第102話
その夜、晩餐会には魔王が出席しなかった。
「あの人は仕方ないですねえ。仕事がお忙しいのは分かりますけれど」
今日の主賓席にはユカリが座り、ユカリの席にはアランが座っている。
リディアーヌとアランが、俺が私がと、最前まで争っていたのだが、結局は年上の兄という事で、アランとなった。
ユカリが苦笑しながら、つ、と菜っ葉の味噌汁を飲む。
今日は日輪国の料理。
マサヒデにとっては、久し振りの味。
マサヒデは焼き鮭を摘み、
「ユカリ様、仕方ないですよ。私、魔王様の仕事を見ましたが、凄い書類の山で驚きました。むしろ、今まで席を共にしてくれたというのがありがたく。私達に合わせていたせいで、仕事が溜まってしまったのではないでしょうか。恐縮です」
「そうかもしれませんけど。ところでマサヒデさん。もう母上と呼んでくれても良いんですよ」
「いや、それはさすがに気が引けますが」
「練習して下さい。さ、母上と呼んで」
マサヒデは箸を止め、きちきちと固くなったまま、
「ゆ、ユカリ・・・母上」
と、小さな声で何とか絞り出す。
気恥ずかしさもあるが、何より王族、それも魔王様の妃であられる。
隣のマツと、ユカリを挟んだ向こうで、アランがにやにやしている。
「なんですって? 良く聞こえませんでした」
「ユカリ、母上」
ユカリがにっこり笑った。
「はい! それで良いのです」
「は・・・」
マサヒデは湯呑を取って、ぐ、ぐ、と煽り、ふう、と息をついて、湯呑を置く。
「うふふ。今日はハワードさんとお話ししましたけど、博識で退屈しませんでしたね。あの整ったお顔でトミヤス道場で双璧だなんて、女性が放っておきませんでしょう」
「え? ええ、アルマダさんですか。日輪国で冒険者ギルドの冒険者さん達の稽古をしていた時は、女性の方に囲まれていましたよ。男衆は追い出されてしまって、女性の冒険者しか、アルマダさんの稽古を受けられない有り様でした。ははは!」
ぱち、と箸を置き、アランがマサヒデに笑顔を向ける。
「おお、マサヒデ兄上、そのハワード殿については良い報告が届いております」
「報告? なんでしょうか」
「ファッテンベルクのロブ家から逃げ出した、パウラ嬢はご存知ですね」
ぎくり。
知ってはいるが、パウラの潜伏先は秘密だったはず。
「なんと、パウラ嬢がハワード殿を追って、ここまで向かっているとか」
「ええっ!? それ本当ですか!?」
「ハワード殿もそれを聞き、満更でもないようで」
「は!? アルマダさんがですか!?」
剣一途。女と付き合う暇などない、と言い切っているアルマダが!?
「いや、喜ばしい事です。ロブの者も皆、それは喜んでおりまして、やれ婚約だ、式はいつだなどと慌てておりますぞ」
ころん、とマサヒデの手から箸が落ちた。
マツもクレールも驚いて、箸も口も止まっている。
「喜ばしい事ではございませんか。マサヒデさんに続き、ハワードさんの式も挙がるんですね」
ユカリもアランもにこにこしているが、マサヒデ達は驚愕の顔。
「ははは。母上、式を挙げるかどうかは分かりませんよ。マサヒデ兄上の祝祭が終わり次第、急いでレイシクラン家に向かわねばなりませんから」
「ううん、マサヒデさんもハワードさんも、お忙しい事ですねえ」
マサヒデ達は、それを夢の話ように、呆然と聞いていた。
まさか、あのアルマダが・・・結婚!?
実は白露帝国と争う小国ワキーナに、魔王軍陸軍騎兵隊の精鋭中の精鋭、エッセンとロブの両ファッテンベルク家から援軍を送る為、アランとアルマダが考えた布石だが、マサヒデ達は知らない。
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晩餐会が終わると、マサヒデ達は挨拶もそこそこに廊下に出た。
きょろきょろと廊下を見回し、立っている近衛兵に、
「失礼します。アルマダさん、アルマダ=ハワードは、もう部屋に戻りましたか」
「いえ。まだここを通ってはおりませんので、会場の方におられるかと」
「ありがとうございます」
会釈して、すたすたと廊下を歩いて行く。
マツもクレールも後ろに続く。
マツが少し心配そうな顔で、
「マサヒデ様、アランの話、本当でしょうか」
「いや、信じられないです」
「で、ですよね?」
クレールも疑問の声。
マツが眉を寄せ、
「もしかして、アランや父上がハワード様に何か言い含めたのでは」
「ん・・・どうですかね」
「あり得ない事ではございませんよ。財政はともかく、家格は釣り合いますし、私とマサヒデ様との仲と違って、貴族同士の結び付き。ハワード家は政には最小限しか関わりませんけど、魔の国の意は日輪国に少なからず響く事になります」
「つまり、この話、政略結婚ではと」
「はい。国と国との結び付きと考えますと、日輪国のハワード家ともなれば、私の妹達を差し出しても良い格ですよ」
「ううむ」
「ハワード様は御三男ですから、此方に婿入りという形になるでしょうけど」
「ううむ」
「アランではなく、父上かしら・・・アランなら、ハワード様が軽くあしらってしまいそうですし」
「ううむ、聞かない事には・・・そうだ。そういえば、アルマダさん、イザベルさんがファッテンベルクって聞いた時は、凄くびっくりしてましたよ。魔の国の武門の家っていう所に、憧れみたいな所はあるでしょうね」
「どうなんでしょうか・・・」
マサヒデ達が話しながら歩いていくと、前のドアが開き、ぱあっと前方の廊下が明るくなった。
「おおっ! マサちゃーん!」
酒の瓶を両手に持ったシズクが出て来た。上機嫌で、満面の笑顔。
「シズクさん、アルマダさんは?」
「中にいるよー。お姫様ーとおー、一緒にー。ういー」
「・・・」
そういえば、晩餐会では、姫と言えば、初日のリディアーヌくらいしか、マサヒデの所に来ていない。王妃には何人も挨拶したが・・・こっちに来ていたのか。
「そうですか。ありがとうございます」
「まだまだ呑むよっ! マサちゃんも呑む?」
「いえ。ちょっとアルマダさんと話が」
「あそう? じゃー私は帰るー! いへへへ」
完全に出来上がったシズクを置き、会場に入って行く。
マサヒデ達の晩餐会会場よりは狭いが、どえらく広い事には変わりないし、シャンデリアもぎらぎら輝いているし、テーブルの上の食器や燭台などが光を反射して、きらきらしている。
横に長いテーブルの隅で、ラディが口を拭いている。
隣でイザベルがにこやかにワインを呑んでいる。
さらにその隣で、カオルがイザベルに顔を向け、何か話している。
トモヤが騎士達とジョッキを掲げ「かんぱーい!」と声を上げている。
そして、ぐるりと円になった美しい女性達と、その横にワゴンを置いて立つ給仕。
「あれだ」
アルマダの頭だけが見える。
「行きましょう」「はい」
マサヒデ達3人が歩いていくと、お、とアルマダが背伸びして、こちらを向いた。
「やあ、マサヒデさん」
あ、と姫達がこちらを向き、皆が同時にぺこりと頭を下げた。
「マサヒデ兄上」
「ご機嫌宜しゅうございますか」
う、と気圧されてしまったが、小さく咳払いして、
「アルマダさん、ちょっと」
「丁度、マサヒデさんの活躍を話していたんですよ。ゾエでの野盗退治。マチダ先生の」
「あ、はい」
姫の1人がうるんだ目でマサヒデを見上げ、
「マチダ様から、形見の剣を受け取ったと。私、涙なしには」
「私、排斥派のナカタが。痺れる、という意味が分かりました」
「痺れるのはセンセイの方ですよ」
「私はアナスターシャ王女の逃避行です」
アナスターシャ!? 白露帝国の内の問題ではないか!
「ちょっとアルマダさん! それは話しては!」
「良いではありませんか。皆様、心得ておられますよ。ですよね?」
「はい!」
「兄上、分かっております」
「ご安心下さい」
「それより兄上、私、グレート・マッカラナのお話を」
いかん。これはまずい。
「皆さん、すみません。急ぎの話なんです。アルマダさん、ファッテンベルクの」
「ファッテンベルク? そう言えば、リチャード様(イザベルの父・魔王軍騎馬遊撃隊大将)から預かったお手紙、魔王様にお渡ししたんですか?」
「あっ」
「ははは! ロ=マーン城に入って浮かれていましたね! 皆さん、これがお兄上なんですよ。可愛い所があるでしょう?」
姫達が口に手を当て、上品にくすくす笑う。
マサヒデの顔から、血の気が引いていく。
必ず魔王様へ!
あれほどに頼まれたではないか!
届けたら一報を入れると、自分で言ったではないか!
「し、しまった!」
「ははははは!」
「失礼します!」
アルマダの笑い声を置いて、マサヒデは廊下にすっ飛んで行ってしまった。
それを、トモヤと騎士達が、離れた所で見ていた。
目は酒で完全に淀んでいる。
「のう、ありゃあマサヒデではありませぬかのう」
「ですなあ」
「忙しいこっちゃの。ま! ワシらは楽しく出来るで良いがの! ささ、もう一杯」
「おうおうおうっとお・・・こぼれるこぼれる」
「おっと、入れすぎてしもうた」
ずびび・・・
「やっはっは。ささ、トモヤ殿、ご返杯」




