第二十七話 嫌われるための贈り物
悪役令嬢は愛されている
第二十七話 嫌われるための贈り物
「世界中の人に嫌われたいの!」
エリザベート・フォン・アルヴェインは、朝食の席でそう宣言した。
銀の食器が、かすかに音を立てた。
執事長セバスチャンは、すぐには返事をしなかった。
「お嬢様。恐れながら、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「何?」
「世界中の方々から、嫌悪の感情を向けられることをお望みでしょうか。それとも、嫌われていると感じられる状況をお楽しみになりたいのでしょうか」
エリザベートは眉をひそめた。
「同じじゃない!」
「失礼いたしました」
「違うの?」
「結果が異なる場合がございます」
「じゃあ、両方よ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「みんなが私を嫌いになって、私の悪口を言うの! それで、私が怒るのよ!」
「承知いたしました」
「面白そうでしょう?」
「はい」
セバスチャンは一礼した。
その横で、レオンは静かに紅茶を注いでいた。
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「あなたも私を嫌いになりなさい!」
「承知いたしました」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「じゃあ、もう嫌い?」
「いいえ」
「どうしてよ!」
「命令を承ったばかりですので」
「遅いわ!」
「申し訳ございません」
少女は不満そうに頬を膨らませた。
レオンは、紅茶の水面を見つめた。
彼女に嫌われることなら、慣れている。
彼女を嫌うことにも。
ただ、その二つが同じ意味を持つとは限らなかった。
◇
王立魔法学院。
昼休み。
「というわけで、私を嫌いになりなさい!」
エリザベートは教室の中央で宣言した。
誰も答えなかった。
生徒たちは互いの顔を見合わせた。
一人が恐る恐る手を挙げる。
「……それは、命令でしょうか」
「そうよ!」
「では、嫌いになります」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ、悪口を言いなさい!」
生徒は青ざめた。
「……ええと」
「早く!」
「……その、エリザベート様は」
「うん!」
「……少々、わがままでいらっしゃいます」
エリザベートは目を丸くした。
そして。
「つまらないわ!」
生徒は膝から崩れ落ちた。
「申し訳ございません!」
「謝らないでよ! 嫌いなんでしょう!」
「申し訳ございません!」
「もう!」
そのとき、教室の後ろから声がした。
「お前は本当に馬鹿なのか」
アレクシスだった。
エリザベートが振り返る。
「まあ! アレクシス!」
「何が楽しいんだ。人に嫌われることを命令して、従わせて」
「だって面白そうなんだもの!」
「命令された悪口なんて、ただの芝居だろう」
「……」
エリザベートは少し考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「あなた、やっぱり最高ね!」
「……は?」
「あなたの悪口は本物だもの!」
アレクシスは顔をしかめた。
「褒められている気がしない」
「褒めてないわ!」
「そうか。安心した」
教室の隅で、クラリスが小さく笑った。
◇
同じ日の午後。
アルヴェイン公爵邸では、緊急会議が開かれていた。
出席者は、セバスチャン、マリアンヌ、エルマー、グレゴール。
そしてレオン。
議題は一つ。
エリザベートお嬢様を世界中から嫌われる存在にする方法。
「世論の操作が最も確実でしょう」
エルマーが言った。
「各国の通信魔法に干渉し、お嬢様に対する否定的な情報を流布します」
「虚偽の情報か?」
グレゴールが尋ねた。
「必要であれば」
「それは許されません」
マリアンヌが口を挟んだ。
「お嬢様は嫌われたいとおっしゃいました。嘘を広められたいとはおっしゃっていません」
「では、事実のみを伝えればよろしいのでは」
「事実?」
「例えば、王宮に無断で転移した件や、王都の上空を黒竜で飛行した件です」
「それならば問題ないでしょう」
セバスチャンが頷いた。
しかし、レオンが口を開いた。
「恐れながら」
四人の視線が集まる。
「事実だけを伝えた場合、むしろお嬢様を支持する方が増える可能性があります」
「なぜです?」
エルマーが尋ねた。
「黒竜を従えた少女の話は、地方では英雄譚として伝わるでしょう。王宮への無断転移も、王権を嫌う者には痛快な出来事です」
「……確かに」
マリアンヌが頷いた。
「では、どうすれば」
「お嬢様が実際に誰かを困らせれば、嫌う人間は生まれます」
グレゴールが言った。
「ただし、その者がお嬢様に危害を加えようとすれば、我々が排除します」
「当然です」
セバスチャンが答えた。
「それでは、嫌う人間が減るのでは?」
エルマーが尋ねる。
沈黙。
誰も否定しなかった。
「……難しいですね」
マリアンヌが呟いた。
そのとき、レオンが言った。
「一つ、方法がございます」
「何でしょう」
「お嬢様に、実際に嫌われていただきます」
「それは、先ほどから議論していることでしょう」
「いいえ」
レオンは首を振った。
「嫌われるための行為を、お嬢様ご自身に選んでいただくのです」
◇
夕方。
エリザベートは、庭園でお菓子を食べていた。
「お嬢様」
レオンが声をかける。
「何?」
「世界中の人々から嫌われるための催しを考案いたしました」
「まあ!」
少女は身を乗り出した。
「何をするの?」
「王都の中央広場に、巨大な贈り物を設置いたします」
「贈り物?」
「はい」
「誰に?」
「王都の皆様に」
エリザベートは眉をひそめた。
「私が嫌われたいのに、どうして贈り物をするの?」
「中身を、お嬢様にお選びいただくためです」
「……」
少女は少し考えた。
そして笑った。
「いいわ! 面白そう!」
「ありがとうございます」
「何を入れようかしら!」
レオンは答えなかった。
ただ、静かに頭を下げた。
◇
翌朝。
王都中央広場に、巨大な箱が現れた。
高さ十五メートル。
幅二十メートル。
金色のリボンが巻かれ、箱の正面には大きく文字が書かれている。
『エリザベートから、みんなへ』
王都の住民たちは、不安そうに集まっていた。
「……何だ、あれ」
「公爵令嬢からの贈り物らしい」
「爆発しないだろうな」
「黒竜の卵が入っているという噂だぞ」
広場の中央に、エリザベートが現れた。
「皆様!」
少女は、満面の笑みを浮かべた。
「今日は、私から素敵な贈り物があるわ!」
人々は身構えた。
「でも!」
少女は、胸を張った。
「私のことを嫌いになってほしいの!」
沈黙。
「だから、きっと嫌なものが入っているわ!」
その瞬間。
群衆の中から、一人の老人が叫んだ。
「なら、開けるな!」
エリザベートは、目を輝かせた。
「まあ!」
「迷惑なことをするな!」
「素敵!」
少女は嬉しそうに笑った。
「もっと言って!」
老人は困惑した。
「……何だ、この娘は」
「ふふっ!」
そして、エリザベートは箱を指さした。
「開けなさい!」
巨大なリボンがほどけた。
箱の蓋が、ゆっくりと開いた。
中から現れたのは。
無数の、白い鳩だった。
「……」
人々が空を見上げた。
鳩は広場いっぱいに飛び立ち、王都の空を覆った。
「……鳩?」
誰かが呟いた。
エリザベートは満足そうに笑った。
「そうよ!」
「……」
「私、鳩が嫌いなの!」
沈黙。
「だから、みんなにもあげることにしたの!」
鳩は、広場の屋根に止まり始めた。
噴水にも。
銅像にも。
露店の天幕にも。
そして。
「……あっ」
一羽の鳩が、老人の帽子に止まった。
老人は、ゆっくりと帽子を脱いだ。
「……お嬢ちゃん」
「何?」
「……鳩は嫌いじゃないんだ」
「そうなの?」
「ああ」
「じゃあ、駄目じゃない!」
エリザベートは頬を膨らませた。
そのとき。
別の男が叫んだ。
「畑を荒らされたら困るぞ!」
「洗濯物が汚れる!」
「店の商品に糞を落とされたらどうする!」
人々の声が、次々と上がった。
エリザベートの瞳が輝いた。
「まあ!」
そして、満面の笑みを浮かべた。
「成功ね!」
◇
その日の夜。
王都では、鳩の回収作業が行われていた。
エルマーの魔法によって、すべての鳩は傷つくことなく集められた。
被害を受けた店舗には、アルヴェイン家から補償金が支払われた。
しかし、住民たちの不満は残った。
「まったく、迷惑な令嬢だ」
「金を払えばいいってものじゃない」
「次は何をするんだ」
その言葉は、王都のあちこちで聞かれた。
エリザベートは、報告書を読んで大喜びした。
「素敵!」
そして、レオンを呼んだ。
「レオン!」
「はい」
「あなた、すごいわ!」
「恐れ入ります」
「みんな、ちゃんと私を嫌ってくれたのね!」
「はい」
「ふふっ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、次はもっと大きなことをしましょう!」
「承知いたしました」
レオンは一礼した。
◇
深夜。
アルヴェイン公爵邸。
セバスチャンは、書斎で一人、報告書を見つめていた。
そこには、王都の住民から寄せられた苦情が記されていた。
『アルヴェイン公爵令嬢の行為は、極めて迷惑である』
『今後、同様の行為を慎んでいただきたい』
『公爵家は、令嬢の教育を見直すべきだ』
セバスチャンは、静かに目を閉じた。
「……お嬢様」
小さく呟く。
「……私どもは、本当に正しいことをしたのでしょうか」
返事はなかった。
彼は、引き出しを開けた。
中には、小さな短剣が入っていた。
長年、護身用として携えていたものだった。
セバスチャンは、その柄に手を伸ばした。
「……もし、私の判断が」
そのとき。
扉がノックされた。
「セバスチャン様」
レオンだった。
「……何でしょう」
「本日の件について、ご報告がございます」
「……」
セバスチャンは、短剣から手を離した。
「どうぞ」
レオンが入室する。
そして、静かに一枚の紙を差し出した。
「こちらを」
セバスチャンは、紙を受け取った。
そこには、王都の住民たちの声が記されていた。
ただし、苦情ではなかった。
『鳩が嫌いだと言っていた娘が、鳩を傷つけるなと命じていた』
『迷惑だったが、補償はきちんとされた』
『あの令嬢は、本当に何を考えているのか分からない』
セバスチャンは、目を細めた。
「……これは」
「本日の出来事を、別の角度から記録したものです」
「……」
「お嬢様は、嫌われることを望まれました」
「はい」
「ですが、すべての人に同じ感情を抱かせることはできません」
「……」
「それは、私どもの失敗ではございません」
セバスチャンは、静かにレオンを見つめた。
「……レオン殿」
「はい」
「あなたは、なぜそのように考えられるのですか」
レオンは、少し考えた。
そして。
「……私は、失敗したことがございますので」
静かに答えた。
「何度も」
◇
レオンは、書斎を出た。
廊下には、誰もいなかった。
窓の外には、月が浮かんでいる。
彼は、静かに目を閉じた。
すると。
一つの光景が浮かんだ。
燃える王都。
崩れ落ちる城壁。
そして、血に染まった白いドレス。
その前に、エリザベートが立っていた。
『……レオン』
少女が、震える声で呼んだ。
『……私』
その先の言葉を、彼は覚えていた。
忘れたことなど、一度もなかった。
レオンは、ゆっくりと目を開けた。
「……」
そして、小さく呟いた。
「……今度こそ」
廊下の奥から、少女の声が響いた。
「レオン!」
エリザベートだった。
「どこにいるの!」
レオンは、すぐに歩き出した。
「ただいま参ります、お嬢様」
彼女の声は、今日も元気だった。
第二十七話 終




