第11話 自分の夢
興奮がおさまってくる頃には、だいぶ肌寒くなっていた。私はドレスのままだったことを思い出して、少し身体を震わせる。感情が昂っていたのと走ってきたせいで、寒さに全く気づかなかった。
目元の腫れも少しはおさまっただろうか。私は化粧が落ちることも気にせず噴水の水で顔を洗う。薄い化粧なので、水で何度かゴシゴシと洗えば、化粧は全て流れてしまった。
そろそろマゼンタ宮へ帰ろうかと思った時、後ろから誰かが近づいてくる音が聞こえる。誰かが後を追ってきただろうかと、私は慌てて振り向いた。しかし、そこにいたのは兄姉ではない。
今日はよく会うな。と、私は兄姉ではないことに安堵しながら、彼の名前を呼んだ。
「なんだ、シモンか」
「こんな時間に一人で……何してるんだ?」
「うーん、ちょっとね。シモンは?」
私はバツが悪そうに目をそらす。幸いにも泣いていたことはバレていないようだ。変に誤解されたくないので良かった。
シモンの方も、バツが悪そうに目をそらす。そして少し迷ってから、持っていた木剣を私に見せた。
「別に。ちょっと自主練だよ」
「へー! 偉いね!」
訓練に参加するのは普通だが、自主練は素直に偉いと思う。エルサもよく自主練をしていた。その頃のことを思い出して、私はベンチの上に座り直す。
「じゃあ見学してるね」
「いや、帰れよコージョサマ。何時だと思ってるんだ?」
「もうちょっとだけ。ねえ、良いでしょ?」
私がおねだりすれば、シモンは諦めたようにため息をつく。そして、自分の着ていた上着を私の肩に掛けてくれた。そういうところは、意外と紳士的だなと感心する。
そして、シモンが剣術の型の確認や、素振りをする様子を眺めた。それだけだと勿体無いので、私はシモンに言葉をかけてみる。
「ねえ、聞いてもいい?」
「……何を?」
「どうして、騎士になりたいの?」
騎士になりたい。そのことに理由などないのかも知れない。それでも、努力してまで騎士になりたいと思う理由は何だろう。名誉のため、お金のため。大体がそんなところだろうか。
私の疑問に、シモンは自主練を止めることなく簡潔に答えた。
「『夢』だから」
「夢かあ。どうして? いつから?」
私のしつこい質問に、シモンは手を止めると私を睨む。流石に怒らせてしまったかなと、慌てて笑顔を取り繕った。
「ごめんね。気にせず続けて」
「……なあ。俺がその質問に答えられないのは、騎士失格か?」
逆に質問を投げかけてきたシモンは、どこか険しい顔をしていた。私はその問いに何と答えたら良いか分からず、言葉を詰まらせる。単に好奇心で尋ねた質問が、シモンの地雷だっただろうか。
私が困っているのを見ると、シモンは視線をそらす。
「ちょっとだけ、話しても良いか?」
「……どうぞ」
突然どうしたのだろう。
私は、少し横にずれてベンチの隣を軽く叩いた。シモンは私の隣に座ると、横目に私の様子を窺う。それから、こう前置きをして、自分が騎士を目指す理由を教えてくれた。
「聞いても楽しい話じゃないと思うから、嫌だったらいつでも止めて欲しいんだけど……――」
◆
シモンは平民として生まれた。母親は娼婦で、父親は誰だかシモン自身も知らない。母親は美しい人で、女手一つでシモンを育ててくれたそうだ。
母親は、父親について多くは語らなかったが、とても強い騎士だとよく口にしていた。それが本当のことなのか、娼婦を口説くための口八丁だったのか分からないが、それでも母親はその言葉をずっと信じていたのだ。
シモンは母親のことが好きだった。だから、母親がいつも口癖のように「シモンもお父さんみたいな騎士になるのかな」と言っていたのを、いつか現実にしてあげたいと思っていた。
母親の前で、剣を振る真似をすれば喜んでくれる。「騎士になりたい」と言えば、喜んでくれる。だから、母親と【騎士になる】と約束をした。
母親はきっと、シモンに父親のようになって欲しかっただけなのだろう。本当に騎士になって欲しかったのかは、分からない。もう、確認する手段はない。
そう。一年前、母親は病で亡くなった。重い病気で、治療するためのお金も無く、眠るように息を引き取ったらしい。
孤児となり、シモンは独りで必死に生きてきた。盗みも、悪いことだって沢山してきた。それでも、心のどこかにはずっと、母親と約束した「騎士になりたい」という言葉が燻っていた。
このままではダメだ。こんな生き方をしていたら、騎士にはなれない。そう思う一方で、現実は苦しいほど残酷だった。生きるためには、悪事を止めることはできなかった。
ある日、シモンは武器屋の前を通ると、一本の剣が視界に入る。それは、美しくしなやかな剣だった。
その剣を見た瞬間、母親との約束が蘇る。騎士になりたい。いや、ならなくてはいけない。そう強く思い、気がついた時には、シモンはその剣を抱えて走っていた。
武器屋の店主の怒鳴り声が聞こえてくる。それでも逃げて逃げて、逃げて逃げて逃げて。そしてシモンは捕まった。警備兵に取り押さえられ、窃盗犯として処罰されそうになったとき、シモンはもう諦めていた。
もう疲れた。もう、生きていたくない。楽に、なりたい。
シモンは抵抗することもせず、罰を待つ。だが不意に、兵士を止める声が響き渡った。
「子供相手に何をしている?」
その声は頭上から聞こえてきた。見上げれば、白馬に乗ったその声の主は、金色の髪を太陽の光に煌めかせ、不思議な色の瞳でシモンを見下ろしている。
その人を、まるで神様のようだと思った。上等な服に身を包んだその男を見た途端、兵士たちは敬礼をしてシモンから離れる。そして、兵士の一人が事情を説明した。
「この子供は武器屋の剣を窃盗しました。窃盗は重罪、余罪もあるかも知れません。中でも武器の窃盗は死罪に価します」
「彼から事情は聞いたのか?」
「事情、ですか……?」
罪人から事情を聞いたか尋ねる男に、兵士は困惑した表情を見せる。そんな兵士を無視して、男はシモンに問いかけてきた。
「どうして剣を盗んだ?」
「……騎士に、なりたくて」
こんなことを言って、笑われると思った。平民の孤児が、ボロボロになって生きている自分が、剣の一本を盗んだところで騎士になれるはずがない。そんなことは、シモンにもわかっていた。
けれど、どうしようもない。言い訳をする気にもならなくて、シモンは罰を待った。しかし、男は馬から降りると片膝をつく。そして、シモンと目線を合わせると、しっかりと瞳を見つめてきた。
「そうか、どうして騎士になりたい?」
「……母さんと、約束して――『夢』なんだ」
「『夢』か」
男は瞳を閉じると。その言葉をじっくりと噛み締める。そして、もう一度目を開くと、シモンに対して鋭く言い放った。
「それは、『誰の夢』だ?」
その言葉に、シモンは何も返すことが出来なかった。
自分の夢だと、直ぐに答えることが出来ない。母親が喜んでくれるから騎士を目指していたけれど、本当に自分は騎士になりたいのだろうか。母親のためだとしたら、彼女が死んだ今、それは誰の夢だ。
――誰のための、夢だ。
黙ってしまったシモンに対して、男は手を伸ばす。答えられなかったことで、殺されるのかと思った。しかし、男は伸ばした手でシモンの頭に手を置くと、わしゃわしゃと髪を撫で回した。
高貴な男が、こんな薄汚れた自分に触れるとは思わず、シモンは混乱する。そんなシモンの瞳には、男が優しく笑っているのが見えた。
「よし、騎士になるか?」
「へ……?」
「今は答えられなくていい。お前の夢を、騎士になる理由を、ゆっくり探していけば良いさ」
そう言うと、男は再び白馬に跨る。そして、シモンに手を伸ばした。まるで吸い寄せられるように、シモンは男の手を取る。兵士たちの制する声も無視して、男はシモンの軽い身体を持ち上げると、自分の前に座らせた。
「俺の親友も、親の夢を自分の夢だと勘違いしているような奴だった。君にはあいつのようになって欲しくないな。それで、君の名前は?」
「……シモン。あんたは?」
「あっはは! 『あんた』か、いいな! 俺の名前は『クリストフェル・ルクレッシオ』。この国の第一皇子だ。よろしくな、シモン!」
「……――っへ?」
流石に、第一皇子がどれだけ高貴なのかは知っている。きっとシモンでは想像もできないほど高い地位の人だ。そんな人が自分を乗せて馬を走らせている。まるで夢でも見ているような状況だ。
けれど、不思議と気持ちが穏やかだった。もう死んでしまいたいと思っていたはずなのに、まだ生きていたいと思える。夢を見ても良いんだと、そう思えた。
そうだ、この人のための騎士になろう。自分を救ってくれたこの人が、やがて皇帝になるこの人が、安心して治めていけるように国を守ろう。そんな騎士に、自分はなりたい。
◆
「そう思ってたけど、クリストフェル様の専属騎士にはなれそうにないし、また俺の目標は無くなったってわけだ。」
そう言って、シモンは膝の上に置いた木剣を撫でる。私は、シモンと初めて会った日のことを思い出した。訓練にも参加せずに不貞腐れていたのは、目標を失ってまた気持ちが迷子になっていたのだろう。
それでも、今はこうして自主練をする程度にはやる気が回復している。それならば、何かしら目標が出来たのではないだろうか。そう思って、私は率直な疑問を口にする。
「今は、何のために騎士になりたいの?」
「……分からない」
「でも自主練してるじゃない。新しい目標が出来たんじゃないの?」
「具体的な目標と言うか……」
そう言って、シモンは横目に私を見る。そして、目が合うと直ぐに目をそらした。なんだその態度は。と、私は少し不貞腐れる。目を合わせたくないほど嫌われているとは思わなかった。
シモンの話を聞いて、何となく自分の前世と共通点が多くて、シモンのことが以前より理解できるようになったと思った。平民で、孤児で、自主練で鍛えて。何となく、エルサとシモンは似ている。そんな気がする。
けれど、シモンはやはり私と目を合わせてくれない。もう知らないと、私がベンチを立とうとしたとき、シモンはようやく口を開いた。
「……オマエを、守れるくらいには、その……強くならないといけないと思ったんだ!」
そう言って、シモンはようやく私の目を見た、心なしか、少し顔が赤くなっている気がする。しかし、私はよく分からずに首を傾げた。
なぜ、私を守るという話になったのだろう。
もしかすると、今日双子と決闘した時に、負けたことが悔しかったのだろうか。それとも、私が皇女だからだろうか。騎士になるとしたら、皇族は全て守る対象だ。
だとしたら、私はシモンに伝えなくてはいけないことがあった。平民出身のシモンも、きっと私と同様に知らないはずだ。
「あのねシモン、言い難いんだけど……私は4年後に皇族じゃなくなるの」
「……は?」
「私もさっき初めて聞いたんだけど、この国のしきたりなの。皇位継承者以外の皇族は、みんな皇室を追放されて、皇族じゃなくなるんですって」
流石に笑顔で言うのは良くないかと思い、私はしおらしい表情を作る。本当は飛び上がりたいほど嬉しいが、それは不自然なので仕方がない。
シモンは、私の言葉に衝撃を受けているようだ。愕然とした表情で、もう一度確認する。
「じゃあ、クリストフェル様が皇帝になったら、オマエは……?」
「うん、私は皇族じゃなくなるの。だから、騎士になったシモンは、私を守らなくても良くなるのよ」
そう、だから私を守るために強くなる必要などないのだ。まるでシモンの目標を打ち壊すようなことを言っているとはわかっているが、後から知るよりは、いま知っておいた方が良いだろう。
シモンは動揺している様子だった。そして、暫く何かを考えるように木剣に視線を落とす。それから、もう一度確認するように私を見た。
「じゃあ、オマエが皇帝になったら?」
「は? いや、私は皇帝にはならないけど――」
「オマエが皇帝になれば、此処を出て行かないんだな?」
有り得ないもしもの話に、私は返答に困る。しかし、その理屈であればと、一度頷いた。すると、シモンは立ち上がる。そして、何を思ったのか再び自主練を始めた。
よく分からないが、またシモンのやる気が無くなってしまうことを心配していたので、そうではないことに安心する。しかし、どうして今の話でまたやる気になったのだろう。よく分からない。
冷たい風が通り過ぎる。もうずいぶん遅くなってしまった。そろそろマゼンタ宮に戻らなくては、セリーヌや侍女たちが心配するだろう。
「シモン、私はそろそろ帰るね。上着ありがとう、返すよ」
「いい。寒いだろうか着てけよ。送ってく」
「大丈夫! 直ぐそこなんだから、シモンは自主練してなさい!」
肌寒かったのでその言葉に甘えて上着は借りつつ、私はついて来ようとするシモンを置いて走り出した。自然と足取りが軽い。
この先の4年間、とても楽しく過ごせる。そんな気がした。
◆
アンジェリカが去った後、シモンは残って一人自主練を続けていた。今までは、どこか定まらない気持ちと目標の中で訓練をしていたが、今は違う。
今の自分には力がない。力がないと、守れない。守りたい人を、助けることもできない。4年後には皇族ではなくなると言っていたアンジェリカの、寂しそうな表情を思い出す。
不思議な感覚だ。初めて会ったとき、アンジェリカのことを変な子供だと思った。自分より小柄にも関わらず、自分と同じくらい――いや、それ以上に剣の扱いを知っている。
不思議な感覚だ。彼女が皇女だと知った時、複雑な感情だった。彼女が自分とは全く住む世界が違う住人だと思うと、寂しく感じる。もっと友達のように話していたい。もっと、対等に剣で勝負をしてみたい。
けれど、それと同時に彼女が自分の守るべき対象であることが、皇族だということが誇らしくも感じた。彼女を守るために、自分は騎士になるのだと、強くなるのだと、そう思った。
不思議な感覚だ。
この感情を何と呼ぶのか、わからない。けれど、アンジェリカの悲しむ顔は、見たくなかった。あんな寂しそうな表情をして欲しくなかった。させたくなかった。
騎士になりたい。守りたい人を守れるような騎士に。
クリストフェル様は怒るだろうか。こんな恩知らずなことを考えている自分に、失望するかも知れない。それでも、あの人は自分の夢を見つけろと言っていた。それなら、きっと見つかった。
【アンジェリカの騎士になる】。それが、自分自身の夢だ。
一方、木の陰に隠れて、二人の会話をずっと盗み聞きしている人影があった。
ユリウスは、心配してアンジェリカを追ってきたが、シモンと話しているところを見て、声をかけることが出来ずに見守っていた。だが、食堂でアンジェリカの見せた涙と、先ほどの寂しげな言葉が耳の奥で反響する。
――そして、ユリウスも心を決めた。
音を立てないようにその場から離れると、ユリウスは一人、プラチナ宮を目指すのだった。




