第79話
時は少し戻って、マサヒデとリディアーヌが中庭で立ち会いを始めんとしていた頃、イザベルの部屋には、アランが来ていた。
イザベルはソファーでモーニングティーの最中であったが、カップを置き、素直に頭を下げた。だが、目は鋭い。
このアランという王子は、つい昨晩、主のマサヒデを腰抜けと呼んだ男なのだ。
「これは王子。おはようございます。わざわざのお越し、感謝致します」
「うむ。おはよう」
「して、このエッセンの落ちこぼれ女に、何用でございましょう。城からの退去を申すのでございましたらば、我が主、マサヒデ様を通して頂きたく存じます」
イザベル自身も、このアランに落ちこぼれ呼ばわりされている。
目も口も険しくなるのも当然だ。
「そう逸るな」
アランがイザベルの向かいのソファーに座ると、メイドがカップを置き、紅茶を注ぐ。
「詫びに参った」
「・・・」
「昨夜は、過ぎた言をした。私を許してもらえようか」
「・・・」
かち、かち、かち・・・
時計の音が静かに響く。
「マサヒデ様は、何と?」
「兄上からは、お言葉は頂いておらぬ。頭は下げたが」
「されば、まずマサヒデ様に。マサヒデ様が許すと申されるのであれば、私も昨夜の事は忘れましょう」
「そうか。ではお言葉を頂き、後程、また参る。ファッテンベルク殿には尋ねたい事が出来たので、ここで待っていてもらえまいか」
「お待ちしております」
注がれた紅茶には手をつけず、アランはイザベルの部屋を出て行った。
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アランが中庭に着いた頃、既にマサヒデとリディアーヌの立ち会いは終わっており、テーブルにはマツ達と、リディアーヌも混ざって、マサヒデと談笑をしていた。
側に立っているメイドも、にこにこしている。
「む・・・う」
昨晩、晩餐会の終わり際に頭は下げたが、許す、とは言われていない。
イザベルもアルマダも、烈火の如く怒っていた。
『腰抜けはどちらですかね』
アルマダの言葉を思い出し、我が身の恥を深く感じる。
よもやあれ程の達者であったとは、思いもしなかった。
あの場に立ち入るのは憚られるが、しかと許しの言葉は得ねばならない。
さ、さ、と綺麗に手入れされた芝生に踏み出す。
数歩歩いた所で、マサヒデがちらりとこちらを見たのが分かった。
頭は動かさなかったが、確かに目が合った。
(偶然ではあるまい。この距離で気付くのか)
自分も少しは剣をかじっているだけに、堪らない気持ちになる。
沈痛な顔でアランが歩いて行くと、は! とリディアーヌが顔を向けた。
「アラン兄上」
「リディア・・・皆様、おはようご」
「兄上ッ!」
がちゃん! とティーカップを鳴らし、リディアーヌが立ち上がり、リディアーヌの大きな声が、アランの挨拶を遮って、庭に響く。
「わ」
リディアーヌの声に驚き、クレールが小さな声を上げた。
「リディア。大きな声を上げるな」
「アラン兄上! マサヒデ兄上に謝罪して下さい! マサヒデ兄上が腰抜けなどと仰られたそうですね!」
アランはマサヒデをちらっと見て、リディアーヌを無表情に睨む。
「その為に来たのだ。声を上げずに控えておれ」
「い?」
マサヒデが驚いた顔を、リディアーナから、アランに向けると、アランが頭を下げた。
「マサヒデ殿。いや、兄上。昨晩の無礼をお許し頂けませぬか」
「ああ・・・」
魔王様が言っていた通り、マサヒデはアランに認められたのだ。
そして、このアランという男は、認めた者には乞食であろうと幼子であろうと、しかと敬い、頭を下げる。
今、こうしてマサヒデに頭を下げている。
そして、きちんと兄と呼んでくれた。
ただ姉の夫だから、ではなく、ちゃんと自分を認めてくれた。
「アラン様。アラン王子。昨晩、魔王様が仰っていました。あなたは、自分でしかと確かめねば、相応の態度を取れない、相手を認められない性分だと」
「は」
「私は今、アラン様に認められたのですね」
「いえ」
またリディアが立ち上あがり、声を上げる。
「何故です!」
き、とアランがリディアーヌを睨み、マサヒデに目を戻す。
「控えろリディア。今ではありません。昨晩からです」
リディアーヌが、どすん! と椅子に腰を下ろし、腕を組んで口をへの字にして、アランを睨む。
「昨晩ですか・・・リディアさんとの立ち会いを見て、私を相応の剣客と認めてくれた、ということですね。ありがとうございます」
マサヒデが頭を下げると、アランが頭を上げ、
「それは、今までの不遜をお許し頂けると取って宜しいでしょうか」
「不遜だなんて。アラン様から見たら、当然です。私は職のない、へっぽこ浪人なんですよ。こちらこそ、アルマダさんやイザベルさんに無礼な発言をさせました。あのお二人を、許して頂けますか」
「許すなど。自ら詫びて参ります、マサヒデ殿」
「はい」
「兄上とのお呼びを、許して頂けるでしょうか」
「そう、呼んで下さいますか」
「どうか、お許し下さい」
また、マサヒデの胸に、じいんとくるものがあった。
兄弟が、家族が増えたのだ。
「許すも許さないもありません。私は、何とも思っていません。それより、私を兄と呼んでくれる事に感謝します。ありがとうございます」
「嗚呼! マサヒデ兄上! 寛大すぎます!」
リディアーヌが声を上げ、目を潤ませる。
まるで、クレールとイザベルを足して割ったようだ。
「こんな若造が、寛大とか、そういうものではないですよ。何も考えていない、鈍感なだけなんです。さあ、アラン様。もう頭を」
「アラン、とお呼び捨て下さい」
「私より身分も年齢も上の方を、呼び捨ては難しいです。アランさん、で許して下さい」
「は。畏れ入ります」
「アランさん。改めて、宜しくお願いします」
「は! 宜しくお願い致します! されば、急ぎ、ハワード様、ファッテンベルク様に無礼を詫びて参ります」
「別に、大丈夫だと思いますが・・・」
「それでは私の気が済みませぬ。どうか」
「では、どうぞ」
「は! 失礼致します!」
アランは頭を上げ、マツ、クレール、ユカリに会釈して、くるりと背を向け、去って行った。
それを無言で見送った後、マサヒデは、ぽん、と手を叩いた。
「あ、そうか!」
「え、何か? どうしたんですか?」
クレールが不思議な顔をマサヒデに向ける。
「ユカリ様、アランさんは、兵を率いて竜を倒したと」
「そうですよ」
「もしかして、アランさんは、軍属ですか?」
「ええ」
「そうかそうか。そういう事でしたか。ええ、あの態度も納得ですよ」
マサヒデはリディアを見て、
「リディアさん。軍人なら私を疑って当たり前です。アランさんを怒ってはいけませんよ」
「どういう事でしょうか?」
「私は何人も軍人さんと会う機会がありましたから、良く分かります。アランさんは、すごく慎重な方なんです。それを、一見した所は不遜な態度で隠してるんですね。軍人というのは、とかく本性を隠すようになってしまうものです」
リディアーヌとユカリが顔を見合わせる。
「・・・そうでしょうか?」
「きっとそうですよ。兵を率いて、なんて、軍の中でも階級は上。簡単に人を信用なんて出来ない仕事です。それは分かりますよね」
「まあ・・・はい」
「そうなんですよ。でなきゃ、魔王様が軍人に据えたままにしておくわけがない。ただ気に入らないから、偉そうにしてるって人ではないはずです」
「・・・」
この人は良い人なんだな・・・
良い風にしか見られない人なんだな・・・
リディアーヌとユカリは、もう一度顔を見合わせた。




