第二十九話 お母様は帰ってこない
悪役令嬢は愛されている
第二十九話 お母様は帰ってこない
「お母様を呼びなさい!」
朝食の席で、エリザベートが宣言した。
父アウグストは、紅茶を飲む手を止めた。
「エリザベート。母さんに何か用かい?」
「別に!」
「……そうか」
「でも、お父様だけ帰ってくるなんて不公平でしょう?」
少女は頬を膨らませた。
「お母様にも帰ってきてもらうわ!」
アウグストは微笑んだ。
「手紙を書いてみるといい」
「嫌よ!」
「なぜだい?」
「私が書いたら、お願いしているみたいじゃない!」
「……」
父親は少し考えた。
「確かに、お願いになるね」
「でしょう!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「だから命令するの!」
「なるほど」
アウグストはセバスチャンに視線を向けた。
「エレオノーラに伝えてくれ」
「承知いたしました」
「娘が帰宅を望んでいる、と」
「かしこまりました」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「今日中によ!」
セバスチャンは一礼した。
「その旨もお伝えいたします」
◇
アルヴェイン公爵夫人、エレオノーラ。
彼女は現在、王都から馬車で十日ほど離れた北方領に滞在していた。
理由は、領地の視察。
というのは、表向きの話である。
実際には、北方で発生している奇妙な事件の調査を行っていた。
事件の内容は単純だった。
死んだ人間が、生き返っている。
それ自体は、この世界では珍しくない。
死者蘇生の魔法は存在する。
ただし、高度な技術と莫大な魔力が必要だった。
ところが北方では、蘇生魔法を使った者がいないにもかかわらず、死者が戻ってきていた。
しかも。
「……三人目ですか」
エレオノーラは、机の上に並べられた報告書を見つめた。
銀色の長い髪。
紫色の瞳。
年齢は三十代後半。
整った顔立ちには、疲労の色が浮かんでいた。
「はい、奥様」
部下が答える。
「今回の男性も、死亡から七日後に帰宅しております」
「死因は?」
「落馬による頭部損傷です」
「蘇生の痕跡は?」
「確認できません」
エレオノーラは、静かに目を閉じた。
「……本人の記憶は?」
「死亡した瞬間まで、明確に覚えているそうです」
「その後は?」
「……」
部下は、少し言い淀んだ。
「……別の場所にいた、と」
エレオノーラは顔を上げた。
「別の場所?」
「はい」
「どこですか」
「……本人にも、分からないそうです」
沈黙。
エレオノーラは、窓の外を見た。
北方の空には、薄い雲が広がっていた。
「……また、始まったのですね」
小さく呟いた。
◇
同じ頃。
王都。
エリザベートは、庭園でレオンを呼びつけていた。
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「お母様が帰ってこないの!」
「まだご連絡を差し上げたばかりでございます」
「でも、帰ってこないわ!」
「……左様でございますね」
少女は頬を膨らませた。
「あなた、迎えに行きなさい!」
「承知いたしました」
「今日中によ!」
「かしこまりました」
「あと!」
エリザベートは少し考えた。
「お母様が帰りたくないって言ったら、どうするの?」
レオンは、静かに答えた。
「理由をお伺いいたします」
「それから?」
「お嬢様にお伝えいたします」
「……」
少女は、少し考えた。
そして。
「それじゃ遅いわ!」
「申し訳ございません」
「だから、お母様ごと連れてきなさい!」
レオンは、一瞬だけ黙った。
「……ご本人のご意思にかかわらず、でしょうか」
「そうよ!」
「承知いたしました」
レオンは深く頭を下げた。
◇
その日の午後。
北方領。
エレオノーラは、調査資料を読んでいた。
突然。
部屋の中央に、魔法陣が現れた。
「……!」
護衛たちが剣を抜く。
しかし、魔法陣から現れた人物を見て、動きを止めた。
「……レオン?」
エレオノーラが、静かに呟いた。
レオンは一礼した。
「ご無沙汰しております、奥様」
「……あなたが、なぜここに」
「お嬢様より、お迎えに上がるよう命じられました」
「……」
エレオノーラは、少し考えた。
そして。
「……エリザベートが?」
「はい」
「……」
彼女は、静かに微笑んだ。
「……そう」
しかし、すぐに表情を引き締めた。
「残念だけれど、今は帰れないわ」
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「……調査が終わっていないの」
レオンは頷いた。
「承知いたしました」
そして。
「では、調査を終わらせます」
エレオノーラは、目を見開いた。
「……え?」
◇
一時間後。
北方領の地下施設。
レオンは、三人の蘇生者と向かい合っていた。
一人目。
五十代の男性。
二人目。
二十代の女性。
三人目。
十歳ほどの少年。
全員、死亡したはずの人間だった。
レオンは、静かに尋ねた。
「皆様は、死亡後の記憶をお持ちでしょうか」
三人は、互いの顔を見合わせた。
そして、男性が口を開いた。
「……ある」
「どのような記憶でしょう」
「……知らない街にいた」
「街?」
「ああ」
男性は、震える声で続けた。
「……王都みたいな街だった」
「……」
「でも、全部燃えていた」
レオンの表情が、わずかに変わった。
女性が、続けた。
「……私も」
「……」
「……大きなお城が、崩れていた」
少年が、小さく呟いた。
「……僕、女の子を見た」
レオンは、静かに少年を見た。
「どのような女の子でしたか」
「……金色の髪」
沈黙。
「……青い目」
レオンは、何も言わなかった。
少年は、続けた。
「……泣いてた」
その瞬間。
レオンの手が、わずかに震えた。
◇
「……どういうこと?」
エレオノーラが尋ねた。
レオンは、静かに答えた。
「……まだ、分かりません」
「……あなたにも?」
「はい」
エレオノーラは、少し考えた。
そして。
「……レオン」
「はい」
「あなた、何か知っているのでしょう」
沈黙。
レオンは、しばらく彼女を見つめた。
そして。
「……はい」
静かに答えた。
エレオノーラは、目を細めた。
「……何を?」
レオンは、少し考えた。
そして。
「……奥様」
「何?」
「この世界では、死者蘇生が可能です」
「ええ」
「しかし、蘇生された人間が、死亡後に別の世界を見たという報告は、極めて稀です」
「……」
「そして、その世界は」
レオンは、静かに続けた。
「……私が、かつて見た世界と一致しています」
沈黙。
エレオノーラは、しばらく彼を見つめた。
そして。
「……なるほど」
小さく呟いた。
「……あなたが、あの子のそばにいる理由が、少し分かった気がするわ」
◇
夕方。
北方領の調査施設。
エレオノーラは、部下たちに指示を出していた。
「調査は継続します」
「奥様は?」
「王都へ戻ります」
「しかし、まだ原因が」
「分かっています」
エレオノーラは、静かに頷いた。
「ですが、娘が呼んでいるのです」
「……」
「それに」
彼女は、レオンを見た。
「……王都で確認したいことができました」
レオンは、一礼した。
「転移の準備は整っております」
「ありがとう」
◇
その日の夜。
アルヴェイン公爵邸。
「お母様!」
エリザベートが、満面の笑みで駆け寄った。
エレオノーラは、娘を抱きしめた。
「ただいま、エリザベート」
「遅いわ!」
「ごめんなさい」
「私、待っていたのよ!」
「ええ」
「でも!」
少女は、少し考えた。
そして。
「……お土産は?」
エレオノーラは、微笑んだ。
「もちろん、あるわ」
「まあ!」
少女の瞳が輝いた。
「何かしら!」
エレオノーラは、小さな箱を取り出した。
中には、青い宝石が入っていた。
「北方で採れたものよ」
「綺麗!」
「気に入った?」
「ええ!」
エリザベートは、満足そうに笑った。
「お母様、大好き!」
エレオノーラは、娘の頭を撫でた。
「私もよ」
その様子を、レオンは静かに見つめていた。
◇
深夜。
アルヴェイン公爵邸。
エレオノーラは、夫アウグストと向かい合っていた。
「……北方で、奇妙なことが起きているわ」
「報告は受けている」
「……」
「死者が戻ってきたそうだな」
「ええ」
エレオノーラは、静かに頷いた。
「でも、それだけじゃない」
「……?」
「……戻ってきた人たちが、同じ夢を見ているの」
アウグストは、眉をひそめた。
「……どんな夢だ」
エレオノーラは、少し考えた。
そして。
「……燃える王都」
静かに答えた。
「……崩れ落ちる城」
「……」
「……そして、泣いているエリザベート」
沈黙。
アウグストは、しばらく何も言わなかった。
そして。
「……レオンは?」
「……知っているようだったわ」
アウグストは、静かに目を閉じた。
「……そうか」
◇
同じ頃。
レオンは、庭園に立っていた。
月明かりが、静かに降り注いでいる。
彼は、空を見上げた。
そして。
「……なぜ」
小さく呟いた。
「……あの世界が、ここに」
そのとき。
背後から声がした。
「……レオン」
振り返ると、リリィが立っていた。
白い髪。
赤い瞳。
少女は、静かに彼を見つめた。
そして。
「……もう、隠せないよ」
レオンは、何も答えなかった。
リリィは、続けた。
「……あなたが捨ててきた世界は」
小さく呟いた。
「……消えてなんか、いないんだから」
レオンは、静かに目を閉じた。
その言葉を。
彼は、誰よりもよく知っていた。
第二十九話 終




