第二十話 悪役令嬢は願いを叶えない
悪役令嬢は愛されている
第二十話 悪役令嬢は願いを叶えない
「あなた、私に何か隠しているでしょう?」
エリザベート・フォン・アルヴェインは、朝食の席でそう言った。
銀の食器が、かすかに音を立てた。
向かいに座る白髪の少女、リリィは目を瞬かせる。
「……何のこと?」
「とぼけないで!」
エリザベートは、びしりと指を突きつけた。
「昨日、私のことを呼んだでしょう!」
「……昨日?」
「夜よ! 窓の外から!」
リリィは少し考えた。
「……私は呼んでないよ」
「嘘!」
「本当」
「じゃあ、誰なの!」
「……」
リリィは答えなかった。
エリザベートは頬を膨らませる。
「もう! みんな秘密ばっかり!」
そして、隣に控えるレオンを見た。
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「あなたは何か知っている?」
「……存じております」
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「じゃあ、教えなさい!」
レオンは、一礼した。
「昨夜、お嬢様をお呼びしたのは、星でございます」
「星?」
「はい」
「……星って、お喋りできるの?」
「できるものもございます」
エリザベートは、しばらく考えた。
そして。
「素敵!」
満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、私もお喋りしたいわ!」
◇
その日の午前。
王立魔法学院では、妙な授業が始まっていた。
黒板には、大きくこう書かれている。
『願いとは何か』
教壇に立っているのは、元学院長オスカー・ベルンハルト。
彼は、教室を見渡した。
「皆さん。願いとは、何でしょうか」
一人の生徒が手を挙げた。
「叶えたいことです」
「そうですね」
別の生徒が答える。
「手に入れたいものです」
「それも正しい」
オスカーは頷いた。
「では、願いがすべて叶うとしたら、皆さんはどうしますか」
教室がざわめいた。
「お金持ちになりたい!」
「魔法の才能が欲しい!」
「試験をなくしてほしい!」
次々と声が上がる。
その中で。
「つまらないわね!」
エリザベートが、突然立ち上がった。
オスカーは微笑んだ。
「どうしてですか、エリザベート様」
「だって、そんなの簡単じゃない!」
「……簡単?」
「お金ならセバスが用意してくれるし、魔法ならエルマーが教えてくれるし、試験なんて受けなければいいもの!」
教室が静まり返った。
オスカーは、少し考えた。
「……では、お嬢様」
「何?」
「誰にも叶えられない願いがあるとしたら、どうなさいますか」
エリザベートは、きょとんとした。
「……誰にも?」
「はい」
「セバスにも?」
「はい」
「マリアンヌにも?」
「はい」
「レオンにも?」
「はい」
少女は、しばらく黙った。
そして。
「……そんなの、嫌よ!」
はっきりと言った。
「私のお願いは、全部叶うもの!」
オスカーは静かに頷いた。
「なるほど」
そして、黒板に一文を書き加えた。
『願いと、現実』
「では、本日はその違いについて学びましょう」
◇
昼休み。
学院の中庭。
「ねえ、リリィ!」
エリザベートは、ベンチに座っていた。
「何?」
「あなた、願いを叶えられるんでしょう?」
「……うん」
「じゃあ、私のお願いも叶えて!」
「……何を?」
少女は、少し考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「私、世界で一番綺麗になりたいわ!」
リリィは、しばらく彼女を見つめた。
「……もう、十分綺麗だよ」
「そうでしょう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「でも、一番がいいの!」
「……」
リリィは、静かに目を閉じた。
そして。
「……分かった」
小さく呟いた。
その瞬間。
空に浮かぶ四つの流れ星が、淡く輝いた。
エリザベートの身体を、白い光が包む。
「まあ!」
少女は歓声を上げた。
「綺麗!」
光が消える。
そこには、先ほどと変わらないエリザベートが立っていた。
「……あら?」
少女は、自分の手を見た。
「何も変わってないわ!」
リリィは、静かに微笑んだ。
「……変わったよ」
「どこが?」
「世界の方」
「……世界?」
リリィは、周囲を見渡した。
すると。
近くにいた生徒たちが、一斉にエリザベートを見つめ始めた。
「……美しい」
「なんて綺麗なんだ……」
「こんな人、初めて見た……」
エリザベートは、目を輝かせた。
「まあ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「本当に、私が一番になったのね!」
「……うん」
リリィは、静かに頷いた。
「世界中の人が、そう思うようになった」
◇
午後一時。
王宮。
「……何だと?」
国王アルベルト三世は、報告書を見つめていた。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「王都の住民が、一斉にエリザベート嬢を世界一の美女だと認識するようになりました」
「……」
「隣国でも、同様の現象が確認されております」
「……」
国王は、しばらく黙っていた。
そして。
「……それで?」
静かに尋ねた。
「……はい?」
「それで、何が問題なのだ」
宰相は、少し考えた。
「……特に、ございません」
「……そうか」
国王は、静かに頷いた。
「……なら、放っておけ」
◇
午後二時。
王立魔法学院。
アレクシスは、教室の窓から中庭を眺めていた。
そこには、エリザベートがいる。
黒いリボン。
金色の髪。
青い瞳。
いつもと変わらない姿。
しかし。
「……」
アレクシスは、眉をひそめた。
(……何だ、これは)
彼女を見た瞬間、胸の奥に奇妙な感覚が生まれる。
美しい。
そう思ってしまう。
いや。
思わされている。
「……ふざけるな」
少年は、静かに呟いた。
そのとき。
背後から声がした。
「どうかなさいましたか」
オスカーだった。
「……先生」
「はい」
「……あの女を見て、どう思いますか」
オスカーは、窓の外を見た。
「……美しい方ですね」
「……」
「ですが」
老人は、静かに続けた。
「美しいことと、好きになることは、別の話です」
アレクシスは、目を見開いた。
「……」
オスカーは微笑んだ。
「人は、何を美しいと感じるかを選べないことがあります」
「……」
「ですが、誰を大切にするかは、自分で考えることができます」
アレクシスは、しばらく黙っていた。
そして。
「……俺は、あの女が嫌いです」
「そうですか」
「……」
「それでよいのではありませんか」
オスカーは、穏やかに微笑んだ。
◇
午後三時。
アルヴェイン公爵邸。
「……リリィ」
レオンは、静かに声をかけた。
「何?」
「……今の願いは」
「……うん」
リリィは、窓の外を見た。
「世界中の人の認識を書き換えた」
「……」
「でも、安心して」
「……何を」
「好きになるわけじゃない」
「……」
「ただ、美しいと思うだけ」
レオンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……それでも」
静かに呟いた。
「世界を変えてしまった」
リリィは、目を伏せた。
「……うん」
「……なぜ、そんなことを」
「……」
リリィは、少し考えた。
そして。
「……あの子が、願ったから」
小さく答えた。
◇
午後四時。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
「ねえ、レオン!」
エリザベートは、嬉しそうに声をかけた。
「はい、お嬢様」
「私、世界で一番綺麗になったんでしょう?」
「はい」
「ふふっ!」
少女は満足そうに笑った。
「じゃあ、次は何をお願いしようかしら!」
レオンは、静かに頭を下げた。
「お嬢様のお望みのままに」
「そうねえ……」
少女は、少し考えた。
そして。
「……あ!」
目を輝かせた。
「私、思いついたわ!」
「何でしょう」
「世界中の人が、私のことを大好きになればいいのよ!」
沈黙。
レオンは、動かなかった。
「そうすれば、みんな幸せでしょう?」
エリザベートは、満面の笑みを浮かべた。
「私を嫌いな人も、いなくなるもの!」
そのとき。
背後から声がした。
「……それは、駄目」
リリィだった。
エリザベートは、振り返った。
「どうして?」
リリィは、静かに首を振った。
「……それだけは、叶えられない」
「……何ですって?」
少女の表情が変わった。
「あなた、私のお願いを断るの?」
「……うん」
「どうして!」
「……」
リリィは、しばらく黙っていた。
そして。
「……愛は、願いで作れないから」
静かに答えた。
◇
「……嘘つき!」
エリザベートは、頬を膨らませた。
「何でも叶えられるって言ったじゃない!」
「……ごめん」
「じゃあ、もういいわ!」
少女は、くるりと背を向けた。
「あなたなんか、嫌い!」
リリィは、何も言わなかった。
ただ、静かに目を伏せた。
そのとき。
「……お嬢様」
レオンが声をかけた。
「何!」
「……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何よ!」
「お嬢様は、本当に世界中の人から愛されたいのでしょうか」
「当たり前でしょう!」
「……」
「私を嫌いな人なんて、いらないもの!」
レオンは、静かに頷いた。
「……承知いたしました」
そして。
「では、その願いを叶える方法を探します」
リリィが顔を上げた。
「……レオン!」
「……」
レオンは、彼女を見なかった。
ただ、エリザベートへ深々と頭を下げた。
「お嬢様のご命令でございますので」
◇
その夜。
王立魔法学院。
アレクシスは、寮の窓から夜空を見上げていた。
四つの流れ星。
そのうち、一つが、赤く輝いている。
「……」
彼は、静かに目を細めた。
そして。
「……俺は、あの女が嫌いだ」
小さく呟いた。
その言葉を、確かめるように。
何度も。
「……嫌いだ」
しかし。
窓の外では、星が静かに輝いていた。
◇
同じ夜。
アルヴェイン公爵邸。
リリィは、一人で庭園に立っていた。
その隣には、セバスチャン。
「……あなたたちは」
リリィが、静かに口を開いた。
「……本当に、あの子の願いを全部叶えるつもりなの?」
「はい」
セバスチャンは、穏やかに答えた。
「……たとえ、世界が壊れても?」
「お嬢様が、それをお望みであれば」
「……」
リリィは、しばらく黙っていた。
そして。
「……怖いね」
小さく呟いた。
セバスチャンは、静かに微笑んだ。
「よく、そうおっしゃられます」
◇
深夜。
エリザベートは、寝台の上で考えていた。
世界中の人が、自分を好きになる。
なんて素敵な願いだろう。
誰も自分を嫌わない。
誰も逆らわない。
誰も拒絶しない。
「……ふふっ」
少女は、満足そうに笑った。
しかし。
ふと、一人の少年の顔が浮かんだ。
銀色の髪。
鋭い瞳。
いつも、自分に逆らう少年。
「……アレクシス」
少女は、小さく呟いた。
そして。
「……あの人が私を好きになったら」
少し考えた。
「……つまらないわね」
沈黙。
エリザベートは、しばらく天井を見つめていた。
そして。
「……やっぱり、やめた!」
満面の笑み。
「嫌いな人がいた方が、面白いもの!」
少女は、満足そうに頷いた。
「ふふっ!」
そして、眠りについた。
◇
翌朝。
アルヴェイン公爵邸。
「お嬢様」
セバスチャンが一礼した。
「何?」
「世界中の人々から愛される件について、進捗がございます」
「そう!」
エリザベートは、嬉しそうに笑った。
「でも、もういいわ!」
「左様でございますか」
「ええ!」
「では、中止いたします」
「そうして!」
少女は、満足そうに頷いた。
「ふふっ!」
セバスチャンは、深々と頭を下げた。
「かしこまりました」
◇
同じ朝。
王立魔法学院。
アレクシスは、教室でエリザベートを見た。
少女は、いつもどおり楽しそうに笑っている。
「……」
彼は、静かに息を吐いた。
「……やっぱり、嫌いだ」
その言葉を聞いて。
エリザベートは、満面の笑みを浮かべた。
「私もよ!」
二人は、しばらく睨み合った。
そして。
同時に、顔を背けた。
◇
その日の夜。
四つの流れ星のうち、一つが消えた。
残る星は、三つ。
そして。
世界のどこかで。
誰かが、静かに呟いた。
『……あと、三つ』
その声は、誰にも届かなかった。
ただ。
アルヴェイン公爵邸の庭園で。
レオンだけが、静かに空を見上げていた。
「……」
彼は、しばらく星を見つめていた。
そして。
「……まだ、間に合う」
小さく呟いた。
第二十話 終




