第十三話 悪役令嬢は誘拐されたい
悪役令嬢は愛されている
第十三話 悪役令嬢は誘拐されたい
「私、誘拐されてみたいわ!」
その発言を聞いたとき、執事長セバスチャンは紅茶を注いでいた。
一滴もこぼさなかった。
「かしこまりました」
「それでね、悪い人たちに捕まって、暗いお部屋に閉じ込められるの!」
「承知いたしました」
「それから、身代金を要求されるのよ!」
「おいくらほどがよろしいでしょうか」
「そうねえ……」
エリザベートは苺を一粒つまんだ。
「百万ゴールド!」
「少々お安いかと存じます」
「じゃあ、一億!」
「承知いたしました」
「でも、誰も助けに来なかったら寂しいわね」
「救出をご希望ですか」
「もちろんよ!」
「どなたにお助けいただきましょう」
「そうねえ……」
少女は食堂の隅を見た。
そこでは、新人使用人のレオンが銀食器を磨いていた。
「レオン!」
「はい、お嬢様」
「あなた、私を助けに来なさい!」
「かしこまりました」
「ただし!」
エリザベートは人差し指を立てた。
「簡単に助けちゃ駄目よ!」
「承知いたしました」
「大変な思いをして、ようやく助け出すの!」
「はい」
「そして私が『よくやったわ!』って褒めてあげるのよ!」
「光栄に存じます」
「ふふっ!」
エリザベートは満足そうに笑った。
「楽しみだわ!」
◇
その日の昼。
王都南区、冒険者ギルド。
一人の男が、受付で奇妙な依頼書を受け取っていた。
男の名はガルド。
元傭兵。
現在は盗賊団《黒狼》を率いる、王都でも指折りの犯罪者である。
依頼書には、こう記されていた。
『アルヴェイン公爵令嬢を誘拐する者を募集』
報酬、五千万ゴールド。
ガルドは鼻で笑った。
「馬鹿か、こいつは」
公爵令嬢の誘拐。
しかも、あのアルヴェイン家。
まともな人間なら絶対に引き受けない。
だが。
「……五千万か」
ガルドは依頼書を裏返した。
そこには、追加条件が記されていた。
『誘拐の成功後、身代金一億ゴールドを要求すること』
『令嬢の身体に傷をつけないこと』
『令嬢が退屈しないよう配慮すること』
『救出者との戦闘では、十分な抵抗を行うこと』
「……何だ、これは」
ガルドは眉をひそめた。
さらに、小さな文字があった。
『依頼人:アルヴェイン公爵家』
「……」
ガルドは依頼書を見つめた。
三秒。
五秒。
十秒。
そして、静かに受付へ戻した。
「悪いが、俺はまだ死にたくない」
◇
同じ頃。
アルヴェイン公爵邸。
「困りましたね」
セバスチャンが呟いた。
「どうなさいましたか」
マリアンヌが尋ねる。
「誘拐犯が集まりません」
「まあ」
「条件は十分なはずですが」
「そうですね」
二人は、机の上に積まれた辞退届を眺めた。
二十七通。
すべて、王都の犯罪組織から届いたものである。
「《赤蛇》は?」
「辞退です」
「《夜鴉》は?」
「解散したそうです」
「《黒狼》は?」
「依頼書を見た直後、王都から逃亡しました」
「まあ」
マリアンヌは困ったように微笑んだ。
「皆様、慎重でいらっしゃいますね」
「ええ」
セバスチャンは頷いた。
「ですが、お嬢様は誘拐をご所望です」
「はい」
「ならば、実現しなければなりません」
「もちろんです」
◇
午後二時。
王都西区。
盗賊団《黒狼》の隠れ家。
「お頭!」
部下が駆け込んできた。
「何だ!」
「客です!」
「客?」
「執事です!」
「……執事?」
扉が開いた。
現れたのは、白髪の老紳士。
「失礼いたします」
セバスチャンは穏やかに頭を下げた。
「アルヴェイン公爵家の者でございます」
ガルドは椅子から転げ落ちた。
「帰れ!!」
「少々、お話を」
「帰れと言っている!」
「依頼の件でございます」
「受けねえ!」
「報酬にご不満が?」
「命が惜しいんだよ!」
セバスチャンは、少し考えた。
「なるほど」
「分かったなら帰れ!」
「では、命の保証をお付けいたしましょう」
「……何?」
「今回の誘拐に伴う行為については、お嬢様への加害を除き、当家より処罰いたしません」
「……」
「王国法上の責任についても、必要な手続きを済ませております」
「……」
「また、戦闘で負傷された場合は、当家の治癒術師が対応いたします」
ガルドは目を細めた。
「……本当だろうな」
「もちろんでございます」
「……」
「ただし」
セバスチャンは微笑んだ。
「お嬢様を退屈させた場合の保証は、いたしかねます」
ガルドは黙った。
その条件だけは、どうにも気になった。
◇
午後三時。
王都中央通り。
エリザベートは、楽しそうに買い物をしていた。
「まあ! この帽子、可愛いわ!」
「お似合いでございます」
レオンが答える。
「こっちも欲しい!」
「かしこまりました」
「それから、あのお店のケーキも!」
「承知いたしました」
そのとき。
路地裏から、黒い布を被った男たちが飛び出してきた。
「動くな!」
エリザベートは振り返った。
「……あら?」
男たちは短剣を構えた。
「お前がエリザベート・フォン・アルヴェインだな!」
「そうよ!」
「俺たちと来てもらう!」
少女は目を輝かせた。
「まあ!」
男たちは一瞬、怯んだ。
「……な、何だ」
「あなたたち、誘拐犯ね!」
「……そうだ!」
「素敵!」
「……」
「待っていたのよ!」
男たちは顔を見合わせた。
こんな誘拐は初めてだった。
「……と、とにかく来い!」
「ええ!」
エリザベートは嬉しそうに歩き出した。
その背後で、レオンが一礼した。
「お嬢様」
「何?」
「必ずお迎えに上がります」
「ええ!」
少女は振り返って笑った。
「ちゃんと苦労するのよ!」
「かしこまりました」
◇
午後四時。
盗賊団《黒狼》の隠れ家。
「……ここが、あなたたちのアジト?」
エリザベートは部屋を見渡した。
薄暗い室内。
古びた家具。
埃をかぶった床。
そして、粗末な椅子。
「そうだ」
ガルドが答えた。
「お前は今から、ここで人質だ」
「ふうん」
少女は椅子に座った。
そして。
「汚いわね」
「……」
「お掃除しなさい!」
「……何?」
「埃があるわ!」
ガルドは額を押さえた。
「おい、小娘」
「何よ」
「お前は誘拐されてるんだぞ」
「知ってるわ!」
「なら、少しは怖がれ!」
「怖くないもの!」
「……」
エリザベートは頬を膨らませた。
「それより、お茶は?」
「……お茶?」
「誘拐されたお客様に、お茶も出さないの?」
「お客様じゃねえ!」
「失礼ね!」
少女は腕を組んだ。
「セバスなら、そんなことしないわ!」
ガルドは天井を見上げた。
五千万ゴールド。
それは、人生で最も高額な仕事だった。
そして。
間違いなく、最も面倒な仕事でもあった。
◇
午後五時。
アルヴェイン公爵邸。
レオンは、セバスチャンの前に立っていた。
「お嬢様の居場所は確認できました」
「結構です」
「救出に向かいます」
「お待ちください」
「……はい」
セバスチャンは懐中時計を見た。
「まだ早うございます」
「……」
「お嬢様は、大変な思いをして救出するようご命令なさいました」
「承知しております」
「現時点で救出されては、ご期待に沿えません」
レオンは静かに頷いた。
「では、いつ向かえばよろしいでしょうか」
「それは、お任せいたします」
「……承知いたしました」
セバスチャンは微笑んだ。
「ただし、お嬢様がお帰りになりたいとおっしゃった場合は、即座にお迎えください」
「もちろんでございます」
◇
午後六時。
《黒狼》の隠れ家。
「つまらないわ!」
エリザベートは、頬を膨らませていた。
「まだ助けに来ないの?」
「……知らねえよ」
ガルドは疲れ切っていた。
「レオンは何をしているのかしら!」
「……さあな」
「遅いわ!」
「……」
「ねえ、あなた!」
「何だ」
「もっと誘拐犯らしいことをしなさい!」
ガルドは眉をひそめた。
「……誘拐犯らしいこと?」
「そうよ!」
「……例えば?」
エリザベートは少し考えた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「私を脅しなさい!」
「……」
ガルドは立ち上がった。
短剣を抜く。
そして、少女の前に突きつけた。
「おい、小娘」
「何?」
「大人しくしていないと、痛い目に遭うぞ」
エリザベートは、しばらく短剣を見つめた。
そして。
「……下手ね」
「……何?」
「全然怖くないわ!」
「……」
「もっとこう、怖い顔をしなさい!」
ガルドは顔をしかめた。
「こうか?」
「違うわ!」
「……こうか?」
「もっと!」
「……」
「もっと怖く!」
ガルドは、人生で初めて思った。
誘拐犯にも、演技力が必要なのだと。
◇
午後七時。
隠れ家の外。
レオンは、建物を見上げていた。
扉の前には、十人の盗賊。
屋根には、弓兵が四人。
地下には、魔法使いが二人。
そして、建物全体には、複雑な結界。
「……」
レオンは静かに目を閉じた。
そのとき。
背後から声がした。
「おい」
振り返ると、一人の少年が立っていた。
銀色の髪。
鋭い瞳。
王立魔法学院の生徒、アレクシスだった。
「……何をしている」
「お嬢様をお迎えに」
「……一人でか?」
「はい」
アレクシスは建物を見上げた。
「……馬鹿か、お前は」
「……」
「相手は盗賊団だぞ」
「承知しております」
「……」
アレクシスは、しばらくレオンを見つめていた。
そして、剣を抜いた。
「……手伝ってやる」
レオンは首を傾げた。
「よろしいのですか」
「勘違いするな」
アレクシスは顔を背けた。
「貴族令嬢が誘拐されていると知って、見過ごすわけにはいかん」
「……ありがとうございます」
「ふん」
アレクシスは剣を構えた。
「行くぞ!」
◇
午後七時十分。
《黒狼》の隠れ家。
轟音が響いた。
正面の扉が吹き飛ぶ。
「何だ!?」
ガルドが立ち上がった。
煙の向こうから、二人の少年が現れた。
レオン。
そして、アレクシス。
「お嬢様」
レオンが一礼した。
「お迎えに上がりました」
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「レオン!」
「お待たせいたしました」
「遅いわ!」
「申し訳ございません」
「でも、ちゃんと来たのね!」
「はい」
少女は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、助けなさい!」
「かしこまりました」
その瞬間。
ガルドが叫んだ。
「野郎ども! やっちまえ!」
盗賊たちが一斉に襲いかかった。
アレクシスが剣を振るう。
炎が舞う。
盗賊たちが吹き飛ぶ。
レオンは静かに歩いた。
その周囲では、刃が砕け、魔法が消え、敵が倒れていく。
「……何だ、こいつら!」
ガルドは叫んだ。
「化け物か!」
◇
午後七時十五分。
最後の盗賊が倒れた。
ガルドは、床に膝をついていた。
「……くそ」
レオンが、静かに近づく。
「お嬢様をお返しいただきます」
「……分かったよ」
ガルドは両手を上げた。
そのとき。
「待ちなさい!」
エリザベートが叫んだ。
全員が振り返った。
「まだ終わってないわ!」
「……お嬢様?」
レオンが尋ねた。
「だって!」
少女は頬を膨らませた。
「私、まだ『よくやったわ!』って言ってないもの!」
沈黙。
レオンは、静かに頭を下げた。
「申し訳ございません」
「もう!」
エリザベートは立ち上がった。
そして、レオンの前に歩み寄った。
「……レオン」
「はい」
少女は、少しだけ胸を張った。
「よくやったわ!」
「恐悦至極に存じます」
「ふふっ!」
満面の笑み。
「これで、誘拐はおしまいね!」
◇
午後八時。
アルヴェイン公爵邸。
「楽しかったわ!」
エリザベートは、夕食の席で笑っていた。
「誘拐って、面白いのね!」
「お気に召しましたか」
セバスチャンが尋ねた。
「ええ!」
「恐悦至極に存じます」
「でも、あの人たち、あんまり怖くなかったわ」
「左様でございますか」
「次は、もっと怖い人がいい!」
「かしこまりました」
「それから、レオン!」
「はい」
「あなた、ちゃんと苦労した?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「ふうん」
少女は少し考えた。
そして、満足そうに頷いた。
「なら、いいわ!」
◇
同じ頃。
王都南区。
盗賊団《黒狼》の隠れ家。
ガルドは、机の上に置かれた金貨を見つめていた。
五千万ゴールド。
約束どおりの報酬だった。
その隣には、治癒魔法を施された部下たちが座っている。
誰一人、命を落としていない。
「……」
ガルドは、しばらく黙っていた。
そして、静かに呟いた。
「……二度とやらねえ」
部下たちは、全員が頷いた。
そのとき。
扉がノックされた。
「失礼いたします」
セバスチャンだった。
ガルドは椅子から飛び上がった。
「帰れ!!」
「少々、ご相談が」
「帰れと言ってるだろ!」
「次回の誘拐についてですが」
「やらねえ!!」
「報酬は、今回の倍を」
「……」
ガルドは、静かに椅子へ座った。
「……話だけ聞こう」
◇
その夜。
王立魔法学院。
アレクシスは、自室の窓から夜空を見上げていた。
五つの流れ星。
いつまでも消えない、不思議な光。
「……レオン」
彼は、小さく呟いた。
あの青年は、何者なのか。
なぜ、あれほどの力を持ちながら、一人の少女に仕えているのか。
そして。
なぜ、自分はあの場で、彼を助けようと思ったのか。
「……」
アレクシスは、静かに目を閉じた。
その答えは、まだ分からなかった。
◇
同じ夜。
アルヴェイン公爵邸。
レオンは、庭園を歩いていた。
黒竜ポチが、巨大な身体を丸めて眠っている。
その背後には、屋敷の灯り。
そして、最上階には、エリザベートの寝室。
「……」
レオンは、静かに空を見上げた。
五つの流れ星。
そのうち、一つが。
ほんのわずかに、動いた。
「……?」
レオンは目を細めた。
もう一度、空を見る。
しかし。
流れ星は、元の位置に戻っていた。
「……」
彼は、しばらくその光を見つめていた。
そして、静かに呟いた。
「……何かが、始まっている」
その言葉は、夜風に消えた。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第十三話 終




