました」


魔法陣が、淡く輝いた。


そして。


少女の呼吸が、止まった。


◇


静寂。


誰も動かなかった。


セバスチャンは、少女の手を握っていた。


マリアンヌは、唇を噛んでいた。


アウグストは、静かに目を閉じていた。


エレオノーラは、娘の顔を見つめていた。


レオンだけが、魔法陣を見ていた。


そして。


「……蘇生を」


静かに告げた。


エルマーが頷いた。


「……はい」


魔法陣が、再び輝いた。


光が、少女の身体を包む。


一秒。


二秒。


三秒。


そして。


エリザベートの胸が、わずかに上下した。


「……!」


セバスチャンが息を呑んだ。


少女の瞼が、ゆっくりと開いた。


「……」


エリザベートは、天井を見つめた。


そして。


「……レオン」


小さく呟いた。


レオンが、すぐに近づいた。


「はい、お嬢様」


少女は、しばらく彼を見つめた。


そして。


「……私」


小さく呟いた。


「……死んだの?」


「はい」


「……」


少女は、少し考えた。


そして。


「……つまらなかったわ!」


満面の笑みを浮かべた。


セバスチャンが、その場に膝をついた。


マリアンヌが、涙を流した。


アウグストは、深く息を吐いた。


エレオノーラは、娘を抱きしめた。


そして。


レオンは、静かに頭を下げた。


「……お帰りなさいませ、お嬢様」


◇


その夜。


エリザベートは、寝室でレオンを呼んだ。


「レオン!」


「はい」


「死ぬのって、何も見えないのね!」


「……左様でございますか」


「そうよ!」


少女は、頬を膨らませた。


「期待外れだったわ!」


「申し訳ございません」


「あなたのせいじゃないわよ!」


「……」


「でも!」


エリザベートは、少し考えた。


そして。


「……もう一回やったら、違うものが見えるかしら?」


レオンは、静かに答えた。


「……お嬢様」


「何?」


「……次は、別の方法をご提案いたします」


「……別の方法?」


「はい」


少女は、目を輝かせた。


「まあ!」


「……死なずに、死後の世界を見に行く方法です」


エリザベートは、満面の笑みを浮かべた。


「素敵!」


そして。


「じゃあ、明日ね!」


「承知いたしました」


◇


深夜。


公爵邸の廊下。


セバスチャンは、レオンを呼び止めた。


「……レオン殿」


「はい」


「……本日は、ありがとうございました」


「恐れ入ります」


「……」


セバスチャンは、しばらく黙っていた。


そして。


「……私は、今日」


小さく呟いた。


「……お嬢様を、失うところでした」


レオンは、何も答えなかった。


「……それでも、私は」


セバスチャンは、静かに目を閉じた。


「……お嬢様の願いを、叶えることしか考えられませんでした」


沈黙。


レオンは、静かに答えた。


「……それが、セバスチャン様の愛情なのでしょう」


「……」


「ですが」


レオンは、続けた。


「……お嬢様の願いは、まだ終わっておりません」


セバスチャンは、顔を上げた。


「……?」


「お嬢様は、死後の世界をご覧になりたいとお望みです」


「……」


「私は、その願いを叶えます」


レオンは、静かに頭を下げた。


「……お嬢様を、死なせずに」


セバスチャンは、しばらく彼を見つめていた。


そして。


「……あなたは」


小さく呟いた。


「……私たちとは、違うのですね」


レオンは、何も答えなかった。


ただ、静かに一礼した。


◇


その夜。


レオンは、庭園に立っていた。


月が、雲の間から顔を出している。


彼は、静かに空を見上げた。


そして。


「……また、一つ」


小さく呟いた。


「……知らない未来が、増えた」


その声は、誰にも届かなかった。


第三十二話 終

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