第3話 はじめての晩餐会
時は少し遡る。
◇
エレオノーラが出て行ってから、私は早速準備に取り掛かった。晩餐会に行くのであれば、それなりの格好をしなくてはいけない。
今着ている服は、侍女が持ってきた庶民の古着だ。それを長い間来ているせいで、サイズも合っていないし、シミや汚れであまりにも見窄らしい。
私は、部屋の隅に申し訳程度で置かれていた衣装箪笥に近づくと、意気揚々とその扉を開ける。
そして、愕然とした。中に入っていたのは二着の洋服。片方は今着ている物よりもボロボロで、もう片方は幾分かマシだが、いま着ている物と大差ない。
軽い絶望を感じながら、期待していなかったので、別に良い。と自分に言い聞かせる。少し迷ったが、申し訳程度の服に一応着替えた。
髪を整えたり化粧をする道具は当然のように見当たらないので、もうこれで支度は終わりだ。あとは、晩餐会の場所まで辿り着くだけである。
私はドアの前に立つ。先ほど目を瞑り、この身体の中に流れる魔力を感じ取った。
問題なく魔法が使える程度の才能はありそうだ。流石はルクレッシオの皇族である。色々と穏便な方法も考えたが、時間も惜しいので当初の計画通りでいかせてもらうことにした。
ドアノブに手を掛ける。鍵が掛かっていて開くことはない。
アンジェリカは、自分の中の魔力を意のままに操ると、ドアノブを握る手の平にその力を集中した。そして口の中で小さく呪文を唱える。
それは、【破裂の呪文】。古代の文明が作り出した呪文なので、文字による表記は出来ず、聞き取ることも難しい。しかし私――エルサは、これを優に使いこなすことが出来た。
手の中で火花が踊る。そして次の瞬間、ドアは弾かれるように勢いよく開いた。
鍵が壊れたのか、ドアノブが変形して、壁から煙も出ている。よかった、流石に大爆発は免れたようだ。アンジェリカの身体でエルサのように魔法を使うのは、もう少し練習が必要かも知れない。
いや、そもそも平凡に生きるのであれば、魔法も使わずに生きていけるのが一番良いのだが。この皇宮を出るまでは、なりふり構っていられないだろう。
私は、初めて一人で部屋から出た。地下室の廊下は薄暗く、仄かな灯りを頼りに進めば階段が見えてくる。なんの躊躇もなく、その階段を登った。一段一段踏みしめないと、この細い足では踏み外してしまいそうだ。
ようやく地上に到着すると、そこは厨房の奥のようだ。なるほど、元々は食材などを貯蔵しておく倉庫だったのだろう。今日はエレオノーラがプラチナ宮の晩餐会に行っているため、厨房には誰もいなかった。
厨房を抜けて、食堂を通り、出口を探して彷徨っていると、ようやく一人の侍女と遭遇する。いつも虐めてくる侍女ではないが、この宮殿で私のことを知らない侍女はいないはずだ。
彼女は、そこにいるはずのない少女に驚いたのか、小さく悲鳴を上げている。それに構わず、私はその侍女に尋ねた。
「出口はどこ?」
「あ、あなた一体どうやって……? 誰か!? 下賤の子が逃げ出したわ! 誰か!?」
下賤の子。どうせエレオノーラがそう呼んでいるのだろう。
庶民の母親から生まれたことを嘲笑いたいのだろうが、なんと言われようとどうでも良かった。別に皇族であることに大したこだわりやプライドも無いし、事実を言われたところで飲み込むしかない。
ただ、由緒正しい高貴な娘であるエレオノーラならまだしも、一介の侍女に下賤の子供呼ばわりするのは納得いかなかった。
少なくとも半分皇族の血が流れているのだから、お前よりはマシである。腹の奥がムカムカとしてきた。ダメだ、エルサの頃の喧嘩っ早さが表に出てきてしまう。落ち着かなくては。
そう思っている内に、騒ぎを聞きつけた侍女たちが何人か集まって来る。その中には、今朝水をかけてやった侍女もいた。私は取り囲まれるが、いたって平然とした表情のままその場に立ち続ける。
「何をしているの!? さっさと部屋に戻りなさい!」
「でも、今日は晩餐会の日でしょう」
「はっ! まさか自分が出席できるとでも思っているの? 私生児ごときが行って良い場所じゃないのよ!」
そう言って侍女たちはクスクスと笑う。この嫌味に少し付き合ってあげても良いが、生憎今は時間が惜しい。晩餐会が終わる前に辿り着きたいので、早く道を開けてもらうことにする。
私は廊下に飾られている高価そうな壺を見た。可哀想だが、あれには犠牲になってもらおう。
「出口はどこ。早く教えて」
「あんた話聞いてるの? 馬鹿ね、良い加減にしないと力尽くで連れて帰るわよ!」
「私たちが優しくしている間に、おとなしく従いなさい!」
「……」
私は、その高価そうな壺を無言で指さした。そして、誰も聞き取れない【破裂の呪文】を唱える。
エルサが覚えている中でも一番威力の弱い攻撃魔法だが、その壺は一瞬で粉々に弾け飛んだ。文字通り、陶器の壺が粉状になるほどの威力に、侍女たちは揃って呆然としている。
粉になった壺から目を離せない侍女たちの注目を、再び自分に集めるように、私は口を開いた。
「あの壺みたいになりたくなかったら、出口を教えて。早く」
その瞬間、侍女の一人が大きな悲鳴を上げてその場から逃げ去る。それを皮切りに他の侍女たちも「化け物!」と口にしながらバタバタと逃げ出していった。
一人だけ残されてしまい、私は首を傾げる。確かに脅したのは申し訳ないが、化け物扱いされるほどのことだろうか。ちょっと魔法を使ったくらいで、大袈裟だと思う。
しかし、時間短縮にはなったので良しとしよう。それに、この方法は今後も使えそうだ。
結局出口を教えてもらえなかったので、私は窓から外に出た。迷路のような宮殿の中を彷徨うより、こっちの方が手っ取り早いと感じる。
地面を歩くと、裸足に小石が刺さったのか、足の裏に痛みが走った。そういえば靴を履いていない。足から血が出ているが、そんなことを気にしている場合ではないので、私は先を急いだ。
プラチナ宮は、マゼンタ宮からでもよく見える。後はあれを目指して進めばいい。
出血を無視して歩いてみたが、痛みまでは無視できず、どうしても足を引きずって歩みが遅くなってしまう。
両足を引きずるように進んでいると、マゼンタ宮から少し離れたところで巡回中の兵士に見つかった。甲冑に身を包んだその男は、驚いたように私に駆け寄ってくる。
「キミ、どうしたんだ? 血が出てるじゃないか。侍女……の、子供? どうしてこんなところに?」
不思議そうにする男を、私は無言で見つめた。どうしようか。面倒なことになったが、ある意味チャンスかも知れない。
この状況をどう利用しようか考えていると、突如その兵士がハっと息を呑むのが伝わってくる。そして、恐る恐る私にこう尋ねた。
「アンジェリカ皇女殿下……ですか?」
何故分かったのだろう。一瞬不思議に思ったが、すぐに思い至る。この瞳の色は皇族特有の色。そして皇帝の娘は二人しかいないので、エレオノーラでなければ、消去法でアンジェリカしかいない。
想定外だがこれは幸運だと、私はその兵士の腕を掴みながら言った。私生児の皇女にどれだけの力があるか分からないが、頼ってみる価値はある。
「お願い、晩餐会に遅刻してるの。私をプラチナ宮の……お父様のところまで連れて行って」
「で、ですがアンジェリカ様は身体が弱く、立ち上がることもままならないのでは?」
なんだそれは。
きっとエレオノーラがそう言って回っているのだろう。呆れてため息が出てしまいそうだが、それをグッと堪えると、私は更に兵士に詰め寄った。
「お願いします。どうしても今日、お父様に会わないといけないの」
「……わ、わかりました。では身体に触れることをお許し下さい」
「ええ」
そう言うと、兵士は軽々と私を抱え上げる。そして、足早にプラチナ宮へ向かって駆け出すのだった。
◇
そして現在。
私は美しい挨拶を終えると、ゆっくりと顔を上げた。
奥の席に座って、驚いた顔をしているのが間違いなく皇帝だろう。5歳までは一緒に過ごしていたはずだが、私の記憶は朧気すぎて、もはや初めましての気分だ。
その近くに座るエレオノーラは、ナイフを握りしめて鬼のような形相で私を睨んでいる。嬉しい。正直、その顔が見たかった。
エレオノーラの向かいに座る二人の男は、全く同じ顔をしていて判別がつかないが、恐らく第二皇子と第三皇子だろう。焦茶色の髪に皇族特有の青い瞳だ。この双子も、私の登場に動揺しているのか、鏡でも合わせるように、お互いの顔を見合わせている。
そして、エレオノーラの隣に座る第四王子も、私を見ていた。いや、正確には見ている、と思う。彼の赤毛は長く、顔を隠すように伸びているため、その表情を窺うことはできない。
どうやら、第一皇子は不在のようだ。せっかくなら顔を拝みたかったが、仕方ない。ここにいる兄姉たちの顔を見られただけで、満足しよう。
皇帝が椅子から立ち上がる。そして、私に向かって不安そうにこう問いかけた。
「アンジェリカなのか?」
「はい、お父様」
「おお、確かにその髪の色、その顔立ち、母親にそっくりだ」
そう言って、父親は嬉しそうに笑っている。なんでそんな顔をするのかは分からないが、今日は別に親子感動の再会をしにきたわけでは無い。早速本題を切り出そうとすると、すかさずエレオノーラが口を挟んだ。
「申し訳ございませんお父様! 私の管理が行き届いておらず、すぐに帰らせますね!」
「なぜだ? アンジェリカが自分から来てくれたのに、追い返す必要はないだろう。……ん?」
そこで皇帝は、改めて私を見た。そして厳しい目つきになると、低い声でこう尋ねる。
「その顔はどうした?」
それは、腫れている左頬のことだろうか。その問いかけに、私はエレオノーラを見る。彼女の顔が青ざめるのを見るのは、実に愉快だった。焦ったのか、エレオノーラは私が答える前に大きな声を上げる。
「きっと侍女の仕業でしょう! 侍女の教育は私の責任です、申し訳ございませんお父様!」
「……エレオノーラ、私はアンジェリカに聞いているんだ。少し口を閉じていなさい」
「そ、そんな……」
自分の言葉が無視されたことに衝撃を受けているのか、エレオノーラは唇を噛み締めてうつむいている。それを横目に見ながら、私は正直に告げた。
「お姉様にぶたれました」
「嘘です! この子は嘘をついています! 私を陥れようと、そんな嘘を!」
私としては、殴られたくらい本当はどうってことはない。避けようと思えば避けられたのだから、この頬は自業自得だと思っている。だが、嘘つき呼ばわりは心外だった。嘘つきはどちらか、どうやら思い知らせて欲しいらしい。
先に言い出したのはそっちなのだから。と、私は毅然と父親に言い放った。
「私は3年間、お姉様に虐待されていました」
「なんだと……? お前は身体が弱くて、寝たきりだったのではないのか?」
「いいえ。マゼンタ宮の地下室に閉じ込められて、お姉様と侍女たちに虐待されていたのです。満足な食事や衣服も与えられず、このような姿でお父様の前に現れたこと、お許し下さい」
そう言って、私は頭を下げる。8歳の少女らしくなかっただろうか。だが、全て本当のことだし、説得力はあるはずだ。
惨めな服装、細すぎる手足、無惨に切られた髪の毛。裸足の足からは血が流れ、食堂に居合わせたプラチナ宮の使用人たちの憐れむような空気が伝わってくる。
一方エレオノーラは、怒りに肩を振るわせて椅子から立ち上がり、父親に縋りながら声を荒げた。
「嘘です全部嘘なんです! お願いします信じてください! どうしてあの子が私を悪く言うのかわかりませんが、どうせあの子は庶民の――っ!」
「黙りなさい!」
皇帝は、エレオノーラの言葉を遮り、冷たくそう言い捨てる。そして、エレオノーラの手を振り払うと、皇族の瞳を細めて睨みつけた。
「私に嘘をついていたのだな。父親であり皇帝である、この私に」
「わ、私は……」
「黙れ。お前を信じてアンジェリカを任せてきたと言うのに、その結果がこれか――ッ!」
「おやめ下さい、お父様」
今にも斬り捨てそうな程の怒りを見せる皇帝を、アンジェリカは冷静に制した。兄たちは随分怯えて言葉も出ないようだが、私――エルサはこの程度の殺気には慣れている。戦場でいやと言うほど味わった空気だ。
全員の視線が私に向く。エレオノーラも、泣きながら私を見ていた。
遠回りしてしまったが、そろそろ本題に移ろう。今日はエレオノーラを断罪したくて、ここまできたわけではないのだから。
「お姉様は確かに許されないことをしました。ですが、私はお姉様だけが悪いとは考えていません」
「なんだと……? では、いったい誰が悪いと言うんだ!?」
まだ気づいていない父親に、呆れてしまう。誰が悪いかなんて、聞かなくてもわかって欲しいところだ。だが、この男は皇帝で、きっと誰からも教えてもらえないのだろう。
それなら、私が教えてあげなければ。私は冷静な口調で言葉を続ける。皆皇帝に怒られるのが怖くて何も言えないのかも知れないが、私は怖くなかった。むしろ怒って欲しい。さあ、私を怒ってくれ。
「……私を助けてくれず、3年間も放置したのは、お父様とお兄様たちも同罪でしょう?」
その言葉で、大食堂は水を打ったかのように静まり返った。
3年間だ。3年間という長い間、エレオノーラに騙されて、一度も顔を見せない娘を放置していたのだから、それは父親である皇帝も他の兄たちも私から見れば何も変わらない。全てをエレオノーラの責任にするのは、大きな間違いである。
それを理解してもらえたところで、とうとう私はこの言葉を切り出した。
「なので、この皇宮に必要ない存在である私は、此処から出て行かせていただきます!」
これが、平凡な生活への第一歩となる。
私は、堂々とやり切ったことで満足感に胸がいっぱいだった。あとは踵を返してこの城を出ていくだけ。なのだが、せめて靴くらいは欲しいところだ。そう思っていると、不意に身体が浮くのを感じる。見れば、いつの間にか近づいてきた皇帝に抱え上げられていた。
近くで見る父親の顔は、どこか寂し気で、まるで泣き出しそうに見える。どうしてそんな表情をしているのか分からなかったが、父親はガタイに似合わないか細い声でこう言った。
「すまなかった……、全てお前の言う通りだ、アンジェリカ」
「……えっと」
「もう二度とこんなことが起こらないと誓おう。だから、そんなに思い詰めなくて良いんだ」
「えっと……?」
話が良くない方へ進んでいる気がする。そう直感的に気がついたが、もう遅かった。
皇帝は素早く周りの使用人たちに指示を出し始める。マゼンタ宮へ自分の次女たちを向かわせて事実調査を命じた。そして私を信頼できる侍女たちに託して、父親自身も何処かへ行ってしまう。
それからは、あれよあれよと言う間に事が進んだ。侍女たちにお風呂へ連れて行かれると、バスタブ一杯の温かいお湯に浸かって、石鹸と花のエキスやら何やらで身体や髪を綺麗に洗われる。
それが済めば今度は鏡の前で髪を整えられた。勿体無いと呟きながら、侍女たちは一番短い髪の毛に揃えて綺麗に髪を切ってくれる。結局、肩より少し短い長さで綺麗に揃えてもらった。
汚れていた時は気づかなかったが、綺麗に洗うと私の髪はふわふわとしていて、淡いピンク色とよく合っている。
それからたくさんのドレスを用意された。そこから好きなものを選んで良いと言われたが、全部同じに見える。エルサの時も、ドレスなんて数える程度しか着てこなかったので、好みも分からず適当なものを選んだ。
着替えが終わると、足や身体の傷の治療をした。そして、胃に優しい温かいスープが用意されて、それをあっという間に飲み干したところで、ようやく父親が戻ってくる。
見違えるような私の姿に、父親は嬉しそうに近づくと、私の前で片膝をついた。
「気分はどうだ?」
「……はい、大丈夫です」
「そうか、良かった。マゼンタ宮の侍女を全員追放した。これからは、私の侍女をお前の専属にしよう」
「へっ!? いやいやあの、私は此処を出て行くって……」
「それから、お前の部屋を三階の一番広い部屋に用意した。庭園がよく見える、一番良い部屋だ」
「でもその部屋はお姉様の……」
「エレオノーラは二階に移ってもらう」
大変なことになってきた。
それはそれでエレオノーラが不憫に思えてしまう。ここまでやるつもりはなかった。と言うか、此処を出ていくつもりだったので、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
どうしよう、完全に出ていく雰囲気ではない。
おかしい、父親は私のことを何とも思っていなかったのではないのか。だから3年間も放置して、あんな無礼なことを言った私を、怒って追放したりしてくれるはずではないのか。
折角地下室を抜け出してきたのに、平凡な生活どころか、本格的な皇女生活が始まろうとしている。私はもう一度考える。どうしてこうなってしまった。
だけど、この程度では絶対に諦めない。絶対にこの皇宮から逃げ出してみせる。
――そう、全ては平凡な生活のために!




