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第十一話 校長先生をクビにしなさい!

悪役令嬢は愛されている


第十一話 校長先生をクビにしなさい!


王立魔法学院の校長、オスカー・ベルンハルトは、今朝も早くから仕事をしていた。


机の上には、三十二枚の書類。


そのうち三十一枚が、アルヴェイン公爵家からのものである。


残りの一枚は、辞表だった。


「……」


オスカーは辞表を見つめた。


そして、静かに引き出しへしまった。


まだ早い。


昨日、エリザベート・フォン・アルヴェインが入学してから、たった一日しか経っていないのだ。


教師として、逃げ出すわけにはいかない。


そのとき、扉がノックされた。


「失礼いたします」


老執事セバスチャンだった。


「おはようございます、学院長」


「……おはようございます」


「本日は、お嬢様のご希望についてご相談がございます」


「……存じております」


「左様でございますか」


「学院で最も偉い方になりたい、と」


「はい」


オスカーは深く息を吸った。


「……私は、校長を辞めればよろしいのでしょうか」


「いえ」


「……え?」


「お嬢様は、学院長になりたいとはおっしゃっておりません」


「……」


「学院で最も偉い方になりたいとおっしゃいました」


オスカーは、しばらく考えた。


「……違いがあるのですか?」


「もちろんでございます」


セバスチャンは微笑んだ。


「お嬢様は、職務をご所望ではございませんので」


◇


午前八時。


アルヴェイン公爵邸。


「ねえ、セバス!」


エリザベートは鏡の前で、制服のリボンを結んでいた。


「はい、お嬢様」


「今日から私が学校で一番偉いのよね?」


「はい」


「ふふっ!」


少女は満足そうに笑った。


「じゃあ、先生たちも私の言うことを聞くの?」


「お嬢様がご命令なされば」


「素敵!」


「恐悦至極に存じます」


「でも、校長先生はどうなるの?」


「引き続き学院長を務められます」


「そうなの?」


「はい」


「ふうん」


少女は少し考えた。


「じゃあ、校長先生より偉いの?」


「はい」


「まあ!」


エリザベートは目を輝かせた。


「それって、校長先生のお母様みたいね!」


「……」


セバスチャンは一瞬だけ考えた。


「お母様、でございますか」


「だって、お母様って偉いでしょう?」


「左様でございますね」


「じゃあ、私が校長先生のお母様になるわ!」


「かしこまりました」


◇


午前九時。


王立魔法学院。


校門には、巨大な横断幕が掲げられていた。


『祝・エリザベート様 学院最高名誉総裁ご就任』


その下には、学院の教師たちが整列している。


「まあ!」


エリザベートは歓声を上げた。


「私のお名前が書いてある!」


「はい、お嬢様」


セバスチャンが答える。


「本日より、お嬢様は学院最高名誉総裁でございます」


「そう!」


少女は満足そうに頷いた。


「じゃあ、みんな私より偉くないのね!」


「左様でございます」


「ふふっ!」


彼女は校門をくぐった。


そのとき。


「おはようございます、エリザベート様」


校長オスカーが頭を下げた。


「おはよう!」


少女は嬉しそうに笑った。


「ねえ、校長先生!」


「はい」


「私、今日からあなたのお母様なのよ!」


沈黙。


「……はい?」


「お母様!」


「……」


オスカーは、ゆっくりとセバスチャンを見た。


老人は、穏やかに微笑んでいた。


「……なるほど」


オスカーは頷いた。


「……お母様、おはようございます」


「まあ!」


エリザベートは満面の笑みを浮かべた。


「いい子ね!」


◇


午前十時。


一年A組。


「本日は、魔法理論の授業を行います」


教師が告げた。


「まず、魔力の基本構造について説明します」


エリザベートは、退屈そうに窓の外を眺めていた。


「……つまらないわ」


教師の声が止まった。


「……エリザベート様?」


「もっと面白い授業がいい!」


「……どのような授業を?」


少女は少し考えた。


そして、手を叩いた。


「そうだわ!」


「はい」


「魔法でお菓子を作りましょう!」


沈黙。


教師は、静かに黒板を見た。


魔力構造。


属性変換。


魔法陣の基礎。


そして。


「……本日の授業を変更します」


教師はチョークを持ち直した。


『魔法菓子製造実習』


教室中から歓声が上がった。


「まあ!」


エリザベートは嬉しそうに笑った。


「楽しそう!」


◇


午前十一時。


魔法実習室。


「では、皆さん」


教師が告げた。


「魔力を使って、お菓子を作ってみましょう」


生徒たちは、机の上に置かれた材料を見つめた。


小麦粉。


砂糖。


卵。


牛乳。


「……先生」


一人の生徒が手を挙げた。


「何でしょう」


「これ、普通に作った方が早いのでは?」


沈黙。


教師は、静かに目を閉じた。


「……魔法の授業ですから」


「なるほど」


生徒は頷いた。


その隣で、エリザベートが手を挙げた。


「先生!」


「はい」


「私、ケーキが食べたいわ!」


「……では、作ってみましょう」


「嫌よ!」


「……」


「レオン!」


「はい」


教室の後方から、青年が立ち上がった。


「ケーキを作りなさい!」


「かしこまりました」


レオンが指を鳴らす。


次の瞬間。


机の上に、巨大なケーキが現れた。


高さ、およそ三メートル。


七層に重ねられたスポンジ。


宝石のように輝く果実。


そして、頂上には黄金の王冠。


「まあ!」


エリザベートは歓声を上げた。


「素敵!」


「お気に召しましたか」


「ええ!」


「恐悦至極に存じます」


教師は、静かに黒板を見た。


『魔法菓子製造実習』


そして、小さく呟いた。


「……もう、何を教えればいいのだろう」


◇


正午。


学院食堂。


「ねえ、校長先生!」


エリザベートは、オスカーを呼びつけた。


「はい、お母様」


「今日のお昼ご飯は何?」


「……鶏肉の煮込みでございます」


「また?」


「……はい」


少女は頬を膨らませた。


「昨日も同じだったわ!」


「……申し訳ございません」


「つまらない!」


「……」


「校長先生!」


「はい」


「クビ!」


沈黙。


食堂が静まり返った。


オスカーは、ゆっくりと顔を上げた。


「……クビ、でございますか」


「ええ!」


エリザベートは満面の笑みを浮かべた。


「だって、同じご飯ばかりなんだもの!」


「……」


「新しい校長先生を連れてきなさい!」


「かしこまりました」


セバスチャンが一礼した。


オスカーは、静かに目を閉じた。


……ついに、この日が来た。


◇


午後一時。


学院長室。


オスカーは、机の上の辞表を見つめていた。


「……」


そのとき、扉がノックされた。


「失礼いたします」


セバスチャンだった。


「……お待ちしておりました」


オスカーは静かに立ち上がった。


「辞表は、こちらに」


「恐れ入ります」


セバスチャンは書類を受け取った。


そして、微笑んだ。


「ですが、学院長」


「……はい」


「お嬢様は、あなたをクビにするとおっしゃいました」


「……はい」


「したがって、本日付で学院長の職を解かせていただきます」


「……承知いたしました」


「ただし」


「……何でしょう」


「あなたの教育者としての能力は、極めて優秀でございます」


「……」


「つきましては、別の職務をご用意いたしました」


「……別の?」


「はい」


セバスチャンは一枚の書類を差し出した。


そこには、こう記されていた。


『アルヴェイン公爵家 専属教育顧問』


オスカーは、しばらく黙っていた。


「……これは?」


「お嬢様の教育を担当していただきます」


「……」


「もちろん、お嬢様がご希望された場合に限りますが」


「……」


オスカーは、ゆっくりと椅子に座った。


「……私は、校長を辞めたのですよね?」


「はい」


「……なのに、仕事が増えた?」


「左様でございます」


老人は、穏やかに微笑んだ。


「ご栄転、おめでとうございます」


◇


午後二時。


学院長室。


「新しい校長先生をご紹介いたします」


セバスチャンが告げた。


エリザベートは、興味津々で扉を見つめた。


「まあ! 誰かしら!」


扉が開いた。


そこに現れたのは、一人の女性だった。


長い黒髪。


端正な顔立ち。


そして、完璧な所作。


「マリアンヌ!」


エリザベートは歓声を上げた。


「あなたが校長先生なの?」


「はい、お嬢様」


マリアンヌは深々と頭を下げた。


「本日より、学院長を務めさせていただきます」


「まあ!」


少女は満面の笑みを浮かべた。


「素敵!」


「恐悦至極に存じます」


「じゃあ、明日から毎日違うご飯にしてね!」


「かしこまりました」


「それから、お菓子の授業も!」


「承知いたしました」


「あと、勉強は少なめに!」


「お嬢様のご希望どおりに」


「ふふっ!」


エリザベートは満足そうに頷いた。


「やっぱり、マリアンヌは優秀ね!」


「光栄でございます」


◇


午後三時。


王宮。


「学院長が交代しただと!?」


国王アルベルト三世は、玉座から立ち上がった。


「はい、陛下」


宰相が答える。


「オスカー・ベルンハルト学院長が、本日付で解任されました」


「なぜだ!」


「昼食の献立が、昨日と同じだったためです」


沈黙。


「……何?」


「鶏肉の煮込みでございます」


「……」


「エリザベート嬢が、お気に召さなかったようで」


国王は、しばらく黙っていた。


そして、静かに尋ねた。


「……新しい学院長は?」


「アルヴェイン家の侍女長、マリアンヌでございます」


「……」


「すでに、王国教育省の承認を得ております」


「……」


国王は、ゆっくりと椅子に座った。


「……もう、何も言うまい」


◇


午後四時。


王立魔法学院、訓練場。


レオンは、一人で魔法の練習をしていた。


そのとき。


「……おい」


背後から声がした。


振り返ると、アレクシスが立っていた。


昨日、模擬戦で敗れた少年である。


「……お前」


「はい」


「昨日の魔法、どうやった」


「……」


レオンは静かに頭を下げた。


「申し訳ございません」


「……何だ」


「お教えすることはできません」


アレクシスは眉をひそめた。


「……なぜだ」


「お嬢様のために習得した魔法でございますので」


「……」


「お嬢様の許可なく、他者にお教えすることはできません」


沈黙。


アレクシスは、しばらくレオンを見つめていた。


そして、静かに呟いた。


「……お前は、あの女の何なんだ」


レオンは微笑んだ。


「使用人でございます」


◇


午後五時。


アルヴェイン公爵邸。


「楽しかったわ!」


エリザベートは、満面の笑みを浮かべた。


「学校って、本当に面白いのね!」


「お気に召しましたか」


セバスチャンが尋ねた。


「ええ!」


「恐悦至極に存じます」


「でも、少し飽きたわ」


「左様でございますか」


「明日は、違うことがしたい!」


「かしこまりました」


少女は少し考えた。


そして、手を叩いた。


「そうだわ!」


「はい」


「私、冒険がしたい!」


「承知いたしました」


「魔物とか、宝物とか、そういうの!」


「かしこまりました」


「危ないのがいいわ!」


「承知いたしました」


「でも、痛いのは嫌よ!」


「かしこまりました」


「ふふっ!」


少女は嬉しそうに笑った。


「楽しみだわ!」


◇


午後七時。


地下第三会議室。


「では、明日の予定についてですが」


セバスチャンが口を開いた。


「お嬢様は、冒険をご所望でございます」


「なるほど」


グレゴールが頷いた。


「魔物の討伐であれば、私の専門です」


「結構です」


「ただし、一点確認がございます」


「何でしょう」


「お嬢様は、危険な冒険をご所望です」


「はい」


「ですが、痛い思いはなさりたくないと」


「そのとおりです」


「なるほど」


グレゴールは腕を組んだ。


「……では、危険な魔物を用意しましょう」


「結構です」


「ただし、お嬢様に危害が及ばぬよう」


「もちろんです」


会議は終了した。


◇


その夜。


王立魔法学院。


元学院長オスカーは、新しい職場の書類を見つめていた。


『アルヴェイン公爵家 専属教育顧問』


その下には、給与額が記されている。


オスカーは、しばらく黙っていた。


そして。


「……」


もう一度、数字を確認した。


「……」


さらに、もう一度確認した。


「……桁が、一つ多いのでは?」


そのとき、扉がノックされた。


「失礼いたします」


セバスチャンだった。


「……あの、こちらの給与についてですが」


「はい」


「……間違いでは?」


「いいえ」


セバスチャンは微笑んだ。


「お嬢様の教育をお任せするのですから」


「……」


「当然の待遇でございます」


オスカーは、しばらく黙っていた。


そして、静かに呟いた。


「……もう少し、頑張ってみようかな」


◇


その夜。


エリザベートは寝台の上で、明日の冒険について考えていた。


「ふふっ」


少女は嬉しそうに笑った。


「魔物って、どんなのかしら?」


窓の外には、五つの流れ星が輝いていた。


彼女は知らない。


自分の一言で、王立魔法学院の人事が変わったことを。


自分の一言で、一人の教育者の人生が大きく変わったことを。


そして。


彼女は知らない。


明日の冒険が、どれほど大きな騒動を引き起こすのか。


ただ一つ、確かなことがある。


彼女の願いを叶えるために、世界でも最も優秀な人々が動き始めているということ。


今日も悪役令嬢は、愛されている。


第十一話 終

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