第81話
カオルは見なかったが、部屋に引きこもり、レイシクランの忍と、城務めの忍とで、カザマ流忍術の資料を読み解く事に集中していると言う。
「シズクさんは何してるんです」
「外に出るのが怖いって、部屋にこもったままです。でも、酒と食べ物は、どかどか運ばれていますよ」
「・・・」
「問題はトモヤさんですよー。今朝も部屋を覗きに行ったら、昨日は緊張して飯も食えなかったー、なんて言ってました」
「ふうん。そうですか。では、ここに呼びますか。マツさん」
「はい」
マサヒデがにやっと笑った。
「見たいでしょう。神様と勝負した時の棋譜」
「あっ! そうでした! 見たいです!」
「そうでしたね!」
ユカリも思い出して、横にいるメイドに、
「マサヒデさんのご友人、トモヤ=マツイさんを、ここにご案内して。それと、盤と駒を用意させて頂戴」
「承知致しました」
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四半刻ほどして・・・
「トモヤ=マツイと申しまするーっ!」
テーブル横で、トモヤがひれ伏している。
ふっ、とマサヒデが鼻で笑って、
「何を今更。お前、マツさんやクレールさんとは堂々と喋っておるくせに」
「う、う・・・」
マサヒデはひれ伏しているトモヤを指差して、
「クレールさん、初対面の時、覚えてます? こいつ、クレールさんを見て、『おおめんこいのう』だなんて言ってましたよね」
「あっ! 言ってましたね!」
「マツさんと呑み友達のくせに」
「あらまあ」
ユカリが驚いた顔で、マツを見る。
「うふふ。お母様、トモヤ様と呑むお酒は、美味しいんですよ。マサヒデ様、三浦酒天を教えてくれたのは、トモヤ様なんですから」
「マツ、みうらしゅてんて何の事?」
「平民の安酒場に見せかけて、酒も料理も、凄く美味しいお店です。貴族の方々も、こっそりお忍びで来るほど。同じ町に、ブリ=サンクという、日輪国でも指折りのレストランがあるというのに、安酒場に来るんです」
「そんなお店があるのですか」
お、とマサヒデが閃いた。
「そうだそうだ。クレールさん、三浦酒天の酒は、船にもありましたよね。もう呑んじゃいました?」
クレールが察して、にっこり笑った。
「誰かが隠れて呑んでなければ、まだあるはずですよ!」
「それ、こちらに少し送ってもらいましょうよ。マツさんが美味しいって言うくらいの酒なんですから、是非ユカリ様にも」
「まあ、嬉しい! 料理も食べてみたいけれど、今日は仕方ないわね」
ぴくり。
クレールの耳は、ユカリの言葉をしっかり捉えた。
『今日は』仕方ない。と、確かに言った。
そこでマツが見透かしたように、
「お母様、少しは城の外も出歩いてはどうですか? 海外旅行なんて如何です?」
「勿論、そのつもりよ。カゲミツ様にご挨拶に参りませんと」
ぎく! とマサヒデが固まった。
魔の国の王妃が、日輪国に来る!?
「魔王様に頼んで、外務省をせっついてもらわないといけないわね。早くお会いしたいわ。剣聖カゲミツ=トミヤス・・・どんなお方なのかしら」
マサヒデは額の冷や汗を拭いて、
「い、いや、父上はこちらに呼べば良いかと思うのですが。魔王様も、この城は中々離れられないでしょうし」
「勿論、来て頂きますけれど、内々のご挨拶という事で。マサヒデさん、忘れましたか?」
「何を、でしょうか」
ユカリがにっこり笑った。
「私達、暇なんです」
ひれ伏しているトモヤが、ごくりと喉を鳴らした。
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テーブルの横の芝生の上に、絨毯が敷かれた。
次に、赤い日除けの傘が立てられた。
見るからに高い、ずっしりと重そうな将棋盤が置かれた。
そして、駒が置かれていく・・・
盤を挟んで座るのは、王妃ユカリ=フォン=ダ=トゥクライン。
ド田舎の平民、トモヤ=マツイ。
「トモヤさん」
「ははーっ!」
「まずは、テヅカ様との対戦の感想をお聞きしたいわ」
「む、む、感想でございまするか。まず2六歩」
「あ、その感想ではなくて。どのような指し手でございました?」
あっ! とトモヤが頭を下げ、
「これは失礼致しました! テヅカ様の指し様は・・・ううむ」
トモヤが頭を上げて、目を閉じてがっしり腕を組む。
「左様。テヅカ様は、まさに戦の神と呼ばれるに相応しい指し手でございました」
「うふふ。喧嘩将棋ですか」
「いやいや! 攻めと思うたら守る。と思うたら攻めて来る。攻防自在。まさに戦の神と言うに相応しい将棋でございましたな。見た目と違い、大胆と見えて繊細な手を打たれる。初めてで、教えたばかりで、私めと張り合ったのでございまする」
神様が自分と張り合ったのでございます・・・
す、とユカリの目が細くなる。
「ご自分の将棋に自信がおありなのですね?」
へこり、とトモヤは頭を下げ、
「下手なりに、ございまする。これでも、真剣師を気取っておりまするゆえ」
「真剣師」
「ははっ」
ユカリの目は一瞬鋭くなったが、また笑顔に戻った。
「棋譜を見せて頂けますか? 私、神様の将棋なんて聞いて、胸が踊っております」
「では、こちらを・・・」
トモヤが閉じた棋譜の束をばらばらとめくり、ぴたりと止めた。
「テヅカ様とは、2局指しており申す。こちらが1局目。テヅカ様の人生初めての将棋にございまする」
「ううん」
マツもテーブルから来て、ユカリの隣に座り、棋譜を覗き込む。
「こう・・・こう・・・」
棋譜の通りに、マツが駒を動かしていく。
「・・・」
ユカリの眉が険しくなり、じっと棋譜を見つめる。
「お母様、この手でトモヤ様の負けです」
「そうね・・・ううん、人生初めての将棋で、こんな勝負をするのね」
「流石、神様は違いますね」
「そうね・・・」
ユカリが、さささ、と駒を戻し、動かし直していく。
「これ、で・・・これで・・・」
待った、とトモヤが手を出し、
「私めも、一度は同じ手を考え申した。それでは負けでござりまする」
「む」
トモヤが盤の駒を戻し、もう一度動かす。
「こうでございますな。して、桂馬をここに、と。これで五分に戻りまするぞ。めくった所に、感想の棋譜がありまする」
「ううん・・・真剣師、ですか。その自信は驕りではないようね」
くす、とマツが笑う。
「お母様。トモヤ様は、チェスグランドマスターに勝つ程の腕なのですよ」
ぴくり。
「グランドマスター? どなたかしら」
「白露帝国の、アナスターシャ王女です。アナスターシャ王女と引き分け。アナスターシャ王女は、グランドマスターに勝っておりますから・・・ね?」
ユカリは、ぱん、と棋譜を閉じ、盤の横に置いた。
「良い時間潰しが出来そうだわ。トモヤとやら。一局、所望します。受けて頂けて? 真剣(賭け将棋)ではございませんけれど」
トモヤは額の汗を拭い、言葉をひねり出す。
「ご・・・所望、とありましたらば」
「結構! あなた、時間を計りなさい」
「は」
メイドが懐中時計を取り出す。
ふ、とマサヒデが笑い、クレールを見ると、クレールも小さく笑っていて、目が合った。
どんなに緊張していても、盤に向かえばあいつは平気だ。
なにせ、神様とも平気な顔で盤を睨んでいられる程に図太いのだから。
「されば」
トモヤが手で歩を5枚集め、からから、と振って、落とした。
「む。3枚でござる。ユカリ様」
からから・・・
「4枚です。私が先手ですね」
「宜しくお願い申し上げまする」
「宜しくお願い致します」
2人が頭を下げた。
クレールがにこにこ笑い、
「トモヤさん。棋譜は残しておきますよ」
「む、感謝致しまするぞ」
メイドが頭を下げ、
「それでは、勝負を開始致します。ユカリ様、時間計測を始めます」
ぱちり。
「先手。2六歩」
ぱちり。
「後手。8四歩」
「ふふふ。リディアさん。良い勝負になりそうですよ」
ふーん、とリディアーヌは鼻から息を吹き出し、頬杖を付いた。
「マサヒデ兄上ー。私、将棋は退屈ですー」
「ははは! では、あちらの隅の方で、忍の方と一手撃ち合ってみてはどうです」
「あっ! そうします!」
さくさくさくー! と芝生を踏んで、リディアーヌが駆けて行く。
「むう・・・」
トモヤが顎に手を当てて唸る。
ユカリは時間計測とは別のメイドに、団扇を扇がせながら、盤を睨みつける。
まだ互いにほんの数手だが、実力は分かったようだ。
ユカリの顔も、笑みが消えていた。
ばちーん!
トモヤの強い打ち。
本気になっていない。
トモヤは本当に集中しだすと、打ち込む音が静かになる。
楽しめる程度、良い練習程度の相手、という事だ。
(時間潰しか)
暇なんです。
そう言って笑っていたユカリの顔は、今は真剣。
良い時間潰しが出来たことだろう。




