第十六話 悪役令嬢の婚約者
悪役令嬢は愛されている
第十六話 悪役令嬢の婚約者
「私、結婚するわ!」
その日、アルヴェイン公爵邸の朝食室では、銀の食器が一斉に動きを止めた。
ただし、音はしなかった。
使用人たちは、驚いて物を落とすような教育を受けていない。
「おめでとうございます、お嬢様」
執事長セバスチャンが、深々と頭を下げる。
「それで、お相手はどなたでございましょう」
「まだ決めていないわ!」
「かしこまりました」
「でもね、私、素敵な結婚式がしたいの!」
「承知いたしました」
「お花がいっぱいで、ケーキが大きくて、みんなが私を見ているの!」
「素晴らしいお式になるかと存じます」
「でしょう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「それで、結婚したら何をするの?」
「ご夫婦として生活を共になさいます」
「毎日?」
「基本的には」
「……嫌ね」
少女は眉をひそめた。
「私、一人で寝たい日もあるわ」
「別々のお部屋をご用意できます」
「じゃあ、いいわ!」
「お相手に求める条件はございますか」
「そうねえ……」
エリザベートは苺に生クリームをつけた。
「私より偉そうじゃない人!」
「承知いたしました」
「私のことが大好きな人!」
「はい」
「それから、顔が綺麗な人!」
「かしこまりました」
「あと、お金持ち!」
「お嬢様」
「何?」
「お金については、当家がございますので」
「そうだったわね!」
少女は笑った。
「じゃあ、お金持ちじゃなくてもいいわ!」
その瞬間、候補者の範囲が王国全土へ広がった。
◇
「結婚相手を募集する?」
王立魔法学院の一年A組で、クラリス・フォン・ベルモンドは聞き返した。
「ええ!」
エリザベートは嬉しそうに頷いた。
「今日、お見合いをするのよ!」
「……今日?」
「そう!」
「……何人と?」
「知らないわ!」
クラリスは隣に立つレオンを見た。
「……何人ですの?」
「現在、百八十六名でございます」
「……」
クラリスは額に手を当てた。
「エリザベート様。結婚というのは、もう少し慎重に決めるものでは……」
「どうして?」
「一生を共にする方ですもの」
「そうね!」
「ですから、お互いの性格や価値観をよく知って……」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「クラリス、詳しいのね!」
「い、いえ、それほどでも……」
「じゃあ、あなたも来なさい!」
「……え?」
「私の結婚相手を選んでちょうだい!」
「……」
クラリスは静かに目を閉じた。
断りたい。
しかし、断ればどうなるのか。
昨日、アレクシスが処刑されかけたという噂を聞いたばかりだった。
「……喜んで、お手伝いいたしますわ」
「ふふっ! ありがとう!」
◇
午後一時。
アルヴェイン公爵邸、大広間。
百八十六人の男性が、整然と並んでいた。
王族。
貴族。
騎士。
魔術師。
商人。
冒険者。
果ては、隣国の王子までいる。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「いっぱい!」
「お嬢様のご希望に沿う方々をお招きいたしました」
セバスチャンが答えた。
「素敵!」
少女は椅子に腰掛けた。
その隣にはクラリス。
背後にはマリアンヌとレオン。
そして、少し離れた場所には、グレゴールとエルマーが控えていた。
「では、始めましょう!」
◇
最初の候補者は、隣国の第二王子だった。
「お初にお目にかかります、エリザベート嬢」
金髪の青年が優雅に一礼する。
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「綺麗なお顔ね!」
「光栄です」
「あなた、私のことが好き?」
王子は一瞬、言葉に詰まった。
「……もちろんです」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ、私のために王位を捨てられる?」
沈黙。
王子は微笑みを保った。
「……それは、少々難しい問題ですね」
「そう!」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「じゃあ、次!」
「……え?」
王子は、そのまま退場した。
◇
二人目は、王国最強と名高い若き騎士だった。
「エリザベート様」
青年は膝をついた。
「あなたを生涯お守りいたします」
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「強いの?」
「はい!」
「グレゴールより?」
「……」
騎士は、背後に立つ大男を見た。
グレゴールは穏やかに微笑んでいる。
「……いえ」
「そう!」
エリザベートは頷いた。
「じゃあ、いらないわ!」
騎士は静かに退場した。
◇
三人目は、若き大商人だった。
「私の財産は、王国でも五本の指に入ります」
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「すごいわね!」
「ありがとうございます」
「でも、私のお家の方がお金持ちよね?」
「……」
商人は、セバスチャンを見た。
老人は微笑んでいる。
「……はい」
「そう!」
少女は満足そうに頷いた。
「じゃあ、次!」
商人は静かに退場した。
◇
一時間後。
候補者は、残り百二十人。
二時間後。
残り五十人。
三時間後。
残り三人。
クラリスは、すでに疲れ切っていた。
「……エリザベート様」
「何?」
「……少し、休憩なさいませんか」
「嫌よ!」
「……」
「まだ三人もいるもの!」
「……そうですわね」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「次!」
◇
最後から三番目の候補者は、魔術師だった。
「エリザベート様」
青年は一礼した。
「私は、七属性すべての魔法を扱えます」
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「すごいわね!」
「ありがとうございます」
「レオン!」
「はい」
「あなたも七属性を使えるのよね?」
「はい」
「じゃあ、同じね!」
魔術師は微笑んだ。
「……ですが、私には特別な魔法がございます」
「何?」
「時間停止魔法です」
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「素敵!」
「ありがとうございます」
「レオン!」
「はい」
「あなたもできる?」
「はい」
「じゃあ、次!」
魔術師は、しばらく立ち尽くしていた。
◇
残り二人。
その一人が、前へ出た。
銀色の髪。
鋭い瞳。
ヴァレンシュタイン侯爵家の嫡男。
アレクシスだった。
「……」
エリザベートは、しばらく彼を見つめた。
そして。
「……何であなたがいるの?」
「俺が聞きたい!」
アレクシスは叫んだ。
「父上に、ここへ行けと言われたんだ!」
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「あなた、私と結婚したいの?」
「したくない!」
「そう!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「私も嫌よ!」
「……」
「ふふっ!」
アレクシスは、深く息を吐いた。
「……なら、帰っていいな」
「いいわよ!」
「……」
少年は、そのまま退場した。
◇
そして。
最後の一人。
「……」
青年は、静かに前へ出た。
黒い髪。
穏やかな表情。
整った顔立ち。
「お初にお目にかかります」
彼は深々と頭を下げた。
「エリザベート様」
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「あなた、綺麗なお顔ね!」
「光栄です」
「お名前は?」
「ルシアンと申します」
「そう!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「あなた、私のことが好き?」
「はい」
「本当に?」
「もちろんです」
「じゃあ、私のために何でもできる?」
「はい」
少女は少し考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、死ねる?」
沈黙。
大広間が静まり返った。
ルシアンは、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「……はい」
静かに答えた。
「あなたのためなら」
エリザベートは、目を輝かせた。
「まあ!」
少女は嬉しそうに笑った。
「素敵!」
◇
午後五時。
大広間。
「決めたわ!」
エリザベートは、満面の笑みを浮かべた。
「私、この人と結婚する!」
クラリスは、椅子から立ち上がりかけた。
「……エリザベート様!」
「何?」
「……本当に、それでよろしいのですか?」
「ええ!」
「……まだ、お会いして数分ですわ」
「そうね!」
「……」
「でも、私のために死ねるんですって!」
クラリスは、静かに目を閉じた。
その基準だけは、どうしても理解できなかった。
◇
午後六時。
アルヴェイン公爵邸、応接室。
「ルシアン様」
セバスチャンが、静かに頭を下げた。
「本日は、ありがとうございます」
「いえ」
青年は微笑んだ。
「こちらこそ、光栄です」
「一点、確認がございます」
「何でしょう」
「お嬢様のために、命を捧げるとおっしゃいましたね」
「はい」
「それは、真実でございますか」
「もちろんです」
セバスチャンは微笑んだ。
「結構です」
そして。
「では、こちらを」
小さな銀の杯を差し出した。
中には、透明な液体。
「……これは?」
「毒でございます」
沈黙。
ルシアンは、杯を見つめた。
「……毒?」
「はい」
「……」
「お嬢様のために死ねるとおっしゃいましたので」
青年は、しばらく黙っていた。
そして、静かに尋ねた。
「……飲めと?」
「いいえ」
セバスチャンは首を振った。
「お嬢様は、あなたに死ねとはおっしゃっておりません」
「……」
「ですから、飲む必要はございません」
青年は、安堵したように息を吐いた。
そのとき。
セバスチャンが、静かに付け加えた。
「ですが」
「……はい」
「もし、お嬢様が『飲みなさい』とおっしゃった場合」
「……」
「あなたは、どうなさいますか」
沈黙。
ルシアンは、杯を見つめた。
そして。
「……」
何も答えなかった。
◇
午後七時。
アルヴェイン公爵邸、食堂。
「ねえ、セバス!」
エリザベートは、楽しそうに尋ねた。
「はい、お嬢様」
「ルシアンは?」
「お帰りになりました」
「まあ!」
少女は驚いた。
「どうして?」
「ご婚約について、辞退なさいました」
「……そうなの?」
「はい」
エリザベートは少し考えた。
そして、頬を膨らませた。
「つまらない人ね!」
「左様でございますね」
「じゃあ、結婚はやめるわ!」
「かしこまりました」
「だって、面倒なんだもの!」
「承知いたしました」
少女は満足そうに頷いた。
「ふふっ!」
「それでは、結婚式の準備を中止いたします」
「待って!」
「はい」
エリザベートは目を輝かせた。
「結婚式だけはしたいわ!」
「……」
セバスチャンは、静かに頭を下げた。
「かしこまりました」
◇
その夜。
王宮。
「結婚式だけだと!?」
国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「エリザベート嬢が、結婚せずに結婚式だけを行いたいと」
「……」
「すでに、王都最大の大聖堂を予約されました」
「……」
「招待客は、王国貴族全員でございます」
「……」
国王は、ゆっくりと椅子に座った。
「……新郎は?」
「未定です」
「……」
「新婦は、エリザベート嬢でございます」
「……」
国王は、静かに目を閉じた。
「……もう、好きにしてくれ」
◇
同じ夜。
アルヴェイン公爵邸。
レオンは、庭園を歩いていた。
黒竜ポチが、静かに眠っている。
その背後には、屋敷の灯り。
そして、最上階には、エリザベートの寝室。
「……」
彼は、静かに空を見上げた。
五つの流れ星。
そのうち、一つが。
今夜は、明らかに動いていた。
「……」
レオンは、しばらくその光を見つめていた。
そして、静かに呟いた。
「……もうすぐだ」
その言葉は、夜風に消えた。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第十六話 終




