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第6話 普通の恋愛

「え、お菓子作り?」


 翌日。朝食を終えた私に侍女たちが提案したのは、予想外な内容だった。


 目が覚めたとき、私の散らかした本は綺麗に整頓されていたが、やはり昨日お菓子の本を読んでいたことがバレてしまったのだろうか。


 いや、そもそもあんな本が混ざっていること自体おかしい話なので、きっと侍女たちがこっそりと混ぜたのだろう。


 そのこと自体は悪いことだとは思わない。きっと、子供らしくない本ばかり借りようとする私を心配して、少しでも喜びそうな本を借りてくれたのかも知れない。


 そう。父親が寄越してくれた侍女たちは、みんな私に親切だった。普通であれば末っ子の皇女――しかも平民の母親を持つ皇女など、お世話をしていても楽しくないと思う。


 それでも、誰一人嫌な顔せず心配してくれて、世話をしてくれる。その動機はよく分からなかったが、父親である皇帝の命令だから仕方ないのだろうか。




 そのことはあまり深く考えないようにしようと思いながら、私は侍女たちの提案をもう一度確認した。


「それは、今からお菓子作りをしようってこと?」

「はい。マゼンタ宮の厨房は皇女様であれば自由に使用できますので、如何でしょうか?」

「材料も大体揃っているので、すぐに作り始めることができますよ」


 ぐいぐいと迫ってくる侍女たちに、私はどうしたものかと考える。正直まだ図書館で調べたいことは沢山あるので、今日も調べ物の続きをしようと考えていた。


 魔法についてもっと調べないといけないし、自分の転生の理由もわかっていない。この皇宮から出ていく作戦も考えたいし、筋トレもしたかった。やることは山積みだ。


 お菓子なんて作っている暇はない。そう思いながら、私は昨日見たお菓子の本を横目で見る。どれも色鮮やかで、甘そうで、ふわふわで、美味しそうだった。


 皇女でありながら今は体調を考慮して、胃に優しいものばかり食べているせいで、こういったお菓子はまだ見たこともない。


 そうだ。わざわざ作らなくても、その内食後にこうしたデザートが用意されるようになるだろう。皇女なのだから。そう、わざわざ作る必要はない。必要などないのだ。


 そう思いながらも、私の思考は正反対の方へ進んでいく。医者の判断など待っていられない。もうこんなに元気なのだから、いますぐ食べても良いのではないか。


 そうして、相反する感情の中で私は一度咳払いをすると、腕を組んで侍女たちから目をそらした。


「そんなこと言って、貴女たちが食べたいだけじゃないの?」

「いいえそんな! 私たちは皇女様に……――」

「しょうがないなあ。そこまで言うなら、私が作ってあげる!」




 まだ何も言う前だったので、侍女たちはポカンとした顔で私を見る。しかし、すぐにその意図を汲むと、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「はい。はい! 私たち、アンジェリカ様の手作りお菓子が食べたいです!」

「私たちもお手伝いしますので、どうかお菓子を作ってください!」

「もお、分かったわ。それじゃあ厨房へ行きましょう」

「はい!」


 図書館へ行くのは、別に明日でもいいだろう。自分の欲望に負けてしまったことを恥ずかしく思いながらも、私は侍女たちと一緒に厨房へと向かった。







 厨房は、一度来たことがある。この奥にある食糧庫でずっと暮らしてきたので、ある意味縁のある場所だった。しかし、そんなことは私にとって特に感傷にもならず、厨房に着くと早速お菓子の本を開き始める。


 どれを作ろうか。初心者でも簡単に作れて、可愛くて美味しそうな物がいい。侍女たちと相談しながら、今回は『マカロン』を作ることに決めた。


 いざ作り始めると、お菓子作りは薬物の調合によく似ていると思う。


 エルサの頃は魔導士の仕事として、魔術薬や毒薬、爆薬の調合も行っていたので、その頃の感覚を思い出した。


 粉状の食材の扱い方、分量を計る丁寧さ、全てが均等になるように混ぜ続ける手つき。どれもプロの様にこなす私を見て、侍女たちは「天才ですね!」と煽ててくれる。




 私にとって楽しかったのは、厨房の中に甘い香りが充満することと、生地を絞る作業だった。絞るという作業は前世でも体験したことがないし、自分の手で愛らしい形が生み出される感覚はなんとも言えない喜びを覚える。


 夢中になって生地のクリームを搾り続けていたせいか、鉄板の上には沢山の『丸』が並んでいた。2つセットで1つが出来上がると考えても、作りすぎたかも知れない。


 そう懸念しながら、私は竈の中に鉄板を入れた。生地は数十分で焼き上がるらしい。中に入れるクリームは侍女たちが作ってくれたので、焼き上がるまでのあいだ、少し時間ができてしまった。


 ただ黙って竈を見つめているのも退屈なので、折角だからと、私は今朝の疑問を侍女たちにぶつけてみることにする。


「貴女たちは、どうして親切にしてくれるの?」

「へ……?」

「私の母親は平民で権力もないし、本当ならプラチナ宮で侍女を続けたかったんじゃない?」


 特に責めるわけでもなく、落ち着いた口調でそう聞いた。すると、侍女たちは黙って顔を見合わせると、私に対して穏やかな微笑みを見せる。それは、作られた物ではなく、本物の笑顔だと、そう感じた。


「言っていなかったですね。私たちは、自分たちでマゼンタ宮行きを志願しました」

「どうして?」

「先ほどアンジェリカ様は自分の母親が平民だと言いましたが、私たちはアンジェリカ様の母君に、沢山助けられたのですよ」


 そうして二人が聞かせてくれた話は、全て私にとって初めて聞く話だった。


 二人がまだ侍女としてプラチナ宮に来たばかりの頃、私の母親もプラチナ宮で侍女として働いていたらしい。プラチナ宮は貴族やその傍系の女性が侍女になることが多いため、平民である二人は肩身が狭かったという。


 しかし、私の母親――『モニカ』はそんな二人の助けとなってくれたそうだ。同じ平民出身でありながら、仕事が出来て美しく、誰からも愛されて分け隔てなく優しい。


 彼女のおかげで、プラチナ宮の侍女たちは皆、身分にとらわれず仲が良かったそうだ。




 それから数年後、第四皇妃が亡くなってしまい、皇帝が悲しみに耽る頃、そんな皇帝に寄り添ったのもモニカだったらしい。


 第一皇妃、第二皇妃、第三皇妃の三人は皇帝と愛し合うような仲ではなく、皇帝は第四皇妃のことだけを愛していた。それ故に、傷ついた心を癒したモニカは、皇帝にとっても特別な存在になったそうだ。


 プラチナ宮の誰もが、モニカのことを応援していた。


 そうして二人は結ばれたが、平民である彼女を皇妃に迎えることは、他の皇妃たちの実家である貴族家が許すはずもなく、結局モニカはアンジェリカを産むと彼女を残して姿を消してしまったのだった。


 プラチナ宮は悲しみに包まれた。皇帝も、残された侍女たちも、皆モニカを心から愛していた。だからアンジェリカのことを、モニカだと思ってみんなで可愛がって育ててきたらしい。


 アンジェリカが5歳になるまでの間は。


「まさかマゼンタ宮で辛い目に遭っているとは露知らず、私たちは後悔したのです」

「今度こそ、モニカ様のためにも、アンジェリカ様をお近くで守ろうと決意しました!」

「そうだったんだ……。お母様、みんなから愛されていたのね」

「はい! アンジェリカ様は、モニカ様に瓜二つですよ」


 そんな話をしていると、生地が良い焼け具合になったようだ。危ないからと、竈から鉄板を出してくれる侍女たちを見ながら、私は少し微笑む。それと同時に、周りの人たちがいい人だと知れば知るほど、心が痛んだ。


 自分は、この人たちを捨てて出て行こうとしている。少し気持ちが揺らぎそうになるのをグッと堪えて、私はお菓子作りの続きを楽しむのだった。







 マカロンは、結局大量に出来上がった。色とりどりで美しいその甘いお菓子は、口に入れれば生地がほろほろと崩れ、中のクリームが舌の上にじゅわっと広がる。


 味わったことのない食感、味わったことのない甘さ。これを発明した人は本物の天才だと思う。


 私は夢中になってマカロンを食べていたが、満足するまで食べてもまだまだ沢山余っていた。侍女たちにも食べてもらいつつ、余った分を少量ずつラッピングしてもらう。


 そう、残りは後でゆっくり食べる用だ。そう思っていたのだが、侍女たちが予想外の言葉を投げかけてくる。


「そちらはどなたにプレゼントされるのですか?」

「プレゼント?」

「やはり皇帝陛下でしょうか? 皇子殿下たちもきっとお喜びになられますよ」

「えー……」




全部自分で食べるつもりだったので、誰かにプレゼントするという流れに反論したかった。しかし、自分が沢山食べたのも事実なので、私は仕方なくため息をつく。また今度作るとして、これは言われた通り誰かにあげよう。


「分かったわ。じゃあちょっと出かけてくる」

「あ、お待ちください! 私たちも一緒に……――っ!」

「もう! 恥ずかしいから付いてこなくて大丈夫!」


 自分が作ったお菓子を誰かに渡すのを、人に見られているのは恥ずかしすぎる。


 私は片付けをしている侍女たちの横に置いてある、ラッピングされたお菓子の袋を掴んで厨房から走り去った。たまには一人で自由に外出したかったし、二人には悪いがちょうど良い。どうせ皇宮の敷地内は大した危険もないだろう。


 お菓子の袋は三袋あるので、三人に配ることができそうだ。誰に渡すか考えてみたが、私は驚くほど知り合いが少なかった。セリーヌにはあげるとして、あと二人。全く思いつかない。


 取り敢えずマゼンタ宮を出てみたが、兄たちの所へ会いに行くつもりはなかった。彼らのことはよく知らないし、お菓子をプレゼントしたいと思えるほど好きでもない。


 そう考えながら歩いていると、不意に声をかけられる。それは聞いたことがある声だった。


「アンジェリカ?」




 声のした方を向けば、皇帝が兵士や侍女をひき連れて歩いていた。まさかプラチナ宮の外で会うとは思わず、私は思わず「ゲッ」という感情が表へ出そうになる。


 別に父親のことを特別嫌っているわけではないのだが、侍女たちが言っていたように、本当に父親にお菓子をプレゼントする流れになりそうで、それが嫌だった。そこまで嫌いではないが、そこまで好きな相手でもない。


 私はお菓子の袋を後ろ手に持って、笑顔を作る。


「お父様!」

「どうした、こんなところに……一人で? 侍女はどうした」


 父親の目が冷たく光った。これは、侍女のことを職務怠慢だと思っている表情だ。私の直感がそう告げる。このままでは優しい侍女たちが、私のせいで怒られてしまう。


 そう判断した私は、慌てて隠したばかりのお菓子の袋を父親の前に見せつけた。


「これ! 私が作ったお菓子です! 早くお父様に食べてほしくて、侍女たちを置いて飛び出してきちゃいました!」




 飛び切りの笑顔を振り撒けば、父親の瞳は再び優しい父親のものへ変わった。ゆっくりと近づくと、私の小さい身体を抱き上げる。そして私の持っているお菓子の袋を見ながら穏やかに笑った。


「マカロンだな。一人で作ったのか?」

「いいえ、侍女たちと一緒に作りました」

「そうか、楽しかったか?」

「はい!」


 いつまで愛嬌を振り撒けば良いのだろう。大丈夫ですお父様、私は侍女たちと仲良くやっています。そのアピールのために、私はひたすら笑顔を続けた。


 皇帝は私の手からお菓子の袋を取ると、どこか懐かしそうな瞳でその袋を見ている。そしてお菓子を見つめたまま思い出すように呟いた。


「お前の母親も、お菓子を作るのが好きだった」

「へ……?」

「ありがとう。これは休憩時間に頂くとしよう」




 そう言って、皇帝は私の頭を優しく撫でてくれる。私は腕から下ろされると、再び歩き出す父親の背中を黙って見送った。


 そうか、私の母親――モニカもお菓子作りが好きだったのか。であれば、私がここまで甘い物に執着するのも、母親に似ているのかも知れない。侍女たちも、それを知っていて敢えてお菓子作りの本を私に見せたのだろうか。


 エルサの頃は路地裏で育った孤児だったので、両親のことはする由もなかった。知ろうとも思わなかったし、知る術もなかっただろう。


 だからアンジェリカとして生きていると、父親という存在が抱き上げてくれたり頭を撫でてくれることが、新鮮でむず痒い。母親という存在が、みんなの言葉の端々から自分と似ていることを知ると、不思議な心地になる。


 エルサの人生で大体のことは経験したと思っていたが、アンジェリカになってから知ることも沢山あるようだ。父親と母親の愛情。それを自分が知る機会に恵まれるなんて、思っても見なかった。


 もしかしたら、前世では一度も経験できなかった『アレ』も、今世では可能なのだろうか。そんな淡い期待が浮かぶ。




 普通の人が普通に抱く感情。それは『恋愛感情』。戦場の中で生きていたエルサにとって、男とは戦友であり、決して恋心を抱く相手ではなかった。それどころではない、と言った方が正しいかも知れない。


 一度も好きな人ができたこともないし、好きだと言われたこともない。そんな花の無い人生を送ってきたので、恋人を作ることは今世でやりたいことのひとつでもある。


 普通の男性と普通に出会って、普通に恋愛してみたい。それは決して、皇女の立場ではできないことだろう。


 立場の弱い末っ子皇女である私に待ち受けているのは、きっとどこかの国の王子か、どこかの貴族との愛の無い政略結婚だ。この城の皇妃たちが良い例である。


 私は揺らいでいた決意を再び固める。絶対にこの城から出ていって見せる。目指せ、自由恋愛。


 そうして私は拳を高く掲げると、自分がまだお菓子の袋を2つ持っていることを思い出した。そうだ、これを誰かに配らなくては。


 私ふと思いついた。全く知り合いがいないと思っていたが、昨日友達ができたではないか。今日は真面目に訓練しているか、ちゃんと確認してあげよう。


 そうして私はくすくすと笑うと、騎士の訓練場の方へ足を向けるのだった。

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