第三話 月を盗む方法
悪役令嬢は愛されている
第三話 月を盗む方法
「月が欲しいわ」
王国歴三百二十七年、十二月十九日。
午前七時。
エリザベート・フォン・アルヴェインは、窓の外を眺めながらそう言った。
「かしこまりました」
老執事セバスチャンは静かに頭を下げた。
「……あら?」
エリザベートは首を傾げた。
「昨日も同じことを言った気がするわ」
「はい。昨晩もご所望になりました」
「なら、どうしてまだないの?」
「申し訳ございません」
「まったく!」
少女は頬を膨らませた。
「あなたたち、最近少し怠けているんじゃなくて?」
「お恥ずかしい限りでございます」
「お昼までよ!」
「かしこまりました」
「それと、月は食べられるの?」
「現在、調査中でございます」
「早くしてちょうだい!」
「承知いたしました」
少女は満足そうに頷いた。
今日もお嬢様は大変お元気でいらっしゃる。
実に喜ばしいことであった。
◇
午前七時三十分。
地下第三会議室。
「では、緊急会議を始めます」
セバスチャンが告げた。
「本日の議題は、月の調達についてです」
「天体移動魔法については、すでに術式を完成させております」
エルマーが答える。
「しかし、月を地上へ移動させた場合、重力への影響が懸念されます」
「どの程度でしょう」
「王国が消滅する可能性がございます」
「なるほど」
セバスチャンは頷いた。
「お嬢様は王国の消滅をご所望ではありません」
「左様でございます」
「では、別の方法を」
「承知いたしました」
マリアンヌが手を挙げた。
「月を縮小するという方法はいかがでしょう」
「ほう」
「質量を維持したまま、体積のみを縮小いたします」
「それでは重力の問題が残ります」
「では、質量も縮小いたしましょう」
「なるほど」
エルマーが頷いた。
「理論上は可能です」
「ですが」
セバスチャンが口を開いた。
「月を縮小した場合、夜空から月が消えてしまいますね」
沈黙。
「……確かに」
「お嬢様は月をご所望になりましたが、夜空から月を消すようにはおっしゃっておりません」
「では、複製するしかありませんな」
「それでは本物ではございません」
会議室が静まり返った。
全員が考え込む。
やがて、グレゴールが口を開いた。
「月を二つに割ればよいのでは?」
「却下です」
「なぜだ?」
「お嬢様は月を壊すようにはおっしゃっておりません」
「難しいものだな」
「ええ」
セバスチャンは微笑んだ。
「ですが、それこそがお嬢様にお仕えする喜びでございます」
全員が深く頷いた。
◇
午前八時。
使用人控室。
レオンは、机の上に広げられた書類を眺めていた。
月の質量。
月の軌道。
天体魔法の歴史。
そして、過去に月の移動を試みた魔術師たちの研究記録。
「……なるほど」
彼は小さく呟いた。
「月を動かす必要はない」
そのとき、扉が開いた。
「おはようございます、レオン殿」
セバスチャンだった。
「おはようございます」
「調子はいかがですか」
「順調です」
「それは結構」
老人は机の上の書類を見た。
「月の調達について、何かお考えが?」
「はい」
「お聞かせ願えますか」
レオンは一枚の紙を差し出した。
そこには、複雑な魔法陣が描かれていた。
「月を移動させるのではなく、月と屋敷の間に空間接続を構築します」
「ほう」
「お嬢様のお部屋から、直接月に触れられるようにするのです」
「なるほど」
セバスチャンは感心したように頷いた。
「素晴らしい発想です」
「ありがとうございます」
「ですが、一つだけ」
「何でしょう」
「お嬢様は月をご所望になりました」
「はい」
「月に触れたいとは、おっしゃっておりません」
沈黙。
レオンは少し考えた。
「……では、月そのものをお部屋に置く必要があると」
「そうでございます」
「承知いたしました」
セバスチャンは微笑んだ。
「期待しておりますよ」
◇
午前九時。
王宮。
「アルヴェイン家が月を盗もうとしているだと!?」
国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「昨夜より、王都周辺で大規模な魔力反応が観測されております」
「……またあの娘か」
国王は頭を抱えた。
「今度は何が気に入らんのだ」
「月をご所望とのことです」
「月!?」
「はい」
「月など、どうやって持ってくるつもりだ!」
「不明です」
「止めろ!」
「……陛下」
宰相は困ったように眉を下げた。
「何だ」
「すでに使者を送りました」
「それで?」
「使者は帰還しておりません」
「……」
「代わりに、アルヴェイン家より書簡が届いております」
宰相は一通の手紙を差し出した。
国王は封を切った。
そこには、丁寧な文字でこう記されていた。
『お嬢様は月をご所望です。何卒、ご理解賜りますようお願い申し上げます』
国王は手紙を握り潰した。
「理解できるか!」
◇
午前十時。
地下第三会議室。
「王宮より抗議が届いております」
マリアンヌが報告した。
「内容は?」
「月の調達を中止するように、とのことです」
「なるほど」
セバスチャンは頷いた。
「では、王宮に説明を」
「承知いたしました」
「くれぐれも丁寧に」
「もちろんです」
「お嬢様のご要望を妨げることのないように」
「心得ております」
マリアンヌは微笑んだ。
「必要であれば、王宮そのものを移動させます」
「それは最終手段にいたしましょう」
「かしこまりました」
◇
午前十一時。
庭園。
レオンは巨大な魔法陣の中央に立っていた。
周囲には、エルマーをはじめとする魔術師たちが集まっている。
「準備はよろしいですかな」
エルマーが尋ねた。
「はい」
「では、始めましょう」
レオンは両手を広げた。
魔法陣が青白く輝く。
空間が歪み、空気が震える。
やがて、庭園の中央に巨大な球体が現れた。
直径、およそ二メートル。
白銀の光を放つ、美しい球体。
「……月だ」
魔術師の一人が呟いた。
球体の表面には、無数のクレーターが刻まれている。
その姿は、夜空に浮かぶ月と寸分違わなかった。
「成功です」
レオンが告げた。
エルマーは球体を観察した。
「なるほど。月の存在情報を抽出し、物質として再構築したのですな」
「はい」
「実に見事です」
「ありがとうございます」
「ですが」
エルマーは微笑んだ。
「これは月ではありませんね」
「……」
「月の情報を持つ、別の物体です」
「はい」
「お嬢様は月をご所望です」
「承知しております」
「では、どうなさいます?」
レオンは少し考えた。
そして、静かに答えた。
「……お嬢様に判断していただきます」
エルマーは目を見開いた。
「ほう」
「これが月であるかどうかを決めるのは、私たちではありません」
沈黙。
「お嬢様が月だとお認めになれば、それは月です」
エルマーはしばらくレオンを見つめていた。
やがて、ゆっくりと笑った。
「……素晴らしい」
老人は深々と頭を下げた。
「あなたは、よく理解していらっしゃる」
◇
午前十一時五十分。
「まあ!」
エリザベートは庭園に現れた球体を見て、歓声を上げた。
「お月様だわ!」
「はい、お嬢様」
セバスチャンが答える。
「ご所望のお月様でございます」
「綺麗!」
少女は駆け寄った。
白銀の球体に手を伸ばす。
「冷たい!」
「月の表面温度を再現しております」
「まあ!」
彼女は嬉しそうに笑った。
「ねえ、セバス!」
「はい」
「これ、本物?」
セバスチャンは一瞬だけ沈黙した。
そして、穏やかに答えた。
「お嬢様が本物とお認めになるのであれば、本物でございます」
「ふうん」
エリザベートは球体を見つめた。
しばらく考え込む。
そして。
「偽物ね」
静かな声だった。
庭園の空気が変わった。
「……左様でございますか」
セバスチャンが頭を下げる。
「だって、空にもお月様があるんでしょう?」
「はい」
「なら、これは違うものじゃない」
「おっしゃるとおりでございます」
「つまらないわ」
少女は踵を返した。
「もういらない」
「かしこまりました」
「それと」
彼女は振り返った。
「これを作ったのは誰?」
レオンが一歩前に出た。
「私でございます」
「そう」
エリザベートは彼を見た。
「あなた、昨日の新人ね」
「はい」
「名前は?」
「レオンと申します」
「そうだったわね」
少女は微笑んだ。
「処刑してちょうだい」
「かしこまりました」
セバスチャンは即答した。
レオンは静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
◇
午後一時。
地下第三会議室。
「では、処刑の準備を」
セバスチャンが告げた。
「承知いたしました」
グレゴールが立ち上がる。
「方法は?」
「お嬢様からのご指定はございません」
「では、通常どおりに」
「お願いいたします」
マリアンヌが手を挙げた。
「一つ、よろしいでしょうか」
「何でしょう」
「レオン殿は、非常に優秀な人材です」
「ええ」
「今後の育成計画にも、組み込まれております」
「承知しております」
「処刑してしまうのは、少々惜しいかと」
セバスチャンは微笑んだ。
「マリアンヌ様」
「はい」
「お嬢様は、処刑をご所望になりました」
「……」
「それ以上に重要なことがございますか?」
沈黙。
マリアンヌは深々と頭を下げた。
「失礼いたしました」
「結構です」
会議は終了した。
◇
午後二時。
処刑場。
レオンは静かに立っていた。
目の前には、巨大な断頭台。
周囲には、アルヴェイン家の使用人たちが集まっている。
「何か言い残すことは?」
グレゴールが尋ねた。
「ございません」
「そうか」
「はい」
「惜しい男だ」
「光栄です」
グレゴールは剣を抜いた。
「では」
レオンは目を閉じた。
その瞬間。
「待ちなさい!」
少女の声が響いた。
全員が振り返る。
エリザベートだった。
「お嬢様!」
セバスチャンが頭を下げる。
「いかがなさいましたか」
「私、思い出したわ!」
「何をでしょう」
「この男、昨日も私を楽しませてくれたでしょう?」
「はい」
「なら、今日も何か面白いことをしてもらわないと損じゃない!」
「おっしゃるとおりでございます」
「処刑はやめよ!」
「かしこまりました」
グレゴールは剣を収めた。
レオンは静かに目を開けた。
「……ありがとうございます、お嬢様」
「ふん!」
エリザベートは腕を組んだ。
「勘違いしないでちょうだい!」
「はい」
「あなたが死んだら、明日の仕事を誰がするのよ!」
「おっしゃるとおりです」
「まったく!」
少女は頬を膨らませた。
「本当に、使えない男ね!」
「申し訳ございません」
「明日はちゃんとしなさいよ!」
「かしこまりました」
◇
午後四時。
地下第三会議室。
「本日の新人教育についてですが」
セバスチャンが口を開いた。
「非常に有意義な結果となりました」
「ええ」
マリアンヌが頷く。
「レオン殿は、お嬢様のご判断を尊重することの重要性を学ばれました」
「それに」
エルマーが微笑んだ。
「お嬢様は、彼にもう一度機会を与えてくださいました」
「実にありがたいことです」
「ええ」
「では、明日の教育課題についてですが」
セバスチャンは書類を取り出した。
「お嬢様より、新たなご要望がございます」
「ほう」
「明日は、太陽をご所望です」
沈黙。
「……太陽ですか」
「はい」
「なるほど」
エルマーは腕を組んだ。
「これはまた、難しい課題ですな」
「ええ」
セバスチャンは微笑んだ。
「ですが、レオン殿ならば、きっと成し遂げてくださるでしょう」
全員が頷いた。
◇
その夜。
エリザベートは寝台の上で、明日のことを考えていた。
月。
太陽。
そして、新しい使用人。
「ふふっ」
少女は笑った。
「明日も楽しみだわ」
窓の外では、白い月が輝いていた。
彼女は知らない。
今日、自分の一言で一人の青年が処刑されかけたことを。
そして、彼女の一言で、その青年が命を救われたことを。
彼女は知らない。
自分の言葉が、どれほど大きな力を持っているのか。
そして、彼女は知る必要もなかった。
なぜなら。
彼女の周囲には、彼女を愛する人々がいるのだから。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第三話 終




