第89話
カオルに当てられた客室。
晩餐会の席で、魔王様に、カオルが驚くような願いをしたぞ。マサヒデ、マツ、ユカリのお前達は驚くかもしれんぞ、と言われ、3人が来た。
魔王は笑ってはいたが、マサヒデもマツも気が気ではない。
もしかしたら、無事に国には帰れんかもしれんな、などと言われたのだ。
そうして、これはもしや大事では、と、晩餐会の後、3人が来たのだ。
マサヒデとマツが出て行き、部屋にはマツの母、ユカリが残る。
ユカリも、もしや大事か、と緊張している。
「で。どのようなお願いをされたのでしょうか」
「は・・・」
いざとなると、中々言い出せない。
クレールが話してくれていれれば良かったのだが・・・
魔王様には、自分は許すが他は知らん、自身で何とかするのだ、と言われた。
「いや・・・その、まずユカリ王妃に話さねばとは、分かっておりましたが」
「が?」
「中々、機会というか、腹が決められぬと言いましょうか、話しづらく」
「話さねばならぬという事は、私にも関係する事なのですね」
「は」
「そして、マツと、マサヒデさんにも」
「は」
「魔王様にも?」
「まあ、微々たるものと言いましょうか・・・」
ユカリの後ろでは、忍が『知らんなあ』とでも言うように、首を右に向けたり、左に向けたりしては、カオルをちらりと見て、にやにや笑っている。
「お話し下さい」
ごくりと喉を鳴らし、カオルはそっとカップをどけて、テーブルに手を付き、頭を下げた。
「お願いがございます」
「その願い、魔王様にはお許しを頂けた、という事ですね」
「は!」
「まずは聞きましょう」
「私ことカオル=サダマキ、マサヒデ様の妾となること、お許し願いたく」
「・・・」
「ふうん」
ユカリは興味なさげに声を出す。
「そんな事ですか?」
「は!」
ぱん! ぱん! とユカリが手を叩き、ドアの側に立っていた執事姿の忍に目を向けると、忍が頭を下げ、ドアを開ける。
マサヒデとマツが、心配そうな顔で部屋を覗き込む。
「お入りになって下さい」
「はい」
2人が歩いて行き、テーブルの横に立つと、ユカリは興味なさげに鼻を鳴らし、
「マサヒデさん。妾を取る気はございませんか?」
「は?」
急な言葉にマサヒデは呆気に取られてしまったが、マツは一瞬で理解し、頭を下げたカオルの後頭部を、きりりと睨む。
「妾は必要ありませんか? トミヤス家も、魔王家、フォン=ダ=トゥクライン家の外戚になったのですよ。私は、子を多く残して頂きたいと思います」
「はあ・・・今は必要ないです。マツさんとクレールさんで、手一杯です」
「あらそう。うふふ。二人共、個性的ですものね」
マサヒデが苦笑して頷く。
確かに個性的ではある。
「まあ、その。何と言いましょうか。ご命令とあらば、迎えますが」
「命令など致しません。では・・・そうね。人族ですから・・・ううんと・・・10年。10年以内に、妾を取り、子も成して欲しいです。まあ、子の方は相性もございますから、出来ねば出来ぬでも構いませんが。命令ではなく、お願いです」
「お願いとありましたら」
「決まりですね。では、10年以内にこちらのサダマキさんを、妾か、婦人としてでも結構。トミヤス家に入れて下さい」
「は!?」
マサヒデが声を上げた瞬間、マツから黒いオーラが出て、びしびしとカップや皿にヒビが入り、ちろ、と茶が流れる。
「私は」
言いかけたマツを、ユカリがぴしりと抑える。
「マツ。子が1人では不足です。クレールさんも入れて、3人は欲しいです。テルクニは男子ですが、もう1人はおりませんと」
如何にも王族、貴族らしい考えだ。
にぎぎぎ、とマツが歯を噛み鳴らす。
「テルクニが生まれるまで、まだ時は掛かります。その頃には、マサヒデさんも、カゲミツ様もおられないのですよ。今すぐクレールさんの子が産まれたとて、例えマサヒデさんの血が濃いお子だとしても、まだ子供でしょう。トミヤスの家には、謂わば子の繋ぎが必要なのです」
「む、く、く」
「分かりましたね」
「ぐ・・・はい・・・」
ぱきいん! と高い音を立て、ユカリが持つカップが、耳をユカリの手に残し、粉と消えた。びちゃっと茶が落ちて跳ね、慌てて後ろのメイド姿の忍がユカリのドレスとテーブルを拭く。
「マサヒデさんも、宜しいですね」
「はい・・・」
真っ赤な鬼のような顔をしたマツをちらりと見て、
「分かりました」
と、頭を下げる。
お願いとはいえ、これは断れない。
カオルの願いはこれだったのか。確かに、自分もマツも驚いた。
カオルさん、と声を掛けそうになったが、下げた頭に跳ねた茶を拭かれているカオルを見て、言葉が出なかった。カオルは身をがたがた震わせている。
ちらりと横を見れば、マツも嫉妬と怒りで身を震わせていた。
「私は、失礼致します。皆様、おやすみなさいませ」
言葉は丁寧であったが、明らかに怒りの感じられる声を残し、マツは振り向いて部屋を出て行ってしまった。
「では、マサヒデさん。私達も部屋に戻りましょうね」
「は」
ユカリが立ち上がって、ドアに歩いて行く。
マサヒデも振り返ると、ドア脇の忍が、顔を蒼白にしていた。
マツの怒った姿を、目前で初めて見たのだ。これは当然の反応だ。
(まさか、暗殺などされまいな)
この城中では、マツの魔術の腕なら、証拠も残さず、カオルを簡単に始末出来てしまう。カオルならさっさと姿をくらます事も出来ようが、客人として留められているのだ。隠れたり逃げたりするような真似は出来ない。
迎え入れるかどうか以前に、マツを何とかせねば、カオルの身が危ないのでは。
ぱたん、とドアが閉まると、ユカリがにっこり笑った。
「驚きましたね」
「え、ええ。確かに」
マサヒデは懐紙を出して、ぺたぺたと額につける。
「マツには言い含めておきます」
「は・・・助かります」
「子が産まれたら、ご連絡下さいね。当家に妾腹の子などと言う者はおりませんし、仮にいても言わせませんので」
「は・・・」
柔らかく見えていたが、この言い方。マツも母譲りなのだ。
「日輪国の情報省には口をきいておきますが、大丈夫でしょうか?」
「む」
どうだろうか。
既にマサヒデの個人的な忍として預かった身であるし、大丈夫、なのだろうか?
まだ情報省つきという事には変わりない。
「ううむ、分かりません。口ではいはい、と言っても、腹では何を考えているか分からない所ですから」
「では、きつくお願いしておきます。マサヒデさんも、10年以内ですからね。きつくお願いします」
これはお願いという顔をした命令である。
「はい・・・」
決まってしまった。
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マサヒデが与えられた客室の前に近付くと、ドアの前の近衛兵が此方を見て、小さく首を振った。
はっとして足を止めれば、部屋の中からただならぬ妖気のような・・・
(マツさんだ!)
指で頭に角を作ると、こくこくと近衛兵が頷く。
これは開けてはならない。
(危なかった)
ありがとうございます、と手刀を作り、頭を下げると、近衛兵も頷く。
マサヒデはくるりと踵を返し、歩きながら誰の所にと少し考え、トモヤの部屋に歩いて行った。
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そして、トモヤの部屋。
トモヤは酒を呑みながら、昼間にユカリと打っていた将棋の感想をしていた。
「・・・というわけでな」
「ふうむ・・・」
「今日はここに泊めてくれ」
「うむ・・・」
酒で顔を真っ赤にしながらも、トモヤは眉を寄せて棋譜を睨んでいる。
マサヒデの話も右から左である。
「忙しそうだな。俺は先に寝て良いか」
「うむ・・・」
「では、遠慮なく」
マサヒデは上着をソファーの背に投げて、大小を抜いてソファーに寝転がり、腹の上に置き、高い天井を見上げて、溜め息をついた。
(参ったな)
これは本当に面倒な事だ。日輪国情報省は優しくはない。
魔王様から許しも得て、ユカリ王妃からの後押しがあっても、すんなり通すとは思えない。
(返事は色良く返ってくるだろうが)
情報省は、どうぞどうぞと頷くであろう。
だが、その後も情報省の忍という事には変わりない。
一応、個人的な忍としてもらいはしたが、情報省つきのままなのだ。
情報省から命が下れば、何処かに飛んでいく。
そうそう長期潜入のような命は来ないであろうが、ないとは言えない。
「ううむ」
簡単に引退は許されない仕事だ。無理に抜ける事はご法度で、そんな事をすると、カオルは生涯追い回される事になる。そんな事をしたら、当然、マサヒデ達と過ごす事は無理。
(どうなるかな)
考えても仕方がない。もう決まってしまったのだ。
はあ、と溜め息をついた後、目を閉じると、すこん、とマサヒデは眠ってしまった。




