第十九話 星から来たお客様
悪役令嬢は愛されている
第十九話 星から来たお客様
「……久しぶり、レオン」
白い髪の少女は、そう言って微笑んだ。
月明かりの庭園。
眠っている黒竜。
そして、空から降りてきた一人の少女。
レオンは、しばらく彼女を見つめていた。
「……なぜ、ここに」
「迎えに来たの」
「……」
「もう、時間がないから」
少女は裸足で芝生に降り立った。
白い服の裾が、夜風に揺れる。
「帰ろう、レオン」
その言葉に、レオンは答えなかった。
代わりに、静かに尋ねた。
「……君は、何を覚えている?」
少女は首を傾げた。
「全部」
「……」
「レオンが、ここへ来た理由も」
一歩、近づく。
「何をしようとしているのかも」
もう一歩。
「それから」
少女は微笑んだ。
「エリザベートを、どうするつもりなのかも」
その瞬間。
庭園の時計が、午前零時を告げた。
◇
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
背後から声がした。
セバスチャンだった。
いつもの黒い燕尾服。
いつもの白い手袋。
そして、いつもと変わらない穏やかな表情。
白髪の少女は振り返った。
「……あなたが、セバスチャン?」
「はい」
「噂どおりね」
「恐れ入ります」
少女は、レオンを見た。
「この人、私のことを知ってる?」
「……」
レオンは答えなかった。
セバスチャンが代わりに口を開いた。
「存じ上げません」
「そう」
「ですが、当家の庭園へ空からお越しになるお客様は、珍しくございません」
「……珍しくないの?」
「先日は、黒竜が参りましたので」
庭園の奥で、ポチが片目を開けた。
『……我は客ではない』
「失礼いたしました。現在は当家で飼育しております」
『……』
黒竜は再び目を閉じた。
白髪の少女は、ぽかんとした顔をした。
そして、小さく笑った。
「……変な家」
「よくお褒めいただきます」
「褒めてないよ」
「左様でございますか」
セバスチャンは一礼した。
「ところで、お嬢様はすでにお休みでございます。御用がおありでしたら、明朝お取り次ぎいたします」
少女は、少し考えた。
「……じゃあ、朝まで待つ」
「かしこまりました」
「でも、レオンと話したい」
「承知いたしました」
セバスチャンはレオンを見た。
「レオン殿。お客様をご案内してください」
「……はい」
「ただし」
老執事は、穏やかに微笑んだ。
「お嬢様のご命令が最優先であることは、お忘れなきよう」
「承知しております」
◇
翌朝。
「嫌よ!」
エリザベートの声が、朝食室に響いた。
「絶対に嫌!」
セバスチャンは、静かに頭を下げた。
「左様でございますか」
「だって、ずるいじゃない!」
少女は頬を膨らませていた。
目の前には、白髪の少女。
年齢は十四歳ほどに見える。
赤い瞳。
白い髪。
そして、何より。
「あなた、空を飛べるんでしょう!」
「うん」
「魔法を使わずに?」
「うん」
「ずるいわ!」
白髪の少女は、困ったように笑った。
「……ずるい?」
「私だって飛びたいもの!」
「レオンに頼めば?」
「それじゃ駄目よ!」
エリザベートは立ち上がった。
「私が飛びたいの!」
「……」
白髪の少女は、レオンを見た。
レオンは静かに頭を下げた。
「お嬢様のご希望でございます」
「……そう」
少女は少し考えた。
そして、エリザベートに手を差し出した。
「じゃあ、教えてあげる」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「本当に?」
「うん」
「あなた、いい人ね!」
「……ありがとう」
「お名前は?」
「リリィ」
「リリィ!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「可愛い名前ね!」
「ありがとう」
「じゃあ、私のことはエリザベート様って呼びなさい!」
「……」
リリィは、少しだけ黙った。
そして。
「……エリザベート様」
「よろしい!」
◇
午前九時。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
「まず、目を閉じて」
リリィが言った。
エリザベートは素直に目を閉じた。
「次に、自分が空に浮かぶところを想像して」
「分かったわ!」
「それから、身体を軽くするの」
「軽く?」
「うん」
「どうやって?」
「……」
リリィは少し考えた。
「自分が、空より軽いと思うの」
「そう!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
そして。
「私、空より軽いわ!」
次の瞬間。
少女の身体が、ふわりと浮いた。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「飛べたわ!」
「……え?」
リリィは目を見開いた。
エリザベートは、ゆっくりと空へ昇っていく。
一メートル。
三メートル。
十メートル。
「きゃあ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「楽しい!」
リリィは、呆然とその光景を見つめていた。
「……嘘」
背後から、セバスチャンが声をかけた。
「お嬢様は、飲み込みが早くていらっしゃいますので」
「……そういう問題じゃない」
リリィは、小さく呟いた。
◇
午前十時。
庭園の上空。
「ねえ、リリィ!」
エリザベートは、空中でくるくると回っていた。
「もっと速く飛べないの?」
「……できるよ」
「教えて!」
「……」
リリィは、少し考えた。
「行きたい場所を、強く思うの」
「そう!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、王宮!」
その瞬間。
エリザベートの姿が、消えた。
「……」
リリィは、しばらく空を見つめていた。
そして。
「……レオン」
「はい」
「……あの子、何なの?」
レオンは、静かに答えた。
「……お嬢様でございます」
「……」
「それ以上でも、それ以下でもございません」
リリィは、深く息を吐いた。
「……そういうことじゃないんだけど」
◇
午前十時一分。
王宮、玉座の間。
「きゃあ!」
天井付近から、少女の声が響いた。
国王アルベルト三世が顔を上げる。
「……何だ!?」
次の瞬間。
エリザベートが、空中に現れた。
「まあ!」
少女は歓声を上げた。
「本当に来ちゃった!」
「……エリザベート!?」
国王は立ち上がった。
「お前、どこから入った!」
「空からよ!」
「……」
「私、飛べるようになったの!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「見て!」
くるりと宙返り。
そして、玉座の前へ降り立つ。
「ふふっ!」
国王は、しばらく黙っていた。
そして。
「……もう、何も言うまい」
静かに椅子へ座った。
◇
正午。
アルヴェイン公爵邸。
「……おかしい」
リリィは、庭園のベンチに座っていた。
その隣には、レオン。
「何がですか」
「全部」
リリィは空を見上げた。
四つの流れ星。
そのうち、一つは、すでに地上へ降りている。
「……あの子」
「はい」
「本来、空を飛べるはずがない」
「……」
「願いを現実にする力は、あんなに簡単に使えるものじゃない」
レオンは、静かに頷いた。
「……承知しております」
「なのに、あの子は」
リリィは、言葉を止めた。
そして。
「……レオン」
「はい」
「本当に、あの子を守るつもり?」
沈黙。
レオンは、しばらく庭園を見つめていた。
そして、静かに答えた。
「……私は、使用人でございます」
「……」
「お嬢様のご命令に従います」
リリィは、目を伏せた。
「……それ、答えになってないよ」
◇
午後二時。
アルヴェイン公爵邸、応接室。
「ねえ、リリィ!」
エリザベートは、嬉しそうに声をかけた。
「何?」
「あなた、私のお友達になりなさい!」
「……友達?」
「ええ!」
「……」
リリィは、少し考えた。
「……いいよ」
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「素敵!」
「……でも」
「何?」
「私、ずっとここにはいられない」
「どうして?」
「……帰らないといけないから」
「どこへ?」
リリィは、空を指差した。
「……あそこ」
エリザベートは、窓の外を見た。
青い空。
白い雲。
そして、昼間でも薄く輝く四つの流れ星。
「……星?」
「うん」
少女は少し考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、星を私のお家にしちゃえばいいわ!」
沈黙。
リリィは、しばらくエリザベートを見つめていた。
「……何?」
「だって、そうすれば帰らなくてもいいでしょう?」
「……」
リリィは、静かに息を吐いた。
「……本当に、変な子」
「失礼ね!」
エリザベートは頬を膨らませた。
「私、可愛いわよ!」
「……うん」
リリィは、小さく笑った。
「それは、そうだね」
◇
午後四時。
アルヴェイン公爵邸、書斎。
「……なるほど」
エルマーは、魔導書を閉じた。
目の前には、リリィ。
そして、レオン。
「あなたは、星の化身というわけですか」
「……そう呼ぶ人もいる」
「興味深い」
エルマーは、静かに頷いた。
「では、あの流れ星は?」
「……願い」
「願い?」
「うん」
リリィは、窓の外を見た。
「誰かが、強く願ったもの」
「……」
「叶わなかった願いは、星になる」
エルマーは、少し考えた。
「……では、なぜ五つも」
「……」
リリィは、答えなかった。
代わりに、レオンを見た。
「……それは」
小さく呟く。
「……レオンが、知ってる」
沈黙。
エルマーは、静かにレオンへ視線を向けた。
「……そうなのですか」
レオンは、しばらく黙っていた。
そして。
「……申し訳ございません」
深々と頭を下げた。
「お答えすることはできません」
エルマーは、静かに頷いた。
「承知しました」
それ以上、尋ねなかった。
◇
午後六時。
アルヴェイン公爵邸、食堂。
「ねえ、リリィ!」
エリザベートは、夕食を食べながら尋ねた。
「何?」
「あなた、星から来たんでしょう?」
「うん」
「じゃあ、星って美味しいの?」
「……」
リリィは、少し考えた。
「……食べたことない」
「そうなの?」
「うん」
「つまらないわね!」
エリザベートは頬を膨らませた。
「私、星を食べてみたいわ!」
その瞬間。
食堂が静まり返った。
セバスチャンが、一礼する。
「かしこまりました」
リリィは、慌てて顔を上げた。
「……待って!」
「何?」
エリザベートが首を傾げる。
「……星は、食べ物じゃないよ!」
「そうなの?」
「うん!」
少女は少し考えた。
そして。
「……じゃあ、やめるわ!」
満面の笑み。
「お腹を壊したら嫌だもの!」
リリィは、深く息を吐いた。
「……よかった」
◇
深夜。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
リリィは、空を見上げていた。
その隣には、レオン。
「……ねえ」
「はい」
「もう、気づいてるんでしょう」
「……」
「星が、一つずつ消えていること」
レオンは、静かに頷いた。
「……はい」
「五つあった願いが、今は四つ」
「……」
「そして、全部消えたとき」
リリィは、言葉を止めた。
レオンは、静かに尋ねた。
「……何が起きる」
リリィは、しばらく黙っていた。
そして。
「……エリザベートが、願いを叶える」
「……」
「最後の願いを」
沈黙。
夜風が、二人の間を通り抜けた。
「……レオン」
リリィは、静かに彼を見つめた。
「あなたは、それを止めるために来たんでしょう?」
レオンは、答えなかった。
その沈黙を見て、リリィは小さく笑った。
「……やっぱり」
◇
同じ夜。
アルヴェイン公爵邸、寝室。
エリザベートは、窓の外を眺めていた。
四つの流れ星。
そのうち、一つが、ゆっくりと地上へ降りていく。
「……まあ」
少女は、目を輝かせた。
「綺麗ね」
そして、満面の笑みを浮かべた。
「明日は、もっと面白いことが起きるかしら!」
そのとき。
窓の外から、小さな声が聞こえた。
『……エリザベート』
少女は首を傾げた。
「……誰?」
返事はなかった。
ただ。
夜空の四つの流れ星が、静かに輝いていた。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第十九話 終




