第77話
マサヒデがとんでもなく広い風呂から出て、さらりとした着流しで廊下を歩いていると、前からマツが歩いて来た。マツも風呂か。
「こら! マサヒデ様!」
「おはようございます、お寝坊様。なんです、いきなり」
「風呂に行くなら、誘って下さいまし」
「それは・・・それは、一緒に入りたいと言っているんですか?」
「はい」
「恥ずかしいから嫌です。では」
「もう! 部屋でリディアーヌが待ってますよ!」
「は!? 昨夜のあの方ですか?」
マツは返事も返さずに、つんと顔を逸らして歩いて行ってしまった。
「えい、くそ」
マサヒデは着流しを翻して、廊下を突っ走って行く。
王族を待たせるなど、とんでもない事だ。
(そう言えば、マツさんも王族なのか!)
すぱー! と走って行くマサヒデを見て、近衛兵が並んで走ってくる。
「マサヒデ様! なんぞございましたか!」
「失礼! 部屋に人を待たせているのです! 大丈夫です!」
「ははっ!」
その場で止まって、近衛兵は後ろに下がって行く。
あのごつい鎧を着たまま、マサヒデに並んで走ってきた。
それだけでも凄い事だ。しかも、大丈夫ですか、などと普通に喋りかけてきた。
これだけでも、この魔の国の近衛の実力が垣間見られる。
「ふっ!」
部屋の前に戻ってきて、左右に立つ驚く近衛兵に軽く頭を下げ、呼吸を整え、襟、帯を正す。小さな声で、
「マツさんから聞きましたけど」
「は」
「リディアーヌ様が来られていますか」
「は」
「ええい、しまった。リディアーヌ様を待たせて、のんびり風呂とは。この格好で大丈夫でしょうか」
「マサヒデ様、大丈夫です。ここは奥です」
先程も言われた事だ。
もう一度帯を確認、襟を確認、裾を確認。
ドアノブに手を伸ばし、ぴたりとマサヒデの手が止まる。
近衛兵の方を向き、
「ここは私に当てられた部屋ですが、この場合、私がノックすべきでしょうか」
「それは別に構いませぬかと。マサヒデ様が兄上となりますゆえ」
「しかし、身分としては、私は平民ですし、客ですよ」
「む」
左右の近衛兵が顔を見合わせる。
こういう場合、どうしたら良いのか?
身分が先か、兄妹としての序列が先なのか。
「む、ううむ・・・」
「まあ、行きましょう。合ってなければ、素直に怒られます」
がちゃり。
ドアを開けると、ソファーに座っていたリディアーヌが立ち上がり、マサヒデに頭を下げた。
「マサヒデ兄上! おはようございます!」
「兄上」
何故か、じいん、ときて、マサヒデはドアを開けた格好のまま、身を固めてしまった。凄く嬉しい。王族に『兄』と呼ばれた事ではない。この喜びはなんだろうか。
リディアーヌが、自分を家族と認めてくれたからだろうか?
「兄上? 如何なされました?」
「あ、失礼を」
マサヒデはそっとドアを閉め、ソファーに歩いて行き、頭を下げた。
「リディアーヌ様、何か御用でしょうか」
「兄上、リディアと呼んで下さいませ。妹に様など、おかしゅうございます」
「妹」
また、じいん、ときて、マサヒデは思わず胸に手を当てる。
「どうかなさいましたか? 体調でも」
「いえ。そうではないのです」
は、と息をつき、マサヒデはソファーに座って、立ったままのリディアーヌを見る。
「リディアさん」
「は!」
「あなたに、兄上と呼ばれたら、感じ入ってしまって」
「え」
「なんでしょうか、この気持ち。嬉しいような」
ほ、とリディアーヌも嬉しくなって、頬が赤くなった。
恋愛感情のようなものではなく、嬉しさの興奮。
この大剣客を、兄と呼べるとは!
「は。私もです」
マサヒデは少し下を向いて、しばらく胸に手を当てていたが、は! と顔を上げ、
「あっ! すみません。そんな立ったままでおらずに。どうぞ、お座り下さい」
「は、はい」
改めて見れば、リディアーヌもドレスではあるが、晩餐会で見た時のような派手派手しいドレスではない。
その時、かちゃ、と微かな音がして、ぴく、とマサヒデの目だけそちらに動いた。
(メイドさんか)
今になって気付いたが、リディアーヌの前にはティーカップが置いてある。
(いかん。慌てすぎたか。気が昂ったか)
すうー、ふう! と息を整え、置かれる紅茶を見る。
メイドが頭を下げ、隅に下がって行くのを確認してから、顔を上げた。
リディアーヌがきらきらと目を輝かせ、マサヒデを見ている。
おそらく、剣術指南の頼みだろう。
「リディアさん。剣術指南ですか?」
「はい!」
「うん・・・構いませんが、私は細剣は苦手です。細剣の技術は、リディアさんには遠く及びません」
「えっ?」
「うちは、ええと、トミヤス道場では、一通りは、武器の扱いはやりますけど、私は刀を主にですね。どちらかと言えば、細剣なら、私が教えてもらう方です」
「ですが、昨夜は、簡単にあしらわれてしまいました」
「それは私が竹刀でしたから。同じ細剣同士での立ち会いでしたら、私は完膚無き負けを喫していたでしょう。お世辞ではありませんよ。リディアさんの剣が喉に突き刺さっていたと思います」
「ううん・・・」
「ですから、私は木刀で、とかなら指南は出来ますが、細剣の技術を教えるのは難しいというか。違う武器と戦う、という感じの指南は出来ます。それとですね」
「はい」
マサヒデは苦笑いして、
「あの訓練用の剣だと、私は死んでしまいます」
「ええーっ!?」
「私は人族ですよ。あれ、先は丸めてませんでしたから、豆腐のように、深々と突き刺さります。リディアさんに剣術を教えているのは、魔族の方でしょう。丈夫さが違います。胴なら即死はしないので、魔王様やマツさんが助けてくれたかもしれませんが、もし顔や頭に入っていたら」
「で、では、真剣勝負のような、で、竹刀?」
マサヒデはカップを取り上げ、頷いた。
「そういう事ですね」
つづー・・・
「おっ! これは美味しいですね!」
リディアーヌは、落ち着いて紅茶をすするマサヒデを、目を丸くして見つめる。
この人は、死を間近にした相手を前にして、こんな余裕を?
自分は、もう少しで兄になる人を殺す所であったのか?
「死ん、でた、かも、ですか?」
「ええ。そうですよ」
ごっくん、とリディアが喉を鳴らす。
マサヒデはカップを置いて、クッキーをひとつ取った。
「リディアさん」
「は、はい」
「別に怒ってはいませんよ」
「感謝致します・・・」
本当に感謝。マサヒデが相手でなかったら、大事な晩餐会で、死人が出ていたかもしれなかったのだ。
「では、ひとつ指南。本当に、剣術で強くなるには、何が必要だと思います?」
「それは勿論、日々の稽古です」
「違います。胆力。精神力。相手を目の前にして、稽古で鍛えた技術を出せる胆力です。リディアさんは負けはしましたが、昨夜の立ち会いを、よく思い出して下さい。普段通りに動けましたか? いつもなら、と思う所はありませんでしたか?」
「ううん・・・」
「では、1対1での立ち会い稽古など、無駄な稽古。戦場では多数隊多数なのだ、というような事を言われたりしませんか」
「はい。言われます」
ふふん、とマサヒデが笑って、ぺき、とクッキーを割る。
「確かに、1対1と、多数で戦うのでは、戦い方は変わってきます。ですが、数を頼んで腹の据わっていない多数など、順に斬っていけば簡単にあしらえます。すぐに怖くなって逃げて行きます」
「数に屈さない胆力ですか」
「それと、もうひとつ。殺しを躊躇わない胆力。殺しつつ、冷静にいられる胆力」
マサヒデが、割ったクッキーを、かり、と口に入れる。
「殺し・・・」
「人を斬る、という時は、躊躇いが出ます。それが普通です。私もそうでした」
でした、という事は・・・
ごくっとリディアーヌの喉が鳴る。
「剣術の稽古は、殺しの稽古という事を常に念頭に置いておく。でないと、よく言われる道場剣術で終わり、本物の剣術ではなくなります。いざ真剣を持ったら、相手を目の前にして腰が引けてしまい、簡単に斬られる事になる。倒れてしまってから、ああ全然動けなかった。父上、母上、ごめんなさい・・・で終わります」
「あの、ひとつ宜しいでしょうか」
「はい」
「マサヒデ兄上は、その躊躇いが、ないのですか」
「時と場合と・・・ま、相手次第ではなくなります」
「相手次第?」
「私や、私の大事な人達に剣を向けてくる者。殺しを楽しむような輩。殺さねば私が死ぬ、というような時。誰でも好きに斬れる、というわけではありません。例えば、リディアさんや、そこのメイドさんを斬ろうとしたら、私は腑抜けの剣になります」
「腑抜けですか? 兄上が?」
はは、とマサヒデが笑い、
「ええ。昨日の立ち会いだって、もし私が真剣を持たされていたら、どうなった事か。おそらく、何もせずに、突き刺されていたでしょう。参りました。やめて下さい。そんな結果だったと思います」
「真剣なのに、ですか」
「はい。それか、逃げ回っていたか。文字通りの腰抜けっぷりを披露していたでしょうね」
「信じられません」
つ、と茶をすすり、カップを置く。
「昨日、晩餐会の前の事です。アラン様に腰抜けと言われた時、イザベルさんもアルマダさんも凄く怒りました。でも、私は腰抜けで結構ですから、なんて、あたふたしていました。何故だと思います?」
む! とリディアーヌが眉を寄せ、
「腰抜け!? アラン兄上がそんな事を!?」
「ええ。でも、私は腰抜けで良いですよ、なんて言っていました」
「何故ですか! 相手が王族だからですか!? 家族になるからですか!?」
「それも、あります」
「他にもあるのですか」
「ふふ。イザベルさんは、主の名誉を、なんて怒りました。アルマダさんも、トミヤス流を舐められた、と怒り心頭で、決闘だ、剣を持って来い、なんて。つまり、名誉とか・・・面子ですね」
「はい! 当然だと思います!」
「しかし、私は面子で人を斬りたくないので、腰抜けでおおいに結構なんです。面子を潰されたら切り合いだなんて。そんなの、ヤクザ者みたいではありませんか」
「名誉の剣が、ヤクザ者!?」
「そんな感じです。アルマダさんも、イザベルさんも、貴族だとか、他にも色々ありますけど、名誉が凄く大事。でも、私は違います。はいはい、そうですね。言ってなさいよ。それで済めば良いと思いませんか? 人も死にませんし」
「しかし、それではマサヒデ兄上の名誉はどうなるのです」
ふふん、とマサヒデが笑って、ぬるくなった紅茶をぐいっと飲み、
「街中で、トミヤス流はなあ、なんて言ってる人がいたら、斬って回るんですか」
「む」
「魔王様は、この広大な魔の国を平和に治めておられますけど、不満のある国民は皆無ではないでしょう。その人達、魔王様の政の面子に関わりますね。斬ってしまいますか。ま、そこまでやらずとも、ひっ捕らえてしまいますか。魔王様、そんな事しますか?」
「む、む」
「ふふふ。殴り合いの喧嘩程度なら、私も受けたかもしれませんが、真剣を持って来い! なんてイザベルさんが言うもんだから、焦りましたよ」
マサヒデがメイドにカップを差し出す。
「おかわり、貰えますか」
「はい」




