第十二話 勇者は悪役令嬢を救わない
悪役令嬢は愛されている
第十二話 勇者は悪役令嬢を救わない
王国歴三百二十七年、十二月二十七日。
王都から馬車で三日。
北方に広がる魔境、グランデール大森林。
その最深部には、一頭の竜が棲んでいた。
名を、黒竜ヴァルガス。
全長八十メートル。
翼を広げれば、小さな村が影に沈む。
三百年前、王国の初代勇者によって封印された災厄である。
その封印が、今朝、解かれた。
理由は単純だった。
「私、ドラゴンに乗りたいわ!」
エリザベート・フォン・アルヴェインが、そう言ったからである。
◇
午前七時。
アルヴェイン公爵邸。
「ねえ、セバス!」
「はい、お嬢様」
「冒険って、何をするの?」
「未知の土地を訪れ、さまざまな経験をすることでございます」
「ふうん」
少女は朝食の果物を口に運んだ。
「魔物もいるのよね?」
「はい」
「宝物も?」
「ございます」
「ドラゴンも?」
「ご用意できます」
「まあ!」
エリザベートは目を輝かせた。
「じゃあ、ドラゴンに乗りたいわ!」
「かしこまりました」
「それと、宝物を見つけたい!」
「承知いたしました」
「あと、魔王も倒したいわ!」
「かしこまりました」
「でも、疲れるのは嫌よ」
「承知いたしました」
少女は満足そうに頷いた。
「ふふっ! 楽しみだわ!」
◇
午前八時。
アルヴェイン公爵邸、訓練場。
「本日の冒険について、ご説明いたします」
騎士団長グレゴールが告げた。
エリザベートは、真新しい冒険者用の服を着ていた。
白い上着。
短いマント。
膝丈のブーツ。
腰には、宝石を散りばめた短剣。
「まあ!」
少女は鏡を見て笑った。
「私、冒険者みたい!」
「お似合いでございます」
「でしょう?」
グレゴールは一礼した。
「本日は、グランデール大森林へ向かいます」
「遠いの?」
「馬車で三日ほどでございます」
「嫌よ!」
「かしこまりました」
「そんなに待てないわ!」
「では、転移魔法を使用いたします」
「そうして!」
「承知いたしました」
エリザベートは満足そうに頷いた。
「それから、グレゴール」
「はい」
「あなた、強いのよね?」
「お嬢様の騎士として、恥じぬ程度には」
「じゃあ、私を守りなさい!」
「御意」
「でも、魔物は私が倒したいわ!」
「かしこまりました」
「ふふっ!」
少女は短剣を抜いた。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「行くわよ!」
◇
午前九時。
グランデール大森林。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「大きな木!」
周囲には、天を突くような巨木が並んでいた。
木々の間には、青白い光を放つ植物。
地面には、見たこともない花々。
遠くから、魔物の咆哮が響いてくる。
「素敵!」
少女は嬉しそうに笑った。
「本当に冒険みたい!」
「実際に冒険でございます」
セバスチャンが答えた。
「そうだったわね!」
一行は、森の奥へ進んだ。
先頭にはグレゴール。
その後ろにエリザベート。
左右にはマリアンヌとレオン。
最後尾にはセバスチャンとエルマー。
王国最強の騎士。
元宮廷魔術師長。
世界最高峰の執事と侍女。
そして、正体不明の天才青年。
それだけの戦力が、一人の少女の散歩に同行していた。
◇
午前九時三十分。
「魔物よ!」
エリザベートが叫んだ。
木々の間から、巨大な狼が現れた。
体長三メートル。
赤い瞳。
鋭い牙。
魔境に棲む上級魔物、ブラッドウルフである。
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「怖そう!」
狼が唸り声を上げた。
その瞬間。
グレゴールが一歩前に出た。
「お嬢様」
「何?」
「こちらを」
騎士団長は、小さな短剣を差し出した。
「魔物を倒すための武器でございます」
「私の短剣じゃ駄目なの?」
「そちらは装飾用でございます」
「そうなのね!」
少女は短剣を受け取った。
「じゃあ、倒すわ!」
「かしこまりました」
エリザベートは、狼に向かって短剣を振った。
距離は十メートル以上。
当然、刃は届かない。
しかし。
次の瞬間。
狼の身体が、真っ二つに裂けた。
「まあ!」
少女は歓声を上げた。
「倒せたわ!」
「お見事でございます」
グレゴールが深々と頭を下げた。
「ふふっ!」
エリザベートは満足そうに笑った。
その後ろで、レオンが静かに呟いた。
「……空間斬撃」
グレゴールは微笑んだ。
「お嬢様の剣筋に合わせて、私が斬りました」
「……なるほど」
「お嬢様が倒すとおっしゃいましたので」
レオンは静かに頷いた。
◇
午前十時。
森の奥。
「ねえ、セバス」
「はい」
「宝物はまだ?」
「まもなくでございます」
「楽しみ!」
そのとき。
地面が、大きく揺れた。
木々が震える。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
そして。
森の奥から、巨大な影が現れた。
黒い鱗。
黄金の瞳。
鋭い爪。
巨大な翼。
黒竜ヴァルガス。
三百年前に封印された、伝説の災厄。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「ドラゴン!」
竜は、少女を見下ろした。
そして、低い声で告げた。
『……人間よ』
大地が震える。
『我が封印を解いたのは、貴様らか』
「そうよ!」
エリザベートは嬉しそうに答えた。
『……何のために』
「乗りたいの!」
沈黙。
黒竜は、しばらく少女を見つめていた。
『……何?』
「あなたに乗りたいの!」
『……』
「空を飛びたいわ!」
黒竜は、ゆっくりと口を開いた。
『……我を、何だと思っている』
「ドラゴン!」
『……』
「違うの?」
『……いや、そうだが』
エリザベートは満足そうに頷いた。
「じゃあ、乗せて!」
◇
午前十時十分。
『……断る』
黒竜ヴァルガスは、低く告げた。
「えー!」
エリザベートは頬を膨らませた。
「どうして?」
『我は、三百年前に王国を滅ぼしかけた災厄だ』
「そうなの?」
『そうだ』
「すごいわね!」
『……』
「じゃあ、強いのね!」
『当然だ』
「だったら、私を乗せても大丈夫でしょう?」
『……』
黒竜は、しばらく黙っていた。
そして、巨大な口を開いた。
『……人間の小娘が』
灼熱の炎が、喉の奥に灯る。
『我を愚弄するか!』
次の瞬間。
黒竜の口から、巨大な炎が放たれた。
森を焼き尽くすほどの熱量。
大地を溶かす灼熱。
しかし。
炎は、エリザベートの目前で消滅した。
「……あら?」
少女は首を傾げた。
「何かした?」
「少々、火を吹かれたようでございます」
セバスチャンが答えた。
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「ドラゴンって、本当に火を吹くのね!」
◇
午前十時十五分。
黒竜ヴァルガスは、目の前の人間たちを見つめていた。
自分の炎が、消された。
それも、何の詠唱もなく。
『……貴様ら』
低い声が響く。
『何者だ』
「アルヴェイン公爵家でございます」
セバスチャンが答えた。
『……知らぬ名だ』
「左様でございますか」
『……』
黒竜は、巨大な翼を広げた。
『ならば、思い知らせてくれる!』
その瞬間。
グレゴールが、一歩前に出た。
「お嬢様」
「何?」
「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「嫌よ!」
「かしこまりました」
グレゴールは、即座に元の位置へ戻った。
黒竜は、再び炎を吐こうとした。
しかし。
その口が、開かなかった。
『……!?』
顎が動かない。
翼も動かない。
爪も動かない。
身体全体が、何かに固定されている。
『……何をした!』
「お嬢様がお急ぎですので」
エルマーが穏やかに答えた。
「少々、拘束させていただきました」
『……馬鹿な!』
黒竜は、必死に身体を動かそうとした。
しかし、微動だにしなかった。
◇
午前十時二十分。
「ねえ、ドラゴン!」
エリザベートは、黒竜を見上げた。
「乗せてくれる?」
『……』
「ねえ!」
『……』
黒竜は、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
『……乗れ』
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「ありがとう!」
セバスチャンが一礼した。
「では、お嬢様」
「何?」
「こちらへ」
老人が指を鳴らす。
次の瞬間。
黒竜の背中に、豪華な座席が現れた。
白いクッション。
金色の装飾。
そして、風を防ぐ透明な結界。
「まあ!」
少女は目を輝かせた。
「素敵!」
「お気に召しましたか」
「ええ!」
エリザベートは、座席に腰掛けた。
「じゃあ、飛んで!」
『……承知した』
黒竜は、巨大な翼を広げた。
そして。
空へ飛び立った。
◇
午前十一時。
グランデール大森林、上空。
「きゃあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「すごい!」
眼下には、広大な森。
遠くには、雪をかぶった山々。
青い空には、白い雲。
「綺麗!」
少女は嬉しそうに笑った。
「ねえ、ドラゴン!」
『……何だ』
「もっと速く!」
『……承知した』
黒竜は、翼を大きく羽ばたかせた。
風が唸る。
雲が流れる。
大地が、遥か下へ遠ざかる。
「ふふっ!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「楽しい!」
黒竜は、静かに空を飛び続けた。
三百年ぶりの自由。
その最初の仕事が、十六歳の少女の遊覧飛行だった。
◇
正午。
森の奥。
「宝物はまだ?」
エリザベートは、黒竜の背中から降りると尋ねた。
「こちらでございます」
セバスチャンが答えた。
一行は、巨大な洞窟へ入った。
そこには、山のような財宝が積まれていた。
黄金。
宝石。
古代の魔道具。
そして、伝説の武器。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「綺麗!」
「黒竜ヴァルガスが、三百年にわたり収集した財宝でございます」
「そうなの?」
「はい」
少女は、財宝の山を見渡した。
そして、一つの小さな宝石を手に取った。
青い石。
指先ほどの大きさ。
「これ、可愛いわ!」
「お目が高うございます」
セバスチャンが答えた。
「古代王国の至宝、蒼天の涙でございます」
「そう!」
少女は満足そうに頷いた。
「じゃあ、これを貰うわ!」
『……』
洞窟の入口で、黒竜が静かに目を閉じた。
三百年かけて集めた財宝。
その中で最も価値のあるものを、少女は迷わず選んだ。
『……好きにしろ』
黒竜は、低く呟いた。
◇
午後一時。
森の出口。
「楽しかったわ!」
エリザベートは満面の笑みを浮かべた。
「冒険って、素敵ね!」
「お気に召しましたか」
セバスチャンが尋ねた。
「ええ!」
「恐悦至極に存じます」
「でも、魔王はどこにいるの?」
「現在、調査中でございます」
「そう」
少女は少し考えた。
「じゃあ、今日はもう帰るわ!」
「かしこまりました」
「それと、ドラゴン!」
『……何だ』
「あなた、私の家に来なさい!」
『……』
「お庭で飼ってあげる!」
沈黙。
黒竜は、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
『……承知した』
「まあ!」
エリザベートは嬉しそうに笑った。
「素敵!」
◇
午後三時。
王宮。
「黒竜が復活しただと!?」
国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。
「はい、陛下」
宰相が答える。
「三百年前に封印された黒竜ヴァルガスが、復活いたしました」
「なぜだ!」
「アルヴェイン家が封印を解除したためです」
「……」
「エリザベート嬢が、ドラゴンに乗りたいとおっしゃったそうで」
国王は、しばらく黙っていた。
「……被害は?」
「現在のところ、確認されておりません」
「……そうか」
国王は安堵した。
「ならば、ひとまずよい」
「ただし」
「……何だ」
「黒竜ヴァルガスは、現在アルヴェイン公爵邸へ向かっております」
「……何?」
「お嬢様が、お庭で飼うとおっしゃったそうです」
沈黙。
国王は、ゆっくりと椅子に座った。
「……もう、好きにしてくれ」
◇
午後五時。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
巨大な黒竜が、静かに横たわっていた。
その周囲には、豪華な柵。
巨大な水飲み場。
そして、竜専用の寝床。
「まあ!」
エリザベートは歓声を上げた。
「素敵なお家ね!」
「お気に召しましたか」
セバスチャンが尋ねた。
「ええ!」
少女は黒竜を見上げた。
「ねえ、ドラゴン!」
『……何だ』
「あなたのお名前は?」
『……ヴァルガス』
「長いわ!」
『……』
「もっと可愛い名前がいい!」
『……』
少女は少し考えた。
そして、手を叩いた。
「そうだわ!」
『……何だ』
「ポチ!」
沈黙。
黒竜ヴァルガス。
三百年前に王国を滅ぼしかけた災厄。
その名は、この日をもって。
ポチとなった。
◇
午後七時。
地下第三会議室。
「本日の冒険についてですが」
セバスチャンが口を開いた。
「お嬢様は、大変お喜びでいらっしゃいました」
「実に喜ばしいことです」
グレゴールが頷いた。
「黒竜については、いかがいたしましょう」
「お嬢様のご命令どおり、庭園で飼育いたします」
「承知いたしました」
「ただし、一点確認がございます」
「何でしょう」
「黒竜は、非常に危険な存在でございます」
「はい」
「王国に対する脅威となる可能性も」
「なるほど」
セバスチャンは微笑んだ。
「ですが、お嬢様は飼うとおっしゃいました」
「そのとおりです」
「では、問題ございませんね」
「承知いたしました」
会議は終了した。
◇
その夜。
アルヴェイン公爵邸、庭園。
黒竜ヴァルガスは、夜空を見上げていた。
五つの流れ星が輝いている。
『……』
三百年前。
自分は、王国を滅ぼしかけた。
勇者と戦い、封印された。
そして、今日。
一人の少女に名前を変えられた。
『……ポチ、か』
黒竜は、静かに目を閉じた。
そのとき。
「ポチー!」
屋敷の窓から、少女の声が響いた。
「おやすみなさい!」
『……』
黒竜は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、低く答えた。
『……おやすみ』
少女は嬉しそうに笑った。
「ふふっ!」
窓が閉まる。
黒竜は、しばらく夜空を眺めていた。
そして、静かに呟いた。
『……妙な人間だ』
◇
その夜。
使用人控室。
レオンは、窓の外を眺めていた。
庭園には、巨大な黒竜。
空には、五つの流れ星。
そして、屋敷の最上階には、エリザベートの寝室。
「……」
彼は、静かに目を閉じた。
そのとき。
「レオン殿」
背後から声がした。
セバスチャンだった。
「はい」
「本日は、ご苦労様でした」
「恐れ入ります」
「明日も、お嬢様にお仕えいただきます」
「承知いたしました」
老人は、穏やかに微笑んだ。
「……ところで」
「はい」
「本日の冒険は、いかがでしたか」
レオンは、少し考えた。
そして、静かに答えた。
「……非常に勉強になりました」
「それは結構」
セバスチャンは満足そうに頷いた。
「では、明日もよろしくお願いいたします」
「はい」
老人が去る。
レオンは、再び窓の外を見た。
そして、小さく呟いた。
「……まだ、足りない」
その言葉は、誰にも聞こえなかった。
今日も悪役令嬢は、愛されている。
第十二話 終




