第90話
翌朝、マサヒデが起きると同時に、ここん、と小さくドアがノックされた。
ここはトモヤの部屋。
マサヒデの部屋には怒りと嫉妬を身に纏ったマツが居座っていたので、部屋には戻らず、トモヤの部屋に逃げ込んだのだ。
「はい」
ベッドでいびきをかいているトモヤを起こさないように、小さな声で返事をして、マサヒデがドアを開けると、メイドが立っていた。
「マツさんは、まだ部屋にいますか」
このメイドも忍だ。
「いえ。もうお部屋に戻られました」
「ふむ。怒ってましたか」
「はい」
ちょっと間を開けて、マサヒデが少し不安そうに、
「カオルさん、生きてますか」
「はい。幸いな事に。ユカリ王妃のお言葉が、マツ様を押さえられておるようで」
ほう! とマサヒデが息をつき、胸を撫で下ろす。
「良かった!」
「マサヒデ様、それよりも、本日です。マツ様に見つからぬように行動なされませ。晩餐会は開かれましょうから、そこで魔王様より一言です。マツ様のご様子を見れば、魔王様が必ずやお声を掛けられます。これで万事解決致します」
ぽん! とマサヒデが手を叩く。
「む! 良い策です」
「マツ様はまだ寝ておられます。今のうちに、急いで風呂へ。マツ様と顔を合わせぬよう、城中の忍と、我らレイシクランの忍が、全力でお助け致します」
マサヒデは、ぐ! と拳を握り、頭を下げた。
「ありがとうございます」
と、そこで、ばっ! とマサヒデが顔を上げた。
「そうだ。カオルさんは・・・大丈夫、ですかね? ヤバいですよ、下手すると、誰にもバレずに消されます」
にやっと忍が笑った。
「大丈夫です。見つからねば良いのですから」
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こん、こん。
ここはロ=マーン城奥、マツの部屋。
既にマサヒデは魔王の義理の息子とはなったので、部屋を与えられても良いのだが、世界に正式発表するまでは、ただの客人扱いである。それで、初日以降は、マツとは部屋は別にとの事で、マツは久々に自室に入っているのだが・・・
「・・・」
返事は返ってこない。
ドアの脇に立つ近衛兵に、メイドが小さな声で、
「あの、マツ様の事は聞きました。何か、昨晩は凄く不機嫌だったとか」
こくこくと近衛兵が頷き、小声で話す。
「恐ろしかったぞ。魔王様がお怒りになった時とそっくりだ。あの黒いオーラが出ておった。王子も王女も、あのような気を放つ方はおらぬのにな」
うむ、と反対に立つ近衛兵も頷く。
「魔王様の血を、濃く引いておられるのであろうな。人の国全体でも、3本の指に入る魔術師であると聞く。お住みになっておられる日輪国では、以前は王宮魔術師長を務めておられたとか」
「まあ!」
「しっ。声を小さく」
「はい」
「今は隠棲して、魔術師協会のただの一員であるがな。その気になれば、王宮魔術師長を今も続けておったろう」
「ううん・・・」
唸るメイドに、近衛兵が口に指を立てる。
耳を澄まし、部屋の中の音を聞く。
む、と頷いて、
「今日は良い。もう下がれ。起こさぬ方が良い」
「はい」
「機嫌を損ねるなよ。アラン王子も、中庭でマツ様に一度消されたとの事。後で戻ったそうだが、見ていた誰も、どうして消えたのか、どう戻ったのか、さっぱり分からなかったそうだ。消されたままにされたくはなかろう」
「はい・・・」
ぺこりと頭を下げ、メイドが下がって行く。
途中、すれ違った別のメイドに、目で頷く。
どちらも忍であった。
今のうちに、マサヒデを退避させるのだ。
すっとメイドが小さな犬笛を出し、ふ、ふー! ふ、ふー! と合図を出した。
獣人族にも聞こえない、レイシクラン族だけに聞こえる周波数の音である。
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急いで風呂から出たマサヒデを、メイドに扮した忍が迎える。
忍は風呂敷包を下げている。
隠れるのに使う道具などの類であろうか。
「マサヒデ様、マツ様はまだ寝ております。ささ、今のうちに退避を」
「はい」
「こちらへ」
ゆっくりとメイド姿の忍が歩き出す。
急いで走ったりすると目立つので、普通に歩く。もどかしい。
「何処に隠れるんです」
「魔王様の執務室です」
「いっ!?」
「大丈夫です。事情をお話しした所、そちらへご案内せよと。基本的に、執務室は、ご家族も入られない部屋です。執務室に配属された者と、御側御用取次のリュウイチ様のみ。表に出ますので、途中でこれに」
忍が風呂敷包を上げる。
「正装を用意しておりますので」
「いや・・・大丈夫なんですか、それ。政の仕事をしておられるんでしょう?」
「魔王様が良いと言えば、良いのです」
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こちらは近衛兵達の訓練場の近く。
アルマダがシズクを部屋から引っ張り出して連れて来た。
途中までは酒が抜けきらないシズクは、ふわふわしていたが、訓練場に近付いて声が聞こえてくると、段々と縮こまってきて、
「ね、ハワード様」
「何ですか?」
「どこ行くの?」
アルマダが足を止め、後ろについて来るシズクに振り向く。
「訓練場に行くと言ったでしょう」
「訓練場?」
「近衛兵の皆さんの訓練場です。聞いてなかったんですか?」
「は!?」
ふう、とアルマダが呆れた溜め息をついて、
「ここに来てから、1日中、晩餐会以外は部屋から出ずに食っちゃ寝、食っちゃ寝。何してるんです。あなたも一応は武術家でしょう?」
シズクは首を傾げて、腕を組む。
「い、いやあ・・・そこ、どうなのかな? 微妙だよね。マサちゃんとか、カゲミツ様に教えてもらってはいるけど、別にトミヤス道場に入門したわけでもないし」
「あなた、門弟に教えに行っていたんですよ。出稽古に。十分に武術家です」
「そーう・・・なの、かなー?」
「そうです。少しは本物の兵という方々との戦い方を学びましょう。こんな機会、中々ないですよ」
「ううん・・・」
「行きますよ。戻ってはいけません」
アルマダがくるっと振り返り、廊下を歩いて行く。
シズクも頭をぼりぼり掻きながら、仕方なくアルマダについていく。
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アルマダは独り稽古の者達の所で、指導を始めた。
「では皆さん。剣にタオルを乗せて下さい。物打にですよ」
近衛兵達が、稽古用の刃を丸めた剣に、ぱさぱさとタオルを乗せる。
「こんな簡単な稽古で、鋭く、正しい振り方が身に付くのです」
アルマダも稽古用の剣の上にタオルを乗せる。
「これで振るだけです」
ふ! とアルマダが剣を振ると、タオルが飛んでいく。
んん? と近衛兵達が、訝しげな目をアルマダに向ける。
アルマダはにやにや笑いながら、タオルを拾って来て、皆の前で横を向く。
「一見、良く分からなかったと思いますが」
くい、と背中に剣先を落とすと、するっとタオルが背中に落ちる。
「これは振り被りすぎ。一瞬の無駄が出来ている訳です」
「おお!」
納得! と皆が頷く。
アルマダが振り被ったまま、左片手で剣を持つ。
「こうすると分かりやすいです。剣の一番斬れる所が良く分かる」
近衛兵達が剣を振り被り、隣の者にタオルを乗せてもらったりして、左片手にし、うんうん、と頷いている。
「で、振る。ゆっくりです。速さで誤魔化してはいけません」
ひゅ、と振ると、タオルが前に飛んでいく。
続けて、近衛兵達も振る。
後ろにタオルを落とす者、ちゃんと前に飛んでいく者。
「今、タオルが後ろに落ちた方は、正しく振れていません。無駄が出来ている、という事ですね。背中まで振り被れば遠心力でと思いがちですが、上に力が抜けてしまうので、あまり斬れません。前屈みになっている体勢なら、それでも良いですが」
むむ、と唸る者、どうだ、と得意気な顔で、それらを見る者。
アルマダがにこにこしながら、タオルを前に飛ばした者の前に歩いて行き、手首を指差す。剣先は斜めに地面を向き、水平になっていない。
「ほら、皆さん、この左手。死に手になっていますね」
「うっ!?」
ははは! と近衛兵達から笑い声。
アルマダが剣先を掴み、少し上に上げる。腰の高さで、ぴたりと水平。
「ここです。ここで止まっているはずです。手の内が出来ていないと、こうなる」
「おお・・・」
「で。手の内は、こう確認するのです」
アルマダは近衛兵の剣先を上げていき、物打の下にすっと入って、頭の上に乗せる。
「こう斬りたいわけです。動かさないで下さいね」
「はい」
アルマダが横にどいて、物打の下に右手を置く。
近衛兵の肩に左手を指差し、
「素晴らしい! ここで肩から拳がぴったり水平。ここまでは理想の形が出来ています。流石、近衛は違いますね。ここから、両手が正しく下がって行く。ゆっくり下ろしてきて下さい」
「はい」
すすす・・・と剣が降りてくる。
腰で水平の所で、アルマダが剣を止める。
さっと手をどけて、近衛兵の剣を指差す。
「こうです。今、私の手の抵抗があったので、簡単に修正出来ましたね」
「はい」
「ここで、少し腰を落とす。これは深く斬る為ではなく、次の振りの為の・・・何と言いましょうか。溜めを作る為にです。ふふ。駄洒落ではありませんよ」
近衛兵達から、笑いは出なかった。
皆、目を皿のようにし、耳をぴんと立てて、アルマダの指導を聞いている。




