第4話 銀色の悪魔
夢を見た。
夢と呼ぶよりは、前世の記憶の整理に近いのかも知れない。寝ている間にエルサの記憶を、まるで映画でもみているかのように、眺めている感覚だった。
エルサは8歳の頃、戦争が始まったことをきっかけに、軍の兵士として徴兵された。孤児として路地裏で生きてきた間は、毎日満足に食べられず、衣服もボロボロで、今思えばアンジェリカとエルサは似たような境遇だったのかも知れない。
だが、エルサは兵士として城に連れて来られると、最低限の衣食住が与えられて、作戦を理解するために基礎的な識字も教育された。
エルサにとって、そこはまるで、天国のように思えた。
国からすれば、使い捨ての駒だったのかも知れない。現に、エルサ以外の孤児はほとんどが戦場で死んでいった。
最低限の衣食住も、はたから見ればそんなに良い暮らしではなかったのだろう。自由な時間はなく、ほぼ訓練に全てを費やした。
しかし、エルサはその訓練すら楽しくて仕方がなかったのだ。身体を動かすこと、鍛えること、魔法という才能の開花。全てが新鮮で、楽しかった。
その日も、エルサは自主練をしていた。女で、細くて、体力もろくになかったので、訓練について行くためには努力が必要だったのだ。
みんなが寝ている早朝に走り込みをしていると、不意に誰かから声を掛けられる。
「そんなに努力して、君は馬鹿なのか?」
足を止めて、声の聞こえた方を見れば、一人の少年が怪訝そうな瞳でエルサを睨みつけていた。
エルサより二、三歳年上だろうか。柔らかい茶色の髪に緑色のタレ目が柔和そうな印象を与えるが、それは彼が微笑んでいればの話だろう。服装は上質で、孤児の兵士ではないことが分かる。
誰なのかは知らないが、そんなことは関係なかった。エルサは、売られた喧嘩ならば、相手が誰であろうと買う主義だ。偉そうに腕を組みながら、呆れたような口調でエルサは少年に向けて言った。
「人の努力を馬鹿にするなんて、あんた余程自分に自信がないんだね」
「……何だと?」
「怒った? 悔しかったら、私と同じ量を自主練したら? まあ、良いところのお坊ちゃんには無理だろうけど」
それだけ言い捨てて、エルサは再び走り始める。ぬくぬくと暮らしてきた貴族には、孤児の泥臭さが馬鹿みたいに見えたのだろうか。別に良いけど。
そう思って走る事に集中していると、後ろから足音が追ってくるのが分かる。その足音は直ぐにエルサの隣に並んだので、横目に相手を確認した。
予想通り、先ほどの少年だ。上着を脱いで、軽い服装でエルサと並走している。まさか同じ量を自主練してみろと言ったのを、真に受けたのだろうか。だとしたら素直すぎる。
暫く無言で走り続けていると、少年は真っ直ぐ前を見ながらエルサに言った。
「君は戦場に出たら、きっと死ぬぞ。国は君たち孤児隊を、盾くらいにしか考えてない」
「知ってる。だから私は、死なないためにこうして訓練してるの」
「やっぱり、君は馬鹿だ」
断言する言い方に、腹の奥がムカムカしてくる。そして、我慢できずにエルサは少年の後頭部を一度殴った。その事に驚いている少年を置いて、エルサは走るスピードを上げる。
相手が誰だか知らないが、怒られたりやり返される前に逃げてしまえば良いだけの話だ。人のことをバカ呼ばわりした向こうが悪い。
風を切って走るのは気持ちが良かった。加えて今日は天気も良くて湿度も無く、汗をかくことすら不快に感じない。遠く何処かで戦争が行われているなんて、にわかには信じられないほど、ヴェルヘルム王国の中心地は平和だった。
しかし、少年も諦めが悪いらしい。同じくスピードを上げてエルサに追いつくと、そのままエルサを無視して追い越して行く。一瞥もくれないその態度が、エルサのプライドを刺激して、少年に追いつこうと彼女も更にスピードを上げた。
二人してどのくらい走り続けただろうか。予定した倍くらいの走り込みを終えると、2人揃って地面に倒れ込む。息を切らして、青い空を見上げながら、気持ちのいい疲労感を堪能していると、少年はかすれた声でエルサに尋ねた。
「きみ、名前は?」
そういえば、お互いの名前も知らずにムキになっていた。最初はムカつく貴族だと思ったが、こうして一緒に走ってみると、少しだけ分かり合えたような気がする。
少なくともこの少年は、エルサに負けないくらいの、負けず嫌い。それだけは確かだった。
「エルサだよ。そっちは?」
「……レオ」
それがエルサと、将来この国の王となる『レオナルド・ヴェルヘルム』の初めての出会いだった。
◆
あの晩餐会の夜から数日の間、私は新しく与えられた自分の部屋でごろごろと過ごしていた。
あの地下室に比べると数倍ほどの広さがある部屋は、美しさと豪華さに加えて、愛らしい装飾と家具で彩られている。さすがは、歴代第一皇女のために作られた部屋だ。
大きな窓からバルコニーに出れば、マゼンタ宮の庭園が一望できた。複数の噴水に薔薇のアーチ。季節ごとに色とりどりの花で埋め尽くされる、世界最高峰とも言われる庭園である。
もちろん、食事も三食用意されて、私は自分の部屋で優雅に食べることができた。まだ食事に慣れるため、胃に優しいご飯が続いているし、間食も控えるようにと医者から言われているため、おやつに甘い物もまだ食べていないのは残念である。
ベッドも信じられないほどふかふかで、クイーンサイズはあるだろうか。私は今日も日が高く昇るまで、お気にいりのベッドの上で優雅に過ごしている。
しかし、ふと思い出す。違う。そうじゃない。
すっかり皇女の生活を満喫していたが、自分の目的は『平凡な生活』だ。前世では味わうことの出来なかった『普通』を当たり前に享受したい。それが私の願いである。
それなのに、皇女として生きて行くことになったら、また前世と似たような『普通ではない』人生になってしまうだろう。
今の生活に不満があるかと言われれば、正直今は楽しんでいる。そう、『今は』だ。
しかしこのまま皇女として生きていけば、やがて待ち受けるのは皇位継承の争いとか、政略結婚とか、最悪の場合はまた戦争が起これば前線で戦う羽目になるだろう。
8歳の少女のうちはいいが、このまま皇女として大人になるわけにはいかないのだ。
こうしてはいられない。と、私はベッドから降りる。ひとまず500年のブランクを埋めるために、この世界のことをもっと知らなくてはいけない。
エルサが死んだ後ヴェルヘルムはどうなったのか。ルクレッシオの今の世界的な立ち位置はどうなっているのか。それから現代の魔法についても勉強したかった。500年も経ったのだから、さぞ魔法技術も成長していることだろう。
それに、すんなり受け入れようとしているが、自分が転生した理由も知りたい。何故、アンジェリカにエルサの記憶が蘇ったのか。なぜ、アンジェリカだったのか。なぜ、エルサだったのか。それを知りたかった。
すると、私がベッドから降りたのを見て、待機していた二人の侍女が私に歩み寄って来る。
「どうされましたか、アンジェリカ様」
「えっと、勉強したくて、図書館に行きたいの」
「承知しました。それでは準備しましょう」
そう言って、侍女たちは私を取り囲み、身支度を開始する。皇宮内の施設へ行くだけなのに、大がかりな支度を始めた侍女たちを、私は慌てて制した。
「こ、このままでいいよ! ちょっとそこまで行くだけだし!」
「いいえ、いけません!」
私の主張を力強く否定したのは、マゼンタ宮の侍女長を新しく勤めることになった、恰幅のいい女性だった。私は、この人のことをよく知っている。
この人の名前は『セリーヌ』。私の乳母だった人だ。生まれてから5歳までの間、アンジェリカはこの人の愛情を受けて、幸せに過ごしていた。
セリーヌも、まさか自分の育てた皇女がマゼンタ宮で虐げられていたとは知らず、その話を聞いた時はショックで膝から崩れ落ちて泣いたらしい。
私にとって、かなり信頼のおける大好きな大人だ。しかしセリーヌは少々私を溺愛する節があり、こういうときは頑固になる。我が子同然に育ててくれたので、愛情が過多なのかも知れない。
「アンジェリカ様はこの国の第二皇女殿下です。その自覚を持って、いつ、誰に見られても世界一美しいと思われるように着飾る必要があります」
「いやでも、皇宮だよここ……。誰に見られるっていうの?」
「城の兵士やご兄弟、それから皇帝陛下ですよ。さあ皆、アンジェリカ様の支度を始めて頂戴」
セリーヌがそう言って手を鳴らせば、私のおめかしが始まった。
ちょっと、ほんの一時間足らず図書館に行きたいだけなのに、そのための支度が一時間以上掛かる。物凄くコスパが悪く感じた。侍女たちが支度してくれるのにただ身を任せているだけだったが、既にかなりの疲労感である。
ようやく支度を終えると、私は姿見の前に立たされる。外出用のドレスは華やかで美しい。アクセサリも宝石がふんだんに使用されており、一段と輝いて見える。
しかし、短いこの桃色の髪だけは、どうにもオシャレが難しかった。結ぶことも出来ず、ピンで止めるだけではなんだか寂しい。相変わらず毛先にかけて金色に変わるこのグラデーションだけは、美しいと言えるかも知れない。
そう思っていると、セリーヌが後ろから私の髪に触れると、まるでカチューシャのように一本のリボンを巻いてくれた。リボン自体はオシャレな柄でも生地でもないが、その一本だけで随分印象が違って見える。
何より、セリーヌの気遣いが嬉しくて、私は後ろを振り返ると、歳相応にセリーヌを抱きしめた。
「ありがとうセリーヌ!」
「お似合いですよ、皇女様。さあ、行ってらっしゃいませ」
抱きしめたら、抱きしめ返してくれる。その愛情に幸せを感じた。前世も今世でも母親というものは知らないが、きっとセリーヌのような人なのだろう。そうだったらいいな。と、心からそう思うのだった。
◇
マゼンタ宮から図書館まで、ほんの十分も掛からなかった。一人でも行けると言ったのだが、侍女が二人ついて来てくれる。
こういう生活は慣れないので、常に人に見られているのは少し居心地が悪い。だが、こういう事もその内慣れてしまうのだろうか。
図書館は、皇族であれば誰でも自由に出入りできるし、全ての本が閲覧可能だった。しかし、その広さは尋常でなく、とても自分でお目当ての本を見つけられる気がしない。小さい私には、聳え立つ本棚は首が痛くなるほど見上げる高さだった。
「皇女様、どちらの本をお探しですか?」
見上げて困り果てる私に、付いてきた侍女たちが優しく声をかけてくれる。付いてこなくていいと言った手前、少し恥ずかしい気もしたが、ここは素直に甘えることにした。
「えっと、歴史の本が見たいな。この国だけじゃなくて、なるべく世界の歴史がわかるやつ。それから魔法の本も読みたいかも」
「わかりました。他には、絵本などはいかがですか?」
「絵本? ううん、大丈夫」
首を横に振る私を見て、侍女たちは心配そうに顔を見合わせた。8歳の少女が読みたいと強請る本にしては、流石に違和感があっただろうか。しかし、本当に興味はないので仕方がない。
侍女たちは一度頭を下げると、別々に本を探しに行った。その間に、私は図書館の中に用意された椅子へ腰掛ける。大きなテーブルは、おそらく勉強するための物だろうか。
本は借りて帰ることもできるが、せっかくオシャレをしたのですぐに帰るのも勿体無いし、今日はここで少しだけ本を読んでから帰るのもいいかも知れない。
そうして暫く待っていると、侍女が分厚い本を一冊持ってきてくれる。古びた表紙のその本は、歴史にまつわる本だった。
私は侍女にお礼を伝えると、持ってきてもらった本の表紙をめくる。その本には、エルサが生まれるずっと前の歴史から書かれていた。『人間が生まれる遥か昔から、妖精族は存在していた』。そんな御伽話のような内容だ。
妖精族は、人間の文明以前から存在する『古代種』と呼ばれていて、魔法を生み出したのも彼らだという。昔は異形の形をしていたが、人間と共存するために、人型に姿を変えていったと言い伝えられていた。
しかし、妖精族はもうこの世に存在しない。何故なら、彼らの国は滅ぼされてしまったのだ。
500年前、ルクレッシオ皇国によって。
ちゃんと歴史書に、あの戦争が載っている。そのことに安心すると同時に、本当にあれは遠い過去のことなのだと思い知る。目を閉じれば、つい昨日のことのように思い出せると言うのに。
私は、感傷に浸るのを止めて再び歴史書に目を移す。
ルクレッシオは妖精族の国に宣戦布告し、圧倒的な兵力によってその小さな国を滅ぼした。
妖精族がいくら魔法に秀でた種族とはいえ、もともと争いを好まない性分と絶滅危惧と言われるほど少ない人口だったため、皇国の圧倒的な数の力の前に余りにも無力だったのだろう。
そして、ルクレッシオはそれだけに止まらず、世界征服を始めたのだ。周辺の小さな国々を次々と滅ぼし、自分の領地としていった。
その理由について、歴史書には書かれていない。エルサの中にも、ルクレッシオが戦争を始めた理由は記憶されていなかった。本当に唐突で、まるで自然災害のように前触れもなく、あの戦争は始まったのだ。
やがてルクレッシオ皇国に次ぐ大国であったヴェルヘルム王国は、皇国と戦争を開始する。自分たちの国を、そして世界を守るために。
最初は皇国が圧倒的有利に見えたが、次第に戦局が逆転し始める。それは、ヴェルヘルムの『銀色の悪魔』の活躍が大きいだろう。
銀色の悪魔と呼ばれた大魔導士は、一度腕を凪げば草原が焼け野原となり、高く拳を掲げれば山が割れ、一歩足を踏み出せば海が……――。
私は、そこで静かに本を閉じた。
今、何か凄いことが書かれていた気がする。『銀色の悪魔』。まさかとは思うが、あれは自分のことだろうか。確かにエルサは銀色の髪だったし、エルサが戦場に出始めてからヴェルヘルムはルクレッシオを圧倒し始めた。
だが、あんな化け物のような書かれ方をするだろうか。もっと美しく可憐で凛としているとか、褒めてくれても良いのではないか。よりにもよって悪魔だなんて。
一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、私は意を決して再び本を開く。
銀色の悪魔の活躍も大きく、ヴェルヘルムは戦争に勝利した。
本来であればルクレッシオの皇族は皆処刑となるところ、両国の話し合いの結果、王国は皇国に多額の賠償金と奪った領土の返還、そして人質として唯一の皇女を差し出すことで、この戦争を終結させたのだった。
以降、皇国は王国の実質的支配下にあり、独立性は保たれているが属国の扱いとなっている。
しかし、戦争でも大きな活躍を見せた『レオナルド・ヴェルヘルム』国王は早くに亡くなり、子孫を残すことが出来なかった。そのため、王国は傍系が継ぐ事になったのは惜しまれる事である。
そのような記述で、この戦争の話は終わっていた。
私は、見知った名前を懐かしく思うと、その記述を指でなぞる。レオナルド。そうか彼もあの後、子供を残さず死んでしまったのか。あんなに美しいお嫁さんをもらっておきながら、もったいないことをしたなと思う。
しかし残念だった。王国へ行けば彼の子孫に会えたりするかも知れないと思ったが、それも無理なようだ。
それからの歴史は、大きな戦争が起きることもなく平和に過ぎていったらしい。あの戦争が、歴史上唯一の二大国による戦争だったようだ。
あらかた読み終えれば、すっかり日も傾き始め、空は赤くなっていた。私はその本を戻すように侍女に伝えると、残りの本は部屋に持って帰るように伝える。
すると、魔法の本を探していた侍女が、申し訳なさそうに言った。
「申し訳ございません、魔法の本ですが殆どが貸出中で、数冊しかありませんでした」
「そう? 全然構わないよ。あるものだけでも借りてもらえる?」
「承知しました」
この城に自分以外にも魔法に興味のある人がいるのは意外だった。長男の第一皇子だろうか。しかしこの前の晩餐会で不在だったことを考えると、彼が借りたとは考えにくい。
エレオノーラは謹慎中だし、他の兄たちのことは実はよく知らない。だが、魔法が好きなら少し話してみたい気もする。
そんなことを考えていたので、私は侍女たちが何かを話し合ってこっそりと他の本も一緒に借りていることに、気付かないのであった。




