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第13話 妖精神教

 私は借りた本を落とさないようにしっかり抱えて、マゼンタ宮を目指していた。本当にこの身体は小さく、体力もない。本を抱えて歩くだけで息切れしそうだ。


 最近はしっかり主食を食べられるようになってきたし、食後に少しずつスイーツも許されてきたので、このままちゃんと食べてちゃんと運動すれば、平均的な8歳の少女と同じくらいには成長するだろう。


 そうして筋トレのつもりでマゼンタ宮まで歩くと、嫌な人物と鉢合わせた。昨日の晩餐会から謹慎が解除されたらしく、エレオノーラが当然のように出歩いている。


 幼い妹を監禁して虐待していたのだから、謹慎なんて処分は甘すぎるだろう。彼女がその程度の罰で済んだのは、私が特に大きな罰を望まなかったのと、皇帝が優しすぎるせいだ。


 エレオノーラは私に感謝するべきだと思う。しかし、私を睨みつける視線を見る限り、そんなつもりもなさそうだ。で、あれば、極力関わらずに生きていくのが自分たちのためだと思う。どうせ顔を合わせるのも、あと4年の辛抱だ。


 私はエレオノーラを無視して隣を通り抜けようとする。けれどエレオノーラはそれを許さず、私を呼び止めた。


「私に挨拶もできないの?」


 偉そうなその態度に、私は深く息をついた。何故そんな態度でいられるのだろう。理解できない。彼女はまだ私のことを、怯えて言うことを聞くだけの妹だと思っているようだ。




 残念ながら、あの頃とはもう立場が違う。私たちは対等な皇女となったのだ。マゼンタ宮には、私の味方も沢山いる。エレオノーラの好き勝手には出来ない。


 私は振り返ると、愛想笑いもせずにエレオノーラへ向かって言った。


「お姉様が先に、私へ挨拶をするべきでは?」

「なんですって……」

「私はまだ、お姉様の謝罪の言葉も聞いていませんもの」


 困ったようにそう言えば、エレオノーラは怒りで肩を震わせている。遠回しに謝罪を要求してみたが、馬鹿にしていた私にこんなことを言われるなんて、屈辱なのだろう。そして絶対に、彼女は私に謝らない。


 ならば、私からエレオノーラに敬意を払う必要もなかった。私にとってこの女は、姉ではなくただの性悪女に過ぎないのだから。


 そうして私が背を向ければ、エレオノーラの怒声が背中に届く。


「私が皇帝になれば、あんたなんかこの皇宮から追い出してやる! そうしたら下賎の子らしく惨めに生きるしかないのよっ!」




 ザマアミロとでも言いたげだが、私としてはそれを望んでいるので、何のダメージにもならなかった。それに、エレオノーラは自分が皇帝になると信じて疑っていないような言い方だ。


 クリストフェルも、ユリウスも、そしてエレオノーラも、どうしてみんなそんなに皇帝になりたいのだろう。私には彼らの気持ちが全然わからなかった。


 私は振り返るとエレオノーラに渾身の笑顔を見せる。それは私の、本心の笑顔と言葉だった。


「どうぞ、ご勝手に」


 私がそう言えば、エレオノーラがまた何かを叫んでいる。その言葉を聞くのすら面倒で、私は彼女を置いて三階へと急ぐのだった。







 部屋に戻ると、私は早速借りてきた本に目を通した。書かれているのは、本当に都市伝説のような内容ばかりで、信憑性も薄い。だが、これが本当だったらと考えれば、ワクワクするような内容ではある。


 妖精神教は、古代の種族、妖精族を神として讃える集団だ。妖精族が絶滅してしまった500年程前から、ちらほらと存在が確認され始めたらしい。


 彼らの目的は、妖精族の始祖をこの世界に復活させること。その具体的な方法はどの本にも載っていないが、妖精神教は古代魔法を扱えると書かれている本もあった。


 確かに、古代魔法を受け継いでいる可能性はありそうだ。しかし、そもそも存在が明確ではない宗教団体なので、やはり迷信程度に捉えた方がいいだろう。


 だが、『妖精族の始祖をこの世界に復活させる』というフレーズが気になった。もしこれが何かしらの条件の元、古代魔法によって可能なのだとしたら、それは今の私の状況と類似している。


 私も、何者かの魔法によって、エルサが現代に復活したようなものだ。これは考え過ぎだろうか。




 もう少し、妖精神教について調べてみたい。だが、皇宮から出ることが難しい以上、本以外から情報を得ることはできないだろう。本当は、本に出てきた所縁の場所へ調査しに行ったりしたい。


 皇宮から自由に出られるようになれば、つまり4年後にはもっと彼らについて調べることも可能なはずだ。そう思うと、私は借りてきた本を閉じる。全て4年経てば解決する。なんて素晴らしいのだろう。


 そうして幸福を噛み締めていると、部屋の扉がノックされた。返事をすれば、セリーヌが入ってくる。彼女は穏やかな表情の中に確かに興奮を滲ませて、嬉しそうに私に近づいてきた。


「皇女様、皇帝陛下がお呼びです」

「へっ……」


 昨日晩餐会を抜け出した身なので、皇帝に呼び出されるのは嫌な予感しかしない。昨日の涙の理由を問いただされたりするのだろうか。無礼にも勝手に出て行ったことを怒られたりするのだろうか。


 気が重い。私は嫌な表情を隠すことなくセリーヌに尋ねる。


「行かなきゃダメ?」

「当然ですよ! 大丈夫、きっと良い話です」


 そう言って微笑むセリーヌは、既に皇帝から話の内容を聞いていそうだった。




 そして皇帝に会うとなれば、侍女たちの準備も入念になる。昨日晩餐会のために時間の掛かるおめかしをしたばかりだと言うのに、私は何度目かわからないため息をついた。


 とっておきのドレスを着せられて、手の込んだオシャレをして、私は侍女たちに連れられてプラチナ宮に向かう。


 そして、皇帝の部屋に入るのは私一人だ。本当に気が重くて、私は皇帝の執務室の前で無言の抵抗を試みるが、無駄だと諦めて目の前の扉をノックした。


 ユリウスはよく一人で此処へ来られたと思う。そうして、少し待てば「入りなさい」と言う声が聞こえてきて、私は執務室のドアを開けた。


 中には皇帝しかいない。執務机で書類仕事を片付けていたらしい。だいぶ書類が溜まっているように見える。そして私の姿を見ると皇帝は嬉しそうに笑った。


「よく来たなアンジェリカ。さあ、座りなさい」


 促されるままに、私は執務机の前に置かれたソファへと座った。皇帝も椅子から立ち上がると、向かいのソファに座る。


 いったい何の話だろう。私は緊張を隠すことも出来ずに黙って皇帝の顔を見つめる。皇帝は、何故か機嫌が良さそうな表情で私をみていた。


「今日はいい知らせがあるんだ」

「何でしょう……?」

「来月、アンジェリカの誕生日パーティーを開くことになった!」




 まるでとっておきのプレゼントを開封するように、皇帝は両手を広げてそう伝える。しかしその知らせは、私を困惑させるのに十分だった。


 誕生日パーティー。来月。なぜ、今。


 アンジェリカの誕生日は、もう二ヶ月ほど前に過ぎている。既に8歳になった。皇帝はアンジェリカの誕生日を知らないのだろうか。私は複雑な表情を隠すことができない。


 そんな私の顔を見て、皇帝は残念そうに表情を暗くする。もっと喜ぶとでも思っていたのだろう。期待通りの反応が出来ずに申し訳ない。だが、何故、の感情の方が強いし、正直自分のためのパーティーと言われても素直に面倒臭い。


 きっと準備がたくさん必要だろうし、知らない貴族がたくさんやってくるだろう。挨拶もしなくてはいけないし、社交界のマナーもある程度必要だ。まだデビュタントも迎えていないアンジェリカに色々と酷な話である。


 何より、アンジェリカの立ち位置は私が一番よく理解している。貴族たちの前に立っても、彼らはアンジェリカを良く思わないだろう。


 外面は笑顔でお祝いしてくれるかも知れないが、本心ではどう思っているか分からない祝いの言葉に、意味はない。そう考えて暗い表情を見せる私に、皇帝は寂しそうに言った。


「嬉しくないのか?」

「えっと、どうして突然私の誕生日パーティーなんて開くのでしょうか? 誕生日はもう過ぎていますし、わざわざパーティーなんて」

「お前の兄姉たちも、6歳から毎年誕生日パーティーを開いている。アンジェリカに関しては、エレオノーラの件があって今まで出来ていなかったが……」




 皇帝はそう言って気まずそうに目をそらす。私としては、エレオノーラのせいだけではないと思うが、皇帝なりにそのことを反省して、私に許してもらおうと思っているのだろうか。


 そのための、遅れてしまったお詫びのパーティーなのかも知れない。私としては全く嬉しくないが。けれど、皇帝が決めたことであれば、既に私が何かを言ったところで覆すのは難しいだろう。私は覚悟を決めると神妙な顔で一度頷いた。


「わかりました……。私のために、わざわざありがとうございます」

「……! 大した事ではない。各貴族も招いて盛大なパーティーにしよう!」

「……はい」


 悪気はないと思うが、私は嫌すぎて泣きそうだった。頼むから必要最低限のメンバーでこぢんまりとして欲しい。セリーヌが喜んでいたのはこのせいか。私のために皇帝がパーティーを開くとなれば、侍女としては嬉しいのだろう。


 当然のように兄姉たちも出席するはずだ。ユリウスやクリストフェルはとにかく、エレオノーラや双子は絶対に参加したくないはずだ。嫌な顔をしながら出席する彼らを想像してしまい、既に当日を迎えるのが嫌になる。




 話はそれだけだったようで、それから数分、皇帝と他愛のない話をした。最近ちゃんと食べられているのか、侍女たちは優しいか、暮らしに不便はないか。


 幸いにも昨日の涙については聞かれなかった。皇帝なりに自己解釈しているのかも知れないが、私としては本当のことは言えないし、シモンにしたように嘘をつくのも心苦しいので、触れられないのが最適である。


 そうして話が終わると、私は退席しようとソファから立ち上がった。しかしふと、思い出したように口をついて声が出てしまう。


「そういえば……」

「どうした?」

「あ、えっと……。ユリウスお兄様が昨日、お父様のところを訪れたそうですが、何の話をしたのか気になって」


 皇帝は答えてくれないとは思うが、私は先ほどのユリウスの変化を思い出しながらそう言った。皇帝は予想通り内容までは教えてくれなかったが、しかしどこか嬉しそうに笑っている。


「ああ……ちょっとした提案をされてな。その提案の内容がクリスとフェルの提案と全く同じだから、私も驚いたんだ」

「提案、ですか……?」

「そうだ。まだ私の方で検討中だが、アンジェリカの誕生日パーティーが終わる頃には結論が出せるだろう」




 皇帝は、そう言いながらも既に心は決まっているように見える。ユリウスとクリストフェルが、皇帝に対して全く同じ提案をしたと言うのは、何となく想像し難かった。いったいどんな提案だろう。


 しかし、私はそれ以上追及することもせずに皇帝の部屋を出た。どうせ一ヶ月後には答えが知れるのだから、今気にしてもしょうがないだろう。


 それよりも、今大事なのは、目の前の誕生日パーティーだ。皇女のパーティーなんて、準備にどれだけ忙しくなるか想像もできない。


 私は深いため息と共にプラチナ宮を出る。明日から、忙しくなりそうだ。







 その男は、黒いローブを目深に被りながら、石造りの階段を降りていった。


 ルクレッシオ皇国のとある場所にある、地下へと続く長い階段。ほとんどの人間は、この場所の存在すら知らないだろう。男は、ランタンの光だけを頼りに、段差を踏み外さないように下へと向かう。


 一歩踏み締める度に、憎しみを。一歩踏み締める度に、絶望を。一歩踏み締める度に、怒りを。思い出して、忘れないように。


 階段の行き着く先には、荘厳な扉がある。男がその扉を開けば、奥は開けた空間だった。


 礼拝堂だ。横長の椅子がいくつも並び、赤い絨毯の続く先には祭壇がある。そして、祭壇の奥には美しい女性を模った巨大な石像が安置されていた。


 礼拝堂の中で口々に祈りを捧げていた赤いローブの集団は、扉が開いた音で一斉に振り返る。そして、黒いローブの男を見ると、皆安心したように礼拝に戻った。


 その薄気味悪い挙動を、そう思う気すらいつの間にか無くなっていた。彼らを此処に匿うと決めた時から、自分は何処かおかしくなってしまったのかも知れない。




 男は、赤い絨毯の上を歩いて、祭壇の奥に立つ教祖へと近づく。一人だけローブの模様が豪勢なその男は、黒いローブの男に薄気味悪い笑顔を見せた。


「これは出資者様。如何されましたか?」

「いい加減にしろ。いったいいつまで待たせるつもりだ?」

「まあまあ、そう焦らず。500年前の実験が成果を結ぶ時が、我々の計画を実行する時なのです」


 その話も、耳にタコが出来るほど聞いた。だが、その時は一向に訪れない。およそ10年もの間、男はただひたすら耐えて、待って、焦がれていた。


 男は教祖の胸ぐらを掴む。それでも周りの信者たちは、顔色ひとつ変えずに礼拝を続けていた。教祖も首が絞まりながら、焦る様子も見せずに口元を綻ばせる。


「大丈夫です。もうすぐです。もう直ぐなのですよ」

「聞き飽きたぞ! それはいつだ!? 私はいつ、息子に会える!?」

「きっともうすぐ、古代魔法を使える者が現れます」




 教祖の言葉に、男は手の力を緩めた。息ができるようになり、教祖は数回咳き込んでから、言葉を続ける。


「古代魔法です。古代魔法を使える者が、我々の計画に必要なのです」

「そんな者、現代に存在しない」

「そう、だから500年前の実験の成果が、ここに来て実を結ぶのですよ」


 教祖は、この状況でも気味の悪い笑顔を絶やさない。そして、大きく両手を広げると、まるで舞台の台詞のように仰々しい言葉を並べた。


「貴方の愛する息子さんも、我々の神も、一緒にこの世界へと舞い戻るのです。その時は、もう直ぐだッ!」


 その声に呼応するように、礼拝していた信者たちが声を上げる。もう直ぐだ。もう直ぐだ。と、不気味な合唱が礼拝堂を包んだ。


 その中で、黒いローブの男も次第に表情を変えて行く。笑っていた。もう直ぐだ。その言葉を噛み締めると、天を仰いだ。もうすぐ、あの子に会える。愛する彼女と、私の子。




 ――黒いローブの男は、薄暗い空間の中で、怪しく瞳をギラつかせる。その瞳の色は、宝石のような青い色の中に、緑色の虹彩が散らばっていた。

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