第78話
マサヒデが風呂に入っている間に、部屋にリディアーヌが来て、剣術指南を、と待っていた。
マサヒデはリディアーヌに対し、剣は胆力が必要だ、と説いたが・・・
「む! 忘れてました。そう言えば、貸してもらった服、えらく丈夫だと聞きました。確か、蜘蛛の魔獣の糸で編んだ物だと」
「あっ! あの布を着ておられましたか! 着ておれば、私の剣も通りません! 稽古着は全部あれで作ってあります!」
「そうですか・・・ふむ」
マサヒデはカップを置いて、着ている着流しの袖を引っ張る。
「これもですかね」
これは一手ご指南のチャンス!
リディアーヌが手を伸ばす。
「失礼します!」
マサヒデの着流しの袖に手を掛け、ぐ! と引っ張る。
び、と小さな音がして、はっ、とリディアーヌが手を止める。
「ただのシルクのようです」
「ふうむ。そうですか」
駄目か。リディアーヌが手を引っ込めて、がっくりと肩を落とす。
「それなら、あの布よりは安いでしょう。では、中庭に行きましょうか。一手、指南しましょう」
「良いのですか!?」
「斬り合いではなく、指南ですから。リディアさんは魔剣を使うそうですが、普通の細剣を持って来て下さい。ただし、真剣を」
「え」
「流石に魔剣相手では、私も簡単に死にますから・・・細剣というと、そうだ。確か魔王家所蔵のあれ・・・なんと言いましたか。魔剣・・・そうだ。魔剣、ヴェント、ですね」
「はい」
魔剣ヴェント。
それは風の魔術を纏ったレイピアである。
振ればかまいたちの術を起こし、相手を切り刻む。
だけでなく、撃ち込みを受けた時、集中した風を起こし、撃ち込みを弱める。
レイピアであるのに、大剣、大斧の一撃さえ、受け止める事が出来るのだ。
そして、かまいたちはそれだけでなく、風の上級魔術のように、かまいたちの塊のような物を生み出し、飛ばす事も出来る。
それは周囲の物を引き寄せ、入ってしまったら挽き肉のように粉々に切り裂く。石壁程度なら、粉にしながら飛んで行く。恐ろしい威力を持った剣なのだ。
流石に稽古でこれは使わない。
「ですが、真剣ですか? その、訓練用の剣でも、死ぬ、と」
「はい。ですが、あれは刃が丸めてありましたからね。私も真剣でいきます。リディアさんは見た所、獣人族と魔王様の混血と見えますが」
「はい」
「私と比べたら、丈夫なお身体でしょう。ですが、私の刀は、リディアさんを斬れます。試したことはありませんが、おそらく龍人族であろうと、斬れます。魔剣や称号の類ではありませんが、斬れます」
「・・・」
「私の連れの、ラディさんに立ち会ってもらいましょう。彼女は、手足が斬り落とされようが、傷跡なく、ぴたりと治す治癒魔術が使えます。流血も治せます。ま、可能な限り、首は寸止めはします。リディアさんも頼みます。ですが、手足の1、2本は覚悟して下さい。私もしています。大丈夫。ラディさんが治してくれます。斬られた時は、痛みはありますが」
可能な限り。手足の1、2本。
マサヒデの言葉が、ぐるぐると頭を回る。
リディアーヌの顔から、血の気が引いていく。
そんな真剣でまともに立ち会う稽古など、したこともない。
「ふふふ」
顔を青くするリディアを見て、マサヒデがにやりと笑った。
「顔色が悪いですね。思った通りです。リディアさんは、いざ人を斬る、斬られるとなると、躊躇いがあります」
「は・・・」
「それが普通です。その躊躇いは、稽古で少しずつ消せます。私のように、切り替えが出来るようになるでしょう。ま、生来、そういう事に全く躊躇いのない、普段から頭のネジが飛んでいる・・・と言っては言葉が悪いですが、そういう方も居ますが」
「本当に、やるのですか?」
「ええ。寸止めは頼みます。流石に頭に深々と入ったら、即死してしまいますから。そういう場所でなければ、さっとラディさんが治してくれます」
離れて控えていたメイドが、顔を真っ青にしていた。
この人こそ、頭のネジが飛んでいるのでは!?
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魔王家の魔剣や称号武器、名品を好きなだけ見せてもらえると聞き、アルマダとラディがにこにこしながら廊下を歩いていた時である。
前からメイドが小走りに走って来て、ラディの前に止まった。
「らっ、ラディスラヴァ=ホルニコヴァ、様、ですか!」
「はい」
は、は、とメイドが息を整え、真っ青な顔を上げた。
これは何かあったのか。
ラディがアルマダを見ると、アルマダが険しい顔。
「急いで、急いで中庭に! 来て頂けますか!」
アルマダが眉を寄せ、
「何か大事がありましたか」
「こっ、これから・・・大事が」
「これから?」
「マサヒデ様と、リディアーヌ様が、剣術の稽古を」
「稽古?」
名前から聞くに、女。魔王の姫。マツの妹か。
駄々をこねられ、マサヒデが断りきれなかったのか。
それで、念の為にとラディが呼ばれるのか。甘やかされているものだ。
仕方ないな。名品を見るのに、少し待たされるか。
アルマダが苦笑し、ラディが肩を落としたが、次のメイドの言葉に驚いた。
「それが、それが! 真剣で、立ち会い稽古をすると!」
「な!」「えっ!?」
アルマダもラディも、声を上げてしまった。
廊下に立っていた近衛兵も、がちゃりと鎧を鳴らし、こちらを見る。
「なんですって? 確認します。リディアーヌ様という方は、姫、ですか?」
「はい!」
「馬鹿な! マサヒデさんは、姫と真剣で立ち会い稽古と!?」
「はい! はい! ですので、ホルニコヴァ様に、立ち会いを願いたいと! 事故があった時」
「事故など起こってはなりませんよ! ホルニコヴァさん、行きますよ!」
「はい!」
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アルマダ、ラディが中庭に駆け込んだ時、既にマサヒデもリディアーヌも、真剣を腰にして立っていた。
マサヒデの対面の、稽古着の女の子は、腰にレイピアを下げている。あれがリディアーヌ姫だ。
そこから少し離れた、大きな日傘を立てられたテーブルでは、マツにユカリ、クレールが、どうなることかと、顔色を悪くして2人を見ている。
「マサヒデさん!」
アルマダがすっ飛んできて、マサヒデの肩を押さえる。
「一体、何のつもりです!」
「何って、稽古ですよ」
アルマダがマサヒデの腰の雲切丸を押さえ、
「真剣ではありませんか!」
「真剣だから、稽古になるんです。なので、わざわざラディさんに来てもらったんです。リディアさん、ラディさんの治癒魔術は、傷跡も残らないので、安心して斬り込んで下さい」
「ばっ・・・馬鹿な事を! おやめなさい!」
マサヒデは雲切丸を押さえるアルマダを見て、
「リディアさんは、本気で剣術をやりたいと言うのです。寸止め稽古ですよ。出来る限りですが。ラディさんは、万が一、傷がついてしまった時の為。本気でやると言うなら、このくらいなんです。稽古の邪魔をしないで下さい」
「しかし!」
「アルマダさん。王族であろうが、穢多非人であろうが、トミヤス流は平等ですよ。忘れましたか」
「いけません! あなたの妹! 魔王様の姫なんですよ!」
「本気で剣術をしたいなら、そんな事は関係ありません」
く、とマサヒデが鯉口を切った。
きらん、と雲切丸の鍔元が光る。
「せっかく来たんです。ついでに、審判も頼みますよ。リディアさんの剣の腕、見定めて下さい」
「ばっ・・・何を呑気な事を!?」
相手は若いとはいえ、獣人族と魔王の血を引く者だ。一目で分かる。
たとえマサヒデの方が技術が上でも、とんでもない身体能力のはずだ。
だが、声を上げるアルマダを押し離し、マサヒデは右手を軽く前に出した。
抜き打ちするつもりだ・・・
アルマダとラディの顔から、血の気が引いて行く。
雲切丸が先に届いたら、この姫の胴を、真っ二つにしてしまうかもしれない。
「まずは立ち居合、ま、抜き打ちというやつをお見せしましょう。ラディさん、斬ってしまったら頼みますよ」
「・・・」
マサヒデは本気だ。
ひりひりした空気が、マサヒデから立ち昇る。
「いつでも」
は、は、とリディアーヌの息づかいが聞こえる。顔が青い。
「抜いて下さい」
「まっ・・・参ります!」
腰のレイピアに手を掛けた瞬間、マサヒデの雲切丸が閃いた。
か、と小さな音がして、レイピアの鍔が雲切丸に当たる。
あれ? と手元に目をやろうとして、
「ひ!?」
と声を上げ、慌てて柄から手を離す。
いつの間にか、抜身が柄まで伸びてきている。
マサヒデの前では、抜く前に終わってしまうのか!?
ぞくぞく! と、リディアーヌの手から腕、肩、背中まで、毛が粟立ってくる。
「アルマダさん。これは一本で良いですか」
「・・・ええ。一本です」
マサヒデが切先を向けたまま、くい、くい、と右足、左足、と下がってから、くるんと刀を回し、棟をすーっと鯉口の上で滑らせて、すとん、と鞘に納める。
「二本目です。リディアさん。今度は先に抜いていても良いですよ」
「は・・・」
ごくん、と喉を鳴らし、リディアが恐る恐るレイピアを抜く。
マサヒデも抜いて、無形に切先を落とす。
「では、いつでも」
構えたリディアーヌを見て、ほ、とアルマダが息をついた。
腰が引けている。マサヒデが完全に飲んでしまっている。
この調子なら、驚かせるだけで済むだろう。
「兄上! ま、参ります!」
しゅ、とレイピアが突かれた。
マサヒデは軽く避けつつ、すぱっと斬り上げる。
「一本」
アルマダの声。
リディアーヌのレイピアは、マサヒデの耳の端を掠めるように貫いていた。
マサヒデはゆっくりと真っ直ぐ下がり、刀を納めて、ラディの方を向く。
「ラディさん」
「は、は、はい」
耳を治癒されるマサヒデを見て、リディアーヌが剣を引き、腰に納める。
腹の稽古着に両手の平を当て、上下に引っ張ると、稽古着がぱかっと割れた。
「お腹、斬れていませんか」
マサヒデの声に、びくん! と、リディアーヌが顔を上げる。
「は!? は、はい! 稽古着だけで」
「どうです。真剣で人を斬る、という難しさ、少しは分かりましたか」
「はい・・・」
「胆力が必要です、と言った事、身を持って分かったでしょう。昨晩とは比べ物にならない程、全然冴えない動きでしたよ。素人同然です。見てから余裕を持って避けられました」
リディアーヌが、がっくりと肩を落とす。
マサヒデはくすっと笑って、
「そうがっかりしないで下さい。今の自分と私を覚えておいて、これからの稽古の時は、腰が引けないようにと腹を据えて稽古していれば、自然に変わってきます。さ、今回の指南は終わりですよ。着替えてきて下さい」
リディアーヌは無言で頭を下げ、肩を落として中庭を歩いて行った。
マサヒデはリディアーヌが廊下の向こうに離れるまで見送って、耳を押さえた。
それを見て、アルマダが苦笑する。
顔に来たのを、ぎりぎりで外したのだ。
「素人同然だなんて、厳しい事を。素人がマサヒデさんに当てられますか」
「完全に飲んだと思いましたが、ひやっとしましたよ。流石に魔王様の血族。技術なんてあっても無くても一流ですね」
「それに勝った自分は超一流ですか。言いますね」
「ふふ。まさか」
テーブルの方では、マツ達が安堵でがっくりと首を落としていた。




